第46話
灼熱の陽光が、白砂の大地を焼いていた。熱波は空気を揺らし、遠くの地平を蜃気楼のように歪ませている。
そんな砂漠の只中に、まるで幻のように現れる街があった。南の楽園――かつて古代帝国が築き、今は数十の国のキャラバンが行き交う貿易の要衝。古の魔導文化を抱く遺跡の入り口としても知られ、商人、傭兵、探検家、そして信仰者までが集う、喧騒と謀略のるつぼである。
アランは汗を拭いながら、街の入口に並ぶカラフルな天幕と、旗の森のようなキャラバンを見上げた。
「……すげぇな、こりゃ」
隣でレオンが静かに相槌を打つ。
「交易都市としての規模は予想以上だな。あの獅子面の傭兵団は、中央帝国の残党系か……注意しておいた方がいい」
リィナが笑みを浮かべ、通りすがる蛇神教の巡礼団に目を細めた。
「けどまあ、こういうゴチャゴチャした街は嫌いじゃないよ。何か面白いモン、拾えるかもしれないしね」
その後ろで、ボリスが鍋を背負って大汗をかいている。
「た、楽園って聞いて期待したんすけど、砂と熱風のどこが楽園なんすか、アニキィ……」
彼らは今、遺跡探索の準備を進めるため、このサウスガーデンに立ち寄っていた。地図の補完、水と食糧の確保、そして――ある「案内人」との接触が、この街での目的だ。
市場には異国の言葉が飛び交い、香辛料の匂いと砂埃が混じり合う。金色の装束に身を包んだ獣人のキャラバンが隊列を組み、白い帳に囲まれた蛇神教の僧侶たちが静かに祈りを捧げていた。獅子面の傭兵が隊商の警護を担い、子どもたちが細い路地で笑い声を上げている。
この街には、文明の遺産と野性の鼓動が同居していた。
南の楽園・午前──市場通りにて
陽光を遮る布張りの天幕の下、市場は今日も人と物と声で溢れていた。
「ほらラグナ、これ見てみなよ。南方産の鉱石! 魔導具の触媒に使えるかもよ?」
「ふむ、純度は低そうだが……色味は悪くない。装飾品としてなら悪用される心配も薄い」
「ふふ、レーネさん、こっちの布地、似合いそうじゃない? 軽いし、動きやすそう」
「……そうか? 私はこういう柔らかい色はあまり――いや、悪くないかもしれん」
三人の女性は、南の楽園の中央市場を気ままに歩いていた。旅の束の間の自由時間。リィナの目は、盗品や怪しい品に敏感に反応しながらも、どこか楽しげだった。
だが、そのとき――
「っと、ごめんなさいっ!」
少年が一人、リィナの肩にぶつかるように走り抜けた。砂を蹴り、群衆の中に消えようとする。
リィナは一瞬で表情を変えた。
「……盗ったな」
腰のポーチに手をやり、財布がなくなっているのを確認すると、リィナはすぐに飛び出した。
「待って、あれはただの子供じゃない――連携してる!」
彼女の目には、路地裏で待ち構える仲間の気配が見えていた。罠術の知識と街角の地理が一瞬で結びつく。
「ラグナ、あの角曲がった先を塞いで! レーネは私と回り込む!」
言い終えるよりも早く、リィナの足は石畳を駆けた。
「そこだっ!」
飛び出してきた少年の前に、ラグナが静かに立ちはだかる。スレート板の端で足を引っ掛け、少年は転倒。
「動かないで」
レーネの剣が、寸前で抜かれかけた仲間の手元に光った。
「盗んだ物、返してもらおうか。次やったら、逃げ道すら選ばせないよ」
リィナの冷ややかな声に、少年たちは怯え、懐から財布を取り出して差し出した。
「ふぅ……この街、面白いけど油断ならないね」
リィナは財布を確認し、何事もなかったようにそれを腰に戻す。
「さて、買い物の続きをしよっか。あたし、ちょっと甘い果実酒が気になってたんだよね♪」
同時刻──歓楽街・裏通りにて
「……で、なんでこんなデブが、モテてんだ?」
ハリスが眉をひそめて、目の前の光景をまじまじと見つめる。
ボリス・ミールハルト。大鍋を背負い、汗をかきながらも、周囲には数人のダンサーや女給たちが群がっていた。
「うふふ、ボリス様ぁ、その魔法、また見せてほしい♡」
「“料理は心”って、ボリスさんの言葉よね!? 素敵〜!」
「あ、あんまり引っ張んないでぇ! 服が破れちゃうっす!」
歓楽街の奥の涼み処。香の香りと、異国の音楽が流れる中、なぜかボリスだけが中心人物になっていた。
「……わからん。どこにそんな魅力が?」
「たぶん……“癒し”ですかね」と、レオンが冷静に分析する。「笑顔と包容力、それに“食べ物”の魔力。あれは魔術より強いです」
「うーん……」
アランは少し遠巻きに、ボリスの賑やかさを見ていた。自分にはない何かが、あそこにある気がして、ほんの少しだけ羨ましかった。