第55話
「すっげええ……! お前ら、ほんとにあの幻獣を!」
キャラバンの商人たちが歓声を上げる中、レオンはふらりとしゃがみ込んだ。
肩で息をしながら、手を見る。かすかに震えているが――それでも、制御できた。
「……あたしも、少しは役に立ったかな」
リィナがにやりと笑い、イヤリングを外して砂をはたいた。
「音と気配で位置を掴めた。あの商人から買った甲斐があったわ」
「それに、ロープ。見事な腕だったよ。俺じゃ無理だった」
「……ふふ、ハリスに感謝しなきゃね。こういう“縛る技術”、嫌いじゃないわ」
照れ隠しのように肩をすくめるリィナの横で、レオンも少し笑った。
「……俺も、今回はちゃんと“見えた”気がする。幻影に飲まれず、制御できた」
「じゃあ、ふたりとも成長ね。冒険者らしくなってきたじゃない?」
キャラバンの影から現れたアランが、満足げに笑った。
「よし。休んだら出発する。砂嵐は去った――けど、本当の旅はこれからだ」
吹き抜ける風が、彼らの背を押した。
その風はもう、幻ではなかった。
陽光に満ちたサウスガーデンの緑を後にし、アランたちは再び旅路へと戻った。乾いた風が道沿いの草を撫で、鳥の囀りが遠くから響く。だが、その穏やかな空気は、束の間のものでしかなかった。
午後も深まった頃。開けた峠道の先に、幾重もの銀の鎧が陽光を反射していた。整然と進む騎士たち。王国の紋章が刻まれた盾、統一された馬装、ただ者ではない気配。
「……あれは、特別騎士団か」アランが思わず呟く。
王国直属の精鋭部隊。朱猿騎士団の解体後、急遽設立された彼らは、王の信任を受けた最も強力な兵たち。道を譲るように、アランたちは立ち止まった。
だが、すれ違うその一瞬。列の中の一人と、レーネの視線が交錯する。
黒髪をきっちりと束ね、眉ひとつ動かさぬ無表情の男。その面差しは、かつての彼女が誰よりも知っていた顔だった。
刹那、レーネは無意識に左胸に手を当てていた。
「……ルー。まだ生きていたのか」
その声は風よりも静かで、それでも震えるほどに重たかった。
男――ルードは馬上から目を細めた。表情は変わらない。だが、わずかに揺れる眉が、彼の内側にわだかまる何かを語っていた。
「貴女こそ。あの“夜”以来、消息は絶たれたままでしたから」
アランが思わず前に出る。何か尋ねようと、口を開きかけた。
しかし、レーネはそれを制した。右手を軽く横に広げて、言葉を遮る。険しい目で、ルードを見据えたまま。
「……公務中よね。詮索は無用、か」
「命令の優先順位は変わりません。……どうか、お気をつけて」
短く、それだけを告げて彼は馬を進めた。騎士団の列の流れに溶け込むように、ルードの姿は再び均整の取れた隊列の中に戻っていった。
砂利を踏む蹄音だけが、しばらく耳に残った。
その静寂の中、アランが小さく呟く。「レーネ……あの人は……?」
レーネは答えなかった。だが、風の中に揺れたその瞳に、押し殺した過去の影が浮かんでいた。
「行こう、アラン。まだ……旅は終わっていない」
彼女は先を歩き出す。その背中に、かつて騎士だった女の誇りが微かに宿っていた。
レーネの昔の部下? それとも、敵……?
アランの喉がごくりと鳴る。さっきまでの緊迫が、遅れて背中を冷たく撫でた。
「レーネさん……あの人は……」
問いかけに、レーネはただ一言。
「行くわよ、アラン。ここはもう安全じゃない」
振り返ることなく、彼女は乾いた土を踏みしめ、歩き出した。その背に、アランはしばし迷いを抱いたまま、しかし結局は足を動かす。彼女の声には、何か……切なさと決意が混ざっていた。
やがて、岩陰で様子をうかがっていた仲間たちが合流する。
「騎士団、だったよな。王国直属の」リィナが軽く舌打ちする。「ああいうのは一番やっかいだ。関わったら最後、無実だろうと容赦しないタイプ」
「面倒ごとに巻き込まれるのは避けたいな……」レオンも顔をしかめている。彼の目は、遠くの砂煙の向こうに消えていった騎士たちの隊列を追っていた。「あれだけの装備、砂漠用に訓練された部隊だ。少なくとも、ただの巡回ではない」
だが、ただ一人。ボリスだけが、何やら目を輝かせていた。
「ひょっとして、いまのって……元・朱猿騎士団絡みか? 本物の歴史の渦中ってやつじゃないか? ふへぇ……こういうの、胸が熱くなるな!」
「ボリス……!」リィナが呆れたように溜息をついた。「あんた、今まで何回“事件に巻き込まれて後悔した”って言ってた?」
「いやまあ、それはそれとしてな……」
その時、アランが一歩、みんなの前に出た。
「……遺跡の調査は、続ける。依頼は依頼だ。途中で放り出すのは、好きじゃない」
はっきりとした声。意志のある眼差し。
「もちろん危険はある。でも、行くべき場所があるなら、俺は行きたい」
レオンはちらりと視線を向けた後、ふっと微笑む。
「君らしい判断だ」
「ま、そういうと思ってたわよ」リィナも肩をすくめながら笑う。「せめて、途中で逃げ出さないようにね」
「へへっ、任せとけって」ボリスは大きな鍋の盾を軽く叩いた。「アランが行くなら、俺も行くさ!」
砂漠の風が、彼らの間を吹き抜ける。今や砂嵐は遠ざかり、空には再び、蒼穹の太陽が昇っていた。
こうして、彼らは再び遺跡への道を進み出す。
それぞれに、何かしらの想いを胸に抱えながら。