第70話 報告
夜が明ける頃、蒼く冷たい空気が街を包んでいた。
アランを宿に休ませたあと、レオンとリィナはヴィルマと並び、ラトール冒険者ギルドの門をくぐる。
朝のギルドはざわめきに満ちていた。
昨夜の襲撃騒ぎ――爆音と閃光が響いた遺跡の地下――その噂は、すでに街じゅうを駆け巡っているらしい。
顔なじみの受付係が三人の姿を見つけ、目を見張った。
「昨日は、お疲れさま。……さて、報告をお願いできる?」
「遺跡周辺で、偶然地下魔道組織と遭遇。やむなく交戦しました」
レオンの返答に、受付係は一瞬眉を上げたが、すぐに薄く笑った。
「たまたま、ね。……まあ、そういうことにしとくわ」
「こちらからは、錬金術師救出と、それに伴う施設破壊・被害についての報告だ」
ヴィルマが短く告げ、巻物を卓上に置いた。
それは――
灰炎ワームの討伐、魔力密造施設の崩壊、そして拘束されていた被害者たちの一部救出。
無機質な文字で記されたその一行一行に、どれだけの戦いと痛みがあったのかを思うと、胸がひりついた。
レオンは黙って目を通し、署名を添える。
リィナも一瞬だけ戸惑いを見せたが、やがて決意を込めて名を書き加えた。
「……これで、いいんだな」
小さくつぶやく彼女に、レオンが横目を向ける。
「ああ。これで全部――少なくとも、表向きはな」
「……そっか」
リィナは胸の奥がまだ痛んでいるのを感じながら、それでももう目を逸らす気はなかった。
アランが差し伸べた手を、たしかに握ったのだから。
ヴィルマが微笑み、リィナの肩を軽く叩く。
「報告は以上だ。……あとは少し休め。身体も心も、擦り減ってる」
そのとき、受付の奥から誰かが姿を現した。
「おい、これも持っていけ。アランの後遺症が少しは和らぐだろう」
そう言って、別のギルド員がハイポーションの瓶を差し出す。
レオンはそれを受け取り、静かに頭を下げた。
そして――低く重い声が背後から響いた。
「――あれだけ『待て』と言ったのに、何をしているんだ?」
三人が振り返る。
ギルドマスター、バズが腕を組み、厳しい眼差しを向けていた。
「勝手な行動はルール違反だ。……ランクの査定に響くぞ。覚悟はいいな?」
「はい。」
リィナは深く頭を下げ、受付を後にした。
レオンも無言で続く。
そのとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
朝の光を背に現れたのは、紅雷――西方で名を馳せる冒険者パーティー。そのリーダー・ライサだった。
鍛え抜かれた体躯に紅のマント。鋭い眼差しが、まっすぐこちらへ向けられる。
「こないだぶりね、小娘ちゃん。あの元気のいい坊主は?」
軽く笑いながら、けれど言葉には鋭さがあった。
リィナは一瞬たじろぎながらも、静かに答える。
「実は、昨日の戦闘で後遺症が残ってて。いまは宿で休んでます」
ライサはわずかに目を細めた。
「そう」
一拍置き、声の調子が変わる。
「それはそうと、聞いたわ。君たちの行動のせいで、魔導組織は取り逃がした。それは、理解してるのかしら?」
レオンとリィナの肩に、静かに重たい言葉が落ちる。
「……正義感で突っ走ったのなら、反省なさい。
中途半端な強さと無鉄砲さは――罪よ」
笑みはもう消えていた。
そこにあるのは、経験者としての冷徹な忠告だった。
二人がギルドの扉をくぐると、夜明けの光がちょうど広間に差し込んでいた。
さっきまで重たく感じていた空気が、ほんの少しだけ、澄んでいるように思えた。
「……リィナ」
「ん?」
「本当に……戻るつもり、なかったのか?」
レオンの問いかけに、リィナは目を伏せる。
「迷惑かけたのは、事実だから」
「僕は、最初からちょっと怪しいと思ってたけどな」
「――なら、気づいた時点で言いなさいよ」
「アランがさ。それでも、お前を信じてた」
リィナは肩をすくめ、小さくため息をつく。
「……バカね」
短いやりとり。
けれど、それだけで十分だった。
迷いも痛みも、言葉の合間に置いてきた。
それでも今は――前を向ける気がした。