第82話 無邪気
春の陽光が庭いっぱいに降り注いでいた。
若草の香りが風に混じり、白い花弁が舞う。オーガストレイ家の広大な庭は、まるで小さな王国のようだった。
その中心で、まだ四つか五つほどの少年が、木の枝を片手に走り回っている。
アラン・オーガストレイ――その名に宿る重さを、彼はまだ知らない。
「見て、お母さーん! 僕、魔法使いみたい!」
細い枝を杖のように掲げ、アランは得意げにポーズを取った。
陽光を受けて、金色の髪がきらめく。その無邪気な姿に、遠くの回廊から見つめるセリーヌは、ふと微笑んだ。
「アラン、いい子ね。でも、無理はしないで。」
彼女の声は柔らかく、春風のようだった。
アランはその言葉に小さく頷くと、胸を張って笑った。
「大丈夫! 僕、強いから!」
その言葉に、セリーヌの胸がきゅっと締めつけられる。
――強い。
その響きが、彼女の心に痛みを呼び起こした。
彼の中に流れる“あの血”が、いつか彼を苦しめるかもしれない。
そう思うだけで、微笑みの奥に影が差す。
セリーヌはゆっくりと目を伏せ、静かに両手を握りしめた。
その仕草の奥に、母としての優しさと――ひとりの貴族としての覚悟が見え隠れする。
風が吹いた。
アランの持つ枝が揺れ、白い花びらがひとひら、彼の頬に触れる。
少年は笑ってそれを手で払い、何の不安も知らぬまま、再び駆け出した。
その笑顔を見つめながら、セリーヌは胸の奥で静かに呟く。
――どうか、この子の笑顔だけは守りたい。たとえそのために、すべてを失うことになっても。
 




