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君がいる世界を僕は必ず奪取’する  作者: 粟生深泥
第4章 選択の刻
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第4'章 選択の刻②

 最初に訪れた店にはマフィン型は置いてなくて、結局そこからもう一件遠くの店まで足を延ばして、ようやく見つけることができた。遠回りしているあいだ、雨は相変わらずざあざあと降りすさび、合羽を着ていても雨と汗でぐっしょりだった。

 ようやく祖母の家に辿り着き、自転車の軒下に避難させる。雨が降り続くなら着替えるだけ無駄かもしれないけど、せめてタオルくらい借りよう。そんなことを考えながらドアを開けた途端、甘い香りが仄かに漂ってきた。全く、そのせいでこっちは濡れネズミになったというのに。


「ばあちゃん。なんで急にお菓子なんて――」


 マフィン型を入れた袋を取り出して台所に向かうと甘い香りが強くなる。だけど、そこにいたのは祖母だけではなかった。三角巾をした神崎が俺に気づくと、チョコクリームがついた鼻の頭をぬぐってニッと口角をあげた。


「神崎、なんでここに」

「まあまあ、お客さんはゆっくり座ってなさいって。あ、それっ。型ありがとね! 後から用意してないことに気づいて困ってたんだ!」


 神崎は未だに状況を飲み込めないでいる俺の手からマフィン型を受け取ると、俺を居間の方に押し出していく。ばあちゃんはばあちゃんで俺を見ながら犬を追い払うみたいにしっしっと手を振っていた。

 仕方なくタオルだけ勝手に借りて居間に戻り汗と雨を拭っていく。

神崎がここで何やらお菓子を作っている意味が全くわからなかった。台所に続く扉はピシャリと閉じられてしまい様子を伺うこともできない。今は待つしかないらしい。


「ん、これって……」


 机の上に神崎のタブレットが置かれていた。何かレシピでも調べていたんだろうか。

 少し罪悪感を覚えながらも、好奇心に抗えずにタブレットに手を伸ばす。先月坂巻山に行った時、神崎はタブレットを見てから鉄砲水のことを言い当てた。あの時、いったい神崎が何を見ていたのかずっと気になっていた。

 念のためもう一度台所の方の様子を見るが、ドアの向こうはまだバタバタとしているようだ。お菓子作りには詳しくないけど、今すぐオーブンで焼き始めたとしてももう少し時間がかかるんじゃないだろうか。

 ロックがかかってたら諦めようと思ったけど、タブレットの画面はすんなりと表示された。レシピサイトでも出てくるかと思ったけど、画面に写っているのは新聞記事の切り抜きだった。部活動中の高校生が水難事故で亡くなったという記事。思わず眉をひそめてしまう。どうして神崎はこんな記事を見ていたのだろう。

 ページをスライドさせてみると、新聞記事以外にも雑誌の記事とかニュースのキャプチャーみたいなものが雑多に並んでいた。スクラップブックみたいなものかとも思ったけど、そもそも画像がバグっていて読み取れないページも少なくない。

 内容も様々でニュース記事とか地域伝承、それにSFのフレーズみたいなものまで、まるで統一感がない。中でも一番多かったのは難しそうな用語の並ぶ論文だけど、それが何について書かれたものなのかはタイトルを見ても想像することさえできなかった。

 そのままパラパラとページをスライドさせていくと、見知らぬ単語が並ぶ雑誌の表紙が映し出された。何かの専門誌のようで、なんとなくやり過ごそうとした瞬間、そこに刻まれていた文字に目を疑う。


『波動記録の多元転移理論の第一人者、宮入博士が抱える心の傷。かつて宮入博士の傍にいた大切な存在とは――』


 宮入博士。

 いや、別に宮入なんて苗字は俺の周りだけじゃないだろうし、偶然だろう。それにしても趣味の悪い見出しだと思う。専門誌というよりゴシップ誌みたいだ。

 それなのに、なぜか引きずり込まれるようにその表紙に見入ってしまう。そうして隅々まで見ているうちに、“それ”に気づいて体が固まった。

 その雑誌の発刊は六月。だけど、それは昨日今日じゃなく、今から十年以上未来の6月だった。慌ててページを巻き戻す。断片から読み取れた範囲だけど、最初の高校生の事故の記事から十年くらいの内容が並んでいた。それは先月位から十年くらい先までの記事。


「何なんだよ、これ……」


 未来の雑誌や新聞を想像して創られた企画ものだろうか。それにしても意味が分からないし、途中でいくつかのページの内容を欠損させる理由もないはずだ。

 だとしたら、本物? いや、落ち着け。未来の新聞や雑誌だなんて、その方がありえない。

 目の前の存在への解釈を悩んでいるうちに、台所の方がバタバタとし始めた。思考がぐるぐると際限なく渦巻く中、とりあえずタブレットを元の位置に戻す。その直後、居間と台所を遮っていた扉が開いて甘い香りが部屋を包んだ。


「できたっ!」


 神崎がお盆に乗せてもってきたのはほんのりと香ばしい色のクリームで彩られたカップケーキだった。甘さと香ばしさが鼻をくすぐる。神崎の顔はワクワクとしていて、尻尾でもついていたらブンブンと左右に振られていたと思う。


「これは……?」

「いいからいいからっ! 食べてみてっ?」


 神崎が笑顔でグイっとフォークを差し出してくる。その人差し指に絆創膏が巻いてあるのが見えた。神崎の勢いのままフォークを受け取って、カップケーキを一欠片食べてみる。

 さくり。ふわり。


「おっ、うまっ」


 甘さとほろっとした苦さのバランスがちょうどいい。クリームからも生地からもほんのりとコーヒーの風味を感じる。昔から甘さが強いお菓子は苦手なのだけど、このカップケーキの味わいは甘すぎずちょうどよかった。雨の中自転車を漕いで疲れていたせいか、そのまま夢中で食べ進めて、気がついたらカップケーキはなくなっていた。

 甘いものを食べたせいか気分が少し落ち着く。連日の雨で落ち込み気味だったり、さっきのタブレットの件でかき乱されていた精神が人心地つけた。


「ね、ね。どう、おいしかった?」


 見ればわかるけど、と聞く前から嬉しそうな神崎に対して頷く。


「悔しいけど、うまかった」


 神崎がお菓子作りをできるのは予想外だった。まあ、料理は化学だって言葉も聞くし、部室でフラスコを振っている神崎ならお茶の子さいさいなのかもしれないけど。それにしてはカップケーキ作りで人差し指に絆創膏を巻く羽目になった理由が気になるけど。

 それにしても、味のバランスが好みにドンピシャだった。そもそも俺自身がこういった味が好きだということを今初めて知った。


「カップケーキにコーヒー入れるのって普通なのか?」

「おばあちゃんに聞いたら宮入君は甘いお菓子が苦手だっていうから。もしかしたらこういう方が好きかもって思って」


 その言葉に台所の方を見ると、祖母がカップケーキの余りに手を伸ばしながら意味ありげな視線を投げかけてきていた。さっき祖母が俺に対してしてきたみたいにしっしっと手を振ってあっち向いてろと合図を送る。

 すっと神崎は俺に顔を寄せてきた。いつの間にか神崎の表情には不安のようなものが滲んでいる。


「どうかな。少しは元気出た?」

「元気?」


 別に俺は筑後と違って健康体だけど。そんなことを考えていたら、こつんと額を指で小突かれた。神崎がムッとした感じで少し頬を膨らませている。


「宮入君、自分で気づいてないなら相当だよ。ここのところすごいヒドイ顔してたんだから」

「俺が、か?」


 雨で気が滅入っていたのは確かだけど、外から見て気づけるほどだとは思っていなかった。神崎はやれやれとため息をつきながら自分の分のカップケーキを口に運び、んーっと頬に手を当てた。


「まあ、今は少しマシな顔してる」


 神崎の顔はやたら得意げだったけど、カップケーキが美味しかったのは間違いないし黙ってうなずく。なんか神崎の顔の得意げ具合が二割り増しくらいになった。


「これからしんどい時はさ。表情だけじゃなくて口にも出してね」

「……わかったよ」


 どうせ心配をかけてしまうのなら、最初からちゃんと相談した方がお互いのためにいいだろう。それに、さっきのカップケーキはまた食べてみたい。

 俺の答えに神崎の顔がにへらっと崩れる。ああ、もう。何かあったら相談するって言ってるだけなのに、どうしてお前はそんなに嬉しそうにするんだよ。


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