第6"章 ワンモアタイム ワンモアチャンス⑤
「できたっ!」
試験管の中に仄かに褐色がかった液体が生成されて少しだけ息をつく。部室の中には神崎が山頂まで持ち込んだ鞄と中身が残されていて、そこに入っていたケースの中に試験管を慎重に収める。
「宮入君、これ」
最後まで作業に付き合ってくれた筑後が何かを投げた。受け取ってみると、それは自転車の鍵。
「急ぐんでしょ? 僕は片付けてから帰るから、使って」
「助かる!」
鞄を持って部室から外へと急ぐ。時間は朝の3時を回っていた。あとどれくらい神崎の体に猶予が残されているかわからない。一秒でも早く神崎の元に駆けつけたかった。
塀を乗り越えて敷地の外に飛び降りると、こんな時間に車のヘッドライトに照らされる。今の俺は高校生の体で、こんな時間に歩き回っていれば何を言われるかわからない。
素通りしてくれ、という祈りは虚しく、車はそこで止まって運転席から誰かが降りてきた。
「宮入。お前こんな時間に何してんだ。というか、お前今学校から出てきたか?」
やたらとゴツイ車から降りてきたのは石川先生だった。ズカズカと近寄ってくると逃げる間もなく腕を掴まれる。
「お前、わかってんのか。こんな時間にほっつき歩いてるだけでも補導対象なのに、学校の中で何してたんだ」
「先生、見逃してください」
「ここで見逃したら教師失格だろうよ」
「お願いです! 神崎の……神崎のところへ行かないと!」
不機嫌そうだった石川先生の顔が一瞬殴られたような表情になった。俺と鞄と自転車、それから一部屋だけ明かりの残る校内を見て、煩わしそうに頭を空いている手で頭をガリガリとかきむしる。
「おい、乗れ」
「先生、俺は……」
「神崎のところに行くんだろ。乗せてってやるよ」
石川先生はそう言うと俺の腕を離してさっさと車に乗り込んでしまう。
信じていいのだろうか。もし石川先生の言葉が嘘で俺の家や交番にでも連れていかれたら、確実に間に合わなくなる。
「……よろしくお願いします」
それでも、助手席に乗り込んだ。
元の世界で神崎が意識を失った後、石川先生は驚くくらい憔悴していたし、卒業してからもずっと気にかけて時折病室にもお見舞いに来ていた。今だって神崎という言葉で態度を変えた石川先生のことを、信じてみようと思った。
車は荒っぽく走りだし、病院に向かう道へと進む。
「神崎が意識不明で入院したって聞いて、落ち着かなくてよ。じっとしてても眠れないからずっと車を走らせてたんだ」
石川先生は前を見たまま独り言のように話し始めた。返事は求められていないような気がして、ただ黙ってうなずく。
「こんなこと言うと教師失格かもしれないけど。俺はあいつに救われたんだ」
石川先生がすっと目を細める。
「お前の担任になるってとき、最初はすげえ悩んだんだ。お前に関する噂なんか信じちゃいねえけど、教師がなんと言ったところでこんな田舎じゃ噂の力は根強いからな。本当は綾村時乃と同じクラスの方がよかったんだろうけど、その辺は色々バランスもあってな」
「じゃあ、最初に神崎が俺の隣の席だったのは、もしかして……」
「転校生なら、しがらみもないかと期待したんだよ。そしたら、なんだかんだお前と神崎は上手くやっててさ。だから、もう一つ期待してみたくなった」
「……オーパーツ研究会」
石川先生は前を向いたまま頷く。
「筑後が一年の時の担任は俺でな。クラスになかなか馴染めなかったあいつに居場所を作れればくらいの考えで、当時三年生が一人いるだけだったオー研に誘ってみたんだ。筑後は人見知りなだけで誰かと繋がりたいって思いは人一倍強かったし、その時は上手くいったけど、四月からまた一人になっちまって。どうにかしてやりたくてな」
ふっと息を吐きだしたのは、石川先生なのか俺なのか。
「そんな時にお前らが部活のこと聞きに来て、ちょっと運命的なものを感じたんだ。駄目だったら仕方ないくらいのつもりだったが、お前らがオー研に入ってから筑後は去年よりずっと明るくなった。明るくなるのがいいことかは知らねえけど、少なくとも筑後はお前らが入部して嬉しそうだった」
「筑後は俺の噂のこと聞いても、態度一つ変えませんでした」
それどころか、俺の為に必死になってタイムトラベルの証拠を探してくれた。前の世界ではその手法まで開発し、この世界では神崎を救う手立てを与えてくれた。
「アイツはいい奴だろ?」
「もちろん。悪友ですから」
石川先生はちょっと驚いたように俺を見て、それから口元だけに小さな笑みを浮かべた。
「神崎のおかげで出来すぎなくらい悩みが二つ解決した。それで安心してた矢先、神崎が入院したって連絡が入って、全部神崎に投げ出しちまった罰なのかなって考えて」
「神崎は、押し付けられたなんて思ってませんよ」
「わかっちゃいるけど、教師も人間なんだ。ついそんなことを考えてたらいてもたってもいられなくなって、意味がないってわかりながらも学校の周り行ったり来たりして。そしたら、お前が急に学校から出てきたわけだ。オー研の部室が明るかったし、どうせ筑後も中にいたんだろ?」
「……筑後は俺が巻き込んだだけです」
「別に、怒りやしねえよ。お前らが無駄にそんなことするとも思えねえし。お前が神崎のところへ行きたいって騒いだとき、何となく納得しちまったんだ」
さて、と石川先生が改まって俺を見る。
「見えてきたぞ。ところで、どうすんだ。面会時間も終わってるだろうし、神崎のところまで行く当てはあるのか」
そう言っている間にも病院の夜間入口の辺りの駐車場に、病院に不釣り合いなゴツイ車が滑り込んでいく。
「先生」
「おう」
「時間稼ぎ、お願いします」
「あん?」
助手席のドアを蹴り上げるようにして開き、病院に向かってダッシュする。
「おい、お前。正気かよ!」
「俺、石川先生のクラスでよかったです!」
「決めたぞ! 宮入、お前だけは補習だからな! 絶対神崎を連れ帰ってこい!」
頭をガリガリとかきながら車を降りてきてくれた石川先生の姿を確かめて、俺は勢いそのままに病院内に駆け込んだ。




