第14話 ボリスの過去
——鉄のにおい。地面を叩く、重い足音。誰かの、叫び声。
「ボリス……!」
血が飛び散る音がして、次の瞬間、誰かの手が、自分の胸元を掴んでいた——
「……っは!」
ボリスは、息を荒げて起き上がった。額に汗が滲んでいる。狭い天井、小さな窓から朝の光が差し込んでいた。
「ああ……また、あの夢か……」
夢だ。過去の幻だと、何度も言い聞かせてきた。
だが、心臓はまだ現実のように早鐘を打っている。
「ケイト、またそんなこと言って……」
「だってよ、俺たち三人いりゃ、熊でもイノシシでも来いや!ってな!」
「それはさすがに無茶でしょ~」
ユリアの笑い声が、森に弾んだ。
森の小道、空気は少し湿っているが、心地よい木漏れ日が差していた。
三人組の冒険者。まだランクも低く、名も知られていなかったけれど——
「この3人でいられたら、それだけでよかった」
当時のボリスは、本気でそう思っていた。
ケイトは、村で一番の腕っぷし。大きなハンマーを軽々と振るい、どんな魔物も豪快に吹き飛ばす。
ユリアは、誰にでも優しく、怪我ひとつ見逃さずに癒してくれる回復役。
そして、ボリスは——盾を持つ、ただの防御役。
「よっしゃあ、今日の依頼は“山道の見回り”だ。って言っても、出てくんのはウサギかタヌキくらいだな」
「ケイトが変なこと言うから、また妙なのが出るんじゃない?」
「う……そ、それは困る……」
ボリスは苦笑しながらも、後ろを歩く二人の声に耳を傾けていた。
でも、ふと、足が止まる。
ユリアの声が響いているのに、胸の奥では別の声がする。
——「お前は、ただ守るしかできない盾だ」
——「役に立ってるフリして、結局いつも後手じゃねえか」
心の中に、棘のような声が突き刺さる。
“俺がいるせいで、足引っ張ってないか?”
“ケイトは強い。ユリアは魔法が使える。俺は……?”
焦燥。苛立ち。喉の奥が熱くなるような感覚。
何かが——押し寄せてくる。
「おい、ボリス。聞いてるか?」
ケイトが肩を叩いた。
「あ、ああ……」
「大丈夫か? 顔がちょっと、こわばってんぞ?」
「……うん。平気、だ」
笑顔を作るのが、少し遅れた。
そのとき、道の向こうで、何かが走り去った。
「今の……鹿?」
「いや……あれ、今こっち見て逃げたよな」
ケイトが首を傾げ、ユリアも不思議そうに目を細める。
「最近、なんか動物が俺のこと避けてる気がするんだ」
ボリスがぽつりと呟くと、ユリアは少し首を傾げて微笑んだ。
「そんなことないよ。ボリスは、ちゃんと“守ってくれる”って、みんな知ってるよ」
「……だと、いいけどな」
けれど、ボリスは知っていた。
最近、自分の中に何か変な感情が芽生えている。
人がイラつく言動をした時、動物が近づいてきた時——
まるで、無意識に何かを“押し返す”ような力が反応している。
(これが……“魔法”の一種なのか?)
それとも、自分の弱さが、どこかで歪んでしまったのか——
夜、焚き火を囲んだ三人。
ケイトが肉を焼きながら、鼻を鳴らした。
「ま、お前らは安心しろ。俺が前でどんと構えてやっからよ」
「それ、ボリスのセリフじゃなかったっけ?」
「んだよ、パクったわけじゃねーって!」
三人の笑い声が、森の奥に吸い込まれていった。
ボリスは、火の揺らめきの中で、二人の笑顔を見つめていた。
(……この日々が、いつまでも続くと思っていた)
——けれど、それは“ヒーローごっこ”でしかなかったのかもしれない。