第70話 炎嵐・虎砕連牙
巨躯と化したラース・カルモンテが咆哮を上げた。
岩盤のように隆起した筋肉は、見る者の心を圧し、地面が震えるたびに土煙が吹き上がる。
その拳一つで城壁さえ粉砕できそうな威圧感。
「来いッ! アラン! 俺を超えてみせろォォ!」
ラースが跳躍した。
《崩猿跳――》巨岩の塊が空を裂き、圧倒的な質量と衝撃が戦場へ降り注ぐ。
だが、アランは退かない。
全身の血統因子が熱を帯び、桜虎の力が脈打つ。
踏み込むと同時に覇気が迸り、周囲の砂塵を薙ぎ払う。
空気が震え、戦場全体が一瞬静止したかのように感じられた。
桜の幻影が吹雪のように舞い、赤い光と白い光が入り混じる。
「――これで終わりだ!」
アランの剣が閃光となった。
その刃先には、虎の威圧が重なり、斬撃は単なる攻撃ではなく“敵を屈服させる宿命の一撃”となる。
「炎嵐・虎砕連牙――ッ!!」
空気を裂く咆哮のような魔力が剣先から溢れ、赤と橙の炎が竜巻のように渦を巻き、戦場を一気に飲み込む。
ラースの巨腕と剣が交差する。
轟音と共に地面が割れ、砂煙が爆発的に舞い上がる。
次の瞬間――
ラースの岩化した右腕が、炎と斬撃の奔流に切り裂かれる。
「な……に……ッ!?」
驚愕の瞳に、桜の光が映る。
燃え上がる桜の幻影が巨体を切り裂き、後方へ吹き飛ばした。
大地に叩きつけられ、土煙を巻き上げながらラースは膝をつく。
岩の装甲は砕け、荒い呼吸が響く。
アレンが血に塗れた体を押して兄の横に立つ。
「……兄さん、今だ!」
アランは視線を弟に向けず、ただ剣を握り直す。
血統因子が再び脈打ち、全身を燃え盛る虎のような力が駆け巡る。
砂煙を切り裂き、炎と刃の連撃がラースを包む。
「これが……桜虎の力だッ!」
斬撃の連続――虎の牙の如き連撃が、ラースの全身を蹂躙する。
腕、肩、胸板、背中――炎と光の奔流が砕けた岩の装甲を抉り取り、体の内部まで打ち抜く。
岩と筋肉の巨躯はもはや人ではなく、灼熱の嵐に翻弄される土塊と化した。
「ぐ……ぐぬぅぅッ……!」
ラースの咆哮が空に轟く。
だが、アランの炎嵐は止まらない。
弟のアレンも背後から剣を合わせ、兄弟の連携は完全に一体化していた。
炎と剣が共鳴し、振動する地面は裂け、瓦礫が飛び散る。
巨体が後方へ吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられる。
岩の破片と砂煙が渦を巻き、戦場は光と炎に染まった。
ラースは荒い息をつき、なおも立ち上がろうとするが、身体を覆った岩は崩れ、裂け目から血と筋繊維が見える。
咆哮は力なく嗚咽のように変わり、巨腕はもはや威嚇すらできない。
アランは剣を構え、虎の咆哮の残響と共に、最後の一撃を放つ。
炎嵐・虎砕連牙の奥義――虎の連牙が、ラースの胸を深く貫き、巨大な巨猿の巨体を地に押し付けた。
「……俺の剣は、もう止まらない……。」
砂煙が晴れると、静寂だけが残った。
戦場に倒れた巨躯――岩化の巨猿はもはや動かない。
アレンが息を整え、血まみれの体を支えられながら兄の横に立つ。
アランは振り返らず、深く剣を握り締める。
兄弟の絆と、桜虎の血統因子の力が、戦場を制した瞬間だった。
砂煙がようやく晴れ、静寂が遺跡を包んだ。
瓦礫の山、ひび割れた大地、散乱する岩石――戦場は荒廃し、かつての通路は形を留めていない。
アレンが血に塗れた身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
腕や脚に力は残っているものの、全身が痛みに震え、呼吸は荒い。
「……兄貴……やったのか……」
吐き出す声はかすれ、喉を絞るようだった。
アランは剣を握ったまま、無言で立つ。
肩や腕に深い傷があるのに、目の奥にはまだ戦闘の熱が残る。
しかしその瞳は、今は静かに冷え、周囲の破壊の余韻を見据えていた。
アレンは兄の横に歩み寄る。
「……俺たち、やったんだな」
かつて冷徹な副団長だった彼の声に、微かに安堵と驚きが混じる。
その顔に、長い戦いで失われた緊張が少しずつ戻る。
アランは短く吐息を漏らし、剣を地面に突き立てる。
「……ああ、終わった」
ただ一言。
だが、その言葉に込められた重みは、戦場の荒廃と共鳴する。
瓦礫の中、ラースの巨躯は静かに横たわっている。
岩と筋肉の塊はもはや動かず、戦場に残るのは破壊の痕だけだった。
砂煙の向こうで、微かに風が吹き、砕けた岩屑を舞い上げる。
その静けさの中で、兄弟は互いを見やった。
アレンは、ふと小さく笑った。
「兄貴……俺も、そばにいてよかったな」
その声には、かつての冷徹さは消え、ただの弟としての素直な感情があった。
アランは肩を少し動かし、微かに頷く。
「……ああ、俺もだ。お前がいてくれなきゃ、止められなかった」
遺跡の奥に差し込む光が、瓦礫に反射して二人を照らす。
赤と橙の炎の残滓が、戦いの痕跡を淡く染める。
血と砂、砕けた岩――すべてが戦いの記憶として静かに残った。
アレンは剣を手放し、膝に手をついて深く息をつく。
アランも隣に腰を下ろし、剣を軽く脇に置く。
二人の間には言葉は必要なかった。
互いの呼吸、互いの存在だけが、戦場に残る生の証だった。
「……まだ、終わってないな」
アレンが言う。
「国も、仲間も、俺たちの背負ったものはこれからも続く」
アランは剣を握り直し、静かに天を見上げる。
「……そうだな。けど、今日の勝利は俺たちのものだ」
瓦礫の山に、かすかな風が吹き抜ける。
戦場の余韻に、二人の鼓動が小さく重なり合った。
兄弟の絆は、血と炎と汗の中で確かに刻まれた。