第三章 飼育場(ファーム)
幼いころ、父さんから地図を見せてもらって「地下坑窟」という概念を知った。
どれだけのコロニーがあり、どれだけの人間が住み、どれだけの広さなのか。それは父も知らなかった。
だからいつか旅したいと思っていた。
その日がこんなに早く来るとは思わなかった――けど。
ぼくは『ゐ―03』が見える最後の曲がり角に差し掛かっていた。
このコロニーに越してきたのは一年前。出迎えてくれたのはナナフシだった。そしていま、ぼくを見送りに来てくれたのはリーダーひとりだ。正確には追放の見届け人だけど。
「すまないな。こうするしかないんだ」
管理しているアルバが不在の場合、コロニー内の風紀を乱した人間を多数決で裁いていいことになっている。罰の種類は謹慎や採掘量の引き上げなど様々あるが、追放は死刑に次いで重い処罰だ。拠り所である所属コロニーを失うということは配給を受けらない野垂れ死にを意味するのだから。
「お世話になりました」
多くの仲間を失ったリーダーの悲しみ、支配階級のアルバであるスノウにぶつけられない口惜しさ、そしてぼくへのせめてもの気遣い。痛いほど分かるからこそ頭を下げるしかない。
「こういう形になってしまったが、おまえは仲間であり命の恩人でもある。それだけは忘れないでくれ」
「あの、『ゐ―36』に火鉱石の塊があるんです。一トンはくだらない巨塊です。皆さんで掘削してください」
「……感謝する」
ぼくは顔を上げられなかった。リーダーの顔を見ると泣いてしまいそうだ。
「そろそろ行きます。だから、お願いします」
心を決めて顔を上げると、頷いたリーダーは懐から小さなナイフを取り出した。ぼくに刃先を向けてじりじりと踏み出してくる。
「待って、なにをするつもり?」
ぼくを守るように立ちふさがったスノウが手を広げる。
「いいんだスノウ。これは追放者への儀式なんだ」
納得しない様子のスノウをなだめて後ろへ下がらせた。
リーダーはぼくの耳たぶに手を伸ばしてくる。ナイフの刃先が光った。
「つっ」
ぢくっと鋭い痛みが走る。
甲高い音を立てて転がり落ちたのはぼくのカフス、8033と刻まれた管理コードだ。リーダーはそれを拾い上げて手の中で転がす。
「これは追放の証としてコロニーに持ち帰る。戻って来いとは言わない。生きていてくれればそれでいい。7724と一緒であれば、なおのこと」
「――ありがとうございました」
ぼくは深く頭を下げた。
「元気でな」
リーダーの足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなるより前に、ぼくもコロニーを背にして土を蹴った。一歩また一歩とコロニーが離れていくたびに悲しくなって涙が止まらなかったけど、振り返るわけにはいかない。
慌てような羽音が追いかけてくる。
「待てよハチミツ、そんなに早足だとバテるぞ」
「ちがうよラック、8033はもういない」
まだ耳たぶが痛む。だけど忘れちゃいけない痛みだ。
「ぼくはいまからアキトになる、だからそう呼んでほしい」
この瞬間から父さんがくれた「アキト」という名で生きていくのだ。ぼくにはもうそれしか残されていない。
「アキトか。ま、いい名前じゃね?」
からかうようにぼくの周りを飛び回るのはラックだ。ぼくはその軌道を目で追いながら真面目な話をする。
「ラックはコロニーにいてもいいんだよ。追放されたのはぼくだけだ。ルナもいるし、リーダーなら面倒を見てくれるはずだ」
「アホッ」
鋭い羽音とともに鼻にとびついてくる。
「オレはオスだぞ、一度決めたことは曲げねぇ。オレさまの相棒は生涯ひとりだけ。文句あるならおまえでもぶっとばす」
「主人に対してなんて口の利き方するんだよ、ばか」
何度も思うけどラックは素直じゃないなぁ。ほんと、ぼくとそっくりだ。
「アキト……アキトアキトアキト。うん、とてもすてきな名前ね。ハチミツより好き」
頷いてくれたのはスノウだ。暗い空気を一変させるような穏やかな笑みに心がやわらぐ。本当に不思議だ。
「ダメね、ここで匂いが途切れている」
ナナフシを連れ去った相手の匂いを追っていたスノウが立ち止まったのはぼくたちが出会った坑道近くの竪穴だった。
顔を覗かせれば冷たい風がぴゅうぴゅうとうなっていて、頂上も底も闇に包まれている。こんなところからどうやってナナフシを運んだのだろう。
「ふむふむ、これは昇降機用の竪穴ですね」
おもむろに口を開いたのはレピアという名のアルバだった。
頭頂部から肩に向けて蝶のように膨らむ髪は桃色。くりくりと忙しなく動く瞳は金色だ。肩から足首にまで届くコウモリのような外套を着ているけど、その内側は布地が少なくかなりの露出だ。追放のことで頭がいっぱいで、スノウの知り合いだということしか聞いていない。
「昇降機、ですか?」
そういえば、と自分のポケットから引っ張り出した地図に目を落とす。
「これかな。何代か前のご先祖さまが水飲み場を探していて見つけたらしいんだ。その様子が詳しく書いてある。足元と天井を貫く巨大な穴が空いていて、地下水を汲むような滑車が伸びていた。はるか遠くに微光虫とおぼしき光があり、自分のものにしようと声をかけていたらもの凄い音がしてアルバが数人乗った箱のようなものが上にのぼっていったらしい」
「いえす。アルバたちは昇降機を使って坑道やコロニーを自由に行き来しているのです」
「じゃあナナフシを連れて行くにもこれを使ったんだね」
ナナフシのことを思うと胸が痛くなる。
無事だろうか。なにかよからぬことをされていないだろうか。心配でたまらない。
「仕方ないわ、引き返して近くのコロニーに向かいましょう。姉さまたちが来る前に」
竪穴が使えない以上、スノウの言葉に従うしかなかった。
力なく歩き出したぼくの顔をレピアが覗き込んでくる。まるで値踏みするような目線だ。
「ふむ、体力や脚力は平均並みですね。十三歳ということなのでこれからに期待ということですか。ちょっと失礼しますねー」
と言いながら上半身に触ってくる。あまりに突然だったのでぼくは後ずさりした。
「な、ななななんですか急に」
「上半身の肉付きをチェックしたかっただけですよ」
触覚を曲げながらさも当然のように言ってくる。
「あ、申し遅れました。私めはこういう者です」
差し出された枯葉には「レピア・シモン、商人」と書かれていた。
「商人ってことは、なにか商品を扱うんですか?」
「いえす、私めの扱う商品は多岐にわたります。たとえばこれ」
と外套の中から取り出したのは巻き貝のような石だった。ぼくにも見覚えがある。
「これは『謎の石』ですよね。特に利用価値もなかったと思いますけど」
「実はこれ、魔力を吸収して成長する武器なんです。私めは完成された武器ではなく成長させる武器を扱うんですよ」
「わたしの髪留めもレピアから借りているのよ」
スノウが示した蝶型の髪留めだ。繭になったり養分を吸収したりと役に立っているのを目撃している。
「アキトさんにも『謎の石』をお貸しします。この虫に付けておきますね」
「ちょっえっオレ?」
甲羅を鷲掴みにされたラックの上に巻き貝模様の石を近づけるとぴたりとくっついた。
「これで通電される魔力に反応してそれなりの武器になるはずです。お楽しみに」
「うーん、ちょっと重いなこれ」
解放されてせわしなく飛び回るラックだが、レピアの瞳は的確にその動きを捉えている。恐るべき動体視力だ。
「売るのはこの石だけなんですか?」
「いえ、主な商品は人間やアルバですよ」
満面の笑顔でとんでもないことを口にするものだ。
「いいですか、この世界には一万を超えるコロニーがあります。そこに配される人間は完全にランダム。つまり年齢を参考にてきとうに割り振られただけなのです。体力があるものないもの、知識があるものないものが千差万別に採掘場へ送られた結果生じたのが圧倒的な採掘量の差。これではあまりに勿体ない。そう思いませんか?」
そう言われればそうなのだが、なんとも賛同しかねる。
「わたしもレピアの商品なのよ。観賞用のね」
「えぇっ」
「姫様は成長期ですからね、立派な商品になっていただかないと。この武器や私めが提供する情報は先行投資というものです」
「……はぁ」
もはや理解が追いつかない。
「レピアは恩人なの。長らく幽閉されていたわたしは強固な繭からどうやっても脱出することが叶わなかった。悲しくて嘆いていたところレピアが手助けしてくれたの。商品になることを条件にいろんなコロニーを回ったわ。とても感謝しているの」
「私めは商人のほかに情報屋や盗掘者もしていまして、それで姫様がいる繭の部屋に侵入したのですよ。ま、今回の一件でほかの姫様たちとの取引はできなくなりましたけどね」
両手のひらを上に向けて困ったポーズをとるレピアだけど、本気で困っている様子はない。とりあえず世界が広いことはよぉく分かった。
「なぁハチ……じゃなくてアキト、腹減った」
歩きはじめてそろそろ三時間。弱々しく点滅していたラックがぼくのバックパックにぴたりと張りついた。
「だめだ。これは大切な干し芋なんだから」
ぼくは向きを変えてラックを振り払う。コロニーから持ってきた水や食糧には限りがある。できるだけ温存しておきたい。
「えー干し芋、欲しいもッ」
「つまらないダジャレ言うなよ。ただでさえ空気が薄くて疲れがとれないのに……つっ」
息苦しさを覚え、思わず坑道脇にしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫? アキト」
スノウがそっと寄り添ってくれる。レピアはぼくを分析するように顔を覗き込んできた。
「きみ、昨日はほとんど眠っていましたね。スパークの影響でしょうか」
「そんな、わたしのせいで」
気遣うように触れてきたスノウの手をやんわりと避ける。
「平気だよ」
ミミズを退けた後、ものすごい疲労感に襲われて眠りに時間を費やしてしまった。いまだって体が重い。
「いいかスノウ、アキトには膝枕が効果覿面だぜ。なんたって母ちゃんの膝枕でおねんねするのが日課だったからな」
「そんな黒歴史を持ち出すなよ」
ラックを捕まえようと手を伸ばすが華麗に避けられる。
「膝枕ってなに?」
スノウは「膝枕」が分からなくて自分の体をきょろきょろと見回している。それを見たラックが笑い声を立てた。
「その太股にアキトの頭を乗せてやるんだ。いい子ねーって言ってな。抵抗しても絶対に起き上がらせるなよ」
「分かったわ」
素直に頷いたスノウがぼくに向き直って膝を折る。
「姫様の初膝枕ですか、羨ましいですね、ひゅーひゅー」
レピアにからかわれて余計に恥ずかしくなったぼくとは対照的に、スノウは膝の上にハンカチを乗せて準備万端だ。
「これでいいわ、どうぞアキト」
どうぞと言われても「では遠慮なく」って寝られるか。
「スノウ、さっきラックが言ったことは冗談で」
「アキト、いい子ねー」
と自分の太股(と言っても子どもなので棒切れのように細い)をぺちぺちと叩く。
「いやだから、聞いてくれよ」
「いい子ねー」
まるで聞こえていないとばかりに笑顔のまま催促してくる。
(あぁもう、知らないからな)
半ばヤケになって体を横たえた。なるべく体重がかからないよう考えながらスノウの太股に頭を乗せる。無駄な肉がついていないので枕にしては硬い。でも適度な弾力と肌触りに接しているうちに呼吸が楽になって冷静になってきた。
思い出すのはナナフシのこと。
(――助けてほしい、なんてナナフシは望んでいないと思う)
冷静で物知りなナナフシのことだ。自分がおかれた状況を承知しているだろう。
(でも助けたいんだ。ナナフシと一緒に太陽を見たい。これは他でもないぼくの意思だ)
たとえ『外の世界』に出られて太陽を見たとしても、ナナフシがいなければ意味がない。
「あの、レピアは『外の世界』を見たことがある?」
「のん、ありませんね。断片的な情報は見聞きしていますが、いまのところ脳内のレピアメモに留めるのみです」
「レピアメモ……とりあえず、ただの伝説や噂だけじゃないってことだね」
「いえす、もし本当に『外の世界』に行きたいとお望みなら裏坑道を使うのが良いでしょう」
「スノウが言っていた抜け穴だね」
「竪穴と昇降機ができる前に、アルバたちが食糧確保のため地上と地下を行き来していた穴です。新設のコロニーを除けば大多数にこの坑道があります」
「そっか」
何度も目を通した地図を取り出す。代々描き継がれてきた地図。そこに記された情報は本気で『外の世界』を求めるには心許ない。
それだけじゃなく、水、食糧、火鉱石、地図、ツルハシ、治癒鉱石……この大冒険をするにはあまりにも時間が足りなかった。
ここまでだってラックの灯りを頼りに真っ黒な坑道を進んでいるものの、そろそろ感覚がマヒしてきた。懐中時計と磁石がなければ気が狂っていたかもしれない。
でもそれよりも。
「ほほぅ、ラックさんはお尻に切り込みが入っているので光が欠けているんですね」
「やめろー触るなー」
「やめてあげてレピア。ラックもオスだから恥ずかしいのよ」
「虫ごときが羞恥心を抱くなんて生意気ですよー」
耳に入ってくるのは賑やかな会話。この雰囲気がなければ、ナナフシを奪われたぼくは泣き疲れてとっくに壊れていたかもしれない。
「――おいアキト。向こうになにかあるみたいだぞ」
休憩中、奥に偵察に行っていたラックが飛んでくる。
「分かった。スノウ、レピア、行ってみよう。もう平気だから」
短い時間だったけど深く眠っていたように思う。驚くほど目覚めがすっきりして体が軽い。
「……もう?」
「うん。お陰ですごく楽になったよ、ありがとう。逆にスノウは顔色悪いけど」
歯切れの悪いスノウの顔を覗こうとするとそっぽを向かれた。かわりにレピアが笑い声を上げる。
「にぶいですねー、姫様はもうちょっと膝枕していたかったんですよ」
「へ?……なんで?」
「それはですね」
――ザザ。
不意に背後から聞こえた音。
(なんだ)
光の差さない暗闇の中に目を凝らす。巡回中のアルバかミミズか、他のものか。
「レピア、スノウを連れて先に行って」
ふたりを見送りつつ服の上からポケットの中身を確認した。手りゅう弾がわりにいつでも投げられるよう火鉱石を準備してある。数はないので緊急時にしか使わないと決めていた。
ぼくに気づいたのかそれ以上の音はしない。向こうも耳がいいようだ。
(ぼくが守らないと)
ごくりと唾を呑む。
「おーいアキト、早く来……うわぁっ」
ラックの悲鳴。
背後からの追跡者は後回しだ。とりあえずラックたちが消えた方向へ走り出す。ラックの姿は見えず、足元を見る光源もない。
「くそっ」
ポケットから火鉱石を取り出して力を込める。
「松明」
灯った光は十ルクス程度の光でしかない。しかしそれで十分だった。
おおきく蛇行した坑道の先へと足を向ける。
「……あれ、これって」
二人が嬉々として待ち構えていた先には巨大な穴がある。昇降機のように上下を貫く穴ではなく、奥へ奥へと続いていく穴だ。格子状に組みあがった線路がつながっている。
「アキト、これはなに?」
興味津々で覗き込むスノウ。中に溜まっていた水にハマったらしく、ラックがずぶ濡れで這い出してきた。
「トロッコだよ、ぼくも採掘場で使ったことがある。この手押し車で土を運び出すんだ」
ぎゅっと手を掴まれる。スノウだ。
「アキト、乗りましょう」
「えと、どこにつながっているか分からないんだけど」
この先にどんなコロニーがあるか分からない以上、トロッコで突入するのは危険だ。
「きみは勇敢かと思えば急に物怖じしたりして情緒不安定ですね、マイナス五点」
レピアが手元のメモになにか記している。仕方ないだろ、初めての坑道なんだから。
「なぁアキト、このまま歩いていたって『外の世界』に出られる保障はねぇ。だったら少しくらい楽したっていいじゃねぇか」
そう言ってラックがぼくたちの周りを飛び回る。さりげなく照らし出されたスノウの足元を見て息を呑んだ。
(靴擦れしている……)
小さくなったぼくの靴を貸していたけど、やはり合っていなかったのか靴擦れして出血している。コロニー内で配給される衣服は限られていて、女の子の靴は用意できなかったのだ。
その状態で歩くのはさぞかし辛かっただろうに、スノウは文句ひとつ言わなかった。
「ごめん気づかなくて」
目を合わせて謝罪するとスノウはきょとんと目を丸くし、そして両手でぼくの顔を包んだ。
「発端はわたしにあるのだし、アキトが謝る必要はないの。けれどこれからの旅、お互いに謝罪の言葉ばかりを重ねても楽しくないでしょう。だから謝るのはこれで最後にしましょう」
「……ありがとう」
そっと髪を撫でると光が生まれる。触れた指先から放たれる光の粒。きれいだ。
ザザザ、とものすごい勢いで音が迫ってくる。
「乗って」
ぼくはスノウを抱き上げてトロッコに乗せた。松明を投げて目くらましにしつつ、トロッコを押していく。レピアがトロッコの淵に飛び乗り、十分に加速がついたところで自分も乗り込んだ。
遠のく松明に一瞬映し出されたのはミミズの姿だった。
(危なかった。もし行き止まりだったら)
肩を抱いてぶるりと体を震わせる。
だけど恐怖はこれで終わらなかった。
キキキキ――ッッ、すさまじい音をかき鳴らしながらトロッコは闇を走る。線路が見えない状況では身構えることもできず、上下左右へと揺さぶられる衝撃にひたすら耐えるしかない。
「す、スノウしっかり掴ま」
「楽しいー」
ぼくを除くふたりと一匹はめちゃくちゃ楽しんでいる。
「ぼく速いのはダメなんだよー」
どうにも情けない声が穴の中に響き渡った。
――唐突に明るくなった。と思ったらトロッコは車留めにぶちあたり、反動でぼくたち全員が宙に投げ出された。
「風よ受け止めろ」
スノウが叫ぶ。地面に激突する寸前で目に見えないものに受け止められた。前と同じようにそのままゆっくりと降ろされる。
「わたしは風を操る能力をもっているのよ。アキト、大丈夫?」
「平気だけど、し、死ぬかと思った」
よろよろと体を起こしたぼくにスノウが手を伸ばしてくる。まだ心臓がばくばくしている。
「アキトー、オレ裏返し」
足元でひっくり返っているラックを起こしてやってから周りを見回す。
降り立ったのはとても広い空洞のようなところだった。
坑道には高さを基準にした壱号坑道から肆号坑道という呼び方があって、這いつくばり、中腰、直立、十分な余裕と変わっていくのだが、ここは『ゐ―03』居住区並みに広い。
「この氷筍みたいなものはなんだろう。ものすごくたくさんあるけど」
辺り一面に生えている巨大な造形物に目を奪われる。
「なにって、樹ですよ。樹木」
レピアが答えた。
「樹木って?」
「汚れた空気と光を取り込んで新鮮な空気と果物を実らせる植物で、アルバが暮らすコロニーではごく一般に見られるものですよ。この集まりを森と呼びます。『外の世界』にも多くあると耳にしました」
「これが……」
ぼくは頭上に拡がる樹木の枝葉を見つめた。
「そういえばここはどうしてこんなに明るいんだろう」
空洞全体が明るくてラックがいなくても自分の手足もスノウの顔もよく見える。
「あれよ」
天井全体が淡く光を放っている。そのお陰で周りがよく見えるのだ。主のいない微光虫が群生しているのかと思ったけど光にはむらがない。微光虫なら点滅するはずだ。
「ヒカリカゴケ。エメラルド色に光ります」
「本で読んだことがある。ヒカリカゴケが群生しているところは栄養豊富な水分があるところだって。そこに集まってくる生き物たちの老廃物がヒカリカゴケの栄養になるんだよね」
手近にあった岩肌をそぉっと撫でる。思いのほかやわらかく、青白い胞子が強く光った。そして動いた。
「動い……え?」
ぼくが撫でたのはヒカリカゴケではなくて巨大生物だったらしい。
でっぷりとした体つきの幼虫で、ミミズとは違って全身が虹色に輝いている。伸縮しやすいようヒダが入っていて、もぞもぞと体を動かしている。
「なんか、やわらかいぞ」
肌ざわりが良くて撫でていると小さな口からしゅるしゅると糸を吐きはじめた。
「ごめんごめんごめん、気分を害したなら謝るから」
しかし糸を吐き続ける。万が一に備えてポケットから火鉱石を取り出した。
「待ちな。そいつらを傷つけることは許さない」
鋭い声が飛んでくる。驚いて石を取り落したぼくは声の方向を見た。
赤茶色の短髪で身軽そうな格好のアルバが佇んでいる。その姿を見たスノウの触覚がぴくりと動いた。
「あなたはもしかして」
「あん? あたしはこの飼育場を管理する王女『慈愛のペリドット』だけど?」
※
ペリドットさんに案内されたのは樹木が立ち並ぶ森を抜けたところだった。
空洞の四方から流れて落ちてきた水がくり抜かれた穴に落ちていく。そこに鎖や橋をかけた浮島に小さな塔が建っている。そこがペリドットさんの「家」だという。
(言われるままついてきているけど、いいのかな。同じ姫のガーネットはスノウを殺そうとしたのに)
「安心しな。あたしはアンタたちを捕まえてどうこうするつもりはないよ」
丸い机を囲んでそれぞれ椅子に座ったぼくら。ペリドットさんはまるで心を読んだように肩を揺らした。
「話は聞いている。女王が産んだ白銀の姫。見つけ次第殺すようにと言われているけど、あたしに殺生はムリだ。なんたって生き物相手に仕事しているんだからね」
窓から見える橋の向こうでは先ほどの幼虫たちが忙しなく行き交って樹木を食んでいた。
「生き物ってあれのことですか?」
「そ。ナナイロシジミの幼虫。アルバの好物である蜜を生み出してくれる存在さ。あいつらがたくさんの栄養をとって蜜の繭を作るまで世話をするんだ。それがあたしの仕事」
「ぼくたちに配給される蜜玉とは違うんですか?」
「全然違うね。あれは人間を『服従』させるためのまがい物。コロニーを抜け出してきたってことは、中身も知っているんだろう?」
小さな蟻が入っていた蜜玉を思い出す。
ぼくたちはごくまれに配給される蜜玉を大事に食べていた。だからだろうか、過酷な環境やアルバ、女王に対して不満を持つことが少なかったのは。
「はじめまして末の妹。名前はルチルクォーツ……いや、スノウだっけ?」
「スノウです。ペリドット姉さまは、女王がどこにいるかご存知ですか?」
「答えると思うの?」
「彼の友人が連れて行かれたようなんです。答えないのなら強硬手段をとります」
互いに無言で見つめ合うふたり。
険悪な空気が流れたかに思えたが、ペリドットさんはこらえきれないように噴きだした。
「ぷ、ずいぶんと強気だね。そういう性格は好きだよ。どことなく母上に似ている。だから答えるけどあたしも母上がどこにいるのかは知らない。もちろんお会いするときは王宮コロニーに出向くけれど、ふだんからそこに留まっているとは思えない」
「なぜでしょう?」
「それは簡単。あまりにも匂いが薄いからさ。女王が放つフェロモンはすさまじい。すべてのアルバを惹きつける。それなのに王宮内の匂いは褪せている、あまりにも薄い」
ペリドットさんからもたらされる情報を緊張した面持ちで噛みしめるスノウ。
「女王はどんな方ですか?」
「とても無邪気で少女のような方だ。自分が愉しむためなら他者を傷つけることも厭わない」
「なぜわたしを殺そうとするのでしょうか?」
「分からない。だけどおまえは特別な気がするよ。だからこそ女王は警戒している」
考え込むようにうつむくスノウ。ぼくはなにも言ってあげられなかった。
「さてと、ちょうどいいときに来てくれたね。人手が欲しかったところなんだ」
「え、ぼくですか?」
立ち上がったペリドットさんが肩を叩いたのはぼくだ。とびっきりの笑顔が迫ってくる。
「ガーネットの命を受けたミミズやアルバどもは血眼になってあんたたちを探している。外の騒ぎが収まるまでしばらくこのコロニーに滞在するといい。たけどタダで飲み食いしていいのはナナイロシジミだけだ。人間とアルバはきっちり働いてもらう」
言いながらぼくの腕を持ち上げて肩回りの筋肉を確認しはじめる。
「うん、筋肉量こそまだ少ないけど柔軟で可動域も広い。使えそうだね」
「えと、ぼくはなにをすればいいんでしょう?」
「簡単だよ。ナナイロシジミの餌になる樹木。そこに群がる害虫を火でちゃちゃっと退治してもらえばいいんだ」
あまりにも簡単そうに言われたのでぼくはすっかり騙されてしまった。
※
「アキトあっちに赤い虫がいるぞ」
「分かった」
火鉱石ではなく本物の炎がともった松明を片手に樹木に駆け寄る。赤黒い体毛をくねらせて一匹の毛虫が木の幹をのぼっていくところだった。
そこに松明を近づけると毛虫はあっという間に燃えて転がり落ちた。
「アキト、こっちには黄色い虫だ」
「分かった」
ラックが示すのはかなり離れた樹木。ぼくは声を頼りに駆けつけて同じく燃やす。
「まずい、てっぺん近くに黒い虫が近づいてるぞ」
「登って焼いてくるよ」
松明を背中に背負い、靴を脱いで木の幹に足をかけてよじ登る。
黒い毛虫がすでに葉っぱを食んでいた。そこへ松明を近づける。
「ごめん毛虫たち。悪いけどその葉っぱはナナイロシジミたちのご飯なんだ」
罪悪感を覚えつつも仕事なので容赦はしない。大事な葉を焼かないよう慎重に松明を近づけたそのとき。
おとなしくしていた黒い毛虫がクワッと歯を剥いたのだ。驚いたせいでバランスを崩し、幹から手を離してしまった。
「うわー、落ちるッ」
そのまま落下して背中を強打するかと思ったが、思いのほか衝撃はない。
背中を見ると一匹のナナイロシジミがいた。ぼくはゴムのようにやわらかな体に落下したらしい。
「もしかしてぼくを助けてくれたの?」
ナナイロシジミはなにも言わない。しかし口をもそもそと動かしていた。
なにか言いたいことがあるのかと耳をすます。しかしぷっと吐き出されたのは糸で、瞬く間に絡め取られてしまった。
「だからやめろってば」
繭化を前に食欲旺盛な彼らはなにかあると糸を吐いてくる。ぼくらをからかっているのだ。
「アキト」
別のところで虫を焼いていたスノウが駆け寄ってきてぼくの頬に手を当てた。
「ケガしてる」
「平気だよ。採掘場内ではケガは日常茶飯事だったし、治癒鉱石があればすぐ治る。落盤に巻き込まれたりミミズに襲われたりして亡くなった人のことを思えばなんてことないよ」
心配そうなスノウの手を撫でると背後から笑い声が聞こえた。振り返らなくても分かる、ペリドットさんだ。
「害虫を退治しろとは言ったけど、随分と手間のかかることをしているんだね」
辺りを見回したペリドットさんは感心半分呆れ半分といった表情で息を吐く。
「こんな状態じゃあっという間に葉っぱを食い尽くされてしまうよ。坊や、なんで魔法を使わないんだい? せっかく珍しい火属性の術師なのに」
責めるように鼻先を押されたぼくだけど。
「術師って、なんですか?」
「知らないのかい?」
体をそらし、信じられないとばかりに口を開ける。すかさずレピアが現れた。
「いえす、私めが説明します。術師とは、体内を巡る魔力を任意にスパークさせることによって魔法鉱石を介さずとも能力を行使できるすごい人(主にアルバ)たちのことです。姫様の力もこれによるものです」
「それって昨日の」
燃えるように体が熱くなってミミズを退治した。
あのときはナナフシからもらった火鉱石を使ったけれど。
「アキトだっけ、スノウから話は聞いた。初蜜を与えられて体を作り直されたんだろう? そのときに能力が付与されたのさ。導いてやるから目を閉じな」
言われるまま目を閉じる。
「まずは意識を集中。自分の中に炎をイメージしてごらん。どんな色でも形でも構わない。具体的にイメージするのが大切だからね」
浮かんだ炎、それはラックの光だった。
種火のように小さいけれど決して消えない。
「できたみたいだね。それをどんどん膨らます。強く、激しく、熱く。けれどあまり大きくしてはいけない。自分が扱える程度の、大きすぎない炎だ」
赤々と燃える炎。それは炉だ。鉱石を呑み込んで力強く燃え盛る炎。
「そして発露。呼吸でもいい、なんらかのポーズでもいい、合言葉でもいい。自分の内側の炎を体外へ吐き出すんだ。思いっきり」
ぼくは目を見開いて叫んだ。
「ライト・マイ・ファイアー」
毛穴という毛穴、あるいは皮膚を突き破ってなにかがあふれ出る。
ゴゥッと風が渦を巻いて炎の嵐になった。それは巨大なヘビのように天井までのびあがる。
「すげーぞアキト……ってあちゃちゃちゃッ」
ぼくに近づこうとしていたラックがあまりの熱さに逃げていく。ラックだけじゃない。スノウもレピア、興味津々で集まっていたナナイロシジミの幼虫たちもいそいそと避難していく。
(なんで? なんで操れないんだ)
炎のヘビはぼくの意識を無視して暴れまわる。
「坊や、熱量が強すぎる。このままじゃナナイロシジミたちも燃やしてしまうよ」
「で、でも、どうやって抑えたらいいのか」
鎌首をもたげた炎のヘビがペリドットさんに襲いかかる。ぼくは金縛りにしでも遭ったように動けなかった。
「逃げてください」
「できないね。幼虫たちが焼かれちまう」
襲いかかるヘビ。なんとペリドットさんはそれを真っ向から受け止めた。勢いにおされてずるずると押されるが決して怯むことはない。ペリドットさんの全身には青白い膜のようなものが広がっていて、それで少しずつヘビの体を包んでいく。するとヘビはしだいに動きが鈍くなり、先ほどまでの狂暴さが嘘のように倒れこんだ。
その段階になってようやくぼくの側に支配権がまわってきて、自分の中にヘビをしまいこむことができた。
一気に力が抜けてその場へ座り込んでしまう。すぐには立ち上がれない。
「すいませんペリドットさん、ぼくは」
近づいてきたペリドットさんがぼくの肩をかつぐ。
「そんな顔をするんじゃないよ。どうやら坊やはかなりの素質をもっているらしい。精神的に未熟なせいでまだ操れないんだろう」
「どうやったら操れるようになりますか?」
「強くなるんだ。もっと。もっと。自分の炎に焼かれないように強くおなり。坊やならきっと大丈夫だよ」
そう言って頭を撫でてくれた。
「アキト」
スノウがぼくの腕に飛びついてくる。
「ごめん、怖い思いをさせて」
「いいえ」
首を振ったスノウは、ハッキリとぼくに見えるように笑ってくれた。
「おや、さっきの炎の熱で害虫どもは恐れをなしたようだね。体温があがったナナイロシジミたちも繭づくりの準備をはじめたみたいだ。明日から忙しくなるね。今日はゆっくり休んでいくといいよ」
その夜、ぼくたちは塔の一部屋を寝室として借りた。
ふたつある寝台のひとつにぼくとラック、もうひとつにスノウとレピアが横になる。
ぼくはなかなか寝つけなかった。
(あんな力があるなんて)
自分の炎に焼かれる。
そうだ、昨日のぼくは熱に浮かされるように無我夢中でミミズを倒した。だけどそれだけじゃ物足りず、もっと焼きたいと思ってしまっていた。
(いまのままじゃダメだ)
もっと強くならないと。スノウを守り、ナナフシを取り戻す力を手に入れないと。
「……ん?」
ふと、階下で話し声がした。ぼくは耳栓を外して耳をすませる。
「これは姉上、お久しぶりですね。はい、元気にやっておりますよ」
話の相手はペリドットさんの姉。
(まさかガーネットが来たのか?)
あわてて寝台を抜け出して階下を覗き込む。火鉱石の橙色が灯る室内にはペリドットさんの姿しかない。しかし頭の上に巻き貝の虫が乗っていた。
(電伝虫だ)
町長が使っているのを見たことがある。遠く離れた者同士の声を振動で伝えるらしい。
「白銀の姫の件ですか、はい、承知しておりますよ」
ちらりと視線を向けてくる。ぼくはとっさに顔を引っ込めた。
「見つけ次第殺害するようにと女王のご意向だったはずですが、姉上にご連絡しろと? は、い、承知しました。よほど恨みがあるのですね」
ガーネットはなんとしても自分の手でスノウを殺したがっているのだ。
「人間の少年ですか? なるほど、パートナーに……。姉上はほんとうに強欲ですね。はい分かりました、それでは」
話は終わったらしく、ペリドットさんは電伝虫を傍らへとよけた。そのまま顔を上げる。
「そこで聞いているんだろう。坊や、降りてきな」
どきっと心臓が鳴る。
(バレてた)
恐る恐る顔を出し、梯子をおりていく。待ち受けていたペリドットさんは険しい顔で唇を引き結んでいる。
「盗み聞きは感心しないな」
「……すいません。相手はガーネットですか?」
「そうだ。どうやら姉上はおまえにひどくご執心らしい」
「匂いを気に入られたみたいで」
「苦労するねぇ」
ばしばしと肩を叩かれるが笑いごとではない。
ひとしきり笑ったペリドットさんは打って変わって穏やかな笑みを浮かべた。まるで子どもを見守る母親のように。
「前にも言ったけど、スノウや坊やのことを通報するつもりはない」
「でも、どうして」
ペリドットさんははぐらかすように笑う。
「似ているからだよ」
「だれとですか?」
「二十、いや三十年前か。同じようにこのコロニーに迷い込んできた人間の少年がいたんだ。『外の世界で太陽が見たい』と言って目を輝かせていた」
ペリドットさんは遠い昔を懐かしむように目を細める。
「あまりにも命知らずなのでたっぷり叱って、トラウマになるくらい脅してもやったよ。だけど一向に諦める様子がないんだ。なにがなんでも『外の世界』に行くと言ってきかない。眩しかったよ、あたしにとってはあの少年こそが『太陽』のようだった」
「その少年は」
「裏坑道を見つけて旅立っていった。その後のことは知らない。あたしは一緒についていこうか否か最後の最後まで悩んでいた。だけどある朝、少年は手紙を置いて旅立ってしまったんだよ。あたしが悩んでいたことを知っていたんだろう、別れの挨拶もできなかった」
ペリドットさんはやわらかく微笑んで顔を上げる。
「だからスノウが坊やについていくのを許してほしい。あの子はまだ未熟だけれど、想いはとても強いはずだから」
「違います、助けられているのはぼくです。スノウに出会わなければ旅立つ覚悟もできなかった。コロニーを追放されたときも泣きじゃくって一歩も前に進めなかったと思います」
「あんたはいい子だね」
手を伸ばしてきたペリドットさんと額と額が触れる。
触覚がこつこつと頭をつついてきて変な感じだ。
「あぁそうか、人間には触覚がないんだったね。アルバ同士なら触覚を触れ合わせることで意思疎通や愛情表現をするものなんだけど。仕方ない」
「――……いっ」
と首の後ろに手を回されて引き寄せられ、頬に軽くキスされる。
突然の感触に驚いて体を引いてしまった。
ガーネットに舐められたときは恐怖しかなかったけど、いまは恥ずかしさでいっぱいだ。
「これまでのお礼とこれからのお礼だ。足りないか?」
「いえ、いえいえいえいえ、もう十分です、これ以上は心臓が持ちません」
「ふふ、あたしは母性が強いアルバだから子どもを甘やかしたくて仕方ないんだ。だけどこのへんにしておく。なんたって恐ろしい相手がにらんでいるからね」
そう言われて視線を辿るとぼくが降りてきた穴から髪の毛がだらりと伸びていた。金紅色の瞳がじーっとぼくを見つめている。
「す、スノウ? いつから見て……?」
ぷくーと頬を膨らませて目を半眼にする。
「アキトの、ばか」
そのまま引っ込んでしまい、あまつ蓋を閉められた。
「スノウ、ちょっとスノウ、開けてよー。ラックも助けて」
「あん? オレさまは色恋沙汰には興味ないぜ。自分でどうにかするんだな」
完全に見放された。
「じゃあお墨付きがでたところで、今夜はお姉さんと楽しもうか」
と後ろ抱きにされる。
「だめよッ」
一転して飛び降りてきたスノウがペリドットさんからぼくを奪い返した。
よく分からないけど、暑苦しい。
「苦しい……」
いつもなら朝の半鐘が鳴る時間、ぼくは自然と目が覚めた。
頭の上に乗っているラック。抱きついているのはスノウ。そのスノウに後ろから抱きついているレピア。結局みんなここで雑魚寝したのだ。
(苦し……くはない。あれ、なんだこの声)
苦しい苦しいとうめく声がぼくの耳に流れ込んでくる。
スノウを起こさないようゆっくりと上体をあげたぼくは窓に視線を向けた。昨日はヒカリカゴケの穏やかな光が見えたのに、いまは真っ暗だ。なにかが蠢いている。
「――大変ですッ」
ペリドットさんを揺り起こすと、寝覚めにも関わらずすぐさま状況を把握したようだった。
「まずい、クロムカデだ。ナナイロシジミの天敵だよ」
風のように飛び出していく。
「ラック、スノウ、ぼくたちも行こう。ナナイロシジミを守るんだ」
「んむ……アキト、ごはん……」
「だめだ、寝ぼけてる」
スノウを残して塔を飛び出した。
「なんだこれ」
コロニー内はおびただしい数のクロムカデがはびこっていた。天井や壁に長い体を這わせ、木々にぶら下がっている繭状のナナイロシジミたちを狙っている。
「一体どこから入り込んだんだ」
槍を片手に、ペリドットさんがムカデを追う。もうすぐ羽化するナナイロシジミの幼虫たちは身動きが取れない。すでにいくつか突き破られているものもあった。
(ぼくが炎を使いこなせば)
目を閉じて意識を集中する。
(しっかりしなきゃ、ぼくが、ぼくが……)
意識を沈めていった先にちろりと赤い火が見えた。それがヘビの舌に見えた。
その瞬間、怖くてたまらなくなった。
(やっぱり……ダメだ)
「アキトッ」
スノウがぼくに体当たりしてくる。強い衝撃ではなかったけどバランスを崩して倒れた。すぐ上をムカデが通過していく。あのまま突っ立っていたらムカデに貫かれていただろう。
「しっかりして」
「うん、ごめん」
ぼくの胸の上にのしかかっているスノウの頭を撫でる。
「困ります、貴重な商ひ……いや姫様になんてことをー」
激昂したレピアが槍を携えてムカデの一匹に飛び乗り突き刺す。ムカデはそのまま壁に激突して沈黙した。しかし一匹倒したところでまだまだ脅威は去っていない。
「スノウ、ぼくに力を貸してほしい。お願いだ」
ムカデたちだって餌を求めてナナイロシジミを襲っているのだということは理解できる。食べる者と食べられる者がいる世界。それがこの世界だ。でもだからこそ足掻く。圧倒的に強いものに対抗する。生きるために。
スノウはぼくの焦りを心得たように満面の笑みを浮かべてくれた。
「アキトは強いわ。わたしは知っている。わたしは信じている。だから」
「うん……うん……」
欲張りかもしれないけど、大切なものは全部守りたい。
ぼくは、強くなりたい。
「ライト・マイ・ファイアーッ」
叫んだ。びりびりと指先がしびれ、全身が熱くなる。
まっしろな炎に焼かれた体と心。もうなにも怖くない。
「行ってくる。ここで見ていて」
「待ってるわ」
ぼくは地面を蹴って跳躍し、そのまま壁面を疾走した。
(まずは動きを止めないと)
だけど炎は使えない。ナナイロシジミたちまで一緒に燃やすわけにはいかない。
ナナイロシジミたちがいない場所。そうだ。
「ペリドットさん、浮島にムカデたちを集めます。いいですか?」
応戦していたペリドットさんがぼくの声に気づく。
「あたしの住処を壊すってことかい?……あぁいいよ、ナナイロシジミたちに比べたら痛くもかゆくもない」
「ありがとうございます」
ムカデたちはぼくがまとう炎を避けている。だからとにかく走り回ってムカデたちの退路をひとつに限定するしかない。
少しずつだけど確実にムカデたちを浮島に追い詰めていく。
「……スノウ!?」
視界に入ったのはスノウ。浮島に佇んでいる。その全身が淡く輝きはじめる。
(ムカデたちの動きが)
暴れまわっていたムカデたちはスノウめがけて突進していく。
「蜜でムカデたちを誘導しているの。だいじょうぶ、信じて」
スノウの声が聞こえてきた。
うん、そうだ。
スノウはぼくを信じてくれている。だからぼくもスノウを信じる。
「ラック、武器が欲しい。いける?」
ぼくは懐に向かって問いかける。
「おうよ。やってみるぜ――フンッ」
ラックはくるくると回転をはじめる。しだいに速度が増していき、巨大なツルハシになる。
決意の金槌。
「てゃああああああッッッ」
ぼくは柄を掴んで思いっきり振り上げた。
「姫様、離脱しますよ」
スノウを抱きかかえたレピアが宙を飛ぶ。ぼくはそれを確認し、直前までスノウが佇んでいた場所めがけて重力よりも速く、岩石よりも強く金槌を叩きつけた。
金槌の先から高温の炎があふれだし、轟音とともにムカデたちを包み込んだ。ぼくは素早く浮島から離れる。
聞こえてくるムカデたちの断末魔にも耳をふさがなかった。
ぼくが屠った命を忘れないために。
最後の炎がムカデを舐めて鎮静化したころ、スパークが解けて力が抜けた。
「ご苦労だったね。お陰で多くのナナイロシジミたちが助かったよ」
後ろから近づいてきたペリドットさんがぼくに手を差し伸べる。その手を借りてなんとか立ち上がる。
「でも、全部は守れませんでした」
「その後悔を心に刻んでおくんだ。仕方のないことだと諦めて自分の限界を決めてしまったら坊やは二度と成長しない。守れたものだけじゃなく、失ったものの数も忘れるな」
ぼくは強く頷いた。
ペリドットさんの言葉は厳しいけれど、とても大事なことだ。
「だけどね、守れたもののことも目に焼きつけておいてくれ。ちょうど気温が上がって羽化が進んだみたいだ」
ナナイロシジミたちの繭の下部にピシリとヒビが入る。ゆっくりと現れたのは濡れた翅をもつナナイロシジミの成虫だ。わずかな時間で翅が乾き、虹色に輝く。翅からこぼれでる鱗粉が舞ってとてもきれいだった。
やがて翅を広げて飛び立ったナナイロシジミたちは、あらかじめ示し合わせたように天井近くの亀裂から外へと出ていく。
「もしかしてあの向こうに」
「『外の世界』だよ。翅をもつナナイロシジミたちでもかなりの時間がかかるんだけどね。途中で坑窟内の生物に捕食されることもあるし、外でどんな危険が待ち受けているか分からない。それでもあいつらは本能に従って飛び出していき、そこで繁殖相手を見つけて何年後かに繁殖のため帰ってくる。――坊やたちはどうなんだい?」
問われている意味は分かっていた。
『外の世界』へ出た後に戻ってくるのか否か。
「いまはまだ、なにも」
『外の世界』へ出れば満足なのか。それだけではないのか。
いまの自分には答えが出せない。
「それでいい。もし帰ってくるとしたら歓迎するよ」
「ありがとうございます」
ぼくは帰ってきてもいいのだ。このコロニーへ。
「大変でーす」
レピアに肩車されたスノウが近づいてくる。目が合ったレピアが早口で告げる。
「アルバの集団が近づいてきています。速やかに離脱しましょう、そうしましょう」
「ゆっくりお茶でもと思ったけど、忙しいみたいだね」
ぼくたちは浮足立ちながら急いで荷物をまとめる。
「ペリドットさんお世話になりました。あの、このコロニーの裏坑道って」
「あぁ、あそこだよ」
笑顔で示したのは浮島に流れ落ちる滝だった。
「冗談ですよね」
「本気さ。一か所だけ流れがゆるやかなところがあって、そこをくだれば別のコロニーにたどり着くはずだ。ただし命の保障はしないけどね」
「アキトさん、時間がありませんよ」
レピアに急かされ決断せざるをえなかった。
「おっと、今回のお礼を兼ねた餞別を受け取っておくれ」
そう言ってペリドットさんは抜け殻となった繭のひとつをはぎ取った。
「これを船にすれば浮力で水の流れをくだれるし、食糧にもなる。市場に持ち込めば金銭にもなる。役に立つよ」
たしかに上部をくり抜けば三人くらい軽く乗れそうだ。軽くて持ち運びもしやすい。
「ペリドットさん、いろいろありがとうございました」
「達者でね。アキト、ラック、レピア、そしてスノウ」
スノウはためらいつつも小走りに駆け寄ってペリドットに抱きついた。ペリドットもしっかりと抱きしめる。
しかし時間がないので慌ただしく別れを告げて黄金色の船に乗り込む。
スノウとレピアを先に乗せ、ぼくは水底に足をつけて船を押した。勢いがついたところで船の中に転がり込む。
「さようならペリドットさん、また会いましょう」
「またね」
手を振るペリドットさんの姿はやがて見えなくなった。
しかし声だけが聞こえてくる。
「さようなら、元気でね。アンタたちならきっと『外の世界』へ行けるよ。そして新しい世界を創ってくれるはずだ。あたしは信じている。……そうでしょう、母上」
※ ※ ※
「可哀そうな子ども」
ナナフシが瞼を開けると目の前にあの女がいた。自分を閉じ込めた女。
「人間を鑑賞する趣味があるとは存じませんでした、女王陛下」
せめてもの嫌味を投げつけるが、女王はそんな心を見透かしたように笑うだけだ。
「コード7724、通称名はナナフシだったかしら。凝っているのね」
「恐れ入ります」
慇懃無礼な言動にも女王が機嫌を損ねる様子はない。
それどころかますます笑みが深くなり、興奮気味に瞳孔が小さくなっていく。
「わたくしにはね、たくさんの娘がいるの。この巣にいる限り、離れていても子どもたちが生きているか死んでいるか手に取るように分かるのよ」
そう言いながら机の上に宝石箱を置く。
仕切られた宝石箱の中にはいくつかの鉱物が納められていた。それぞれの強い輝きを放つ鉱石がある一方で、黒ずんで沈黙しているものもある。
「アルバといえども無敵ではない。落盤で命を落とす子、ミミズに殺された子、人間に逆襲された子。いろんな子が死んでいったわ」
さして嘆く様子もなく石を手に取ると無造作に放り投げていった。
「娘が斃されてもちっとも悲しそうではないですね」
「わたくしは女王だもの。たくさんの命を産み、見送るのが役目。また新しい子を産むわ。命はそうやって巡るのだから」
「ならばどうしてあの少女だけは殺そうと?」
女王はまだ何色でもない鉱物を手に取った。
まるで磨かれていない石は灰色にくすんでおり、なんの鉱物とも知れない。
「この子はだめよ。この子だけはだめなの」
わななきながら石をつまむ。
「この子はわたくしを食らう」
石を握りしめ、思いつめたように震える女王はどこか弱々しかった。
「代替わりを恐れるなんて、哀れな女王ですね」
「あなたには分からないでしょう」
「老いた女王がいつまでも王座にしがみつく気持ちなんて知りたくもありません」
「黙りなさい」
こぶしを叩きつけると大きなヒビが入った。亀裂が届けば自身が危うい。しかしナナフシは負けまいと女王をにらみつけていた。
ややあっあ、女王は声音をやわらぜた。
「ねぇナナフシ。スパークという現象をご存知?」
「いいえ」
「人間の強い心とアルバの蜜との化学反応で起きるものなのよ。それはとても美しく、流星のように輝くのですって」
「流星……なんですかそれは」
「ええそれはね」
女王は身を乗り出して結晶体の表面を撫でた。
「かつてわたくしが乗ってきた船で、よく目にしたものなの」