第5'章 turning point③
もしかしたらと思って祖母の家に寄ってみたけどそちらは空振りだった。そのまま時乃が言っていた河川敷に着くころには、空は雀色に染まりつつあった。
神崎はまだいるだろうか。河川敷を見下ろすようにしながら土手を自転車を漕いでいく。坂巻山での鉄砲水だったり、深安山の雨だったりここ最近は水に関する碌な記憶がないせいか、嫌な予感がジワジワと湧き出してくる。
「いたっ!」
川沿いにだいぶ上っていったところで、河川敷から川を望むように設置されたベンチに神崎が座っていた。土手から河川敷までは道はなかったけど、一気に自転車で駆け下りる。そのまま自転車を乗り捨てるようにして、神崎の元へ向かう。
途中で俺に気づいた神崎が立ち上がり逃げ出そうとしたけど、どうにかその前にその腕を捕まえる。こころなしかその腕はどこか熱っぽかった。
「神崎、何で逃げんだよ!」
「どうしてっ!」
神崎が叫びながら俺の腕を振りほどこうとする。こんな風に取り乱す神崎は初めてで呆気にとられそうになるけど、その腕は絶対離さないようにする。
「私のことなんてほっておいてくれればいいのに! なんで探しに来ちゃうの!」
神崎のどこか悲痛な声の理由がわからない。だって先週は祖母の家まで来て、カップケーキなんて作って雨に滅入る俺のことを励ましてくれて。
そんな神崎の中でどんな変化があったかはわからないけど、唯一ハッキリわかってることがある。
この腕は、離しちゃいけない。
「神崎!」
怯んだように神崎がビクリと震える。短い呼吸を繰り返す神崎に、できるだけ落ち着いて笑いかける。
「なあ、神崎。腹減らないか?」
「え」
「おはぎ、持ってきたんだけど」
神崎が目をパチクリさせて、力が抜けたようにゆるゆるとベンチに座り込む。しばらく地面をじっと見つめてから俺を見上げた神崎の顔には、ちょっとだけ不器用な笑みが浮かんでいた。
「……食べる」
神崎の隣に腰を下ろして、鞄からラップにくるまれたおはぎを二つ取り出す。一つを神崎に手渡すと、神崎は早速おはぎにかぶりついた。スンと鼻をすする音がする以外、神崎は黙々とおはぎを食べ進める。
神崎に倣っておはぎにかぶりつくと、さっぱりとした甘さともちもちとした食感が口いっぱいに満たされる。甘いものが得意ではない俺のために工夫された味付けだった。二人で黙って橙色に照らされた川の水面を見ながらおはぎを食べて、ほっと一つ息をつく。
「落ち着いたか?」
「うん……。取り乱してごめん」
神崎は笑おうとするけど、あまり上手くいかないようだった。また一つ鼻をすする音。
「でも、どうしておはぎなの?」
「この前、神崎がコーヒーのカップケーキ作ってくれただろ? あれでばあちゃん、お菓子作りに目覚めたみたいで。俺って全然甘い物食わなかったけど、旨そうに食べてるの見てビックリしたらしい」
神崎が立ち寄ってるかもしれないと思って祖母の家に行ったとき、本来の目的は不発だったけど、ちょうど仕上がったところだと言って祖母からおはぎを二つ持たせてもらった。それどころじゃないと思ったけど、ほっと顔を綻ばせる神崎を見ると今は感謝しかない。
「なあ、神崎。今度土曜日、どこかに遊びに行かないか?」
「えっ……」
神崎の見開かれた瞳は小さく震えていた。
「そんな、駄目だよ。時乃ちゃん、一生懸命試料取りに行ったんだから。ちゃんと約束守ってあげないと」
「だからさ、時乃と三人で。これ言い出したのは時乃なんだよ。さっき、深安山での出来事、俺が知ってることは全部時乃に話してさ」
あの日、深安山の社で時乃が倒れていたこと。苦しそうにする時乃に俺は為す術がなかったところに神崎が助けに来てくれたこと。時乃を苦しめた者の正体が“呪い”であって、神崎が持っていた薬のおかげで無事に帰れたこと。
時乃からは、めちゃめちゃ怒られた。
なんでそんな大事なこと黙ってたんだって。そんなのなかったことにして遊びに行けるはずないだろって。全部信じて受け入れて、時乃は全く迷わなかった。
「三人で試料を取りに行ったのなら、三人で遊びに行くべきだって。知ってるだろ、神崎。時乃はそういうやつなんだよ」
神崎の瞳は水面のようにゆらゆら揺れる。
その口が小さく開かれて、またギュッと結ばれた。膝に手をついて俯く神崎の肩が震える。
「ダメだよ……」
「俺も時乃も、神崎に来てほしいって思ってる」
「ダメ。私にはそんな資格、ないよ……」
「資格なんて、そんなの必要ないだろ」
がばっと顔を上げた神崎の瞳からハラハラと涙が零れ落ちる。ゴシゴシと手の平で拭うけど、涙は後から後から溢れてくる。神崎の膝に大粒の雫がポタリポタリと落ちていくのをじっと見守ることしかできなかった。
「私は、ずるい人間だから。選択を一つやり直したら、宮入君と時乃ちゃんの間に入れるかもしれないって考えた」
――昔から今まで人は変わらず時を行き来することに憧れを抱いてたんだなあって思うとワクワクして。
部室で効いた筑後の言葉を思い出す。もう一度あの時の選択をやり直したいという思いは昔から今まで変わらなくて、もしかしたら未来でもずっとそうなのかもしれない。
「でもね、そんなの間違いだった。この前、宮入君が危険を冒してでも時乃ちゃんを助けに行く姿を見たときに気づいちゃった。私なんかが二人の間に入り込んじゃいけないんだって」
「なあ、神崎」
そんなことあり得ないって思ってた。未だに信じ切ることはできていない。
だけど、目の前の神崎が嘘を言っているようには見えなかった。なら、理屈とか常識じゃなくて、俺は神崎を信じたい。
「お前は、未来から来たのか?」
「……そうだよ。正確にはこことは少しだけ違う世界から来たの。信じられないと思うけど」
「いや、信じる」
神崎は最初から俺と時乃のことを知っていて、坂巻山で鉄砲水が出ることを知っていて、呪いの正体と特効薬の存在まで知っていた。それどころか、俺の味の好みまで知ってるんだから、未来では結構親しい間柄なのかもしれない。
「神崎はさ。俺と時乃のこと、助けに来てくれたんだろ?」
神崎はうつむきがちのままこくりと首を縦に振る。転校してきて早々に呪いの場所から試料を集めて、ちょうど二人分用意していた特効薬。転校初日の通学中に俺と出会ったこと、同じクラスになって隣の席になったこと、帰り途中で俺を見つけて祖母の家まで一緒に行ったこと。
どこまでが偶然でどこからが必然だったのかはわからないけど、そうやってずっと先週の出来事に備えてくれていた。
「私がやるべきことは終わったから。宮入君は元の世界でできなかったことを……時乃ちゃんと、幸せに生きて」
「……神崎」
うつむいたままの神崎の両頬に手を当てて、ちょっと無理やり顔を上げさせる。真っ赤になった目が俺から逃げようとするけど、真っすぐとその目を見つめる。こんな風に人の目を見るのは初めてで、神崎の目は不安げに揺れているはずなのに、ぼんやりと浮かんできたのは綺麗な瞳だなとかそんなことで。
「今度の土曜日、どこ行きたい?」
「なんでっ……!? 私は未来の知識を利用して、私のわがままで二人の間に……」
「未来から来たとか、信じるって決めても正直よくわからないからさ。結局、神崎は神崎だし。だいたい、神崎みたいなやつを忘れられるはずないだろ」
神崎の瞳に再び大粒の涙か浮かぶ。
「ねえ、いいの? 私はこの世界にとって異物みたいなものだけど、ここにいて、本当にいいの?」
「何言ってんだよ」
殆ど無意識に神崎の頭の上に手を乗せていた。
ここ数日、神崎から避けられたように感じただけで落ち着かなくなってしまったんだ。
神崎がいる生活の方が当たり前で、一緒にいてほしいと思っていた。
「もうさ、神崎がいない日常の方が考えられないんだ」
神崎が出会ってから一番大きくて綺麗な笑顔を神崎が浮かべた。
涙を湛えた瞳が夕日に照らされてキラキラと光る。
「ありがとう。宮入く、ん……」
ガクリと神崎の体から力が抜けた。
倒れ込む神崎を支えると、触れた部分が凄い熱を持っている。胸元の神崎は苦しそうに荒い息をしていた。
その症状を、俺は知っている。そんな、嘘だろ。
「神崎……?」
ひゅーひゅーと口から空気が行き来する音だけで返事はない。
微かに光り輝いた世界が一瞬で暗がりに落ちていく。
「神崎……おい、嘘だろ神崎!」




