第62話 出会った新たな灯火
夜明け前の街道は、深い霧に包まれていた。
藍に沈んだ視界の中、リィナはゆっくりと歩を進める。
組織からの命令は簡潔だった。
――《対象を回収しろ。》
けれど、その影を見つけた瞬間、胸が強く軋んだ。
倒れている少年の髪は月光を淡く弾いている。
氷のように冷たい肌。
けれど、かすかに動く肩がまだ命の灯を繋いでいた。
「……どうして、こんなに無防備なのよ…」
呟きながら、震える指先でその体を抱え上げる。
胸元に触れたとき、わずかに温もりを感じて、安堵とも痛みともつかない感情が喉を塞いだ。
(組織はなぜこの人を…?)
そのとき初めて、命令よりも「助けたい」という想いが胸を満たした。
「大丈夫……もうすぐ助けるから」
誰に向けてでもなく、そう小さく告げた。
――それが、リィナとレオンの始まりだった。
行動を共にしろと命令がでて数日後。
ラトール近郊の村への任務だった。
盗賊団が村を襲撃に巻き込まれた。
「行くぞ! 遅れれば被害が増える!」
アラン。
場の空気を一瞬で熱に変える、真っ直ぐな声。
冷静に応じるのは、あの夜救った少年――レオンだった。
負傷は癒えているが、目の奥には何かを見据える冷たい光があった。
二人の姿を見つめて、リィナは胸の奥がざわめいた。
盗賊団との交戦は熾烈だった。
炎と悲鳴の中、アランは倒れた村人を次々に抱き起こし、血の中を駆ける。
それを当然のようにレオンが援護し、氷の結界で矢を防ぎ、魔法障壁で子供を守った。
何度も倒れそうになりながら、二人は決して諦めなかった。
「なぜ――どうしてここまで……」
リィナは理解できなかった。
自分が育った世界では、他人のために命を賭けることはただの無駄だった。
けれど。
――でも、無駄じゃないと思いたい。
初めてそんな願いが芽生えた。
「ありがとう……二人とも」
リィナは震える声で言った。
アランは驚いた顔をして、すぐに破顔した。
「礼なんかいいさ! みんな生きてる。それで十分だろ?」
「……お前は、本当に無茶が好きだな。」
レオンはわずかに微笑んだ。
リィナは心から、この人達と一緒に居たいと思った夜になった。
ーーー
リィナは自分のせいで、アランが倒れてしまった。
今、ここで謝らなければならない。
息を深く吸い込み、震える声を押し出した。
「私……言わなきゃいけないことがあるの」
二人の視線が、静かにこちらを向く。
心臓が、痛いほど打った。
「関係のない、あなた達を巻き込んでしまった。本当にごめんなさい。私、地下組織の手下なの。コルヴォ・エネルギーラボ。禁忌の魔道具や麻薬の密造、人の命を弄ぶ場所……」
声が途切れそうになる。
けれど、視線だけは逸らさなかった。
「私が関わっていた。だから……その、怒っていい。軽蔑して……」
言葉が喉で詰まった。
だが次の瞬間。
「…過去…なん…か…どう…で…もいい」
アランは迷わずに言った。
火の色が瞳に映り、まっすぐに輝いていた。
「…いま…一緒に戦ってる。…それが…全部…だろ!」
カハッ 血が口から出る。
「……アラン……」
「そういうことだ」
レオンの声も、低く穏やかだった。
少しだけ伏せていた目を上げ、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「……組織を絶対に止める。だが……」
彼の瞳が揺れ、苦しげに陰を落とす。
(僕が止めたいのは、あの組織の全てだ。その中には……)
レオンは遠くを見るように目を細めた。
(……リリアさんもいる。僕にとって…大事な人…組織に縛られたまま生きるなら、僕は彼女を解放する)
小さく、けれど決して揺らがない声。
「それが僕の……覚悟だ」
リィナの胸に熱いものが込み上げた。
この人たちは、痛みを知っているのに、それでも人を守ると決めている。
「……ごめん、でも、ありがとう」
涙が零れ落ちた。
それを、アランは何も言わずにそっと手で拭ってくれた。
「…次は組織を…ぶっ潰す番だな。」
「…それ以上喋るな。」
「アラン、今助け呼んでくるから。」
火の向こうに、まだ遠い夜明けの気配があった。
三人の影は寄り添い、深い闇の中に一つになっていた。