第9話 出発!港町へ
夜の宿は、いつになく静かだった。
珍しく酔っぱらいもなく、厨房からは片付けの音だけが響いている。
アランとレオンは、店の片隅の卓で遅めの夕食をとっていた。
ボルドはどこからか持ち込んだ巨大な骨付き肉にかぶりついている。
そんな中、リィナが店の奥から現れ、三人の前にどすんと腰を下ろした。
「――明日、出るわよ。南門、朝七時集合。寝坊したら置いてくから」
「えっ、急じゃねぇ!?」
アランがフォークを止めて目を丸くする。
「早起きは苦手なんだけどなぁ……」
ボルドは骨をくわえたまま、もごもごと呻いた。
「オルフェスまで同行者がいるの。酒と竜を背負った陽気なオッサン。ちょっと見ものよ」
「え、誰だそりゃ……また変なやつ?」
「ま、会えばわかるわ。準備しときなさい」
そう言い残し、リィナはくるりと背を向けた。
残された三人は、ぽかんと顔を見合わせた。
「おい……なあ、レオン。お前知ってたのか?」
「知らなかった。が、あの感じだと、もう決まってたんだろうな」
「うぅ、またリィナに振り回される~」
ボルドが両手を挙げて嘆いてみせるが、どこか嬉しそうだった。
朝。
南門前には朝露に濡れた石畳が光り、荷竜の吐く鼻息が白く立ちのぼっていた。
「よっ、遅刻しなかったな!」
革のコートをはためかせ、ゴードン・バーリックが手綱を肩にかけて立っていた。
その隣では、モークと呼ばれた小型ドラゴンが、大きなあくびをしている。
「でけぇ! ってか……お前、酒くせぇな!?」
アランがモークの鼻先に手を伸ばすと、ブシュッと鼻息をかけられた。
「おいおい、朝から機嫌悪いのか? もしかして二日酔いか?」
ボルドがくすくす笑うと、モークがギロリと睨む。
「……あ、今ちょっと殺気感じた」
「こいつ、表情わかりやすいんだよ。いいやつさ、すぐ酔うけどな」
ゴードンが笑いながらモークの首元をぽんと叩く。
「揃ったわね。じゃ、出発するわよ」
リィナの一言で、一行は街道へと歩を進め始めた。
出発からしばらく、なだらかな草原が続く道を、荷竜の足音と馬車の軋む音が織りなす。
アランとボルドは、先頭で軽口を叩きながら歩いていた。
「なぁアラン、お前さ、旅の荷物ちゃんと持ってんの?」
「当たり前だろ。お前こそ、荷物それだけか? その袋、中身パンパンだけど」
「ふふん! 中身の九割、干し肉と干し芋と、リィナさんにもらった怪しい酒だ!」
「お前、完全に胃袋で旅してんじゃねぇか!」
「だってさぁ、リィナさん料理作ってくれないでしょ? レオンは無口だし、アランは……その……火事起こすし……」
「うるせぇ!」
「でもなぁ……こうして旅してるとさ。家でもない、冒険でもない、なんか“仲間”って感じ、ちょっと好きだな」
「……お前、そういうこと急に言うなよ。こっちが恥ずかしくなるだろ」
「へへ、だってアラン、ほら、すぐ照れるから」
「うるせぇって!」
そんなふざけ合いに、後ろのレオンが小さく笑う。
「楽しそうで何よりだ。……だがそろそろ空模様が怪しいな」
見上げれば、薄曇りの空に、黒い雲がゆっくりと広がっている。
「おいおい……マジかよ。晴れてたのに」
「雨、来るわよ。足早に進みましょ」
リィナが先へと急ぎ、ゴードンも口笛を吹いてモークを促す。
ぽつ、ぽつ、と肩に冷たい感触が落ちる。
「……来たな」
「アラン、傘持ってる?」
「持ってねぇ!」
「はい、負けー」
「なんの勝負だよッ!」
空が濃い鉛色に変わりはじめる。
やがて、それは細く冷たい雨となって、街道の上に降り注ぎはじめた。
荷竜の背にしぶきが跳ね、草むらがしっとりと濡れてゆく。
アランは顔をしかめながらも、歩みを止めなかった。
その横で、ボルドが空に向かって口を開く。
「なぁー! 雨さえも旅の味だよなー!」
「うるせぇって!」
笑い声と雨音が、旅路の風景に溶けていった。
「……あった! 小屋だ!」
アランの声に、皆が顔を上げる。道の脇にぽつんと立つ、苔むした木造の小屋。雨脚はどんどん強まり、空はすっかり鉛色に染まっていた。
「助かった……! ずぶ濡れになるとこだったわ」
リィナが駆け込むと、すぐにボルドとアランも続く。レオンは最後に扉を閉め、ため息をついた。
中は狭いが、屋根はしっかりしていて風もしのげる。
「なかなか悪くねぇな、この小屋」
ゴードンが荷竜モークの荷車を小屋の庇の下に止めながら言った。