第2話 ギルドの暖かさ
表の喧噪とは打って変わって、裏手の作業場は今日も騒がしかった。
血と油の匂いが入り混じり、解体台の上では新鮮な魔獣の骨が軋む音を立てている。
「おう、ちび公爵。今日も真面目に納品か?」
ぶっきらぼうな声が飛ぶ。
振り向くと、解体職員のノランが、腕まくりしたまま巨大な包丁を拭っていた。
「その呼び方やめてくださいよ……。俺はただの冒険者ですってば。」
「はいはい、ただのGランク冒険者様ね。……で、この角、またズタズタじゃねぇか。モンスター泣いてるぞ。」
ノランが溜息をつくと、隣の鑑定窓口からひょいと顔を出したのはイリナだ。
柔らかな笑みを浮かべながら、手早く素材をチェックする。
「でも純度は悪くないわ。アランくん、前より安定してるじゃない。努力の成果ね。」
「い、いえ、たまたまです。」
「たまたまで成長する子なんていないわよ。ねえ、メイア?」
声のした方を見ると、受付カウンターに腰掛けている派手な女性がいた。
艶やかな赤いジャケット、胸元を大胆に開けた服装――ギルドの先輩冒険者メイアだ。
彼女はにやりと笑いながら、アランにウインクを飛ばす。
「努力の成果、ねぇ。……ねえアラン、あんた彼女とかできた?」
「ぶっ……!? な、なんですか急に!」
「顔真っ赤~! ね、イリナ、ほらこれ絶対誰かいる顔してる!」
「ふふ、確かに。」
イリナが口元を押さえ、メイアが嬉々として机を叩く。
ノランは呆れたように鼻を鳴らしながら、包丁を研ぎ続けている。
「うるせぇな。恋愛相談なら表でやれ。血が飛ぶぞ。」
そのとき、武具係のグランが奥の棚から姿を現した。
筋骨たくましい体で、手には修理途中の剣を持っている。
「おお、アランじゃねぇか! この前の盾、具合どうだ? あれ、ちょっと重めにしといたぞ。」
「あ、はい、ありがとうございます。すごく使いやすいです。」
「だろう! でもなあ……その体でよく動けるな。あの盾、俺でも腰いわすぞ?」
メイアが肘でアランをつつく。
「意外と鍛えてるのよ、この子。ねぇ、触ってみてもいい?」
「よ、よくないです!!」
作業場に笑い声が響いた。
ノランは肩をすくめ、グランは腹を抱えて笑い、イリナは「ふふっ」と控えめに微笑む。
「まったく……このギルド、どこも平和ですね。」
アランがぼやくと、メイアが唇を尖らせて言った。
「んー? 平和なうちに笑っとけってことよ、坊や。外はもう、笑ってらんない空気だからね。」
その言葉だけが、冗談の奥に微かな現実を滲ませていた。
けれど次の瞬間、グランの太い声がそれを吹き飛ばす。
「おい、メイア、また新人いじって泣かせる気か! アラン、夕飯は〈しんじつ亭〉だろ? 先に行っとけ!」
「え、どうしてそれを――」
「ギルドの噂は早いんだよ!」
笑いと騒音に包まれたギルド裏。
アランは苦笑いを浮かべながら荷物をまとめ、手を振って出口へ向かった。
その背中に、メイアが声を投げる。
「ちゃんと食べなよー、恋する少年!」
「だから違いますってばーー!」
解体室の奥まで響くその声に、職員たちの笑いがまた弾けた。
王都の大通りから外れてしばらく歩くと、街の喧騒は嘘のように遠のいた。
石畳の途切れた裏通り、灯りの少ない小路を抜けた先。
小さな酒場の看板に、かすれた金文字で〈迷い子の灯〉と書かれている。
その名の通り、ここは迷った者の行き着く場所。
罪人も貴族も、身分を脱ぎ捨てて酒をあおる――そんな裏の顔を持つ店だった。
扉を開けた瞬間、古びた木と酒精の匂いが鼻を刺す。
中は薄暗く、油ランプがぼんやりと卓を照らしている。
客はまばら。酔い潰れた男が一人、カウンターの端でうなだれていた。
「……おや。珍しいお客様だ。」
奥の席から、かすれた声が聞こえた。
レオンがそちらを見ると、薄汚れたコートを羽織った男――モークスが足を組んでいた。
年齢は四十前後。片耳に金のピアス、指先には古びた盗賊紋。
「ずいぶんとご活躍なようで。
王都じゃ噂だ。氷の少年魔術士がまた一人、英雄気取りで暴れてるってな。」
「……噂なんて、勝手に育つものさ。」
レオンは淡々と返し、対面の椅子に腰を下ろす。
卓上のランプが彼の銀髪を照らし、薄い青の瞳に冷たい光が宿った。
「用件は察してる。……貴族どもの動きか?」
「ああ。王都の上層で何が起きているのか。
特に宰相――グレイヴ・アーサー・ヴァルド。その近辺もだ。」
モークスは一瞬、目を細める。
煙草をくわえ、火をつけてから、吐き出した煙がゆらりと天井へ昇った。
「重い質問だな。で、対価は?」
レオンは軽く唇を歪めた。
「この国の“隠された歴史”ってのはどうだ?」
その言葉に、モークスの手が止まった。
煙草の先が小さく揺れ、赤い火が暗がりを照らす。
「……はは。あんた、危ない橋ばっかり渡るな。」
「お互い様だろ。ここで生きてるって時点で。」
短い沈黙が落ちる。
カウンターの向こうで、バーテンがグラスを拭く音だけが響いた。
やがて、モークスがにやりと笑う。
「いいだろう。対価としては、悪くない。
ただし――“真実”を知る覚悟があるなら、だ。」
「望むところだ。」
レオンの声は、いつになく低く響いた。
ランプの炎が揺れ、その瞳の奥に、氷のような決意がきらめいた。




