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英雄を夢見た少年は、王国の敵になる ―リベルタス―  作者: REI
第3章 隠蔽された過去 南の都編

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第90話 騎士団長に必要なもの


 夕陽が傾き、教室の壁に長い影が伸びていた。

 騎士養成学校の最終課程。卒業試験を終えた生徒たちは、歓声を上げながら中庭へ消えていった。

 だが、その喧噪はとっくに遠ざかっている。

 教室には、ひとりの少年だけが残っていた。

 アレン・オーガストレイ。

 年齢に似合わぬ端正さを持つ顔が、橙の光を浴びてもほとんど陰影を変えない。

 机の上には銀の剣。

 彼は無言のまま、その刃を布で磨いていた。

 金属音もなく、規則的な手の動きだけが、時計の針のように静かに時を刻んでいた。

 そのとき、廊下の向こうから足音が響いた。

 重く、しかし穏やかなリズム。

 扉が軋み、ひとりの男が姿を現す。

「……卒業間際だってのに、まだ残ってるとはな。好きだな、こういう空気」

 声の主は老騎士――教官ダリオン・ベルク。

 灰色の髪を後ろで束ね、鋼色の外套を肩に掛けている。

 その眼差しには、戦場をいくつも見てきた男だけが持つ“深い静けさ”があった。

 アレンは手を止めずに答える。

「この時間は、静かで考えやすいので」

「……なるほど。“お前らしい”答えだな」

 ダリオンはわずかに笑った。

 しかし、その笑みの奥にはかすかな痛みがあった。

 彼の胸中をよぎるのは、数年前の光景だ。

 剣を振るいながら笑っていた幼い少年。

 あどけなく、それでいて誇らしげに父の背を見上げていたあの子が――今、無表情な“兵器”のように座っている。

(心の声)

「十二歳……本来なら、ようやくここに入学してくる年齢だ。

本来なら――仲間とぶつかり、笑い、泣き、失敗して、悔しがって……

そうして“人”として育っていく時間なんだがな」

 沈黙が落ちる。

 夕陽が窓を染め、机の影がゆっくりと伸びてゆく。

 外では鳥の群れが帰巣の声をあげている。

 だが教室の中は、世界から切り離されたように静まり返っていた。

 やがてダリオンは、窓際に歩み寄り、橙の光を背にアレンを見下ろした。

「で、アレン。卒業してから、お前は何になるつもりだ?」

 アレンは、ためらいもなく答えた。

「――騎士団長です」

 その即答ぶりに、ダリオンの眉がわずかに動いた。

 そして、ゆっくりと目を細める。

「……だろうな。でも、忠告しとく。今のお前じゃ、なれん」

 アレンの手が、剣の柄の上で止まった。

 その瞳がわずかに細められ、静かに問う。

「理由を、教えていただけますか」

 ダリオンは椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろした。

 古びた椅子が軋み、夕陽の中で二人の影が重なる。

「“強い”のは分かってる。誰よりも冷静で、正確で、恐ろしく無駄がない。

 だが――それだけじゃ、騎士団長にはなれん。

 あの席はな、“国の盾”であると同時に、“民の支え”なんだよ」

「……支え。」

「ああ。剣で守るだけじゃない。

 人を導き、人の痛みに気づき、人の弱さを許す。

 お前は……そのどれもを、切り捨てちまってる。」

 ダリオンの声は厳しいというより、どこか懇願に似ていた。

 アレンは沈黙したまま、机の上の剣を見つめる。

 刃に映る自分の顔は、まるで他人のようだった。

 やがてダリオンが、さらに問いを重ねる。

「……なぜ、お前は騎士団長を目指す?」

 アレンの唇が、わずかに動いた。

 けれど、言葉は出なかった。

 その問いは、彼の中で“空洞”に落ちていく。

 思い出す。幼いころ、兄と交わした夢。

 ――“二人で騎士団を率いて、国を守るんだ。”

 けれど今の彼には、その言葉を“夢”として語る心がもう残っていない。

 義務、責務、使命。

 それが彼の中で“生きる理由”の全てになっていた。

 ダリオンはため息をつき、静かに立ち上がる。

「わからんなら、それでもいい。だがな――“理由”を持たずに立つ者は、いずれただの壁になるぞ。」

「壁……」

「ああ。強くて、硬くて、誰も越えられないようで……

 だが、壁はいつか崩れる。越えられるために、最初からそこにある。

 お前が目指してるのは、そんな存在じゃないはずだろ?」

 アレンは何も言わなかった。

 ただ、剣を握る手にわずかな力がこもる。

 その動きに、かつての幼い息遣いが微かに重なった――が、すぐに消えた。

 ダリオンはしばらくその背を見つめ、やがて踵を返す。

 扉へと歩き出しながら、背中越しに声をかけた。

「卒業、おめでとう。……でもな、アレン。」

 歩みが止まる。

 ダリオンは振り返らずに言葉を続けた。

「俺は――“笑ってた頃のお前”が、もう一度戻ってくる可能性を、どこかでまだ信じてるんだよ。」

 扉が静かに閉まる。

 足音が遠ざかり、再び教室に沈黙が戻った。

 アレンは長い間、微動だにせず立ち尽くしていた。

 やがて机の引き出しに手を伸ばし、そっと開ける。

 中には、一本の木の剣。

 小さな手の跡が残る、色褪せた木片。

 アレンはしばらく見つめていた。

 目の奥で、何かが揺れる。

 けれど、その揺らぎを押し殺すように、彼は木剣を静かに戻した。

 カチリ。

 引き出しの閉まる音が、空っぽの教室に響く。

「……まだ、終わっていない。」

 呟いた声は、まるで誓いのように冷たかった。

 夕陽が沈み、窓の外の世界から色が消えていく。

 やがて教室の中には、金属のような静寂だけが残った。

 その中心で、少年の影が一層濃く、深く――沈んでいった。

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