第24話 動き始めた怪盗
第一発見者となったのは、東廊下の巡回を担当していたリィナとシャイナの組だった。
魔導ランタンは依然として復旧せず、館内の照明は一切機能していなかった。二人は手持ちの小型魔導灯を頼りに、静まり返った廊下を慎重に進んでいた。
その時だった。
仄かに揺れる灯の先に、不自然な影が浮かんだ。
「……あれ、なんか……倒れてない?」
リィナの声に、シャイナが反射的に剣に手をかけた。
二人は気配を探るように歩を進め、光をその影に向けた。
魔導灯の光が死体を照らし出した瞬間、息を呑むような沈黙が降りた。
そこに倒れていたのは、仮面をつけた人物だった。
男とも女ともつかない華奢な体つき。顔は白銀の仮面に覆われ、その下の素顔は伺えない。
「……なんでここに……?」
リィナが呟く。
何より異様だったのは、死体の倒れ方だ。
その身体は保管室の扉の正面、まるで自ら歩いて来て、その場に崩れ落ちたかのような姿勢で倒れていた。壁に叩きつけられた形跡も、争った痕跡も、血の飛沫すらない。
むしろ、あまりに整いすぎた姿勢だった。
まるで、何者かが“意図的にそこへ置いた”かのように。
次々に駆けつける足音が、廊下に響く。
西廊下を担当していたレオンとアイリ、南側のボリスとミリナ。そして、最後に遅れてアランとセティが姿を見せた。
「……封印が……解かれている」
最初に保管室の扉に目を向けたのはレオンだった。
扉に刻まれた魔術紋様。その一部が歪み、かすかに焦げ付いている。
レオンは、しゃがみこんで扉の表面を指先でなぞった。
「無理やりこじ開けたわけじゃない……丁寧に、順を追って封印だけが外されてる」
その言葉に、アイリが不安げな視線を死体へ向けた。
「……じゃあ、こいつが封印を?」
レオンは無言で頷くと、今度は仮面の人物に手をかざし、魔力の残滓を探る。
「……死後、十数分。即死性の毒、あるいは魔力枯渇によるショック死……だが、どこにも抵抗の痕跡がない」
淡々と述べるその口調の裏に、鋭い違和感が滲んでいた。
「……演出だ」
その一言に、皆の表情が曇る。
レオンの指が、仮面の隙間に触れる。すぐに止まり、わずかに眉が寄った。
「皮膚の下に……焼け焦げた筋がある。これは……術式による内部焼却だ。死後、魔力が逆流して、自壊したような……」
ミリナが驚いたように声を上げた。
「魔力自壊……? でも、こんな症状、私は知らない……」
その時だった。
館の奥から、重く、沈んだ足音が近づいた。
現れたのは、屋敷の執事だった。
「……その通りですな。あまりにも丁寧すぎる痕跡。扉に手を加えた形跡はなし、死体の姿勢も整いすぎている。まるで――芝居を見せるかのように」
執事はそう言うと、死体のそばにしゃがみこみ、仮面の端をじっと見つめた。
「この者が扱った可能性があるとすれば、“鍵術”かと。封印を扱う古い系統の魔術です。記録の中に、術者の命を代価にする例もあると……」
レオンが目を細めた。
「鍵術……魔術そのものが鍵の役割を果たし、術者の魔力を代償に封印を開く、と……だが、だとすれば、なぜこの者は死んだ直後、こんな場所に……」
セティが問う。
「……本当にここで死んだの? 運ばれたわけじゃなくて?」
アイリが小さく首を横に振る。
「でも、引きずった跡もないし、魔力痕も残ってない。誰かが“ここに来て死んだ”と見せかけてるとしか思えない」
静かな沈黙が流れる。
レオンが、ゆっくりと立ち上がった。
「扉は開かれていた。封印は外されていた。だが……中身は無事だった」
その言葉に一斉に視線が保管室の中へ向く。
厳重な装飾の箱。その中央に、例の“宝”が安置されていた。
「……見た目は無事……でも、それは囮だ」
レオンが言い切る。
「本物は別の場所に保管してある。これは最初から、囮として用意されたレプリカだ」
セティが驚きに目を見張る。
「つまり……犯人はそれを知らなかった?」
「あるいは、知っていた上で“これだけ”を狙った。つまり、本物には手を出さず、敢えてこちらを標的に選んだ可能性がある」
ボリスが腕を組む。
「じゃあ、これは……宝を盗もうとした犯人じゃなくて、“犯人に見せかけた何者か”か?」
ミリナが魔力感知を続けながら、沈んだ声で言った。
「……侵入の痕跡も、脱出の痕跡もありません。誰も、出入りしていない……なら、この中に犯人がいる、ということになります」
その瞬間、空気が張り詰めた。
執事が静かに口を開く。
「……この件が明らかになるまで、屋敷の出入りは禁じさせていただきます。今夜のうちに、騎士団に報告を」
そう言って背を向けた執事を、レオンが目だけで見送った。
その視線が、仮面の死体へ戻る。
そして、静かに呟く。
「――これは密室じゃない。“密室に見せかけた舞台”だ」
その声は誰にも聞こえなかった。
だが、確かにその場にいた全員が、同じ疑念を心の中に抱いていた。
――犯人は、まだこの中にいる。
そして、これは単なる侵入ではなく、もっと深い“何か”が仕組まれている。
死体は仮面をかぶり、鍵術で封印を解き、まるで“劇の主役”のように舞台の中央――宝の前で倒れていた。
芝居だ。
誰かが、全員を舞台に引きずり上げようとしている。
それに気づいた者は、まだ数人しかいない。
そして、その者たちは、静かに思考を深めていく。
――次に仕掛けられる罠が、いつどこに現れるか。
誰が“観客”で、誰が“役者”なのか――それすらも、まだ分からないまま。




