第86話 最年少の騎士
朝の光が王都の石畳に反射し、騎士養成学校の門を照らしていた。9歳にして、この学校の門をくぐる最年少の入学生──アレン・オーガストレイは、肩を張り、表情ひとつ変えずに列に並んでいた。
周囲の候補生たちは、緊張や興奮を隠せず、友達と肩を寄せ合ったり、声をひそめて囁き合ったりしている。だが、アレンはその様子を無表情で見つめるだけだった。心の奥底に、もはや他者と交わる喜びは存在しなかった。
入学式の壇上で校長が演説を始める。光と音に包まれる中、アレンの目は一点を見据え、まるで周囲の世界が存在しないかのように静まり返っていた。
彼の胸には幼い頃の決意――「強くなって兄に追いつく」という想い――は薄れ、代わりに「国と家を守る」という義務感だけが残っていた。
壇上に立った教師が、候補生に問いかける。
「君たちは、何のためにここに来たのか?」
隣の候補生は、緊張した声で「騎士になり、国を守るためです!」と答える。歓声があがり、微笑みが交わされる。だがアレンは、声を上げることなく、心の中で静かに答えた。
「……国と家を守るため」
それは、かつてアランが無邪気に語った夢の言葉と、ほとんど同じ響きだった。しかし、アレンの口から出た言葉には、あの時の温かさや笑い声はない。冷静で、感情を削ぎ落とした響きだけが、周囲の空気を押し潰した。
父レオニスは遠くからその様子を見守っていた。
石造りの欄干の影に立ち、肩に腕を置きながら、彼は独りごちた。
「この子も……何かを捨ててしまったのだな」
かつてアランの無邪気な笑顔を愛おしく思ったように、今、息子の瞳の奥に宿る異常な集中力と冷徹さに、父は微かな不安を覚えた。しかし、幼くして現れた才能と精神力の凄まじさは、否応なく家と国に必要な存在だと告げていた。
入学式が終わり、候補生たちは訓練場へと誘導される。アレンもまた歩き出す。肩の力を抜かず、足取りは軽やかだが、心の奥には孤独の影がずっしりと沈んでいた。
稽古が始まると、アレンの才能はすぐに頭角を現した。剣を握る手の動き、踏み込む足のリズム、視線の置き方、すべてが大人顔負けの精度を誇っていた。教師や先輩の目は驚きに満ち、囁きが広がる。
「小さな子供が、あれほどの動き……」
「9歳だと言うのか……信じられん」
だがアレン本人は、褒め言葉を受け止めることも、喜ぶこともなかった。感情の振れ幅は、稽古の厳しさと孤独にすでに削られていた。剣を握る手を止める理由は一つもない。止める必要も、止めたいと思う気持ちもなかった。
昼食の時間、他の候補生が楽しそうに食卓を囲む。笑い声と談笑に満ちた空間。だがアレンは一人、静かに食器を並べ、剣の型を頭の中で反芻する。母セリーヌの優しい声が、耳元で囁く。
「アレン……少し休みなさい、体も心も大切に……」
しかし、彼は微動だにせず、視線は稽古場の遠く、想像の中の戦場を見据えていた。
「僕は強くならなければ……家を、国を守るために……」
幼い頃、兄の笑顔に追いつくためだった気持ちは、すでに消えかけ、冷たく義務感だけが残っている。その義務感が、剣を握る手を止めさせない。孤独と疲労、そして感情の欠落が、アレンを強化する一方で、心の柔らかさを削り取っていた。
夜、寝室のベッドに横たわっても、目は閉じられない。暗闇の中で、彼の心はただ一つの考えに支配される。
「強くなる……誰よりも……」
幼い少年は、すでに「アレン」という無邪気な存在ではなく、家と国を守る使命に染まった小さな戦士となっていた。
しかし、心の奥底には、ほんのわずかにアランの面影が残っている。その影は、彼の目を冷たくさせることも、剣の力を奪うこともない。ただ静かに、封印され、未来のどこかで再び触れるために、眠っているだけだった。
アレンは深く息をつき、夜の闇を見つめた。
孤独とストイックな修練の日々はまだ始まったばかり。
しかし、その孤高の瞳の奥には、狂気と才能が混ざり合った、誰も触れられない世界が広がっていた。




