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八話 意地

「お、お、おい、お前!」


 巨大な狼に向かって、リアムは声を絞り出す。震える脚を叱咤(しった)し、よろめきながら、


「大事なモノを燃やされてもいいのか!」


 マッチを掲げると、人狼はリアムに興味を示した。


 ――く、くる!


 リアムは壁と肉塊の隙間を駆け抜けた。予想通り、肉のカーテンの向こうから獣の息遣いと足音が迫ってくる。

 リアムが脱出路を探すより、ヴィクターが扉をぶち破る方が生存する確率は高い。


 それに。


 巨大狼はリアムに追いついても、一向に襲ってこないのだ。

 吊るされた肉塊の反対側から、ちらちらと人狼の姿が見え隠れしており、その気になれば、一足飛びでリアムをひと噛みできるはずだ。


 理由は、見当がつかない。


 このまま襲ってこないのをいいことに、時間稼ぎをしようとしたが、リアムが脚を止めると、人狼は奥へ戻ろうとする。


 全力でヴィクターから離れるしかない。


 またもや足元の出っ張りに(つまず)き、床の隠し扉の上にしゃがみこむ。強烈な臭気に意識が飛びそうになりつつも、マッチを片手に扉を引き上げようとした。


『てめえ、俺達を敵にまわすことになるぞ』


 振り返れば、焦げ茶色の狼が姿勢を低くし、今にも襲いかかってきそうである。

「あ、あなたこそ、自分が何をしようとしているのか、わかってるんですか?」

 足元がふわふわして、気分が浮き上がってくる。命の危険を感じる場面で、なぜ楽しくなっているのか。すべてはこの忌々しい臭いのせいだ。

 身体と心がちぐはぐになり、深呼吸し続けるも、冷や汗が止まらない。


『バシレイアとして、クソ人間どもを服従させるつもりだが。……てめえこそ、なんで人間に肩入れしてやがる』

「ば、バシレイア?」


 聞いたことのない単語に、リアムは思わず反応してしまった。狼は面白がるように牙を見せびらかす。


『坊主、人を喰ったことはあるだろう?』

「な……!」

『ないのか。……あれほど美味い喰い物はないぜ。試しに後ろの奴を食わしてやろうか。……そうすれば』

「ふ、ふざけるなっ」


 リアムは自分の声の大きさに驚いた。

『……理解できんな。奴らからすれば、俺達は家畜同然だ。一族の誇りである耳や尾を隠し怯え暮らすのが、好きなのか』

「そ、そうじゃない」

『ならば』

「こ、ここで生きるのは苦しいことも多いけれど、僕を心配してくれる人だっているんだ。彼らは人間だよ。それに僕だって……人間だ」


 正直【人狼】が人間と言えるのか、リアムには判らない。己に言い聞かせたいだけなのかもしれない。

 それでも、はっきりしているのは。


 ――僕はヴィクターさんのそばにもっといたいんだ。 


 彼に【人狼】だということで、嫌われたくない。頑張って認めてもらうのが、今の目標だ。


『く、くはははははっ!』


 目の前の獣は遠吠えのような嗤い声をあげた。(あざけ)りは貯蔵庫中に反響し、四方からリアムを取り囲む。


『俺達が、人間だって! 鏡見たことねえのかよ!』


 それまでの口調がガラリと変わった人狼に、リアムはごくりと唾を飲んだ。フザけた雰囲気がなくなり、獣はゆっくりとリアムの前を行ったり来たりし始める。


『話せばわかるってか? 頭に虫でも湧いてるだろ、お前。……現にあの警官は俺に銃を向けてきたぜ。下手すぎて当たんねえ弾なんざ怖くねえがな。人間は俺達を使い物にならなくなるまで使ったら、即ゴミ扱いするクソだ』

「そ、そんなことない。ヴィクターさんは【人狼】を保護するために探してるって……」

『保護?……お前、街中で【人狼】にあったことあるか?』


 押し黙るリアムに『ないだろ』と人狼はにんまりしながら言った。

『奴らに捕まれば、隔離施設行きだからな。……お前がブチ込まれないのは、いいように使われてる証拠だ』

「そんなこと」

『ないってか?……足りない頭で考えてもわかりきってることだがな』


 ヴィクターを信じようとしていた矢先に、リアムは揺さぶられる。


 ――ヴィクターさんが僕をだましているなんて……。

 扉の取手から自然と指が離れた。


『お喋りは終わりだ。……そこをどけ』

 人狼の背後、大きな肉の(かたまり)からヴィクターが顔を出している。

 彼がずる賢い人間なら、リアムを(おとり)にして、脱出する算段をつけているはずだ。

 ヴィクターが任務をこなすため、リアムに価値を見出しているなら、彼のために少しでも役に立つことをしたい。


「ど、どきません」

 両手で力強く床の扉を引き上げる。


「……!!」


 ぶわりと酔っぱらいの吐息の如き臭気が、リアムを包み込んだ。開口部の前で腰を抜かしたリアムを、人狼は嘲笑(あざわら)う。


『馬鹿なやつだ。人間の味を知らないで嗅げば苦しいだけだぜ。……なあ、この際喰ってみろよ』


 人狼はリアムの耳元で囁いた。

 リアムは震える唇を引き結び、泣きそうな表情になりながら、人狼を見返した。


「ひ、人を食べれば楽になれますか?」

『ああ。……なんだその気になったのか、なら……』

「だ、だったら人間がいなくちゃあなた達は生きていけないって、ことですか」

『何?』

「人間を食べて、バニシャ(香草)を取り込んだら、強いバシレイアになれるんでしょう?……そ、それって人間に支えられて、ううん、憎んでる人間あってこその、あなた達だってことにな。……うっ!」


 巨大な前脚が、リアムの喉に食い込む。


『……調子に乗るな、クソガキ』

「き、危険を犯してまで人間を襲わないと、つ、強くなれないなんて、滑稽だ……」

『危険だと! 俺達が人間を怖がってるとでも言うのか!……てめぇ、それ以上喋ったら、喉笛食い千切るぞ』


 ここまでくれば後に引けない。リアムは喉から声を絞り出した。


「く、く、喰えるなら、喰ってみろ!」


 人狼は一瞬、動きを止めた。


 ――やっぱり僕を襲えないんだ……。


 憶測が当たったと思いきや。

 右腕に違和感を覚え、焼けるような痛みが、リアムの脳髄(のうずい)を揺さぶった。

「う、うあああああ!」

 喉が潰れる勢いで、リアムの口から絶叫が(ほとばし)る。


 完全に読み間違えた。


 襲えないわけではなかったのだ。

 ただ襲わなかっただけで。


 ――あ、でも、こいつが僕を食べるのに夢中になれば、(おとり)の意味があるんじゃ……。


 リアムの心臓は、足りなくなった血液を健気に送り出そうと、胸が痛くなるほど鼓動を速めた。

 人狼はリアムの血と肉を、水音をたてながら咀嚼していたが。

 突如動きを止め、リアムから離れる。

 傷口から溢れる血で顔を汚したリアムは、離れていく人狼を呆然と眺めていた。

 巨大狼は、酔っぱらいのように身体を揺らし、ドサリと横倒しになる。その口元は血と(よだれ)で汚れ、白目を向いていた。

 何が起こったのか理解できず、リアムは仰向けになっているしかない。


 床を通して振動が伝わってくる。

 大股で力強く地面を蹴るのは、ヴィクターの歩き方だ。

 足音が止まり、しばらくすると鈍い音が響いた。焦げた臭いを(まと)って、ヴィクターがリアムの顔を覗き込んだ。


「……! クソが、何やってる」

「す、すみません……」


 水の中に潜ったときのように、あたりがぼやけ、身体の自由が利かない。

 右腕がぎゅっと引き絞られる痛みで、目の奥に火花が散った。


「しっかりしろよ……」


 ヴィクターは、首元のタイを使って、リアムの傷口上部を縛っている。


「ぼ、僕は、大丈夫なので……地下を」

 反対の手で床に空いた穴を指し示すも、

「黙ってろ」

 ヴィクターはリアムを肩に担ぎ上げる。入り口に向かっているが、扉は閉ざされているはずだ。


「え、鍵……」

「クソ狼が持ってやがった」


 店主が持っていたのと似た鍵を、ヴィクターは鍵穴に差し込む。

 

 渡り廊下から肉屋の店内に躍り出たヴィクターに、店員たちはぎょっと目を剝いた。血まみれのリアムを抱きかかえているのだから、当たり前なのだが、ヴィクターは見向きもせず、真っ直ぐ店の玄関口に向かう。

 ヴィクターは同僚に大声で呼びかけた。


 大勢の人垣の隙間から、リアムは視線を感じた。ヴィクターの腕越し、路地の奥からリアムをじっと見つめる犬がいる。

 どこかの飼い犬なのか、華奢な首輪が陽光を照り返していた。金色の(あで)やかな尻尾を翻し、犬は去っていく。


 ……きれいな、犬だな。


 リアムはヴィクターの腕の中で、意識を手放した。


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