第52話
砂漠の風が冷たくなり始めた夕暮れ、交易場の広場では色とりどりの布がはためき、焚き火の周りに人々が集い始めていた。ラクダに似た異国の獣たちが繋がれ、香辛料の香りと弦の音色が風に乗って漂う。
「ようこそ、旅人たちよ。今宵は戦の歌を――」
声の主は、赤銅の髪に小麦色の肌、鮮やかな青のスカーフを巻いた男だった。レバーラと呼ばれる砂漠の弦楽器をつまびきながら、男――吟遊詩人ジンは満面の笑みを浮かべていた。
「やぁ、オルフェスの酒場ぶりだね。覚えてるかな?」
アランがきょとんとしていると、レオンが隣で小声で呟いた。
「前に港で、海賊の歌を歌っていた詩人……彼だ。」
「君たちにはどうも縁があるようだ。名前は残さず、想いだけ残すのが詩人の矜持ってね……って、ちょっと気取ってみたかっただけさ」
ジンは笑いながらも、アランにだけは真っ直ぐな眼差しを向けた。
「アランくん、君からは英雄の匂いがするよ。まだ小さな焔だが、きっと風に乗って大きくなる。」
その瞬間、焚き火がぱちりと弾け、舞台のように広場の中央が照らされた。
異国の舞踊が始まった。舞姫たちは金糸を織り込んだ布をまとい、土と砂を操る魔術とともに舞った。地面がうねり、砂が花のように咲く――
「さ、踊れ踊れ!せっかくの祭りなんだ!」
リィナが笑いながらアランの腕を取って引っ張った。
「ちょ、ちょっと待って、俺、踊れないって……!」
棒立ちのアランを無理やり引き込んで、見様見真似で舞を始める。
「ははっ、こりゃひでぇ……!」
ボリスが横で腹を抱えて笑っていたが、いつの間にか地元の子供たちと輪になって踊り出す。まるでずっとここで暮らしていたかのような馴染みっぷりだった。
その様子を見ていたザラン王国の随行員が驚いた顔をする。
「面白いやつだな。こいつ、土の精霊に好かれてやがる……!」
気に入られたボリスには、土魔法を強化する“砂の手甲”が贈られた。
「え、え、オレが?いやいや、もったいねぇっすよ!」
「遠慮するな。君には相応しい。」
そう言ったのはジンだった。彼はにやりと笑いながら耳打ちする。
「この品は、ザラン王家の祝祭でしか贈られぬ品だよ。ま、気にするな。今宵はただの夜会だからね。」
「え? あんた、ただの吟遊詩人じゃ――」
ジンは肩をすくめるだけだった。話をそらすようにレバーラを奏で、再び歌い始める。
「名もなき勇者が、砂に立つ。
その瞳に宿るは、かつての誓い。
風は問いかける、君の旅の意味を――」
夜風がやさしく吹き抜けた。アランはふと、ジンの瞳に何か深い悲しみと覚悟が宿っているのを感じた気がした。