第10話 貧民街の薬屋
今までの主な登場人物
アラン/この物語の主人公
リゼット/冒険者ギルドの受付嬢
レオン/同期の冒険者で魔術師
ティナ/同期の冒険者でハーフエルフの魔術師
ダグラス/ベテラン冒険者
ガロス/先輩冒険者 自称天才
リーゼ/定食屋店員
バロス/定食屋店主
メイア/先輩冒険者
ノラン/ギルド職員解体専門
アランは、地面に倒れていた老人の頭をそっと支え、水袋から少しずつ水を飲ませた。痩せこけた手は細かく震え、わずかに潤した喉からかすれた声が漏れる。
「……ノルマ……あの婆さんの、ところへ……」
その名前にアランは目を見開いた。
「ノルマ? どこにいるんだ?」
「名前だけなら聞いたことがある」レオンが静かに答える。
「かつては名のある錬金術師だったが、今は隠遁して、どこにいるかわかってない。」
「なら、探そう!案内してやらなきゃ!」
即答するアランに、レオンは眉をひそめた。
「……まったく、お前は本当に“寄り道”が好きだな」
だが、その声はどこか諦めと信頼の混じった響きだった。
崩れた石壁を越えた先、風に薬草の香りを漂わせる小屋がひっそりと建っていた。
木製の扉に看板はなく、ただその佇まいが“それ”を物語っていた。
アランが扉をノックすると、小窓がわずかに開き、中から鋭い眼差しが覗く。
「何の用だい。見ない顔だね」
「倒れてたお爺さんが“ノルマのところへ”って!助けてほしいんだ!」
一拍の沈黙。やがて扉がギィ……と軋んで開いた。
「……入りな。寝かせておき」
ギィ……と、きしむ音と共に、杖をついた小柄な老婆が現れた。
薬草の色が染みついた節くれだった手。ひどく擦り切れた作業着。
だが、その顔を覆う皺の奥で――目だけが、燃えるように鋭く光っていた。
静かだが、ただの年寄りには見えない。
その佇まいに、アランは自然と声を低くした。
「……ここが、薬屋か」
「なんだい、薬屋には見えないかい?」
薬草と乾いた土、そしてわずかな血のような鉄臭さが混ざり合った空気が、小屋の中に満ちていた。
内部は狭いが、異様なほど整っている。
壁一面にびっしりと並んだ瓶や薬草、天井から垂れ下がる乾燥ハーブの束。
年季の入った木製の作業台には、焦げ跡の残る錬金器具がいくつも並んでいた。
ここは単なる薬屋ではない――アランは、そんな直感を覚えた。
「昔は王都の錬金術ギルドにいたんだよ。今じゃ貧民街の便利婆さんってとこさ」
「どうして…こんな場所で?」
レオンの問いに、ノルマは鍋に火をかけながら笑う。
「貴族に頭を下げるのが性に合わなかっただけさ。私は“命”を扱う者。金のために生きてたまるかってね」
その言葉には、誇りとわずかな哀しみが滲んでいた。
そのとき、部屋の奥から小さな足音が響いた。
「おばあちゃん、誰か来てるの?」
現れたのは、薬草の束を抱えた少年。警戒心を隠さずにこちらを見ている。
「ユオだよ。この子は手伝いをしてくれてる。……妹を救うためにな」
ノルマがちらりと布団の奥を示す。小さな少女――ミナが、苦しげに寝息を立てていた。
「ミナの命も、薬草一本で繋いでるようなもんさ」
アランはそっと背負っていた袋から薬草を差し出す。
「これ……今日採取した余りだけど、よかったら使ってくれ」
ノルマは袋を見つめ、一瞬だけ瞼を伏せた。そして静かに言う。
「薬草一本で何人救えるか、考えたことはあるかい、坊や」
アランは真っすぐに頷く。
「考えたこともないし、まだ分からない。でも、目の前に助けられる人がいるなら、迷わず差し伸べたい。それが、俺が選んだ“冒険者”って生き方だから」
ノルマの口元に、かすかに笑みが浮かぶ。
(冒険者にしては、正義感の強い子だね)
「ふん。口だけじゃなきゃいいがね」
数刻後、ミナのまぶたがゆっくりと持ち上がる。
「……ミナ?」
ユオが駆け寄る。少女は弱々しい手で、小さな布の花を差し出した。
声にならない「ありがとう」が、その小さな手から伝わってくる。
「ありがとう。……しっかりな」
アランはそっと花を受け取った。
その様子を見つめながら、レオンがぽつりとつぶやく。
「……非効率だが、悪くない」
「だろ?」
アランが笑い返すと、レオンは目を伏せた。
アランはノルマの小屋の縁に腰をかけ、くすんだ夕焼けに染まる貧民街を見つめていた。
遠くから、壊れかけの窓が風に鳴る音が聞こえる。
「……いい顔をしてるね」
(懐かしいね。昔はもっとこんな顔した奴がわんさかいたね。)
ふいにかけられた声に、アランは肩越しに振り返った。
「え……?」
声の主――ノルマが、わずかに微笑んでこちらを見ていた。
その瞳は、何もかも見透かすように静かで、深い。
「誰かの力になれたって顔。そういうのは、隠そうとしても出るもんさ」
アランは一瞬、何も言えずに目を瞬かせた。
そして、自分の頬がほんのわずか、緩んでいることに気づく。
「そう、かもな」
彼女は湯気の立つカップをアランに差し出す。
「ありがとう、ばあちゃん」
香ばしい薬草茶が、アランの胸にじんわり染みていく。
「なあ、ノルマ。どうしてこんなとこに居続けるんだ?」
ノルマは空を見上げ、淡々と答えた。
「ここでしか“私”でいられなかったんだよ。金が命を決めるこの国で、金のない命も等しく扱いたかった。それだけさ」
「この国はそんなに腐ってるのか?」
「そうさ。でも、現実ってのはそんなもんさ」
ノルマは目を伏せて微笑んだ。
「でもね、たまに“風”が吹く。こうやって困ってる人に手を伸ばす奴……。それがある限り、世界は腐りきってはいない」
アランは何も言わなかった。ただその言葉を、深く胸に刻んだ。
一方その頃、奥の部屋ではエルド老人が布団に横たわり、レオンの手当てを受けていた。
「……年寄りは弱るばかりだな」
苦笑まじりにこぼすその声に、レオンが淡々と応じる。
「まだくたばる気はなさそうだな。薬草が効いてきた」
エルドは目を細めて天井を見上げ、ぽつりと呟いた。
「さっきの坊主――アラン、だったか。あれを見てると昔の戦友を思い出すよ。まっすぐで、無鉄砲で……周りを巻き込んでく強さがある。だが、ああいう奴が、最初に死んでしまう。」
しばしの沈黙。エルドの声が、少しだけ低くなる。
「……だからこそ、誰かが隣で支えてやらなきゃならん。お前みたいな奴がな」
レオンは言葉を返さない。ただ、静かにエルドの顔を見つめていた。
(僕がアランの隣に?理解が出来ないな)
その視線に何を読み取ったのか、老人はかすかに笑い、目を閉じた。
「……生意気な小僧よ。ここで見たもの、忘れるんじゃないぞ」
枯れた声が、深く静かに続く。
「名もなき命でも、誰かが覚えていれば、無駄じゃない。そうやって……繋がっていくんだ」
帰り道、ユオが小屋の前で手を振っていた。
「お兄ちゃん、また来てくれる?」
「もちろん。また薬草、持ってくるよ。俺は冒険者だからな!」
ユオが小さな風車を手渡してくれた。
「これ、作ったんだ。風が吹くと、回るんだよ」
「ありがとう、ユオ」
アランが受け取ると、ユオがぱあっと笑った。
「お兄ちゃんがいると、風が気持ちよく吹くんだ!僕もお兄ちゃんになりたいな。」
その言葉に、アランの胸がぎゅっと熱くなった。
“冒険者への原点”が、風車の回転とともに蘇った。
帰り道、レオンがふいに口を開く。
「……効率や合理性じゃ測れないものもある。……お前が動いたことで、命が救われた。それが……何故だろうな、羨ましいと思った」
アランは驚いたようにレオンを見るが、彼はすでにそっぽを向いていた。
「また薬草を採りに行こうぜ!」
「え? また?」
「ギルドの依頼じゃなく。俺が、ただ持っていきたいだけだ」
その背中に、夕風が吹き抜ける。アランは笑ってうなずいた。
二人の影が並ぶ路地に、小さな風車がくるくると回り続けていた。
貧民街からの帰り道、陽はすっかり西に傾き、王都リュミエールの街路には温かな橙の光が差し込んでいた。
冒険者ギルドでの初依頼を終えたアランは、夕暮れの王都を一人歩いていた。
向かうのは宿「金の鹿亭」。
「ふぅ……なんとか、無事に終わった……」
疲労と充実感を背負って宿の前に立ち止まると、石造りの外壁に掲げられた金色の鹿の看板が夕日を受けて輝いていた。重い扉を押し開けると、香ばしい肉の匂いと木の温もりが全身を包み込む。
「おう。若造、ちゃんと帰ってきたな」
奥のカウンターから声がした。どっしりした体格、白髪混じりの髭。無骨な盾戦士にして、父のような安心感を持つ男――ダグラスだ。
「初依頼はどうだった?」
「薬草採って、魔物退治して!それから、貧民街でちょっとだけ!」
「貧民街?」
アランの言葉に、ダグラスの眉がわずかに動いた。
簡単に経緯を話すと、ダグラスは酒を一口煽り、低く呟く。
「……キナ臭ぇな」
「え?」
「お前がどうこうって話じゃねぇ。街の底の空気がおかしくなってきてる。なんとなくわかってるんじゃないか?若造」
アランは、街の雰囲気、レオンの言葉を思い出し。
ゆっくり頷いた。
「…なんとなく、分かる気がする」
「冒険者ってのはな、“戦う”だけじゃねえ。空気の変化に気づいて、時に引く判断も必要だ」
アランは少し考えてから、真っ直ぐな目で言った。
「でも俺は、目の前にしたら見捨てるのはできない!」
ダグラスは目を細め、やがて渋く笑った。
「言ったな。じゃあせめて、死ぬなよ。じゃあ、さっさと飯食って寝ろ、夕飯はお前の分もちゃんとあるんだからな」
アランは笑って頷き、温かな空気に包まれて席に腰を下ろした。
アラン
「ティナ、ちょっと火を貸してくれ!」
ティナ
「ふん、こんなこと朝飯前よ!ファイアボール!」
(*爆発音*)
アラン(全身すすまみれ)
「……朝飯も吹っ飛んだんだけど?」
ティナ(目をそらして)
「誤差よ、誤差!!」