第23話 見張の夜
夜の帳が下りた頃
館の一角にある広間に全員が集められた。
今夜に限り、屋敷に滞在する者は全員、
この場に集うよう主の命が下されていた。
「よろしいですね。本日、館は全方位に結界を展開済み。加えて魔導具による警備網も敷設済みです。侵入も脱出も不可能――この場は、完全に封じられています」
低く、張り詰めた声で告げたのは、屋敷の執事を名乗る中年の男だった。
その言葉に、集まった若者たちの間に緊張が走る。朱ノ花をはじめとした王都の騎士候補生たちも、その場にいた。
保管室に収められた“宝”の警備は、レーネを中心とした数名に託されている。今宵はさらに警備を強化し、二人一組の交替制巡回が命じられていた。
「レオンとアイリ、リィナとシャイナ、ボリスとミリナ。以上三組は各区画を巡回してください。そして――レーネ殿には単独での配置をお願いしたい」
その名が呼ばれた瞬間、レーネの細い眉が微かに動いたが、すぐに無表情に戻る。
「了解しました」
静かに頷く彼女は、元カルモンテ家の出身。騎士の家に生まれ、孤独な任務にも慣れている。だが、ほんの僅かに胸の奥に芽生えた不安に、誰も気づく者はいなかった。
やがて警備体制が整い、魔導ランタンの光が一つ、また一つと灯され、巡回が開始される。
――その時だった。
「……っ!? 消えた……?」
廊下の灯りが、一斉にふっと途絶えた。まるで蝋燭を吹き消したように。
次いで、館全体の魔導ランタンが沈黙し、静かに、しかし確実に闇が広がっていく。
完全な暗黒が、すべてを包み込んだ。
魔導具で制御された光が、理由もなくすべて消えるなど、本来あり得ない。
結界は生きており、警報も作動していない。魔力探知にも異常なし。
それなのに、“光”だけが消された――不自然極まりない違和感。
「魔導ランタンが……潰された?」
震える声が、誰かの喉奥から漏れた。
それでも誰一人、外に出ることはできない。結界は確かに館を封じている。
暗闇の中、警備の組ごとに声を掛け合いながら、それぞれの持ち場へと散っていく。
だが、ただ一人、レーネだけが無言のまま、その場を離れた。
彼女の感覚が、すでに“異常”の気配を捉えていた。
その足は、迷いなく保管室のある区画へと向かう。
* * *
――静寂だった。息を呑むほどに、異様なまでに。
廊下を進むレーネの足取りは、沈着だった。
片手は常に、剣の柄に添えられている。頼れるのは、闇に研ぎ澄まされた五感だけ。
その時、耳が捉えた。
――足音。己ではない、もう一つの気配。
保管室の方角から、確実にこちらへ近づいてくる。
「……誰?」
鋭く問いかけた瞬間、闇の奥からそれは現れた。
白銀の仮面が、ゆらりと浮かび上がる。衣擦れの音。
そして、男とも女ともつかぬ、中性的な声が、低く笑った。
「まだまだガキだな。正義感だけじゃ、もう通じないってこと――そろそろ学べ。……少し、寝てろよ」
言葉が終わると同時に、影が襲いかかる。
レーネは即座に剣を抜いた。鋼の閃きが闇を裂く。
だが――
(……見切られてる!?)
直感だった。すべての動きが、先読みされている。
踏み込み、体捌き、剣筋の角度。すべてを、相手は予知していた。
まるで――あの人のように。
朱猿騎士団の団長が用いていた、あの独特な足運び。
鋭く、無音で、まるで地を滑るような。
「まさか……団長……!?」
その言葉をかき消すように、仮面の人物が接近し、肩を軽く掠める。
一瞬、体内に痺れが走り、足元から力が抜けた。
「っ、薬……?」
視界が歪む。世界が傾く。
倒れこむ直前、仮面の人物が一歩、レーネに近づいた。
「悪く思うな。お前ならわかるだろう。……手順ってのは、大事なんだよ」
それが、最後の言葉だった。
レーネの体は、音もなく床に崩れ落ちる。
それは、巡回開始からわずか十五分後の出来事だった。