第6'章 ワンモアタイム ワンモアチャンス②
「遅いっ!」
病院を出て研究室に向かうと、腕を組んでご立腹な時乃が待ち構えていた。
腕時計を見るとまだ予定の時間まで余裕があるはずだけど、そんな俺の仕草を見た時乃はため息をつく。
「……まあ、いいわ。それで、ちゃんとお別れできた?」
「ああ」
「誰も見てないからって変なことしてないでしょうね」
「しないって!」
必死に否定する俺が面白かったのか、時乃は勝気な笑みを浮かべながらくつくつと笑う。
ちょっと釈然としない思いもあったけど、息をついて受け止める。俺が弱気にならずにここまでやってこれたのは、いつも前へ前へとグイグイ突き進んでいく時乃が傍にいてくれたおかげだったと思う。
「じゃあ、そろそろ行こっか。準備はいい?」
時乃は返事を待つことなく俺の手を取ると、研究室の外へと向かっていく。
その手にはいつになく強い力が込められていた。それでようやく時乃が怒っていた理由に気がついた。
今日でお別れなのは神崎だけではない。だから、時乃は早めに研究室で待っていてくれたのだろう。
「ごめん、時乃」
「何が?」
「最後まで待たせっぱなしで」
隣に並ぶ時乃は俺に一瞥をくれると、握りしめた手に力を込めた。
「ずっと昔言ったことあったと思うけど、わかってた。私はきっとこんな役回りなんだって。それでも、一度も後悔なんてしたことないから」
いつも、どんなところからでも。時乃は俺のところへ駆けつけてくれて。一歩先を進んで俺に向かって手を伸ばしてくれた。だから、諦める事無くここまで走り続けてこられた。
時乃とともに研究機関の建物内を進み、隣の建物にある実験室に到着する。
実験室の中に入ると、白衣の男性が振り返って緊張感の混ざった笑みを浮かべた。
「宮入君。いよいよだね」
「筑後、準備は?」
「バッチリだよ。と、言っても、事前実験のできない一発勝負だけどね」
神崎が“呪い”によって眠りについた後、俺は時乃と筑後には本当のことを話した。
あまりにも荒唐無稽な話だから、気が狂ったと思われても仕方ないと思っていたけど、二人とも神崎にどこか不思議な雰囲気を感じていたらしく、思っていたよりずっとすんなりと俺の話を受け入れてくれた。
「長かったな。これまで」
この二十年近く、三人四脚でやってきた。
俺が“呪い”と呼ばれた風土病に関する研究を進める一方、時乃と筑後は神崎がこの世界にやってきたタイムトラベルについての研究を進めてくれた。
時乃は波動理論について、筑後はゼロ・ポイントと呼ばれる領域を通じた別の世界への移動について、今では最先端の研究者になっている。もちろん、それには神崎が残してくれた論文の力も大きいのだけど。
その集大成が、今日この日だ。
筑後の傍らには、人間の情報を波動記録としてゼロ・ポイントを通過させ、疑似的なタイムトラベルを行うための試作機が置いてある。
「始めよう。ツーダッシュプロジェクト、最後の仕上げだ」
俺の言葉に時乃と筑後は頷いて、試作機の最後の点検に移る。
これまでの実験は順調にいったけど、問題もあった。それは、別の世界に飛ばした記録が狙い通りの次元――物理的な位置と時間に辿り着いたのか、最終的な精度の検証は出来ていない。特に時間の方は若干の誤差が出ている可能性が高かった。
理論的には穴はないはずだけど、その誤差がどんな影響をもたらすかわからない以上、誤差を減らすためにできることは最後までやっておきたい。
「本当にやり直しのポイントは私たちが“呪い”にかかったタイミングでいいの?」
試作機のパラメータの最終チェックを進めながら、時乃が俺に向かって尋ねる。
「もっと昔にさかのぼれば、翔太のおじいちゃんやお父さんも救えるかもしれない」
それは確かに考えたことはあるけれど、首を横に振る。
神崎は8月に起こるはずだった俺と時乃の呪いに備えて、半年前からタイムトラベルをしたらしい。だけど、世界がAからA´に移り、そこに神崎というイレギュラーが加わったことで、神崎が知っている世界とは異なる動きを見せる事態となった。
「向こうについてからも、一発勝負だからさ」
人間の情報を波動記録として出力し、別の世界に飛ばす。それができるのはどうやら一回限りらしい。二回目以降は元の情報を正しく飛ばせる保証がないというのが、筑後が突き詰めた結論だった。それは技術的な限界というより、非科学的かもしれないけど世界の理のような気もする。
「できるだけイレギュラー要素は少なくしたい」
俺という異物が世界に紛れ込んだ時、徐々に世界は俺が知るものから離れていくのだろう。だから、俺が向かう先は深安山に時乃が向かったあの日。そこで“選択”をやり直す。
「だから、まずは何が何でも、世界から神崎を奪い返す」
この世界で俺は無我夢中で時乃を助けに行ったけど、神崎の言葉に従って雨が止んでから助けに行く。それで、時乃を呪いから救いつつ、神崎が呪いに罹ることも無くなるはずだ。あるいは、神崎にわけを話して俺が二人分の治療薬を持って時乃を助けに行ってもいい。そのどちらを選ぶかは到着した時間や場所などによって臨機に対応する。
「それにさ。じいちゃんと父さんが亡くなってから、時乃がずっと一緒にいてくれたこと、なかったことにはしたくないんだ」
もし祖父と父さんを救うところまで遡って上手くいったとしても、俺と時乃の関係はもっと希薄なものになってしまうかもしれないし、神崎とは出会うことすらないかもしれない。
「はあ……。遅刻するからにはちゃんと助けてあげてね、私のこと」
パラメータの調整を終えた時乃が近寄ってきて、俺の背中をバンッとはたく。
息が詰まるくらい痛かったけど、これが時乃なりの背中の押し方。苦笑が浮かぶのを自覚しながら筑後の方へと向かう。
「はい、宮入君。かぶってみて」
筑後から手渡されたヘッドセットを身に着ける。これが俺の情報を書き出すためのセンサー部分となる。寸法も俺の頭に合わされて作られていたから、寸分のずれもなくしっかりと収まった。
「大丈夫そうかな?」
「付け心地はバッチリだな」
緊張した面持ちの筑後に笑ってみせる。どっちみち、ここから先は筑後の領域で俺は身を任せるしかない。筑後の顔にはまだ緊張が残っていたけど、硬い頬に笑みを浮かべた。
「高校の時はタイムトラベルに関するオーパーツを調査してたのに、本当にタイムマシンを作っちまうとはな」
「みんなのおかげだよ。僕一人だったこうはいかなかったし……そもそも、坂巻山の鉄砲水に巻き込まれてたかもしれないんだから」
筑後が差し出してきた手をしっかりと握りしめる。
「神崎さんは命の恩人で、僕の先生でもあるから。これが僕にできる最大限の恩返し」
「向こうの神崎にちゃんと伝えとく」
「うん。よろしくね」
「ああ、それから」
言葉を続ける俺に筑後は首を傾げた。
「悪かったな。オーパーツ研究会に入った時タイムトラベルを疑ったりして」
少しだけきょとんとしてから、筑後はふわりと笑顔を浮かべて首を左右に振った。
坂巻山で交わした約束。筑後はちゃんと果たしてくれた。だから、ここからは俺が頑張る番だ。
筑後の手を離して、深呼吸をする。この世界の俺はここで終わる。
この世界が神崎の生み出したA´の世界なら、これから向かうのはA’’の世界。
ヘッドセットが接続されたチェア型の装置に腰を下ろす。
「ありがとな。時乃、筑後」
俺の前に立つ時乃と筑後を目に焼き付ける。
「行ってらっしゃい、翔太」
時乃の声とともに装置が稼働すると、意識が吸い上げられるような浮遊感に満たされる。
次の瞬間、眩い光に包まれ、続いて闇の中に落ちていった。




