第47話
歓楽街・夕暮れの小広場にて
音楽と香の漂う歓楽街の一角、異国の果実酒とスパイス料理の屋台が並ぶ小さな広場。ひときわ賑やかな一角に、ボリスの姿があった。
「うは〜〜〜、やっぱこの串焼きは最高っすねぇ〜!」
大鍋を脇に置き、顔をほころばせながら豪快にかぶりつくボリス。その満ち足りた笑顔は、なぜか周囲の者の気分まで明るくさせた。
「ボリスさんって、なんか一緒にいると元気出るわよねぇ」
「わかる〜! こっちまであったかい気持ちになるっていうか……」
ボリスの近くにいた女性たちは頬を染め、彼の一挙手一投足に笑みをこぼす。時折ちらっとアランやレオン、そしてハリスにも目を向けるその視線には、不思議な親しみの色があった。
「あれ……なんだこれ、オレまでモテてない?」
気づいたハリスが目を瞬かせる。腕に絡んできたのは、つい先ほどまで客引きに冷たかったダンサーの女性だった。
「ねえ、あなたもボリスさんのお友達でしょ? じゃあきっと、優しい人なんだよねぇ♡」
「え、え、まって、なに? おれ今、魅力に目覚めてる!?」
「ハリス……たぶん、それ違う……」とアランが苦笑いしつつも、どこかほんわかした気持ちになっていた。身体の奥が、ほんのり温かくて、理由もなく「世界って悪くないかも」なんて思ってしまうような――
(……これ、ボリスの魔法のせいか?)
そう気づいたのはレオンだった。冷静な彼は、ボリスから微かに漂う“精神波”のようなものを感じ取っていた。
(あいつ、感情を外に漏らしてる……無自覚で。しかも周囲に拡散してる……!)
だが、それは決して悪意ある干渉ではなかった。あまりにも自然で、心地よくて、抗う気すら起きない。
「よぉし! この気分なら、踊らなきゃ損っすねぇ〜!」
ボリスが鍋を叩いてリズムを刻むと、どこからか笛の音が重なった。屋台の親父が太鼓を出し、通りすがりの踊り子が腰を揺らし、笑顔が広がっていく。
気づけばそこには、人が人を呼び、ちょっとした“祭り”のような騒ぎが起きていた。
「……楽園って、こういうことかもな」
にぎやかな歓声と楽器の音が交錯する広場の片隅、レオンは一本の柱にもたれ、喧騒を冷めた目で眺めていた。
香辛料の香り。果実酒の甘い匂い。踊り子の鈴の音。そして、笑顔。笑顔。笑顔。
(……これは偶然じゃない)
視線の先――輪の中心にいるのは、楽しげに鍋を振りながら笑うボリスだ。
(周囲の空気が異常に軽い。人々の心が、まるで波に揺られるように……)
レオンは瞼を伏せ、空気の「奥」を探る。風に乗って拡がる感情のうねり――それは確かに、精神属性の魔力だった。
ボリスから発されている。
(自覚なし、か……これは――“共鳴型精神干渉”)
ボリスが好意を抱けば、周囲も好意を返す。安心すれば、周囲も和む。逆に、強い怒りや恐怖を覚えたときは――と考えると、レオンはわずかに眉をひそめた。
彼は踊る人々を避けて、さりげなくボリスに近づいた。
「……おい、ボリス」
「ん? なんすか、レオンさん! 一緒に踊ります? あっはは、なんか楽しくなってきたっすよねぇ!」
「そう、それだ。その“楽しくなる感じ”……お前の魔法だ」
ボリスの手が止まった。
「へ?」
「気づいてないのか。お前、精神魔法が漏れてる。自分の感情が、そのまま周囲に影響を与えてる」
「……え、ちょ、マジっすか……?」
さすがにボリスも驚いたようで、周囲を見回した。笑い声、楽しそうな視線――そしてなぜか、じっと見つめてくる女性たちの熱っぽい目線。
「……うわ、こっわ。俺、なんか変な魔法使ってたんすか?」
「変ではない。むしろ“希少”だ。だが、自覚なしに振り撒くのは……無防備すぎる。敵に気取られたら、格好の標的になる」
レオンの言葉に、ボリスはしばらく黙って考え込み――そして、頭をかいた。
「うぅ……オレ、てっきりモテ期が来たと思ってたのに……」
「それは……まあ、否定はしない。多少の魅力はある。問題は“操作”じゃなく“制御”だ」
「……ん〜〜、制御……かぁ」
「これから先、仲間と戦場を共にするなら、学んでおけ。無自覚の魔法は、最悪――味方をも巻き込む」
レオンの声は穏やかだったが、冷たさを孕んでいた。だがそこには、真剣な忠告と、仲間としての期待があった。
ボリスは、少しだけ引き締まった顔で頷いた。
「……わかりました。ちょっと、ちゃんと考えてみるっす。ありがとう、レオンさん」
「礼はいらない。次からは、祭りを起こす前に、一声かけてくれ」
夜の砂漠 仮設キャンプ地
南の楽園の喧騒から離れ、一行は遺跡近くの砂丘に仮のキャンプを張っていた。
天幕の周囲には焚き火がいくつも灯され、夜風に舞う炎が静かに砂を照らしていた。
「は〜〜、なんだか今日はやけに楽しかったなぁ」
上機嫌なハルクが、手にした干し肉をかじりながら、鼻歌混じりに歩いていた。肩の袋から取り出した酒壺を傾けると、どこか懐かしそうな目をして空を仰ぐ。
そして、ぽつりと口ずさんだ。
「ぽるる だらわー すいの ぬあーん……」
その調べは、粗削りながらどこか不思議な旋律を持っていた。言葉の意味はわからない。それでも、夜の空気に溶け込むような優しさと、心を遠くへ連れていくような響きがあった。
「今の、歌っすか?」
火の傍でゴロリと横になっていたボリスが、身体を起こして聞き返した。
「おうよ。漁師の家にゃ代々伝わってる子守唄みたいなもんさ。古くって、意味なんざわからねえが……波の音と一緒に覚えちまったもんよ」
「へぇ〜〜、なんかいい感じっす。オレも覚えていいすか?」
「もちろんさ。簡単だぜ」
ハルクが焚き火の端で手拍子を取り、再び歌う。
「ぽるる だらわー すいの ぬあーん……
しぇり たーい もるが ふぃりの……」
それに合わせて、ボリスも口を開いた。
「ぽるる……だらわー……すいの、ぬあーん……♪」
そのときだった。
ボリスの声が、空気を震わせた。
焚き火の揺れが一瞬だけ強くなり、砂の地面に柔らかな波紋のような振動が走る。誰かの笑い声がふと止まり、空気が変わった。
レオンが、すっと顔を上げる。
「……今の、魔力だ」
「ボリス……?」アランが振り返る。
だがボリス本人は気づかず、楽しげに歌を続けていた。笑顔のまま、手拍子を合わせ、無意識に“感情”を音に乗せていた。
「ねれい のあーる しるま かしゅ……
ふぁり とぅーれ ざりえ ぼわ……♪」
そのときだった。
――ギィ……ィ……
金属が砂を引きずるような異音が、すぐ近くの闇から響いた。
レーネがすぐさま剣に手を伸ばし、リィナがしゃがんで影に目を凝らす。
「なんか……動いたわよ、あの岩陰」
「ちょっと待て、あれ……岩じゃねぇぞ!」
ハルクが青ざめた表情で立ち上がる。
砂の斜面の下。壊れた廃墟の中に埋もれていたはずの鉄塊が、ひとりでに起き上がるように立ち上がった。
――それは、旧帝国製の魔導人形。身の丈六メートルを超える、歯車と魔石の巨躯。
だが、関節部は砕け、片目の魔石もひび割れている。とても“動く”はずのない、死んだ遺物のはずだった。
それが今、ひとつの音に――ひとつの“感情”に――反応していた。
「……反応したんだ。ボリスの歌に。感情魔力に――!」
レオンの叫びとともに、魔導人形の胸部が発光を始める。古の技術が、いま再び目を覚ました。