表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/186

第65話 氷の廃墟――邂逅

崩れかけた礼拝堂に、冷気が満ちていく。


黒曜の床を白霜が覆い、砕けたステンドグラスに凍てついた花の紋が刻まれる。


その中央で、二つの影が無言で対峙した。

少年と、女。


どちらも同じ色の氷を纏いながら、けして混ざり合わぬ決意を宿している。



リリアの白銀の仮面が、微かに傾く。


青い瞳だけが冷たく揺れていた。


「……少年よ」


氷に濁る声が、低く響く。





「ここから立ち去れ。……お前に用はない」





レオンは答えなかった。


ただ杖を握り直し、揺るがぬ視線を返す。


「それは出来ません」


短く、それだけ。



その言葉が、どんな覚悟に支えられているのか。


リリアは知っているはずだった。

だからこそ、目を伏せることなく告げる。


「……ならば仕方ない」

一瞬で、気温が零下を超えた。


リリアの白髪が風に散り、氷の魔紋が虚空に刻まれる。


レオンの足元にも同じく淡い紋章が輝いた。


次の瞬間――

「氷華――顕現フロストブルーム!」

声とともに、数十の氷刃がレオンに向けて放たれた。

その速度は目視すら許さない。



だがレオンもまた、覚悟を決めていた。

「……《氷障壁》」

杖を掲げ、青白い盾を展開する。



衝突。

鈍い破砕音が廃墟を満たし、二人を白い霧が覆った。

(……やはり、力が桁違いだ……)

盾が砕ける。


肩に氷刃が食い込み、血がにじむ。


それでもレオンは目を逸らさない。


「終わりだ」

リリアが片腕を掲げた。


仮面の奥の瞳が、氷光を帯びる。


「――氷葬」


床一面から数百本の氷杭が立ち上がる。


一歩でも動けば貫かれるだろう。


それでもレオンは後退しなかった。


(ここで退くなら……あの日と同じだ……)

唇を噛む。


視界が白く霞む。


痛みが意識を鈍らせる。


――だが、声は鮮明だった。


「……何を、背負っている」


低く問うリリアの声。


それは、ほんのわずかに揺れていた。


「……」

レオンは杖を支えに立つ。


血を吐きながら、それでも、ただ一言だけを紡いだ。

「……リリア……」


その名を、呼んだ。


廃墟に、沈黙が落ちた。


氷杭が、かすかに震えた。


リリアの白銀の髪が、風に揺れる。


「――……」


仮面の奥の瞳が、大きく見開かれる。


殺意の気配が、わずかに滲む迷いに変わる。


「…くっ…」


声がかすれていた。


それは、氷より脆い感情のひび割れ。


氷杭がゆっくりと揺らぎ、崩れかける。


レオンは胸を押さえ、膝をつきながらも目をそらさなかった。



「僕はあなたを忘れることなどは出来ない……」



氷が砕ける音が、二人の間に響いた。


それは剣の激突よりも、なお痛切な音だった。


そして――

リリアの魔力が、明らかに弱まっていく。


仮面の奥の瞳に、哀しみと震えが滲んでいた。


崩れかけた祭壇に、氷の結晶が降り積もっていた。 


蒼い光がゆらめき、静寂は刃のように冷たかった。



その中心に立つ二人。


氷の仮面をつけた女と、血に濡れた少年。


もう戦いは終わっていた。


だが、どちらも杖を下ろせずにいた。


レオンは息を荒げながら、その蒼い瞳をまっすぐに向けた。

血と魔力の尽きかけた声が、空気を震わせる。



「……ここで、あなたを超える」



リリアは小さく目を伏せた。

仮面の奥のまぶたが、わずかに震える。


「……」


「地獄から……助けだす」


杖を高く掲げた。


砕けかけた床に、深い闇色の魔紋が広がる。




「獄炎を冷ます葉を写せ……零域式魔術」




白霜が舞い上がる。


冷たい風が礼拝堂を埋め尽くす。


「――闇氷鏡葉あんひょうきょうは!!」


ひび割れた空間に、漆黒の鏡が幾重にも芽吹いた。

まるで氷の葉脈が、この場所すべてを浄化するかのように。



光と闇が交わる。

氷と氷がぶつかり、散る。


だがその中心だけは、永遠の静寂があった。


レオンの声は震えていた。

それでも一歩も退かなかった。


「……これが……僕の全てだ……!」


鏡葉の魔力が、リリアの足元へと届く。

氷の鎖のように絡み、何かを解かすように淡く輝く。


リリアはそっと目を閉じた。

白銀の仮面が、わずかに揺れる。



「……本当に……」



その声は、どこまでも寂しげだった。



「本当に……あなたは……」



言葉が途切れた。

唇がわずかに開き、続く言葉をためらう。


「……ごめんなさい」


その言葉だけは、氷の鎧をも貫くほどに脆く響いた。


「私は……あなたとは一緒にいられないの」


ゆっくりと顔を上げる。

仮面の奥で、青い瞳が滲む。


「大切な人は……みんな死んでしまうから……」


白い息が消えていく。


「さよなら……」


リリアは背を向けた。

足音が、砕けた氷を踏みしめて遠ざかる。


「リリア!!!」


レオンが叫んだ。

杖を支えに、血の滲む手を伸ばす。


「僕は……僕は絶対に死なない!!!」


声が割れた。

涙が頬を伝う。


「……世界一の魔術師になる男だ!!!」


もう届かない背中に、必死で叫ぶ。


「だから――!!!」


リリアは立ち止まった。

ほんの一瞬だけ。


そして、ゆっくりと半身を振り返る。

割れた仮面から、ひとすじの涙がこぼれた。

その横顔には、かすかに微笑むような影があった。


(好きだな……)


――いつもそう。


聞こえない声が、砕けるように唇を動かす。

(だったら……もっと早く迎えに来てよ……)


(遅いよ……)


氷の破片が、淡い光に溶けていく。

リリアはもう一度だけ俯き、それきり振り返らずに歩き去った。


礼拝堂には、崩れた氷の葉だけが残された。

それは確かに、二人が交わした最後の温もりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ