第78話 崩壊の跡に灯るもの
ようやく地上へ通じる階段が見えたとき、背後で最後の爆音が響いた。
炎が吹き上がり、闇が崩れ落ちていく。
仲間たちは転がるように外へ飛び出し、瓦礫と煙の中からようやく夜の空気を吸い込んだ。
夜風が焦げた空気を冷まし、乾いた土と草の匂いを運んでくる。
ラースが息を切らしながらも、口の端を吊り上げて笑った。
「はっはは、生きて出られるとはな! まだまだ悪運はつきねぇな!」
「冗談ばっかり言ってないで、しっかりしてください」
「無事生きてたんだ、これくらい許せ、堅物娘」
ラースとレーネ――長年の付き合いだけが見せる軽口。そのやり取りに、誰もが自然と笑みを浮かべた。
生きて戻れたのだ。その実感が胸の奥にじんわりと広がっていく。
アレンは気を失ったアランをそっと地に下ろし、額の汗を拭った。
傾きかけた夕陽が崩れ落ちた石柱と瓦礫を黄金に染め、戦場の残響をどこか夢のように照らしていた。
「……全員、生きてるな」
アレンが息を吐き、周囲を見渡す。その腕の中で、アランは血と煤にまみれたまま眠っていた。
だがその顔は、どこか安らかだった。
「こいつ、限界まで力を使ったな……」
レオンが静かに膝をつき、掌に青い光を宿す。
柔らかな治癒の魔力がアランの頬を撫で、焦げた布の下から覗く傷がゆっくりと癒えていく。
リィナは片膝をつき、靴を脱ぎながら呆れたように笑った。
「無茶しすぎ。ほんっと、バカだよね。あんたたち……」
その声に、ボリスが隣で笑う。
「それってリィナも含んでるでしょ? 本当にやってのけたねえ。まったく、これだから僕が必要なんだ」
少し離れた場所で、ハルクが盗賊団の男たちとともに焚火を起こしていた。
折れた木片と瓦礫を組み合わせ、火打石を鳴らす音が乾いた空に響く。
やがて橙の炎が揺らめき、闇を押し返した。
「……ふう、やっと温もりが戻ってきたな」
ハルクは鍋を吊り下げ、水を注ぐ。
ボリスが手早く野草を刻み、香草と干し肉を放り込むと、湯気とともに懐かしい香りが立ちのぼった。
その香りに誘われて、ひとりの青年が近づいた。盗賊団の一人、カイだ。
彼は帽子を脱ぎ、うつむいたまま口を開いた。
「……悪かった、ハルクさん。俺、最初からあんたを利用するつもりで……」
ハルクはその言葉を聞き終えるよりも早く、豪快に笑い飛ばした。
「くだらねぇこと言ってねぇで、皿持て! 飯は平等だ。手伝え!」
思わず顔を上げたカイの頬に、火の粉が舞う。その目尻に滲んだ涙を、誰も笑わなかった。
焚火の輪の向こうで、ラグナは崩れた石碑の欠片に腰を下ろしていた。
手に握られているのは、古代の記録装置の断片――割れた魔導石。
彼女の声は低く、しかし確かな震えを帯びていた。
「……意外な事実ね。王国の建国は、“血の融合”に始まった」
その言葉に、場の空気が静まる。
「ルミヴォーク家は罪を押しつけられ、オーガストレイ家は“聖血”として祀り上げられた。真実は、いつも勝者の筆で書かれるものだな」
レオンが顔を上げる。
「じゃあ、アランの血統は……王家と同じ、ということか?」
ラグナは頷いた。
「彼の血は、二つの家の因子が均衡した“奇跡の血”。――あれこそが、“王を選ぶ剣”を呼び覚ました理由だろう」
誰もが息をのむ。
あの聖剣――真実を暴く剣。その刃は今もアランの傍らに横たわり、夜風を受けて淡く光っている。
リィナがその欠けた刃先を見つめ、呟いた。
「……罪や嘘を斬る剣、ね。まるでこの国そのものを断ち切るための剣みたい」
「皮肉な話だな」レオンが苦笑する。「“真実”の剣が、王でも騎士団でもなく、冒険者の手に宿るなんて」
ラグナは記録の欠片を懐にしまい、目を閉じた。
「この記録を公にすれば、王国は揺らぐ。けれど――知らぬふりをすれば、また誰かが犠牲になる」
その呟きに、アレンが静かに応じる。
「なら、俺たちが“知る者”として生きればいい。真実は暴けばいいってもんじゃない。剣だけが語るか? 違う、人の意思だ」
その言葉に、誰もが顔を上げた。
焚火の音が、静かに夜を満たしていく。
ボリスが湯気を立てる鍋をかき回しながら、ふっと笑った。
「ほらよ、説教は後だ。飯食おうぜ。熱いうちがうまいぞ!」
その一言で、張り詰めていた空気がほどけ、笑い声が広がった。
夜がすっかり降りたころ、アランが微かに唇を動かした。
「……俺は、また……やっちゃったか……?」
その声に、皆が一斉に振り向く。
リィナが肩を支え、レオンが小さく息を詰める。
「よく戻ったね。また手柄だよ」
「……手柄なんかじゃ、ないよ。俺はただ……守りたかっただけだ」
アランの視線の先には、仲間たちの笑顔と、焚火の明かりがあった。
その光が、崩れた遺跡の残骸を越えて、遠く王都の方角へと流れていく。
誰もが知っていた。――この静寂は一時のものだ。
やがて訪れる新たな嵐の前に、彼らはただ、小さな灯を守るようにして夜を過ごす。
「今日はもう休もう。また明日に話はしないか?」ラースが言った。
「ああ、助かる」アレンが頷く。
すると、アランがふとアレンの袖を掴んだ。
「……なぁ、アレン。ちょっといいか」
その声音には、まだ幼さを残しながらも、どこか懐かしい響きがあった。
焚火の火がゆらめき、二人の影が長く伸びる。
やがて、遠い昔の記憶へと――静かに幕が開いていった。