二十話 激突
リアムの突進に、二人の看守が一斉にリボルバーを構える。一方でヴィクターは何も手にせず腰を低くしただけだ。
上背のあるヴィクターに正面からぶつかっても勝ち目はない。リアムは床すれすれに身をかがめ、ヴィクターの脇を通り抜けた。
――う、上手くいった!
リアムは驚いた看守のベルトに手を伸ばしたのだが。
「……うわっ!」
襟元を引っ張られ、リアムの身体は宙に浮きあがった。そのまま弧を描き、なすすべもなく石畳の床を転がる。その拍子にハンチング帽が脱げ、ヴィクターの足元に転がった。
「……っ!」
「死角を狙ったつもりか?……俺も舐められたもんだ」
ハンチング帽を拾い上げ、看守たちを後ろに下がらせたヴィクターは、鍵を束ねるリングを指でくるくると回した。鍵の束はカチャカチャと場違いな騒音を奏でる。
「……これが欲しけりゃ、俺を殺さねえとな」
ヴィクターはジャケットの懐に鍵束をしまい込んでしまった。見える位置にあれば、鍵を奪い取れる可能性はあったが、隠されてしまえば、勝算はほぼない。
――今のヴィクターさんに何を言っても聞いてくれなさそうだし……。
またもや選択を間違えたのか。リアムは歯噛みした。
ヴィクターの望む答えを探って、この場をやり過ごしたほうが……。
――いや、それじゃだめだ。
その場しのぎでは同じことの繰り返しだ。ヴィクターとはきちんと向き合うと決めたのなら、最後までぶつからなければ何も変わらない。
リアムは床に打ちつけ熱を持ちはじめた身体を起こし、ヴィクターを見据えた。
天窓からふり注ぐ月光では、ヴィクターの表情はぼんやりとして判然としない。
だが、彼がリアムと同じようにこちらの動きを警戒しているのは、肌で感じる。
それはまるで暗闇で微動だにせず、獲物を狙う獣のようで。
――呼吸まで見張られている。
リアムは黒髪から狼の耳を立ち上がらせた。身体中の感覚器官を使わないと、殺されてしまう。
リアムは尻を浮かせ、両指を床につけた。ヴィクターは腰のホルスターからリボルバーを抜き、リアムに照準を合わせる。
――ヴィクターさん、なんで……?
リアムはすかさず前傾姿勢で床を蹴った。
バッシュッ!
リアムの頬を弾丸が掠めた。奥歯を噛み締め、止まりそうになる脚を叱咤する。
リボルバーは連射され、脚に腕にかすり傷を作った。リアムは止まることなく足を動かし続け、ヴィクターの瞳の色まで分かるほど近づく。
大好きな蜂蜜色の瞳に、泣きそうな顔のリアムが映り込んでいる。
――届け!
リアムはヴィクターの胸元に右腕を伸ばすも、身体をねじったヴィクターに、腹を蹴り抜かれた。
リアムの視界が二重にぶれる。
「くぅぅ」
リアムはボールのように身体を弾ませ、ハウンドの檻の前で動けなくなった。
「どうした。もう終わりか?」
感情を脱ぎ捨てたヴィクターに、仲間であるはずの看守たちも身体を竦ませている。
鉄格子を支えに身体をゆっくりと起こしながら、「まだ、です」とリアムは息も絶え絶えに言った。
口の中が鉄臭い。胃から逆流したモノが混ざり合い最悪の気分だ。
首筋に冷気を感じ、リアムは素早く振り返る。瞳を三日月型に歪めたハウンドが、湿った指先でリアムの首筋をなであげていた。
「俺のためにこんなにボロボロになって……。かわいそうだけど嬉しいよ」
「……ち、違う」
言ってはいけないのに、口が勝手に動く。彼に自らの意志で動いてもらうには、
黙っているべきなのに、全身の痛みとヴィクターと争わなければならない息苦しさで、リアムは我慢できなくなっていた。
「ぼ、僕は誰の味方でもない。……僕の味方だ」
ヴィクターを説得するのは、自分の気持ちを理解してほしいからで。
ハウンドを逃がして、人狼の暴走を止めてもらいたいのは、これ以上同類が人間の敵だと認識されたくないからだ。
すべてリアムのわがままである。
リアムは誰のことも考えていない。ハウンドの指摘は的を得ている。冷や汗を流しながら、リアムは肩越しにハウンドを睨みつけた。
「ぼ、僕はあなたを説得しに来たんだ。人間と人狼の共存を目指しているんだったら、シ、シティの人喰い狼たちを止めてください! ジグザさんから聞きました。あ、貴方は彼らを纏めるボスなんだって。強くはないけど、頼れるリーダーだって!」
眼鏡の奥の瞳を丸くしてハウンドは、リアムの訴えを受け止める。
そしてフッと口元を緩めた。ハウンドの態度が和らぎ、リアムは安堵した。
「……え」
首筋に強烈な違和感を覚えた。やたらにハウンドの顔が近い。どうして自分は彼のつむじを見下ろしているのだろう――。
どくどくと首筋の鼓動がうるさく、指先が急激に冷えてきた。
肩を動かそうにもハウンドの頭が邪魔だ。それに首筋に何かが刺さっていて――。
ブチブチブチと水気を含んだモノが引きちぎられる音がした。開放されたリアムは、ハウンドの口元が黒く塗り潰されているのを見て、みずからの首筋に手のひらを添えた。
ぬちゃり……。
――なに、これ。
「っ――!」
リアムの首筋から肩にかけてシャツが赤黒く染まり、嫌悪する血の臭いが、手のひらから立ち昇っている。
訳がわからずリアムはハウンドをぼんやり眺めた。彼は唇を舐めあげると、鉄格子を両手で握る。
ギ、ギギ、ギギギギギ……。
強引に捻じ曲げられた鉄格子は、見るも無惨にひしゃげ、大人ひとりが通り抜けられる隙間が開いた。
――な、どうしてハウンドさんは平気なんだ。
「共喰いが禁忌だというのは、知っているようだね。間違ってはいないよ。……けれどバニシャを常に嗜んでる俺には、迷信のようなものさ」
眼鏡のブリッジを押し上げたハウンドは、強がっているわけではなかった。そもそも拒絶反応が起これば演技をするどころではないことは、苦しむジグザを目の当たりにしたリアムには、明白なことだった。
「君が自己愛に溢れているのは、最初からお見通しだよ。……それでこそ、人狼だ」
両手を広げ空を仰ぐハウンドは、恍惚とした眼差しで天窓の月明かりを浴びている。
背後からは幾人もの足音が廊下に反響していた。ガチャガチャと金属音が重なり、見ればライフルを膝立ちで構えた捜査官たちが、射撃態勢に入っている。
「君と俺は似ているな、リアムくん」
悪びれることなくハウンドはリアムの前にしゃがみ込んだ。
「噛み付いてしまって申し訳ない。腹が減っていてね。ここの食事は味気ないんだ。そんなに痛がらなくても、その程度の傷なら……」
ハウンドはリアムに手を差し伸べながら、口を噤んだ。
手のひらで傷口を押さえるも、出血が止まらず、リアムは意識が飛びそうになっている。ハウンドの声も途切れ途切れに聞こえていた。
「君は人を喰ったことがないのか。……それどころか獣の肉も身体に入れたことがないのかな?」
そうかそうかとハウンドは頷くと、いいこことを思いついたとばかりに、表情を輝かせた。
「他の生き物の血肉を取り込んでいない人狼を喰ったら、どうなるんだろうね?」
――この人は何を言って。
友好の証で差し伸べられた手は、獲物を狩る爪へと変貌する。ハウンドは右手でリアムの首を締め上げた。
「ぐうっ」
息が苦しい。心臓がどこかに落ちていきそうな浮遊感に、リアムは、瞼をギュッと閉じる。血を流し続ける首筋の感覚が遠のいていって――。
キイイイイン!
耳障りな金切り音が、リアムを現実に引き戻した。
「……高級銃を丸太のように振り回すなんて、宝の持ち腐れだね」
「うるせえ」
ハウンドは左手の五指で、ヴィクターの長銃を受け止めていた。力がせめぎあい、カチャカチャと耳障りな音を立てている。
ヴィクターが腕を振り抜くと、ハウンドはリアムから手を離し、優雅に後ろに飛びのいた。
ヴィクターは小脇にライフル銃の銃身を挟み込み、弾丸を打ち出した。連続する銃撃を物ともせず、ハウンドは左右に躱していく。周囲の牢からは、どよめきが起こり、怒鳴り声や悲鳴が廊下を埋め尽くした。硝煙が立ち込め、床や壁には弾痕が痛々しく残る。
ヴィクターは撃ち尽くした長銃をハウンドに投げつけ、その隙にリアムを担ぎ、捜査官たちのほうへ逃げ込んだ。
「へえ……」
ハウンドは二人に近づこうとするも、一列に並んだ銃撃隊に足止めされ、牢屋へと後退した。
「……おい、リアム! しっかりしろ!」
腕に抱えられたリアムはうっすらと瞼を持ち上げた。遠く屋根に雨粒が打ち付けるような銃撃音が響きつづけている。
まだ終わっていないのだ。
リアムが「ハウンドさんは?」とつぶやくと、ヴィクターは、怒ったように口を開いた。
「……足止めしてるが、時間の問題だ」
バニシャで強化したハウンドは、銃撃戦を楽しんでいた。弾幕をわざと張らせて、その中を踊るように舞っている。
リアムは咳き込みながら、
「ヴィ、ヴィクターさん、銃、撃てますか?」
ヴィクターは身体を強張らせるも、「……ちゃんと誘導できるんだろうな」と唇を噛み締め眉を釣り上げた。
ヴィクターは腰のホルスターからリボルバーを抜き取り、リアムの腰を左手で抱え込んだまま、右手で銃を構えた。




