第21話 忘れられし名と、鍵
私の屋敷に来るたび、庭で木の枝を剣に見立てて遊んでいたよ。弟のアレンとね……ふたりは双子だった」
ウォングの声は懐かしさに滲んでいた。
「顔も性格もよく似ていたが……本質は、違っていた。アランは明るく、責任感が強い子だった。アレンはというと……自由奔放で、兄の背中を追いかけるような子だったよ。アランのことが、大好きでね」
ふと、その顔に翳りが落ちる。
「だが、あの事件のあと……アランは姿を消した。家の中では“死んだ”と、まるで示し合わせたように語られていた。それ以上は、誰も話そうとしなかった」
彼は低く息を吐いた。
「私も……あの頃は深く詮索できる立場にはなかった。だが今でも、あの時、何が起こったのか――ずっと胸に引っかかっている」
「兄が大好き……?」
リィナがぽつりと呟く。「それが本当なら、今のアレンの態度……あまりに不自然ね」
「再び会えたこと自体、奇跡だよ」
ウォングはアランの傍に膝をつき、毛布をそっとかけた。
「たとえ記憶が封じられていようと……生きていてくれた、それだけで、私は救われる。騎士になる夢を、もしまだ捨てていないのなら――私は全力で応援してやりたい」
そう言って、彼は静かに息を吐いた。
深く、長く、何かを手放すような呼吸だった。
「ありがとう、君たちがそばにいてくれたことに……心から感謝する。この子は、決して一人ではなかったんだな」
その言葉に、レオンが真っ直ぐに頷いた。
「アランは真実を知るたびに、苦しまないといけないのか。側にいてやらないとな。」
彼の静かな一言に、リィナとボリスも頷いて応じた。
騎士になるんだ、と笑っていた少年は、確かにここに生きている。
応接室の奥。厳重に施錠された扉の鍵を執事オルガが開く。
重く鈍い音を立てて開いたその奥には、まるで展示室のような小さな空間があった。
部屋の中央に据えられた黒檀の台座。
その上には、透明な封印箱が静かに佇んでいる。
中には、楕円形の石がひとつ──金属と鉱石が融合したような重厚な質感。表面に浮かぶ幾何文様が、微かに明滅していた。
「……これが、狙われている宝?」
リィナが眉をひそめ、石を見つめる。
「“王家の護鍵”だ」
ウォングが重々しく口を開く。「我が家に代々伝わる、最も重要な遺物だ」
「護鍵……?」レオンが言葉を繰り返す。
「建国の混乱期、我が先祖が王から託されたと伝えられている。“王家に災いが迫るとき、護るべきものを護る鍵となる”――そう言い伝えられてきた」
「鍵というより、象徴……でしょうか」
レオンが封印箱を覗き込む。
「その通り。“物”というより“意味”に価値があるものだ。だが……歴代当主の中には、これを“真の鍵”と呼んだ者もいる。まことしやかに、“王家の隠された扉を開く装置”だと……」
ウォングの声がわずかに低くなる。
「真偽は定かではないが……何らかの仕掛けがあると睨んでいる」
アランがふらりと歩み寄ろうとすると、封印箱がふわりと淡青の光を発した。
うっすらと結界のような膜が浮かび上がる。
「魔力封印箱だ。中身に触れるには、“王家の証印”が必要になる。今や、失われたとされているが……」
「ちょっと待って」
レオンが目を細め、腰のポーチから古文書の断片を取り出す。
「この文様……どこかで見た。……そうだ、古代帝国の“紋式言語”に似てる」
「古代帝国?」
リィナが目を細める。
「魔導書の中にあった。装飾のように見えて、実際は“術式”だ。つまり、この石には何らかの機能がある。ただの遺物じゃない」
「また始まったわね、学者脳」
リィナは軽く茶化したが、レオンは真剣なままだった。
「言ったからな? あとで“あれがスイッチだった”って言われても知らないぞ」
「ふむ……」
ウォングが次に手にしたのは、やや皺のある封筒。
中から取り出したのは、異様に丁寧な筆跡で書かれた、一通の予告状だった。
封蝋には、優雅な筆致で“A”の文字が記されている。
レオンがその文字を見て、わずかに眉を寄せた。
「……アルセレーヌ……?」
ウォングが苦い顔で頷いた。
「そうだ。怪盗アルセレーヌ――この名を名乗る人物が、近頃各地で遺物や禁制魔道具を盗み続けている。遺跡由来の品ばかりを狙っているようだ。オルフェスでも、すでに数件被害が出ている」
「遺物ばかりを……」
レオンが眉をひそめた。
「そしてこの屋敷にも、その手紙が届いた」
ウォングが予告状をテーブルに広げる。
全員が自然と身を寄せる。
“夜の帳が静まる時、私は舞い降りる。
護り手たちよ、誇り高き象徴を守り抜けるか?
王家の鍵は、今宵、わたしが戴きに参上する。
仮面の下、誰もが真実を忘れる夜に――
怪盗アルセレーヌ”
「……なんつー優雅な挑発文だな」
ボリスが唸る。
「本当に来るつもりなのかしら……」
リィナが呟いたその瞬間、ふと脳裏に蘇ったのは、数日前に酒場で出会った、芝居がかった旅商人の女。
あの妙な明るさ。仮面のような笑み。そして、あの目の鋭さ。
――まさか。いや、まさか……
リィナは、その名を心の中でゆっくりと反芻した。
アルセレーヌ。
「夜は……もう始まってるわよね」
誰にともなく呟いたその言葉に応えるかのように、封印された石の文様が、ひときわ鮮やかに明滅した。




