第67話 覚醒の時
そのときだった。
――何かが、胸の奥から噴き出した。
冷たい気配。
だが、確かな意思を持った覇気が、全身に満ちていく。
(……なんだ、これ……)
気絶しかけた意識が、一瞬で覚醒した。
「おい! アラン!! 何をしている!!!」
ヴィルマの声が震えていた。
だが、アランの足は勝手に踏み出していた。
剣を握りしめる。
視界の中心にいるのは、未だ炎を吐く灰炎ワーム。
「グオオオオオ――!!!」
咆哮と共に、炎の奔流が襲いかかる。
「バーン!!!」
アランは無意識に剣を振り上げた。
「ガッッ!!」
衝撃が両腕を裂くように走る。
それでも剣を落とさなかった。
「ゲホッ……!!」
灰と血を吐く。
視界が滲む。
(……俺は……何を……)
意識が戻った。
だが、剣を握る感覚だけは途切れず残っていた。
「……気を取り戻したか」
ヴィルマの声が低く響いた。
彼女は真剣な目でこちらを見据える。
「――あと一歩だ。死ぬ覚悟はあるか?」
「……ここまできたんだ。死んでも守りたい!!」
ヴィルマが、腰の革袋から何かを取り出し、力任せに投げた。
「これをつけろ!!」
受け止めたのは、奇妙な銀の腕輪だった。
装着した瞬間、体の芯を風が駆け抜けた。
「お前なら、できる……!」
全身を包む風。
その流れが、剣にまで伝わっていく。
(……風が……体に……剣に……)
胸元で揺れる小さなお守りが、かすかに共鳴していた。
ただの飾りのはずが――今は確かな光と鼓動を帯びている。
「行くぞ……!」
呼吸を一つ整える。
足元に蒼い魔紋が閃いた。
「虎砕――炎牙!!」
一歩踏み出す。
風が背を押す。
炎の渦が剣に集まり、白熱する。
「火は風を背に――炎となり!!」
剣撃は牙のように輝いた。
獣の咽喉を貫く、灼熱の一閃。
「――喰らえッ!!!」
轟音と共に、灰炎ワームが崩れ落ちた。
炎も粉塵も吹き飛び、やがて静寂が訪れた。
荒い息を吐きながら、アランは立ち尽くしていた。
――轟音がやんだ。
灰炎ワームの巨体は、ただの骸と化して転がっている。
割れた鱗の隙間から、まだかすかに赤熱した灰が流れ落ちていた。
「はぁ……はぁ……」
アランは剣を杖のように支え、荒い息を吐いた。
膝が折れそうだったが、必死に耐える。
「……やったな」
ヴィルマが肩を支えに来た。
その手も震えていた。
二人の間に、しばしの静寂が降りる。
だが次の瞬間、その場に似つかわしくない拍手が響いた。
「くっ……くっ……くっ……」
低い笑い声が、崩れた遺跡の入口から届く。
「……誰だ!」
アランが身構えた。
足音を立てて現れたのは、黒いローブに深い帽子をかぶった細身の男だった。
やけに整った身なり。
無数の銀細工を胸元に下げている。
だが、その瞳は小狡く光っていた。
「いやはや、素晴らしい。まさか灰炎ワームを討つとは」
「シーザ……」
ヴィルマが低く唸る。
「……あの時の」
アランが目を細めた。
「密売人。裏でレアな魔材や禁止物をばらまいてる商人……関わらない方がいい」
「おや、ひどい言われようだ」
シーザは帽子を取って、心外そうに眉を下げた。
だが目は全く笑っていない。
「くっくっく……お探しのものは、こちらじゃないですか?」
ローブの袖から、古びた真鍮の鍵をひらひらと掲げる。
奥の封鎖扉と同じ意匠。
「それは――」
ヴィルマが息を呑む。
「落ちていたのでね、拾っただけですよ」
シーザはゆっくり歩み寄り、鍵をヴィルマの手に乗せた。
「面白いものを見せてもらったお礼です。灰炎ワームの暴走、そして少年が風を纏う瞬間……これは滅多に見られる光景ではありませんから」
アランは肩で息をしながら、男を睨んだ。
「……何が目的だ」
「ふっふっ、目的? 交易ですよ。希少な知識と素材を得るために、私はどんな場所へも顔を出す」
目だけが笑う。
「それに――ヴィルマ殿、あなたも禁制物にはお詳しい。希少な素材がご所望でしたら、またよろしくお願いしますよ」
「……二度と勝手に近寄るな」
ヴィルマは吐き捨てた。
「怖い怖い。しかし、私たちは取引相手でしょう?」
シーザはアランに一瞥を投げる。
「若き英雄殿も、いつか必要になる日が来ます。世界を相手に剣を振るうなら、綺麗事だけでは生きられませんよ」
「……黙れ」
「それでは、また――どこかで」
淡い笑みを残し、シーザは踵を返した。
瓦礫を軽やかに踏み越え、闇の通路へ消えていく。
その背に向かって、ヴィルマは小さく吐息を落とした。
「……油断ならない奴ね」
「……あいつが言った通り、奥に何かあるんだな」
アランは鍵を見た。
「ええ。行きましょう。……立てる?」
「ああ」
剣を握り、血の気の引いた顔を上げる。
――まだ終わりじゃない。
奥の扉の先に、ティナと、さらに深い闇が待っているだろう。