第33話 裏切りの焔
王都エルグランザの政庁塔――
朝焼けの光の中、宰相エルヴァンは仄暗い笑みを浮かべていた。
彼の前には一枚の文が広げられている。焦げ跡のついた報告書、そして証言書三通。
いずれも、内容は同じだった。
「カルモンテ騎士団、味方領地リエン村を焼討。生存者なし。王国旗の残骸あり」
裏面には、匿名の印と、目撃証言と称する雑な筆跡――
だがそれで十分だった。火の粉は、王宮へと届く。
――「何を考えているのだ、あの男は!!」
王の怒声が玉座の間を揺るがしたのは、翌朝のことだった。
病に伏して久しい王が、久方ぶりに自ら声を荒げた。
「ラース・カルモンテ! あの愚か者は、我が民を焼いたか!?
そのような暴挙、我が名の下に許すはずがない!!」
王命は即日、発せられた。
「朱猿騎士団、即時解体。団長および高官の拘束、ならびに全兵の武装解除を命ずる」
命令書が飛ぶ。その裏で、宰相は淡々と命じた。
「……事実を確かめる必要はない。証拠は“整っている”。あとは手順通りに進めろ」
それが、朱猿を断つ計画の、終着点だった。
* * *
「団長、……報せです。王都からの正式命令。――解体、とのことです」
カヴェルの声は震えていた。
ラースは、焚き火の前で槍を研いでいた手を止める。
「……来たか。思ってたより早かったな」
背を丸めた団員たちが、焚き火の周囲に集まる。
誰も声を発しない。だが、その顔には怒りと困惑が渦巻いていた。
「俺たちが民を焼いた、だと?」「証言者がいる? 誰がだ、あの村には生き残りなんて――」
「わざとだ」
ラースの一言が、騎士たちを黙らせた。
「最初から仕組まれてた。王印の命令も、あの書状も……全部、罠だったんだよ。
今ごろ王都じゃ、俺たちが“暴走した血の猿”ってことにされてんだろうさ」
唾を吐くように言い放ち、ラースは立ち上がる。
「いいか、これは戦だ。だが、敵は剣を振るわねぇ。
偽の証言、文、情報操作――やり口は陰湿だが、命を奪うって意味じゃ戦場と同じだ」
「団長、どうするつもりです?」
カヴェルの問いに、ラースは短く答えた。
「王都へ行く。俺が話す。全部、ありのままにな」
「危険です! 今さら話したところで、奴らが聞く耳を持つとは――」
「だからこそ行く。逃げたら、“やましい”って証明するようなもんだ。
……信じてくれ。俺が、朱猿の誇りを守って帰ってくる」
それが、彼の“最後の命令”になるとは、この時まだ誰も知らなかった。
* * *
王都へ向かう山道。
ラースは少数の護衛と共に馬を走らせていた。
雨が降り出す。視界は悪く、足元もぬかるんでいた。
だが、彼の心には迷いがなかった。
(王が怒っているなら、俺が直接頭を下げる。……まだ、信じられる)
そう思いたかった。だが次の瞬間。
――ズン。
馬が突然、前足を跳ね上げる。
ラースの身体が宙に投げ出され、泥の地面に叩きつけられる。
「……なっ――!」
罠だった。
足元の魔符が発動し、地面が爆ぜる。視界が白く焼けた。
「団長ッ! 伏せろ!」
護衛が叫ぶ。だが、既に遅かった。
木々の影から矢が飛ぶ。長弓ではない、闇ギルドの狙撃用短弓――
兵ではない。兵にしては、動きが早すぎる。
闇の中から、黒装束の影が踊る。
連携された動き。明らかに、騎士殺しの訓練を受けた手口。
「……裏ギルド、か」
ラースは口の端を吊り上げ、血を吐いた。
槍を握る。敵が三、四人。勝算はない。だが――
「俺の言葉を……俺の魂を……誰かに、届けるまでは――死ねねぇんだよッ!!」
咆哮と共に、彼は最後の戦いを始めた。
* * *
一方その頃。
朱猿騎士団の野営地を、王都直属の討伐軍が取り囲んでいた。
総勢四百、魔導兵装と砦包囲陣を用意。
対象は、たった百に満たない“解体命令無視の騎士団”。
カヴェルは空を見上げる。
「……来やがったか。団長……本当に、帰ってくるのかよ……」
その問いに答える者は、もう誰もいなかった。