第9話 命の価値を知る日
今までの主な登場人物
アラン/この物語の主人公
リゼット/冒険者ギルドの受付嬢
レオン/同期の冒険者で魔術師
ティナ/同期の冒険者でハーフエルフの魔術師
ダグラス/ベテラン冒険者
ガロス/先輩冒険者 自称天才
リーゼ/定食屋店員
バロス/定食屋店主
メイア/先輩冒険者
ノラン/ギルド職員解体屋
解体所の奥から、乾いた音とともにノランの太い声が響いた。
「……まだまだだな。筋は悪くねぇが、手が甘ぇ!腱の位置も分かってねぇだろ!」
(真剣なのはいいことだ、命の価値がわかれば無茶も減る。)
アランは額の汗をぬぐいながら、「すみません!」と真面目な面を見せる
「でも、フェザーラ三体とスカラーハウンド一体、全部素材とれたんだし、上出来じゃないですか?」
隣のレオンが淡々と返す。
ノランは鼻で笑った。
「素材を取ったってのと、素材を“活かした”ってのは違ぇんだ。ま、最初はこんなもんだろ。明日の朝、二人してここへ来い。解体のいろはを仕込んでやる」
アランとレオンは顔を見合わせる。アランは勢いよく頭を下げた。
「はい!よろしくお願いします!」
レオンは肩をすくめながらもうなずいた。
「明日もこいつと一緒か、解体の仕方は知る必要がある合理的だな。知識が増えるのは悪くない」
ノランは黙って頷くと、次のモンスターの解体に取りかかった。
冒険者ギルドの受付カウンターに戻ると、リゼットは珍しく手を止め、胸の小さなネックレスを見つめていた。
銀の細い鎖に、小さな青い石がひとつ。
それは、遠い記憶のかけらのように、リゼットの指先で静かに揺れていた。
その横顔には、仕事中には見せないような、どこか遠くを見つめるような静かな表情が浮かんでいた。
「……あ」
アランが小さな声を漏らすと、リゼットは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それからすぐに、いつもの仕事用の笑顔へと戻った。
「おかえりなさい、二人とも。どうだった? 初めての解体は」
「うーん……思ったより、ずっと頭使うな!」
アランが気前よく答えると、レオンが隣で腕を組んだまま淡々と付け加えた。
「精度も手際も未熟。素材を無駄にしないためにも、訓練は必要だと感じた」
「真面目な感想、結構。ノランに泣かされなかっただけマシね」
リゼットが肩をすくめると、アランが慌てて付け加えた。
「下手ながらに最後までやりきったんだぜ! で、ノランさんから言われたんです。『明日の朝、二人して解体所に来い』って」
「ふーん、あの不器用なノランが自分から指導するとか……珍しいわね」
リゼットは顎に手を当てて一瞬考え込み、それから書類棚の下段から一枚の紙を取り出した。
「いいわ。それ、ギルドの解体補助依頼として正式に登録しておく。訓練扱いだけど、れっきとした仕事。報酬も出るわよ。とはいえ、銀貨1枚にもならないけど」
「えっ、本当に? 訓練なのに、もらえるんですか?」
「当然でしょ。あなたたちの時間と手を使うんだから。それにね、ギルドとしても、素材をちゃんと扱える新人を育てるのは損じゃないのよ」
アランは嬉しそうに笑って、ぐっと拳を握った。
「よーし、じゃあ明日も頑張らなきゃな!」
「……意気込みだけは十分だな」
レオンは肩をすくめたが、口元はどこか和らいでいた。
(僕には足りない、何かをこいつは持ってる気がする)
リゼットは二人を見やりながら、ふっと視線を落とし、先ほどまで見つめていたネックレスに手を触れた。
「――無事で、何より」
その小さな独り言に、アランもレオンも気づくことはなかった。
その後、リゼットは書類を確認しながら、金額を告げる。
「ヒールリーフ三束で銅貨三枚、モンスター素材の買取で銀貨二枚と銅貨二枚ね。――初めてにしては、なかなか頑張ったじゃない」
「よし!」
「僕としては、怪我しなかったことが収穫だ」
レオンの冷静な言葉に、リゼットは小さく笑った。
「実はね、このヒールリーフ、貧民街のおじいさんが必要らしいの。ギルドから直接届けてもらえないかって頼まれてるのよ。報酬は少ないけど――銅貨三枚。どう?」
アランは即答した。「もちろんやります!レオンも一緒に行こうぜ!」
レオンも肩をすくめた。「まぁ、ここまで来たついでだ。受けよう」
貧民街は、王都リュミエールの華やかさとは対照的に、荒れた石畳と老朽化した建物が立ち並ぶ、影のような場所だった。
人々は目を合わせず、通り過ぎるたびに静かな視線だけが突き刺さる。
道の隅には空になった瓶が転がり、何やら妙な香のする煙が漂っている家もあった。
アランが眉をひそめると、レオンがぽつりと呟く。
「……変な匂いだな。薬草の匂いじゃない。何か、調合されてる」
おじいさんの元にたどり着き、薬草を渡すと、おじいさんは恐縮しきりに何度も頭を下げた。
「本当に、助かりました。ありがとう、冒険者さん」
アランは「お大事に!」と言い残し、満足げに笑って店を後にした。
「こういう依頼も悪くないな!」
「…報酬はけっしていいとは言えないが、まあ、それはいいか」
レオンが小さくため息をついた、そのときだった。
細い裏路地の一角。ひとりの老人が、ぐったりとした体を地面に横たえていた。
アランが走り寄る。
「どうした!大丈夫か!?」
老人は顔をしかめ、かすれた声でうめいた。
「水を……頼む……」
「レオン!水!あるか!?」
「あるにはあるが……栄養失調か、病気だろう。これは僕ら仕事ではない。依頼の範疇を超えてる」
(さっきの変な匂いといい、なんだここは)
「だからって、見捨てるわけにはいかないだろ!」
アランの目は真剣だった。その視線に押されるように、レオンは小さく首を振った。
「……まったく。無計画な正義感には、理解が出来ない。」
そう言いながら、彼は水袋を差し出した。
アランは老人に水を飲ませ、脈をとる。体は痩せ細り、肌には薄く痣のような跡があった。
「……何か、おかしい」
レオンが、老人の吐息に顔を近づけた。
「……この匂い、やはり薬品系。……麻痺系か、感覚を鈍らせる成分か……」
レオンの眉がわずかに動いた。
「なにか分かるのか?」
「僕は専門家じゃない。詳しいことはまだ。だが、これはただの病気じゃないのは確かだ。……ここ、想像以上に危ない場所かもしれない」
アランの視線の先には夕陽が貧民街の瓦屋根を赤く染める中、遠くで小さな子供たちがぼろ布を巻いたボールを蹴っていた。
その笑い声の奥に、街の空気を濁らせる、目に見えぬ不穏なものが渦巻いている気がした。