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六話 血と肉

 裏路地街(エンドフロア)の肉屋は、店先に肉塊が無造作に敷き詰められ、羽虫が群がり、お世辞にも清潔とは言い難い。

 目の前の店先には、色とりどりの花が咲き誇る花壇があり、とても同じ商品を扱っているようには見えなかった。

 しかし花の香に、獣肉特有の生臭さが混じっているため、看板に偽りはないのだろう。苦手な臭いにリアムは一歩退いた。

 動きに合わせて、清涼感のある香りが鼻孔をくすぐり、途端にふわりと気分が上向きになる。

 リアムに追いついたヴィクターは、訝しげに店先を見やり、

「ここは認可を受けている店だぞ」

 疑うような眼差しをリアムに注いだ。


 ――ここに来て嘘なんかつくわけないじゃないか。


 リアムの中で、ふつふつと苛立ちが沸き起こってくる。

「でも、今までのなかで、一番臭います」

 断言するリアムに、ヴィクターは片眉を上げた。


 ――僕が調査に協力していないと思っているの?


 酒場の仕事の合間に、休む時間を削っているのだ。リアムは、頑張りが報われず、涙ぐみそうになる。

「……確かに、影響がでるほど臭うみたいだな」

 ヴィクターはポケットから厚手のハンカチを取り出すと、リアムの鼻先に押し付けた。

「むっ!」

 リアムは目を見張り、ヴィクターを睨みつける。

「バニシャに当てられてるぞ。鼻、(ふさ)いどけ」

 リアムは、ほろ苦い煙草の香りに、冷静さが戻ってきた。


 ――ぼ、僕はなんて失礼なことを!


 後悔するリアムを置き去りに、ヴィクターは迷いなく肉屋の扉を引き開けた。


 店内には入り口を囲むようにショーケースが設置され、中には、肉の塊が並んでいた。干し肉よりも生生しく紅い肉塊に、リアムは思わずヴィクターの背中に隠れ、コートの裾を掴んでしまった。

 ふと見やった先で、牛や豚の頭部に空いた眼窩と目があい、血の気がひく。


「……おい、こんなところで倒れるなよ」

 ぐらついたリアムの背中を、ヴィクターは片腕で支えた。

「す、すみません……」

 リアムは赤面し、ヴィクターはますます眉をしかめる。

「これはこれは。ルージェンド様ではないですか。お父上はご息災ですかな?」

 右手のショーケース横から、壮年の男が口元を緩め出迎えた。口ひげは短く整えられ清潔感に溢れている。


「ああ、殺しても死なないくらいだ」

「であれば、シティ•ロドルナは安泰ですな。……勤務中と見えますが、当店にはどのような御用で?」


 コートの影から見え隠れするリアムに視線を向けつつも、口ひげの男はヴィクターに尋ねた。

「最近、取り扱い指定品を仕入れたか?」

「ええ、一週間前に肉の臭み消しに何種類か香草を購入いたしましたが……」

「在庫を見せてもらいたい」


 ヴィクターの有無を言わせぬ問いに慣れているのか、口ひげの男は理由を尋ねることもなく、「こちらにどうぞ」と優雅にショーケースの裏側にヴィクターとリアムを招いた。

 奥の扉を抜けた先には、細い廊下が続き、突き当りに橙色の灯りに照らされた大扉が見えた。

 口ひげの男は、チョッキのポケットから数多の鍵がぶら下がったキーホルダーを取り出す。複雑な突起が彫られた鍵に、リアムは釘付けになった。


「大層な錠だな」

「一応、当店の財産なものですから。新参者の【肉屋】が狙ってくるかもしれません」

「同業者同士で物騒だな。狩人は平等に仕事をこなしているはずだが?」


 ガチャンと鍵が噛み合う音が廊下に響く。口ひげの男は片側の取っ手を思い切り引っ張った。

「そりゃあ、大森林のそばで大切に育てられた家畜は、平等に市場に出ますよ。大森林で狩られた魔獣もしかりです。ロドルナ全てに大森林の恵みは、分配される。……表向きは、ですがね」

 部屋の中は薄暗く、リアムは怖気づいたものの、口ひげの男とヴィクターは歩みを止めない。リアムは必死に彼らの後を追った。

 口ひげの男が壁に手のひらをかざすと、天井がじんわりと発光する。


「最新のガス燈です」


 天井に蛇のように管が這い、等間隔にランプシェードが設置されている。それらが照らし出すのは。


「ひっ」


 縄で吊るされた大小さまざまなピンク色の物体だった。生き物であった原型をとどめていないが、手足がついていたであろう凹凸に、リアムは喉をヒクつかせた。


「大した品揃えだ」

「仮にも富裕層街(アッパーフロア)で百年以上、舌の肥えた紳士淑女の皆さまのご要望にお応えしてきましたからな。ここにないものは絶滅種の肉ぐらいです」


 肉のカーテンを横目に、三人は奥に進んだ。血の臭いがリアムの鼻を通り過ぎていく。ヴィクターが貸してくれたハンカチで口元を覆い、リアムは吐き気をこらえた。

 足元がふらつき、僅かな床板の狭間につま先を引っ掛け転んでしまう。

 顔が床に近づいた瞬間、脳を揺さぶられる幻覚に襲われた。両手で身体を支えるも、額から汗が伝い、自分の影に重なるように水滴が落ちる。

 どくどくと心臓が血液を送りだし、身体をリアムではない何かに変えようとするようで。


「おい……顔が真っ青だぞ」


 ヴィクターが心配そうにリアムの顔を覗き込んだ。こんなに薄暗い中でも分かるほどなのかと、リアムは頬に手を当てた。

 じっとり汗ばみ、冷たくなっている。リアムと床を見比べたヴィクターは、床についたリアムの手に手を重ねた。


「え……!」


 驚くリアムの手の甲ごとヴィクターは床板を押し込む。すると小さな取っ手が床から飛び出した。


 ――なんだ、床に仕掛けがあったからか……。


 ヴィクターに心配されたと不謹慎にも喜んでしまったリアムは、肩を落とした。

「地下室か……? 店主、この下に何が――」

 振り向いたヴィクターは凍りついたように動きを止めた。リアムもつられて振り返り、あんぐりと口を開けてしまう。


「……勝手に貯蔵庫に入ってもらっちゃ困ります」


 ヴィクターよりも上背のありそうな長身の男が、肉切り包丁を片手に二人を見下ろしていた。


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