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第一章 地下坑窟(アンダー・エデン)

「準備はいいか? コード8033――いや、ハチミツ」

 暗闇の中、姿の見えない相棒がささやく。

「いつでもいいさ、ラック」

 この暗闇の中ではどれくらい顎を上下させたのかラックには分からないだろうけど、ぼくは首がもげそうになるくらい強く頷いた。こうでもしないと弱気が勝ってしまう気がしたんだ。

 魔法鉱石を採りつくして棄てられた廃坑道は暗闇に包まれていた。肌をなめるような生ぬるい空気と不安定な足場がぼくの心を揺さぶってくる。

(やっぱりやめようか、明日にしようか)

 弱いほうへ簡単なほうへと気持ちが傾いていく。

「どうした、指先が震えてるぜ」

 長い付き合いだけあって相棒はぼくの気持ちを見抜いている。だけどこんなときくらい気づかないふりをしてくれたっていいのに。

「うるさいな、黙って主人の合図を待てよ。微光虫のくせに」

「ンだと、いつだれが主人になったんだよ? おまえなんか手足合わせて四本しかない人間のくせに。みろ、オレさまは二本も多いんだぞ」

「ラックなんてぼくの手のひらにも満たないチビじゃないか。悔しかったらぼくの拳に勝ってみろ」

「言ったなー」

 握りこぶしを作るとラックがてやてやとパンチしてきた。手足が六本あったとしても所詮は微光虫の触覚。弱い、弱すぎる。

「甘いな、そんなんじゃ百年経ってもぼくには――」

 前のめりになったぼくの足元でヴン、と赤い火花が散った。

「「あ」」

 勢いあまって発動させてしまった。起動スイッチを。

 ぼくの体内魔力で点火した火花は導火線を伝って奥へと走る。その先に仕込んであるのは炎を帯びた魔法鉱石……火鉱石ルトラをつなげたオリジナルの連結鉱石ダイナマイト

「こうなったら覚悟を決めるしかないぜハチミツ」

「分かってる」

 相棒に言われなくても心を決めるしかなかった。町長からの採掘許可状が発行されていない無許可の採掘ディグは重罪だ。だけどぼくには確かめなくちゃいけないことがある。

 暗闇を切り裂くように導火線が奥へ奥へと進んでいく。火が燃え移る際のわずかな音でさえぼくの耳にははっきりと届いた。

「五、六、七……」

 慎重にカウントする。三十きっかりでダイナマイトが爆発する予定になっていた。

「十一、十二、十三……」

 そろそろだと耳栓を取り出した。十分な距離をとってあるとは言え、じかに爆発音を聞いたら耳が使いものにならなくなる。

「十七、十八――……(たすけて)……えっ?」

 外から聞こえてくるぼくの声に別の声が重なった。

 声がした頭上――と言ってもえぐられた坑道の天井部分――に目を向けた。

 注意深く耳をすます。先ほどのように声が聞こえるかと思って息を殺していたけれど、なにも聞こえてこない。

「二十五、二十六……ってオイ、ハチミツ。さっさと耳をふさげ。商売道具の耳がダメになったら役立たずのオレたちは最下層行きだぞ。まだ死にたくねぇ」

「あ、やば」

 慌てて耳栓をつける。が、焦ったせいで片方を入れ損ねた。

「二十九――だめだ……」

 坑道の奥で赤い閃光が広がる。

 発破。

 次の瞬間、空気が塊になって一気に押し寄せてきた。殴りつけるような突風に体を押しつぶされそうになる。比較的頑丈だと見込んでいた岩石にしがみつき歯を食いしばって耐えた。

 まるで坑道嵐に巻き込まれたようだ。飛んできた礫が容赦なく体を殴りつけ、呼吸を阻み、体の中のありとあらゆるものを持っていこうとする。

「――……おぉい、生きてるか? ハチミツ」

 ぼくはたぶん意識を失っていたんだと思う。ラックの声に起こしてもらったお陰でひっくり返っている自分に気づいた。

 ゆっくりと体を起こして周りを確認する。焦げ臭いにおいが漂うほかは、以前と同じ静けさに包まれていた。自分の体の状態も確認する。採掘用の丈夫な作業着を二枚重ねにしていたお陰で痛みはほとんどなかった。服も少し擦り切れているだけだ。

「ぼくは大丈夫だよ、ラック」

「そりゃ良かった。採掘師ミナーのおまえが死んだらオレは食いっぱぐれちまうからな」

 ふと不思議に思った。ラックの声がやけに近い。それに、ぼくは片方の耳栓を落として爆音の直撃を受けたはずなのに正常に機能している。

「……ラック?」

 相棒の姿を探してゆっくりと視線を巡らせた。と言っても坑道内に光源となるものはひとつもないので目が役に立たない。

 確認したかったのは羽音だ。しかしそれも聞こえない。

「ラックいまどこにいる?」

「よくぞ聞いてくれた」

 目の前がパッと明るくなった。橙色の明るい光だ。火鉱石を使った松明に比べても劣る二十ルクス程度の光だが、ぼくは気に入っている。

「ここだよ、ここ」

 映し出された光の中に肝心のラックの姿はない。

 ぼくは微光虫ごとに違う甲羅の色……ラックのアルミ箔のような甲羅を探して懸命に目を凝らした。割れたクルミと思わせる不格好な光はラック(欠けた月)の尻にある発光器官から発せられているので近くにいるはずだが。

「じつはなーおまえの耳にすっぽりハマって抜けないところだったんだ」

「えぇっ」

 言われて片耳に手をやるとツルツルした甲羅に触れた。まるで体の一部にようにガッチリとハマっている。

「まさかぼくの耳を守ろうとして」

「とんでもなーい、オレは風圧に押されてたまたまハマっただけさ」

 はっきり言っておく。ラックは素直じゃないのだ。ぼくと同じくらい。

「そうかよ。どうやら随分しっかりハマったみたいで、ナナフシに診てもらわなくちゃいけないみたいだ」

「ふざけんな、奴のとこなんか行きたくねぇよ……ふん、ふぬん、くそぅ抜けねー」

 もがくラックだが、ぼくの耳たぶが密着してそう簡単には抜けそうにない。

「仕方ないだろ。とりあえずそのまま発光頼む」

 崩落がないのを確認しつつ奥へと向かう。頭上からはなんの音も聞こえない。

 数十メートル先、つい数分前に爆発させた岩肌は跡形もなく崩れ、分厚い岩盤に覆われていた深紅の地盤をさらけ出していた。

「……やった」

 それを目にした途端、全身に鳥肌が立った。

「すごい……鉱石の中でも最高級と呼ばれる赤い火鉱石がこんなに……直径は十数メートル、重さ一トンはくだらない……。すごい、すごいよ、本当にすごい。やっぱり聞き違いじゃなかったんだ。こんなに巨大な火鉱石群初めて見たよッ」

 自分の言葉にどんどん興奮してきて、ついには大声で叫んでしまった。少し遅れて反響してきた自分の声で我に返り、急に恥ずかしくなる。

「オレもこの目で宝の山を拝みてぇところだがとりあえず祝砲をあげてやるぜ」

 そう言ってヴヴンと翅を震わせる。

「おまえはやっぱりすげぇよ。こいつを納めればしばらくは食糧の心配をしなくて済むな」

「ぼくたちのコロニー『ゐ―03』の採掘量は激減していたからね」

 コロニーの食糧や衣服は採掘量とレア度に応じた配給制だ。一日の終わりに町長に納品して配給品をもらうのだが、鉱石を多く採掘するよりも希少な鉱石を採掘したときのほうが量、質ともに良いものを配給される。

「これだけの量だ。一度に持っていくのは難しい。どうやってここの場所を知られずに採掘を続けるかが問題だよな。意地汚い町長のことだから――って、聞いてるかハチミツ?」

 ぼくはそそりたつ火鉱石の壁面にそっと手を触れた。

 ひんやりと冷たくて、緊張と興奮で沸いたぼくの体温を優しく拭っていく。

「お待たせ、やっと見つけてあげられたよ」

 火鉱石のことを人のように呼ぶのはおかしいかもしれないけど、『彼ら』はずっとぼくを呼んでいたんだ。ぼく以外は風切り音としか思えないような小さな声で。

「待たせてごめん」

 できる限り手を伸ばして抱きしめた。相手が抱き返してくれることはないけれど、突き放すこともない。

「んで? 壁はなんて言ってる?」

 耳の内側でラックがもぞもぞと動いた。

「いまは眠っているみたい。そもそも彼らが用いるのは言葉じゃなくて振動なんだ」

「さよか」

「火鉱石の声が聞こえるなんて本当は信じてないくせに」

「信じてるさ。お陰でこうして最愛の巨壁を見つけられたんだ。一体どんな配給品を受けられるのかいまから考えてもヨダレが出るぜ」

「がめついな」

「木の根と干し芋の食事には飽きたんだよ」

「歯ごたえがあってぼくは好きだけど」

「おれは繊細な微光虫なんだよ。そろそろ糖度水や新鮮な草を食いたいぜ」

 しきりに翅を震わせていたラックがふと声をひそめた。

「なぁ、『外の世界』って本当にあると思うか?」

 ぼくたちが暮らすこの世界は地下と呼ばれる土の中にあって、はるか上層には地表がある。そこには草木が生い茂り、あふれんばかりの空気が満ちている。飲みきれないほどの水がたゆたう海があり、太陽と呼ばれるおおきな火鉱石が浮かんで明るく照らし出している――そういう噂がある。

「ないよ。『外の世界』なんてあるわけない」

 ぼくは首を振る。

「父親の言葉を疑うのかよぉ?」

 その父は五年前に行方をくらましたままだ。もう二度と会うことはないだろう。

「父さんはおとぎ話から妄想を膨らませたんだよ。それにもし本当に『外の世界』があったとしても、ぼくはいまの生活に満足している。見てみたいなんて思わない」

「つまんねーの」

 呆れたような口調でラックが揺れる。くすぐったい。

 物心ついたときから暗く湿ったこの世界で生きてきた。一体なんの不満があるだろう。

 ――“ぼくは満足している”。


 頭上でまた音がした。

「まただ、足音……」

 ちらりと視線を向けた瞬間、鼓膜を突き破るような声が響いた。


(――わたしは絶対、あきらめない)


「この声……」

 なんて力強い声なんだろう。一体どんな人が発しているんだろう。気になって仕方なかったけど、耳の内側でラックが叫んだ。

「やべー翅がビンビンする」

 みしみしと音を立て、頭上からパラパラと軽石が降り注いでいた。

「なにぼさっとしてンだ、崩落に巻き込まれるぞ」

 採鉱師たちはみんな知っている。軽石が降ったらどんなに見事な鉱石を前にしても逃げろ。――さもなければ、ぺしゃんこだ。

 ぼくは全速力で走り、勢いに任せてスライディングしながら両手で頭と耳を守った。

 案の定、ドォンと轟音を立てて崩落が起きる。巨大な土砂が折り重なるように降ってくる。土埃が舞って視界が茶色く濁り、なにも見えなくなった。

「ハチミツ、大丈夫か? 死んでないよな?」

「なんとかね」

 ようやく静かになって目を開ける。振り返って状況を確認するとたくさんの土砂で埋まっていた。先ほどのダイナマイトの影響で上部の岩石が滑り落ちてきたのだろう。

 しかし声の主とおぼしき人影はない。一体なんだったのかと目を凝らすと、

「うわぁ」

 いくつかの層を隔てた先の天井には黒々とした糸のようなものが無数にへばりついていた。卵状の球体で、四方に糸の一部を伸ばしてうまく貼りついている。人間でさえ食糧にすることがある大型の狂暴生物、オオカマキリの巣だ。その中でしきりに暴れる人影が見える。


(助けて、ここから出して。わたしは『外の世界』に行くんだから……ッ)


「――ラック。また振動があると思うから準備してくれ」

「は? 振動って、おまえまさか手りゅう弾使うのか?」

「ただの火鉱石だよ。ちょっと純度が高くて威力がいいだけさ」

 火鉱石はその純度や大きさによって火力が変わる。先ほどのダイナマイトは小粒で純度の悪いC級石をいくつも組み合わせて威力を増した。だけどこの手りゅう弾はA級でめったに出土しないレア石だ。

「ちょい待て、A級石があればどれだけの食糧と交換……」

「いくよ。手りゅうレイ・ボム

 体内に流れる微弱な魔力を石に注いで点火させつつ巣に向かって放り投げる。狙いは天井に接している土台部分。

「くるよラック、中の人は衝撃にそなえて」

 ぼくは先ほど同様に少しでも距離をとろうと死にもの狂いで走り、耳をふさいで伏せた。

 一瞬おいてドーンッと派手な音と振動と熱風が襲ってくる。狙い通り、天井部分から剥がれ落ちた巣が真っ逆さまに落ちてくる。

(きゃああ)

 中の人が悲鳴を上げる。ごめん。さすがに受け止められない。

 ずしんし地面を震わせて着地した巣は、薄い煙を上げながら転がった。やがてはらりと表面が剥がれ落ちる。

「中の人、へいき……です……か」

 急いで駆け戻り、そぉっと中を覗き込んだぼくは息を呑んだ。

「めちゃくちゃ……こわかった」

 不安そうにこちらを見つめ返すのはぼくと同じ年頃の少女だった。目深にかぶった帽子の下からまっしろな髪が流れている。耳の近くに青い蝶の髪留めが光っていた。

 丸みを帯びた頬を伝って大粒の涙がこぼれ落ちる。地面に落ちた途端、眩いばかりの光が生まれ、少女の涙がこぼれる度に波紋のように光が広がっていく。

 それはまるで地面という楽器で音楽を奏でるようであり、旋律を刻むようでもあった。

 見たことのない光景だった。ぼくは魅了され、圧倒され、一歩も動けなかった。

「おーぃ、ハチミツ―、どしたー?」

 ラックの声で我に返る。

「そ、そうだ。出られます? 良かったら手を」

「――あぶないッ」

 少女が叫んだ次の瞬間――。

 熱い。

 まずはそう思った。

 次に吐き気。すさまじい勢いで喉の奥からこみあげてくるもの。

「ごふっ」

 たまらず吐き出したのは真っ赤な鮮血だった。他でもないぼくの。

 ぼくはのろまだから、そこでやっと気づいたんだ。巣を壊されたオオカマキリが戻ってきて営利な鎌の先でぼくの腹部を貫いたことに。

「ぐっ」

 引っこ抜かれるときに臓器をかすったのか、また大量の血を吐いた。膝を折って前のめりに倒れたところを少女に抱きとめられる。蛍草のような甘い匂いが鼻腔をついた。

「なんで……どうして助けてくれたのよ」

「助けてって、聞こえた、から」

「こんなに弱いくせに」

「わるかった、ね」

 喉に血が溜まっていて喋りにくい。それでも彼女があまりに悲しそうな顔をするので気休めにでもなにか言わなければと思った。少女はぎゅっと唇を噛みしめる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 泣かないで、と言いたいけど意識が朦朧としてきた。

「おいしっかりしろ、ええぃ一体どうなってるんだ」

 ラックの怒鳴り声も遠くに聞こえる。

(ぼく、死ぬのかな。こんなことで。こんなところで)

 死を意識した途端にやりたいことがいっぱい頭に浮かんできた。

 甘い蜜玉みつだまをお腹いっぱい舐めたい、父さんと母さんに会いたい、それから――――叶うことなら『外の世界』で太陽を見てみたい。……もうどれひとつ叶わないけれど。

 ふたたびカマキリが襲いかかってきた。

「いい加減にしなさい、度が過ぎるわ」

 低い声とともに少女の髪の毛がふわりと持ち上がったかと思うと、一段と光が強くなった。あまりの熱さにカマキリの全身から炎が上がる。

 その姿が一瞬で灰と化したところで少女はぼくを地面に寝かせて上向かせた。

「あなたが悪いのよ。わたしなんかに関わったから、だから……あげる、初めての……」

 大量の血を吐いたぼくの唇が少女の口で覆われる。

 蓋をされたような息苦しさの中、どろりとした蜜のようなものが口内に流れ込んできた。

 それはとても熱くて、甘くて、痛い。

(だめだ、もう意識が……)

 薄れていく意識の中で最後に聞こえたのは、

「ちょちょちょちょっと待て、なんかすげぇことになってるぞ」

 というラックの興奮気味な声だった。すげぇことってなんだろう、気になる。


 ※


 どくんどくん、と自分の心臓が脈打つ音が聞こえる。

 父さんが言っていた。

『人間の体内にはいくつもの臓器があり、血管という細い穴によって血液が行き来して命を維持している。それはこの世界……地下坑窟アンダー・エデンと同じ仕組みだ。家族のコロニー、妊婦のコロニー、少年のコロニー、少女のコロニー、食糧庫、武器庫、墓地、そして王室……いくつものコロニーが坑道という名の血管によって絶えず交流を続け、多くの命を維持している。我々の頂点に座す君主は女王陛下ダイヤモンド。すぐれた統治によって二百年以上も在位している美しく気高い女王だ。――と褒めたたえないと最下層の牢獄コロニーに送られてしまうから気をつけるようにな』

 最後の方はぼくしか聞き取れないような小声になっていた。

『いつかおまえと一緒に外の世界へ行きたいな。だから強くなるんだよ。だれかを守れるくらい強く』

 それならなんでぼくを置いていったんだよ、なんで。

「うん……よし、手荒だけどこの方法がいちばん簡単そうだ」

 覚えのある声が聞こえてきた。だけどぼくの瞼が開かない。もう少しだけ寝ていたい。

「悪く思うなよハチミ――ツっ」

 ぱぁん、という大きな破裂音とともにぼくは飛び起きた。

「なっ、なななな、なんだよいまのでっかい音ッ」

 状況がつかめず周りを見回す。

 ぼくは白い幕で覆われた医務室のベッドの上にいた。さっきまで坑道にいたはずだと目を瞬かせていると、

「よっ、意外と元気そうだな」

 軽い挨拶とともに眩しい光で右目を穿たれた。だれかが微光虫の強烈な光をぼくの目に向けているのだ。

「その声はナナフシだな。眩しいからやめろよ」

 片手で跳ねのけると微光虫はふわりと上空に飛んでぼくたちの周りを明るく照らし出した。

「あんたねぇ、ナナフシに感謝こそすれその口ぶりはどうなのよ」

 不満そうに点滅するのはピンクの甲羅をもつ微光虫だ。

「ルナがいるってことは、ここは」

 まずい、と本能的に思って逃げ出そうとすると、

「そうだな。採掘医として病人の面倒を見てやった兄貴分にその言い方はなんだ、あん?」

 顎が外れそうなくらい乱暴に指先で掴まれた。灰色の瞳をこれでもかと吊り上げ、青い長髪を無造作に束ねた白衣の少年……ナナフシだ。

 コードは7724、だから通称名はナナフシ。ぼくのふたつ上で十五歳。

 ナナフシとは十三歳未満の子どもと両親が暮らす家族コロニーのときから一緒で、ぼくにとっては兄のような存在だ。一年前、十三歳になったぼくがここへ移住させられたときに再会して以来さらに親しくなった。移住にあたって割り当てられた部屋ではなく、医務室の二階にある部屋を間借りしているくらいだ。

「おまえ、おれに話さなくちゃいけないことがたくさんあるよな」

 下顎に喰いこんでくる指先がナナフシの怒りを如実に表している。

(やばい、ダイナマイトを造っていたことはナナフシにも内緒だったんだ)

 目をそらして誤魔化そうとしたぼくの鼻先にピンク色の微光虫が飛びついてくる。

「正直に話しなさい。アタシがラックの緊急振動を受信していなければどうなっていたか」

 ナナフシの微光虫・ルナだ。弱くて不格好な光しか出せないラックと違い、ルナの発光器官は微光虫の中でも最高に近い三百ルクスの光を発するので眩しい。

「眩しいよ。それに緊急振動ってなんだよ」

「微光虫の間でしか感知できない空気の振動のことよ」

「そうなんだ……ところでラックは?」

 耳にハマっていたはずだが、いない。ナナフシが顎をしゃくる。

「ビンタしたときに吹っ飛んでいった。あとでそのへん探せ、たぶん転がっていると思うぜ」

 こともなげに言うが、どうりで頬がじんじんと痛むはずだ。

 しかしラックを探そうにもナナフシがぼくの顎を掴む指先にどんどん力が入っていく。

「さてと、その前にきっちり説明してもらおうか。朝早く部屋を抜け出したおまえがどうして廃坑道にいたのか、不自然な崩落の跡はなにか、どうしてそんなところに倒れていたのか、そしておまえが抱いていた繭のこと――」

「……繭?」

 心当たりのないことに戸惑う。

「そう繭よ。人間の子どもくらいある大きな繭。あんたが大事そうに抱きしめていたのよ」

 ルナに言われてもっと混乱した。

(ぼくはたしか少女を――)

 そこで急に思い出した。

「そうだナナフシ、ぼく死んだんだ。オオカマキリに串刺しにされて」

「刺された? どこが」

 手を離して一歩後ずさりしたナナフシはぼくの上着の裾を思いっきり持ち上げた。上半身が露わになる。

「ちょっ、わ、ナナフシ。いくら男同士だからってメスのルナの前で」

「傷なんかどこにもないぜ」

 言われて自分の腹部を確認した。採掘師にしては貧弱だと笑われる細い体のどこにも裂かれたような傷はない。あんなに熱くて痛かったのに。

「ハチミツぅ、助けてくれ」

 ラックの悲痛な声が聞こえてきた。声がしたのはカーテンの向こう。

 急いでベッドを飛びおり隣のカーテンを開けた。そこにあったのは。

「……繭だ」

 ベッドの上には大きな白い繭が横たわっていた。そこから上半身を出し、圧死させそうな勢いでラックを抱きしめて眠っているのが例の少女だった。うねりのない真っ白な髪の毛が腹部にまで届き、髪だけでなく睫毛まで白い。まるで色という要素が一切ないようにも思えた。

「助けてくれハチミツ。こいつがオレをぎゅーっと抱きしめるんだ。脚が折れちまう」

 少女の頭頂部から伸びる二本の触覚を目にしたぼくは一瞬言葉を失う。

「この子、琥珀蟻アルバだったのか」

 アルバはぼくたちの支配階級に位置し、九割はメスだ。ぼくたち人間より優れているとの理由から、よりも多くの資源・資産・権利を有する。もちろん町長もアルバだ。この世界はアルバたちの頂点に訓練する女王によって支配されているのだ。

「それはそうだろう、人間が所属外のコロニーを自由に行き来なんてできるか」

 呆れたようにナナフシが横に並ぶ。

 人間がコロニーを離れることは重罪だ。だれがどこでどんな作業に従事するのかを決めるのはアルバたち。ぼくたちに選択する自由はない。

 脱走者は『無所属モグラ』と呼ばれ、見つかり次第最下層へと送られる。仲間が連帯責任を負わされることもある。

「でもアルバって基本的には上層階にいるんだよね。どうしてこんな下の層にいるんだろう」

「さぁな。個人的な事情は知らないけど、こいつは純白色アルバだよ。ごく稀にしか生まれない特別な個体だ」

 ぼくの背後から覗き込みつつ物知りのナナフシが解説してくれる。ナナフシは昔からいろんなことをよく知っていた。

「……もうごはん?」

 もぞ、と少女が動いた。

 長い睫毛が震えてその下に隠されていた瞳がぼくを捉える。

 おおきな瞳の中にあるのは金色。それも筋のようにいくつもの針が入っている金紅石ルチルという鉱石と同じだった。鉱石としては目にしたことがあるけど、こんな瞳をもつ人(アルバ含む)をいままで見たことがない。

「ふぁ……まだ眠いわ」

 上体を起こした少女は目をこすってあくびする。腕に抱かれていたラックが悶絶した。

「ちょっと待ってオレさま死ぬ―、潰れ死ぬ―、ぺしゃんこになるー」

 ぼくは慌てて少女に話しかけた。

「きみが抱きしめているでっかい虫はぼくの相棒なんだけど、放してもらえないかな?」

「え? きゃあ、虫ぃーッ」

 投げ捨てるように解放されたラックを両手で受け止める。もはや虫の息だ。

「虫、虫虫虫……」

「う、うん、アルバも虫だけどね。――それよりも」

 ぼくは少女から目を離せなかった。このコロニーにおいては女というだけでも珍しいのに、アルバ、しかも純白色という稀な個体だという。

「ここはどこ?」

 周囲を見回しながら二本の触覚がアンテナのようにぴくぴくと揺れる。

「コロニー『ゐ―03・居住区』だよ。大規模な採掘場がいくつもある採掘師の街だ」

 この世界にあるコロニーの大区分は四十八の「いろは」。小区分として0から始まる番号がついていて、それぞれに居住区とメインとなる仕事場などがある。

 ぼくたちの街のような採掘場は坑道をどんどん拡げていっているので小区分が二ケタや三ケタにのぼることも多い。

 どのコロニーに属し、どんな仕事に就くのかは人間を管理するアルバたちが決める。このコロニーにいるのは十三歳から十八歳までの少年だけだ。

「ぼくは8033、ハチミツだ。きみはだれ?」

「……」

 少女は伏せ目がちになって黙り込む。

「きみはあそこでなにをしていたの? どうして巣に捕まっていたの?」

 聞きたいことがあふれてきた。

「ねぇきみは」

 ふわり、と蛍草の匂いをさせて少女がぼくに寄りかかってきた。

「お願い、わたしと――」

 金紅の瞳がゆっくりと閉じられたかと思うと、そのまま健やかに寝息を立てはじめた。

「あれ……あの?」

「無駄だ、寝てる」

 困惑するぼくの肩をナナフシが叩く。

「こいつはアルバの赤ん坊――つまり幼虫だな。まだ覚醒と眠りとの境が曖昧なんだろう。だから寝落ちした」

 たしかによく眠っている。人間の赤ん坊が食事中に眠ってしまうのと同じ現象だろう。

 熟睡している少女を押しのけることもできずに肩を貸していると、歌声が聞こえた。

(どこから? あぁ、この子が歌っているの?)

 少女の唇から流れてくるメロディー。それは子守唄のように穏やかでゆったりしている。聞いているぼくもなんだか眠くなってきた。

「どうやら奇妙なモノを持っているみたいだな。見ろよ」

 ナナフシが顎をしゃくると、少女の耳元にあった蝶の髪留めが翅を動かした。背中に流れていた白い毛髪がふわりと浮き上がり、まるで自らの意思をもっているように弧を描いて少女の体をするすると包んでいく。

白蝶鎧カフヴァール。眠っている間に外敵に襲われないよう発動する防具だな。鋼のようにしなやかで強靭な鎧になる。おまえが抱きかかえていたときはこの状態だったってことだ」

 髪の毛が繭になるなんて不思議な感じだけど、触れてみた繭の糸はあたたかくてやわらかい感触だ。これに包まれたらさぞかし良い夢が見られるだろう。

「こんな珍しいモノを所持しているのは貴族アルバか武器屋、あるいは盗掘者くらいだ」

 いずれにせよ、当の本人が眠っていてはなにも分からない。

 乱れた髪を直してあげようと手を伸ばすと、繭の糸が乱暴に絡みついてきた。

「ハチミツ気をつけろよ。そいつ、近くにあるものも巻き込むかもしれないぞ」

 言ってる傍からぼくの体にも巻きついてくる。かなり強引に。しかも切れない。

「ぼくはこれから仕事だから眠っている場合じゃないんだよ」

 一緒に繭にされてはかなわないと体を引こうとすると、少女がうっすらと目を開けた。

 ぼくの目を見て笑う。とろけるような極上の笑顔だ。

「ママ」

 ママって――お母さん?

「なにぃママだとぉ?」

 ラックがうなった。

「パパじゃなくて?」

 ルナが驚愕した。

「おまえ、いつの間にか男の娘になったんだな。しかもママ」

 ナナフシは口元を覆って笑っている。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。誤解だ。ぼくは」

「ママ、だいすき」

 少女が首の後ろに手をまわして抱きついてくる。その間にも糸が伸びてきてぼくと少女を絡め取る。ぼくは必死に叫ぶしかなかった。

「ママでもパパでもないから笑ってないで助けてくれよーーーッッ」


 ※


「まったく、変なもんを拾ってきちまったな」

 半鐘を合図にラックと連れ立って作業場に出勤した。

 ぼくたちのコロニーは採掘場が主体なので、家はどこも粗末な木造だ。共同生活を送っているグループも多いけど、ぼくはナナフシの医務室兼自宅にお世話になっている。

 少女もとい繭は医務室に置いてきた。ナナフシが様子を見てくれるという。

「奴が言うとおり、さっさと町長に引き渡したほうがいいんじゃね?」

「そうしたいけど、なにか事情があるみたいじゃないか。……それに」

 思い出して腹をさすった。

 あのときぼくは間違いなく『死んだ』。

 逆流してくる血の苦さも腹に受けた熱もはっきりと思い出せる。

 死んだぼくは、なぜ動くことができるんだろう。

「なぁラック。ぼくが倒れた後すごいことが起きたって言っただろう。なにがあったんだ?」

「え、なんかこう力がみなぎるようなパーってあったかい感じがな」

「もういい」

「だって見えないんだから仕方ねぇじゃんか」

 少女の様子を確認したナナフシはひとつの仮説を口にしていた。

『アルバの卵を産めるのは女王ただひとり。産まれたアルバのうち七十パーセントは町長みたいな労働階級、二十パーセントは貴族階級、六パーセントは女王を守る軍属、三パーセントが繁殖用のオスだ。そして一パーセントの割合で生まれるのが女王の血を色濃く引く分身ニンフ、つまり『王女』だ。このアルバは貴族階級に属していると思うけど、どうして下層階に来たのかは分からない。なにか目的があるんじゃないか』

(『外の世界』へ行く――と言っていた)

「ご苦労さん。どうしてボーっとして」

 坑道へ続く通路を歩いていると後ろから声をかけられた。

 短く刈り上げた髪に太い眉毛、優しげな瞳とは裏腹に全身に筋肉の鎧をまとったような体つきのこの人は、作業場のリーダーである5960、通称ご苦労リーダーだ。

「どうだ、火鉱石はたまったか?」

「ぃひっ」

 周りを気にしながらリーダーが聞いてくる。誰にも気づかれていないと思っていたぼくは驚きすぎてしゃっくりしてしまった。

「内緒で持ち出していたこと、ひっ、気づいて、くっ」

「態度と作業着のポケットの膨らみを見れば分かる。ほとんど金にならないような小粒の石ばかりだったから許したが、他の奴ならそうはいかないぞ」

「あっ、ひっ、すいませ、ん、じつは、ひっ、本で読んだ連結鉱石を、試してみたくて」

 試してみたい、ではなくてすでに実践済みだけれど。

「すごいじゃないか」

 極太の眉毛が嬉しそうに跳ね上がった。

「あんな難しい本を読める上に実践できるなんて。この調子なら初級採掘師から中級採掘師になる日も近いな。期待しているぞ」

 ばん、と力強く背中を叩かれたお陰でしゃっくりが止まった。

「やっぱりバレてたな。あきらかに挙動不審だったもんな」

 作業着から這い出してきたラックが肩に乗る。ぼくはリーダーの肉付きのよい背中を見送っていた。

「火鉱石群のこと、言わなくて良かったのか」

「いま言ったらあの子のことも話さなくちゃいけないだろう」

 ひとり占めするつもりなんて毛頭ない。町長が科す厳しい採掘量をなんとかしたくて廃坑道に行ったんだから。

 でもいまはダメだ。自分でもよく分からないけど、あの子のことに決着つくまでは。

「よし、集合してくれ」

 リーダーの号令の下、同じ年頃の採掘師たちが今日の作業場である第二坑道に集まる。皆それぞれに微光虫を連れていた。

「最終目標はこの奥に埋まっているとされる一トン級の火鉱石の発掘だ。きょうの目標は二メールの掘削。準備ができた班からはじめてくれ」

 リーダーが自分の微光虫を放つと、各々が微光虫に合図を送った。ぼくもラックの甲羅を撫でる。

「今日も頼むな、相棒」

「任せとけ。おまえの足元をとびっきり明るく照らしてやるよ」

「欠けたラックの癖に」

「うるせ」

 生意気な口をきいて飛び立ったラックは、他の微光虫たちと同様に天井部に張りつき、暗闇に閉ざされていた坑内を明るく照らし出した。

 採掘師たちにとって明かりは生命線。水漏れや落盤の前兆、天敵である332の尻尾を見るためには必要不可欠だ。採掘師にとって微光虫は数少ない個人所有の資産であり、かけがえのないパートナーなのだ。

 いま採掘を進めている黒壁は鋼のように固く、を掘り進めるのは至難の業だった。一日中ツルハシを振るっても数センチも削り取れない。

「もっと簡単にいかねぇかな。ダイナマイトとかでドカン、てさ」

 額ににじんだ汗をぬぐって隣の少年がぼやく。

 どきっとするぼくをよそに、彼の隣の少年がなだめるように笑いかけた。

「たとえダイナマイトがあっても地盤の質や状況を見極めて的確に穴を空けるのはめちゃくちゃ難しいらしいぞ。それこそ中級、上級採掘師を飛び越えて銅級採掘師レベルだ」

「そりゃ無理だわ」

 と笑いあうふたりの頭上でラックが光る。

「オレ知ってるー、そこにいるぞー」

 うるさいな。という意味を込めてにらみつけたら静かになった。

「文句言うなよ。いまおれたちが立っているここだって先の採掘師が掘り進めてくれたんだ」

「そうだな」

 そう納得してふたりは作業に戻る。

 家族の元を離れてこのコロニーに来てからというもの、ぼくたちは毎日のように壁を削っている。目的は居住空間の拡張、魔法鉱石の採掘、332の撃退……いろいろあるけれど、同じ毎日の繰り返しだ。週に一度の休息日はあるけど、できることも動ける範囲も限られている。家族に会うこともできないし、別のコロニーに移動することも禁止されている。

 そうして適齢期になるとアルバたちによって伴侶となる相手が選ばれ、夫婦のコロニーに移動させられて否応なしに夫婦生活を送ることになる。生まれた子どもが十三歳になったら自分は壮年コロニー、その次は老人コロニーへと送られて、死んだら墓地コロニーに埋葬される。

 ここはそんな世界だ。ぼくだってそれが当たり前だと思っていた。

 父さんの口から『外の世界』について教えられるまでは。

 いまだって考えるだけでドキドキする。そこにいけば心震わせる光景があるんじゃないか、胸がドキドキするような出会いがあるんじゃないか。

 ここに来てからも憧れは増すばかりだ。

(父さんが残した地図のせいだ)

 失踪した父が残した『外の世界』への地図。一年前、家族コロニーを出る直前に古い本の中から見つけてしまった一枚の紙きれを、いまも大切にとってある。


 ――採掘作業開始から四時間。ようやく休憩になった。

「ご苦労だったな、今日は月に一度の特別配給日だ」

 へたりこんでいた採掘師たちが嬉々としてリーダーの元に駆け寄っていく。

 通常の配給はその日の採掘量や質によって毎日物品が支給されるが、特別配給日は日ごろの勤労を労う品物がもらえる。

 内容は毎月違う。ある程度の枚数を集めることによって家具や部屋、休息日を一日多くもらえる権利が手に入る貝殻だったり、干しイモなどの食糧だったり、野菜の種だったり、微光虫の餌となる微生物だったり。

 その中でも年に一度か二度だけ配給される特別なものがある。

「よく聞け、今日はなんと蜜玉。女王陛下からのご褒美だ」

 坑内に大歓声が上がった。

 蜜玉。それは豆粒ほどの玉だ。きらきらとした黄金色に輝き、口に含むと得も言われぬ甘さがとろけだす。これ一粒あれば何日でも働けそうなくらい美味なのだ。

 リーダーが順番に蜜玉を配っていく。受け取った少年たちは早速口に投げ入れていく。

「次は8033、ご苦労だったな」

「は、はい」

 うやうやしく両手で受け取った蜜玉はいつまでも見ていたくなる輝きだ。いつもならこのまま口に放り込むのだが、ふと少女のことが頭に浮かんだ。

(アルバの赤ん坊ってなにを食べるんだろう。人間と同じかな。蜜玉も食べるかな)

 光を受けてきらきらと反射する蜜玉を見ていると少女の輝くような髪色を思い出す。

(赤ん坊なら蜜玉を知らないかもしれない。こんな美味しいものがあるって知ってほしい)

 そう思ってポケットに押し込んだ。

「失礼するですよ」

 現れた人影をいち早く察したリーダーが指笛を鳴らして注意を引きつける。

「町長のおでましだ。全員起立してお迎えしろ。微光虫、決して光を絶やすな」

 促されるまま慌てて立ち上がる。

 現れたのはこのコロニーの町長だ。見た目は年端もゆかない華憐な少女で、大股で歩くたびに顔の横で縦ロールが揺れる。坑内には似つかわしくないフリルをふんだんに使った贅沢なドレスを着けているが足が短いらしく少し持ち上げて歩かないと引きずってしまう。

 平素から「汚い、息苦しい、むさくるしい」と採掘場を毛嫌いしている町長がここを訪れるのは珍しい。

(一緒にいるのは、だれだ)

 ぼくだけでなく仲間たちも気づいたらしい。町長の後ろから悠然と歩いてくる紅い軍服をまとったアルバの女性に。

 長いドレスを持て余している町長に比べ、その女性は最低限の装飾品しかない簡素な軍服だったが、生地の光沢といい着こなしといい見劣りするどころかむしろ上品だ。

 少年ばかりが集められたコロニー内では、アルバとは言え女性の存在はいやでも目を惹く。早速小声が交わされた。

「きれいだな、胸もおおきいし」

「ばか、あの真紅の軍服は紅蓮隊クリムゾンって言って女王直属の実行部隊なんだよ。リーダーは王女ティエナ・ガーネット殿下」

 言葉を交わす少年の間で鞭が跳ねた。

「そこ、私語は慎むのです。ガーネット殿下のご訪問ですよ」

 殺気立つ町長をよそに、当の本人は糸のように真っ直ぐな金髪を背中に流して無関心だ。

「このような薄暗い坑内へどのような御用でしょうか?」

 リーダーが進み出て用向きを確認する。町長は顔色をうかがうようにガーネットを振り返りつつ答える。

「今朝早く『ゐ―36』坑道内において岩盤の崩落が確認されたです。それを目撃した者はいるか確認したいのですよ」

 ぼくがダイナマイトを使った場所だ。

「女王陛下に仇名す者が逃走しているですよ。現場に残されていた足跡がこの居住区へと続いていた。心当たりがある者は名乗り出るですよ」

(仇名す者……もしかしてあの子のことか?)

 確証はないけど他に考えられない。

 心臓が鳴って、呼吸が苦しくなってきた。

(どうしよう、名乗り出たほうがいいかな。だけど)

 ガーネットの左右の指にはまっている指輪は一見しただけで純度の高い魔法鉱石だ。純度の高さは威力の高さ。つまり殺傷能力の高さを物語る。二度も死ぬのはイヤだ。

「だれか、崩落を確認した者はいるか?」

 リーダーは居並ぶ採掘師たちを見回した。

 困ったように顔を見合わせる仲間たちをよそに、ぼくだけは直立不動だった。

 そんなぼくにリーダーの視線がぴたりと止まる。気づかれた、と確信したけどリーダーは視線をそらして町長に向き直る。

「恐れながらこの中には」

 困り顔のリーダーが取りなそうとすると、

「不愉快だわ」

 うなるような声が響いてきた。

 次の瞬間ガーネットの右手から火の手があがり、それをリーダーの顔に押しつけた。

「熱い、熱いあついあつい」

 顔を掴まれてうめくリーダー。肉の焼けるにおいが漂う。

「不快な臭いで私を侮辱した罪と知りなさい」

 ガーネットはリーダーの体を軽々と放り投げた。投げ飛ばされた先で壁に激突したリーダーは、体を震わせながらも土下座する。伏せた顔からは煙が上がっていた。

「お、お詫びいたします、どうかお許しを……」

 追い打ちをかけるように町長が鞭を振るう。

「ガーネット殿下は臭いに敏感でいらっしゃる。おまえの汗臭ささが悪いです」

 むちゃくちゃだ。採掘は肉体労働。そんな職場に押しかけてきて汗が不快だからと顔を焼くなんて正気の沙汰じゃない。

 けれどガーネットが放つ恐ろしい気迫を前に、その場のだれも動けずにいた。

「許さない」

 ふたたびリーダーに手が伸びる。顔を強張らせるだけでだれも動かない。――だれも。

「お願いです、許してください」

 リーダーをかばうように手を広げて叫んだぼくは、

(ぼくはバカだ)

 と心の中で十回くらい叫んでいた。

「なにか文句があるのかしら? 坊や」

 熱を帯びたガーネットの手がぼくの鼻先で止まる。

「も、文句なんてありません。だけどぼくたちは毎日汗びっしょりになって岩肌を掘っています。そんなところへ押しかけてきて汗臭いだなんてあんまりだ。高みの見物で汗ひとつかかない貴方がたには分からないかもしれませんが、汗をかくのは一所懸命な証拠なんです。責められる理由なんてなにひとつない」

 喋りはじめたら止まらなくなってしまった。もはや文句以外のなにものでもない。

「よく言ったぞ相棒ッ」

 ラックだけが天井部で褒めてくれるが、ぼくはすでに後悔いっぱいで倒れそうだった。

(ぼくはバカだ。よりによって女王の娘に口答えしてしまうなんて)

(ぼくはバカだ。また殺されるかもしれないのに)

(やりたいことだってたくさんあるのに。一回死にかけたのに)

「ガーネット殿下に意見するとは、それなりの覚悟があってのことですね」

 触覚をピクピクさせて町長が鞭をしならせる。

(もうだめだ)

 あまりの恐怖に汗が噴き出してくる。

「待ちなさい」

 町長を制止したのは他ならぬガーネットだった。

 ガーネットは何事もなかったように右手を払って火を消すと歩を進め、立ち尽くしたまま動けないぼくに右手を伸ばしてくる。思っていたよりも冷たかったけれど、顎を掴まれて強引に上向きにされた。

「ずいぶんと汗をかいているのね」

 そう指摘されて小刻みに震えてしまった。唇をぎゅっと引き結ぶ。ここで迂闊に口を開いて繭のことを明かすわけにはいかない。強くそう思った。

「発言を許可する。なにか喋ってみなさい。もう一度声を聞きたいわ」

「な、生意気なことを言ってすいませ、ん。でも本当のこと、です。それからぼくは、きれいな人を前にすると汗が止まらなくて。ご不快な思いをさせて申し訳ありま、せん」

 震えながらなんとか告げた。ガーネットは黙ったまま指先を移動させる。ぼくの顎から耳たぶへと移る。そこにはコードが刻まれたイヤーカフがあるのだ。

「8033。まだ若いコード。だからいい匂いがするのね」

 ぺろり、と首筋を舐められた。「ひぃッ」とうめきそうになったのを間一髪こらえる。

「今日は引き上げるけれどしばらく管理区域に滞在するわ。目撃者が判明した際には速やかに報告するように。またね、8033」

 そう告げてガーネットと町長たちは去っていく。

「た、助かったぁ」

 ぼくは全身にびっしょりと汗をかいていた。首筋に受けた舌先の感触はしばらく忘れられないだろう。

「……あ、リーダー大丈夫ですか? いますぐナナフシのところに」

 苦しそうなリーダーの肩に腕をまわす。このコロニーでは最年長のリーダーと若輩者のぼくとでは身長差がありすぎる。

「だれか手を貸し……」

 言い差してから気づいた。洞窟内を包む重苦しい空気に。

「余計なことしやがって。この件で町長が採掘量の下限を上げたらどうするつもりなんだ」

 舌打ちしたのは他でもない仲間たちだった。手を貸してくれるわけでもなく、まるで汚いものでも見るようにぼくを見下ろしている。

 町長が課す採掘量は一年前と比べてもかなり引き上げられている。規定量を満たさないと食糧などの配給が受けられない、そうなればぼくたちにとっては死活問題だ。

「ごめん」

 そう謝るしかない。しかし彼らの怒りは収まらない。

「ごめんで済むかよ。あの様子じゃあ町長はかなりご立腹だぞ」

「殿下の前で恥をかかされたんだもんな。こりゃあその落下物とやらを見つけない限り許してもらえないだろうな。とんだ迷惑だ」

「……ごめん」

 分かっていた。正しさや正義感なんてものは自分の足を引っ張るだけだ。

「そいつは悪くない。絶対に悪くないぞ」

 ラックが吠えた。抗議するように点滅しはじめる。しかし半月でしかないラックの光が消えたところで困る要素はなにもないのだ。

「おまえたちは突っ立っているだけで、リーダーよりも保身を選んだくせに。なんでそんな奴らのためにハチミツが『外の世界』へ行くのを我慢しなくちゃいけないんだよ」

 ラックは叫ぶ。ぼくために。だからぼくも自分の心に正直になれた。

(……そう、本当はぼくも行きたくてたまらないんだ。『外の世界』に)

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