Chapter 3 『行方不明』と
お久しぶりです。
随分と時間がかかってしまいましたが、夢の続きです。
私のみた夢は、もう少し続きます。
どうかお付き合いいただけると嬉しいです。
今でもずっと、あなたの一言をお待ちしています。
「『神返し』ってどういうこと?」
「『神隠し』を文字ったものらしいよ。行方不明になったもの━━━━━━━神隠しにあったものが帰ってきたから『神返し』なんだって」
例の事件の翌日、黒縁と白瀬は地研の部室で昼食をとっていた。白瀬はもともと川望との昼食の予定があったが、部室にいなければ連絡も通じず、だからと言って彼女の教室に向かおうとも思えなくて、地研の部室にいる旨を連絡してから黒縁と会っていた。
話題はもちろん、昨夕起きた事件━━━━━━━言葉を借りるなら『神返し』についてだ。
「なるほどね」
白瀬が学食で買ったおやつをつまみながら窓の外を見る。手前にはグラウンドがあり、その奥には道路を挟んで海が広がっている。遠くの小さな灯台からは小道が海を沿うように学校へ伸びており、それを目で追って、昨日手紙を拾った場所が目についた。
「写真、消しゴム、ぬいぐるみ、栞、ハンカチ。本当にいろんなものが回収されているみたいだよ」
紙パックのリンゴジュースからのびたストローに口をつけながら、スマートフォンをスクロールしていた黒縁が呟く。
顔を寄せて見てみると、画面には先ほど挙がったものに加えて『トロフィー』や『財布』などの様々な物品がリストアップされ、おそらく発見場所だろう、そのいくつかの隣に住所が書かれていた。
「何これ」
「『神返し』の物品のリストだよ。…ちょっと前に話した『物部』って覚えてる?」
「あぁ、あの『知る人ぞ知る学校の掲示板』ってやつ?」
「そんな話だったっけ?」
黒縁が苦笑した。
『物部』は北湘高校で密かに語り継がれる匿名掲示板だよ、と以前彼が話していたのを白瀬は思い返す。
それなりに有名である一方で、その存在を信じている生徒はほとんどいない。
存在が都市伝説化しているのが現状だが、そのいくつかの理由の一つがアカウント制限だと聞いている。
このサイトはかつてのパソコン部の部長が試験的に作ったものらしく、元々は部内のやり取りで使われていたようだが、その名は部の垣根を超えて生徒間で瞬く間に広がっていったようだ。次々に生徒がアクセスし始めてまもなく、その噂は当然教員たちの耳にも入った。
何か問題が起きる前にと厳しく規制がなされ、管理者である部長もそれに応じた。結果、サイトは調べても出てこず、アクセスすることができなくなったという報告が相次いだ。
けれど、それはあくまで表向きの話だったようだ。
実際にはサイトの名前が変更され、アクセス権限が当初のパソコン部員数に縮小されただけで、サイト自体はひっそりと存在していた。
アカウント数は全部で推定十六つ。そしてそれは、これまで先輩から後輩へと年代を超えて引き継がれ続けていると言われている。黒縁の口ぶりを聞くに『物部』にアクセスする方法はアカウントの引き継ぎを除いて他になさそうだ。
「『物部』にはいろんな噂話や情報が流れたりするんだけど、今回は誰かが『神返し』について詳しく調べてまとめているみたいだね。ここに書かれているのは物品と、それが発見された場所らしい」
「誰かって、誰?」
「わからないよ。匿名掲示板だから」
面白いことに、名前はおろか性別も年齢も知ることができない状況では自然とコミュニケーションは生まれないようだった。普通のネット掲示板ならともかく、全員が学校関係者だという前提があれば話は違うのだろう。
もちろん書き込みはあるけれど、そこに個人を特定できるような具体性はない。
普段の学校生活で思うこと。誰かの恋の噂。ごく稀にテスト問題のリークさえも起こる。
書き込みの内容は雑多で価値の有無は折々だけれど、誹謗中傷のようなネガティブな情報や、情報自体が悪用された例を黒縁は見たことがなかった。気が向けば書き込み、利用者は流れてくる情報をただ静かに受け取って、それでおしまい。そんな、ささやかな秘密基地のようなコミュニティを彼は気に入っているようだった。
「今のところ個人を特定できるような書き込みはないけど、僕がこのアカウントを部長から引き継いだみたいに他の人も誰かから引き継いでいるはずだよ。これまでの書き込みはある程度見ることができるから、アカウントによっては人物像も特定できそうな気がする」
そもそも地研部の部長である拝田先輩がなぜアカウントを所有していたのかについては知らないけれど、特段気になることでもない。
ただ、部長全員がアカウントを持っていると仮定しても納得のできる節はある。北ヶ浜高校の部活動の総数は十五。大体数は合う。
「まぁそんなことしなくても、ある程度は人物の目星がついているけどね」
「じゃあ、それは誰なの?」
「水倉さん。ほら、新聞部の」
名前を聞いてもピンと来なかったが、新聞部と言われて思い当たる。
新聞部副部長の水倉 拓人。
この前新入生のための部活動紹介で登壇していた同級生の男の子だ。別の中学校から来た子で、クラスが被ったこともないので話したことがない。
「彼だと断定はできないけどね。でも現状『神隠し』について一番情報を持っているのはきっと新聞部だ。君が来る前に新聞部の子が質問しにきたよ。『貴方はどこで何を拾いましたか?』って」
それから少し意地悪な笑みを浮かべて「ちょっとイタズラしてみたから、掲示板にどう掲載されるかで水倉さんかどうかがわかるよ」と続けた。
相変わらず不思議なことをするな、と白瀬は思う。言葉を選ばなければ、彼は小さな頃からずる賢かった。盤外戦術なんて言えば聞こえは悪いけれど、一見無関係な一手で彼は正解を手に入れてしまう。正攻法よりも裏でこそこそ企む姿の方が彼にはずっと似合っている。
“イタズラ”について詳しく聞こうとした白瀬だったが、それよりも先に口を開いたのは黒縁だった。
「そう言えば、進路希望はどんな感じ?目指している大学は変わらないんだっけ」
「まぁ、ね。…日向は?」
「今のところは僕も変わらないよ。背伸びはしてみる予定だけど、きっと来年の今頃には足を痛めてる。それに、背伸び以外にも高いところに手を伸ばす方法はいくらでもあるしね」
今のところ、白瀬は大学受験を予定している。この街を離れて東北の大学に行くつもりだ。そこは両親が出会った大学でもあり、幼い頃からの憧れの場所でもある。
一方で黒縁も大学への進学を志望しているが、希望しているのは指定校推薦のようだ。その大学は過去に二度だけ指定校として名前が挙がったが、以降は音沙汰がない。ただ、先生との何度かの面談を経て、その学校が来年━━━━━━━つまり白瀬たちの受験期に指定校として名前が挙がることが決まりそうなのだという。一体どんな手を使ったのかはわからないけれど、何にせよ黒縁らしい一手ではある。
「じゃあ高校を卒業したら離ればなれだね」
「遊びには行くよ。東北には美味しいものがたくさんあるから」
「本当?この前行った時は寒いってほとんど部屋にいたじゃん」
「この前って小学生の時の話でしょ。四葉先生にお土産を買った憶えがあるけど」
「…そういえば、そうだ。嘘でしょ、中学生の時だと思ってた」
四葉先生は小学生の頃の担任教師だ。黒縁の提案で彼女にお土産を買っていったことを思い出す。時間が経つのはずっと早い。本当に、色々なことを忘れてしまっている。
当時を思い出しながら白瀬が続ける。
「思えば小学校の頃のことなんてほとんど覚えてないな。なんだかんだで街を離れる子も少なくないし」
「楽しかったのは覚えてるけどね。まぁそれとは別に、君には随分と酷い目に遭わされた」
「そんなことないでしょ。日向だって『冒険』楽しんでたじゃん」
「君を助けに僕が海で溺れかけたの覚えてる?あれが楽しそうに見えたの?」
「ごめんって。あの件はもう謝ったじゃん」
「直ってなければ意味ないでしょ。この前は校舎裏の杉の木に登ったって聞いたよ」
「…あぁ、猫を助けに行ったやつね。久留米ちゃんから聞いたの?」
「ほぼほぼ苦情だったけどね。高いところに登るならせめてスポーツウェアを着させろって」
「なんで日向に」
「別に久留米さんのは今に始まったことじゃない」
彼は大きくため息をついて、それからジュースに口をつけた。窓から入ってきたそよ風が彼のそばのカーテンを揺らす。
その横顔が、不意に忘れていた記憶に重なった。
「でも結局、一番迷惑をかけたのは日向じゃなくてお兄さんだったよね」
「…お兄さん?」
日向が首を傾げた。
「え、忘れちゃったの?名前は覚えてないけど、よく一緒に遊んだじゃん。困った時は助けてくれたでしょ」
「どんな人?」
「どんな人って言われてもねぇ」
小学生の頃のことはほとんど覚えていない。多くのことを経験して、同時に多くのことを忘れている。けれど。
「北湘の制服を着てた」
北湘の制服を着て、浜辺に立っている姿を思い出す。記憶の中のその景色で、日はすっかり傾いている。あれは、そうだ。私が海で溺れかけた日のことだ。
「そう、私が溺れかけた日のことだよ。日向が助けに来てくれて、それからお兄さんが━━━━━━━」
それから。
そこで思考は止まった。
二人の間の沈黙は一瞬だった。記憶だけが頭を凄まじい速度で駆け巡って、思考を埋めた。
「そうだ」
その言葉は、溢れた。
「助けに来たのは日向だけじゃなくて━━━━━━━」
「━━━━━━━お姉さんだよ」
紡ぐように、黒縁が言った。
けれど、白瀬はその言葉を聞いてはいなかった。白瀬は、記憶に埋もれていた。
思い返す。
白瀬は浜辺で海を見て呆けていた。横には黒縁が並んでいる。二人とも息は上がっていて、先ほどまでの恐ろしい記憶の輪郭を撫でていた。
白瀬は海を眺めていた。雄大で、穏やかで、それでいて強大な自然の一端を眺めていた。
でも、黒縁は違った。
彼は、女の子を眺めていた。
制服のままずぶ濡れになって、それでもなお笑う彼女の姿を。
黒縁が繰り返す。
「お兄さんじゃなくて、お姉さんだ。君を助けたのは」
「…そうだったね。なんで忘れてたんだろ」
多くのことを忘れてしまっている。どうしようもないことだとしても、記憶の不完全さや脆さに、ふと白瀬は怖くなった。
それを察したのか、不安を拭うような優しい声で黒縁が呟く。
「仕方がない。誰だって大事なことを覚えていられるわけじゃない。それに、あの瞬間は取り留めのない人生の一端だよ。通学路にある自動販売機の色だとか、宿題を忘れた時の言い訳だとか、そんな人生の風景や出来事を憶えていられるように僕らの脳はできていない」
「でも、なんだか少し悲しいよ。お姉さんもいつからか会わなくなっちゃったし。そばになくなるだけで何か忘れてしまうのは、なんだか怖い」
そよ風は優しくカーテンを揺らして教室を抜けていく。春はまだ始まったばかりで、日は暖かくても風は少し冷たい。
白瀬が机に腕を組んで伏せる。そこから見上げた黒縁は少し背が高くて、何か考えているような顔つきと合わせて普段よりも大人びて見えた。
「だから、大事なんだ」
「ん?」
「物だよ。写真とかがそうであるように、物は過去と結びつく。きっと今回の『神返し』はいろんな人が、いろんなことを思い出したはずだ」
机に置かれた黒縁のスマホは、今も『神返し』の物品リストを更新し続けている。
トロフィー。絵本。記念コイン。手紙。キーホルダー。何かの鍵。
その多くが過去を孕んでいて、思い出を語る。いつか失ったものが、再び記憶を呼び覚ます。
『神返し』の静かな夜はきっと、多くの人が過去と向き合ったのだろう。
あの日はそんな夜だったのだと、白瀬は思った。
黒縁とはそのあと他愛のない話を少ししてから別れた。部活のことだとか、道中見かけたタンポポの綺麗な花壇だとか、取り留めのない話ばかりだ。
彼は白瀬の『神返し』には触れなかった。意図してだろうと、白瀬は思う。
彼は『神返し』を繊細なものとして扱っているようだ。先ほどの話を聞くに、その多くが思い出に直結しているからだろう。人の過去を暴き立てるようなことを、必要でない限り彼はきっとしない。だから白瀬自身も彼が拾ったものについては触れなかったし、変に憶測を立てるようなこともしなかった。
白瀬は手紙を拾った。小学生の頃に無くした、彼からの手紙だ。記憶違いで言えば手紙の送り名が『日向』でなく『黒縁』だったくらいで、ライオンのステッカーで封がされているところを含めて寸前に夢で見た通りだった。
随分迷ったけれど、まだその時でない気がして、結局開封はしなかった。
『神返し』は明らかな異変で、奇跡とも言える現象で、いうまでもなく特別な出来事だ。だから、手紙を開けるべきタイミングは目に見えてきっと訪れる。
そんなことを考えながら、白瀬は眺めていた手紙を鞄にしまった。
その手紙の横でスマートフォンが通知を告げる。それに白瀬が気づいたのは六限目の授業を終えてのことだ。
一件。川望より。
━━━━━━━━「先輩は、『北ヶ浜灯台の少女』を知っていますか?」




