第4話 元Sランクの勘
王都の午後。淡い陽射しが石畳を金色に染め、人の波が通りを埋めていた。
その喧噪の中を、リィナ・カルセリオは猫のような足取りで歩いていた。視線は常に動き、耳は商人たちの声を拾い、表情は柔らかく――だが、目の奥は冷静だ。
最初の目的地は薬屋〈ノルマ〉。
木の扉を押すと、乾いたハーブと薬瓶の匂いが鼻をくすぐった。
店主ノルマは、白衣に身を包んだ元錬金術師。表情ひとつ変えず、客を見定めるような目でリィナを迎えた。
「……北区で小競り合いがあったらしい。王都の警備隊が一時的に動いたとか」
「王族筋の噂も、って話も聞いたけど?」
「まぁ、煙があるところに火はある。……あとは自分で確かめな」
短い言葉に、ノルマの老練さが滲む。
リィナは小さくうなずき、銀貨を数枚置いた。
「ありがとう。役に立ったわ」
「命を長らえる薬は売ってるが、好奇心を抑える薬はないからね」
ノルマの皮肉に、リィナは笑みを浮かべたまま店を後にした。
次は雑貨屋〈ベルダ〉。
店先では古い屋根の下、小物や香油、旅具が無造作に並べられている。
リィナが顔を出すと、店主のベルダが客を見送りながら、小声で囁いた。
「最近、夜の街が妙にざわついてる。地下酒場〈迷い子の調べ〉、行ってみるといい。裏ギルドの連中も出入りしてるって噂だ」
「助かるわ。あんた、相変わらず鼻が利く」
「惚れられても困るぞ、お嬢ちゃん」
「ごめん、年上は趣味じゃないの」
軽口を交わし、リィナはくるりと踵を返した。
午後の日差しが背中に傾き、街の影が長く伸びる。
そろそろ、夜の街が目を覚ます時間だ。
――地下酒場〈迷い子の調べ〉。
石段を下りると、空気がひんやりと変わった。湿った壁の匂いに、酒と煙草、香辛料が混ざる。
扉を押し開けた瞬間、低い笛の音と、弦楽器のリズムが肌を包んだ。
人いきれと笑い声。
中央の舞台では、歌姫サシャが唄っている。
柔らかな金髪に琥珀の瞳、そして澄んだ声――。
まるで夜の帳そのものが歌っているようだった。
リィナは壁際の席に腰を下ろし、薄く笑って酒を頼む。
しばらくして、サシャが舞台を降りると、グラス片手に彼女のもとへやってきた。
「ねえ、あなたも冒険者?」
「そう見える?」
「見えるわ。危ない夜に似合う顔してる」
ふたりは自然に笑い合う。
サシャがいたずらっぽく目を細めた。
「ねえ、踊らない? 退屈な客ばかりで、飽き飽きしてたの」
「いいわよ。ちょうど足をほぐしたかったところ」
舞台の前に出ると、笛の音がテンポを上げた。
サシャの腰がしなやかに揺れ、リィナもその流れに身を任せる。
歓声と拍手が湧き起こり、酒場の熱気がさらに高まった。
軽やかに一回転して見せると、リィナの短い赤髪が光を弾いた。
「やるじゃない!」
「昔、裏通りの祭りで鍛えたの」
「ふふ、裏通りね……似合うわ」
踊り終えたあと、リィナは息を整えながらカウンターに戻る。
そこには、店主ベルダン・ローク――筋骨たくましい壮年の男が、磨かれたグラスを拭きながら待っていた。
片目に古傷、無骨な手。元は傭兵だったと噂される。
「裏稼業は楽しいか?」
ベルダンが、にやりと笑う。
リィナは肩をすくめて返す。
「もう足は洗ったわよ。なんでわかったの、お爺さん」
「目つきがそう言ってる。……それに、あんたの動きは“街を渡る者”のそれだ」
リィナはグラスを回しながら、静かに問いを投げた。
「最近、裏ギルドの噂を聞いた。出入りしてるのは誰?」
「お前さんも嗅ぎつけたか。南の倉庫街に、妙な連中がちょくちょく来てる。商人の皮を被ってるが、荷の出入りが夜中だ」
「ふむ……取引相手は?」
「そこまでは知らねぇ。ただ――あの仮面の連中が混じってたのを見た、って客がいた」
リィナの指が、グラスの縁をなぞる。
氷が小さく鳴り、瞳に一瞬、警戒の光が宿った。
「仮面ね……。それ、ただの仮装行列ならいいけど」
「お嬢ちゃん、深入りは禁物だ。ここで生きてくには、知らないほうがいいこともある」
「でも、知らないままじゃ進めない時もあるの」
ベルダンが苦笑する。
「まったく、女は怖ぇ。好奇心が命より強い」
「褒め言葉として受け取っとく」
ふたりの間に、軽い笑いが流れた。
やがてリィナは席を立ち、銀貨を数枚置く。
「ありがとう。いい情報をもらったわ。……また踊りに来るかも」
「いつでも歓迎する。だが、次は命を賭けない踊りにしな」
リィナは片目をつむって笑い、階段を上がった。
背後では、再び笛と歌声が響き始める。
――地上に出ると、夜の帳が降り始めていた。
灯りがともる街並みの中、リィナは軽く肩を回しながら呟く。
「裏ギルド、仮面、倉庫街……さて、どう料理してやろうか」
その唇の端が、いたずらに持ち上がる。




