十二話 期待
リアムは【人狼】に好意的な人間がいるのかと驚いた。
いや、それよりも。
「あ、あの人、結構大きかったですよ?」
リアムたちを襲った人狼は細身だが、それでも成人男性だ。彼を隠しながら人混みを抜けるのは、至難の業なのではないだろうか。
「人間が運ぼうとするのは無理だが、【人狼】ならどうだ?」
――ま、まさかヴィクターさん、僕が、あの人狼を助ける手引きをしたって疑ってるんじゃ……。
身体を震わせたリアムに、「……お前が関わってるんなら強引に問い詰めようとも考えたが、その様子からすると、あまり期待できそうにないな」
ヴィクターは煙草に火をつけ、苦そうな臭いを放つ煙を、ため息とともに吐き出した。
肉屋から連れ出された直後、気を失ったリアムが目を覚ましたのは、襲われた翌日である。それもうっすらと意識を取り戻しただけで、満足に動けるようになったのは、それから一週間後だ。
仲間を呼んで負傷した人狼を助ける指示を出す暇はない。
リアムの潔白を証明するのはヴィクターだ。そうであっても、可能性があれば疑われるのだと、リアムは思い知った。
――もっと頑張ってヴィクターさんの役に立たなくちゃ、信じてもらえないんだ。
塞がりつつある噛み傷が疼き、リアムは無意識に腕を押さえる。
「……怪我させて、悪かったな」
「え?」
「腕、まだ痛むのか」
「は、はあ、たまにですけど。……あ、でも、仕事に支障はないです」
リアムは右手を顔の横で懸命に振った。
――し、痺れるけど、ヴィクターさんが安心するまで我慢、我慢……。
「嘘をつくな。右腕庇いながらメシ食ってただろ」
「左手だけでも食べやすい料理でした。……ヴィクターさん、お肉料理が好きなのに、野菜をたくさん使ったメニューで迎えてくれて、ありがとうございます」
後ろめたさから用意された料理だとしても、気遣いに溢れていた事実は変わらない。キッシュもパンも柔らかく、スープはスプーンで具材が全て掬える。
リアムが深々とテーブル越しに頭を下げると、ヴィクターの表情は強張った。
怒らせてしまったかと、リアムは焦ったが、その頬は心なしか赤らんでいる。
酔っているのか、照れているのか。
ヴィクターは右手のなかで、マッチ箱を忙しなく転がしていた。
普段の毅然としたヴィクターからは想像できない仕草に、リアムは微笑む。
「……お前、調子乗ってるな?」
ヴィクターは前のめりになってリアムを睨みつけるが、捜査のときのような威圧感はない。それどころか照れを隠すように、リアムに突っかかってくるのがなんだか。
――懐いてくれない猫みたいだ。
リアムは動物に嫌われている。
【人狼】の血がそうさせるのか、野良犬や猫、野鳥でさえ近づいてこないのだ。
ヴィクターはリアムより強くて逞しいのに、何故か今はそんな動物たちを、彼に重ね合わせてしまっている。
触れることができないのに、近づきたくなる存在だ。
「えっ、そ、そんなことないですよ! ヴィクターさんが銃を撃つのが苦手だなんて言いふらしませんから……」
臆病風もどこへやら、ヴィクターが心を開いてくれたことで調子に乗ってしまったリアムは、次の瞬間背筋が凍った。
「……ほお、度胸がついてきたんじゃねえか、【人狼】」
とろけそうな蜂蜜色の瞳は、冷えた飴玉のような光沢を放つ。
「ご、ごめんなさい……」
底冷えする眼光に、胸がきゅっと締め付けられた。両手を膝に添え、肩を震わせるリアムに、ヴィクターは吹き出す。
「そんなに怯えるんなら、からかうんじゃねえよ。本気で腹立つほどガキじゃない。……ただ、まあ俺が銃の扱いに不慣れなのは口外するな」
「い、言いません」
左右に首を振ると、ハンチング帽が脱げそうになり、慌ててリアムは左手で押さえた。
「それでだな」
「な、なんですか……?」
珍しく口ごもるヴィクターを、リアムは上目遣いに窺った。
「お前が運んだ香草の売り主は、いまだ見つからない。悔しいが、また振り出しに戻っちまった。だから、その、だな……力を貸してほしい」
リアムは信じられず目を見開く。
「正式な協力者として、報酬は約束するぞ」
「僕でいいんですか……?」
「いいも何も、お前の鼻が優秀なのは、俺自身が証明することになったからな。気に入らんが、上層部の指示だ。逆らってもしかたねえ。あー、お前の正体は伏せてあるから、心配するな」
ロドルナ警察は、リアムの素性などおかまいなく、使い勝手のよい道具だと見做したわけだ。
――ヴィクターさんは、それでいいのかな。
彼は【人狼】を憎んでいるのではなかったか。ジャズに押し付けられたリアムを、迷惑がっているものばかりだと思っていた。
いや、すぐに恨みが消えるはずはない。ヴィクターは己の感情よりも事件解決を優先し、リアムに頼み事をしているのだ。
――やらなくちゃいけないことに立ち向かうヴィクターさん、格好いいなあ。
バニシャの影響で【人狼】が暴れ出せば、シティの住民が危険に曝される。捜査官としては大惨事になる前に、手を打たなければならない。
それ以前に、挨拶する程度の付き合いである酒場の給仕を気にかけてくれる、優しい人だ。職務を全うするのに躊躇いのあるはずがない。
そんなヴィクターを手助けできるのなら、
「が、頑張ります」
唇を引き結んだリアムに、「協力、感謝する」とヴィクターは手を差し出す。
「あの……」
リアムはきょろきょろとテーブルを見回した。何を渡せばいいのか、戸惑っていると、
「手だ、ほら」
ヴィクターはリアムの左手を、自身の手のひらで包み込んだ。そしてぐっと握りしめる。
「な、な、な、なんですかっ?」
「握手だ」
ヴィクターの手のひらは固くざらついていた。リアムはヴィクターの真似をして、大きな手を握りしめる。
――あたたかい。
触れ合いは一瞬で、ヴィクターはさっさと手を離してしまった。リアムは宙ぶらりんになった手指を、名残惜しく、握ったり開いたりする。
ヴィクターは窓を開けると、短くなった煙草を思い切り吸い、外に向かって煙を吐き出した。白い靄が中空に溶けていく。
窓外には、石造りのアパルトマンが行儀よく佇んでおり、久しぶりに晴れ渡った青空から降り注ぐ陽光が、街並みを柔らかく照らし出していた。その美しさに、リアムは目を細める。
「……今日からお前は正式にロドルナ警察の協力者だ。対策課が把握している情報を共有することになる。……万一、外部に漏らせば、分かってるよな?」
「は、はい」
リアムは居住まいを正した。何をされるのか想像できないが、良くないことなのは肌で感じる。
「まずお前が運んだバニシャと、肉屋の地下から押収したバニシャの出所が同じか、はっきりしていない。……繋がってることを願うが、こればっかりは捜査を進めていくしかないな。先日逮捕した違法バニシャの受取人……お前の首を締め上げた大男だ。そいつが自白した取引相手を見かけたか、肉屋の従業員に聞き取りしたが……目撃者はいない」
耳と尻尾を隠せば、人狼は人間と姿形は同じだ。出入りしたとしても、気づかれない可能性もあるだろう。
「そ、そもそも僕たちを襲った人狼が堂々と中にいたのに、誰も怪しいと思わなかったんですか?」
あんなに無愛想な従業員なら、人狼でなくても目立つはずだ。
「……至って真面目に働いていたんだとよ。大方、地下に隠してたブツの番人として、肉屋に潜り込んでたんだろうな。ああ、胸糞悪い」
何かを思い出したようにヴィクターは、吐き捨てた。リアムたちを襲った人狼を取り逃がした怒りが、ぶり返したのだろうか。
その後、【人狼】が現れた肉屋では、他にバニシャを隠し持っている者がいないか検査が行われたが、所持している者は見つからなかった。
「新たに判明したのは、取引に【人狼】が関わってることが確定したってことくらいだ」
肉切り包丁を振り回していた人狼は、地下にあるモノの正体を知っていた。残念だが、リアムはその事実を肯定するしかない。
「そして俺たちを襲った奴が、単独で売り捌いている可能性はまずない、ということくらいだな」
「ど、どうして一人で商売していないって、わかるんですか?」
「言っただろ、地下には、肉屋で許可されている十倍近くのバニシャが出てきたんだぞ。手慣れた商人ならともかく、一人で処理する前に、鮮度が落ちる。……まあ、クソ人狼が商人組合に所属している業者よりご立派な人脈を持ってれば、話は別だがな」
「な、なるほど……」
傷んでしまっては売り物にならない。リアムにバニシャを運ばせた黒幕と、肉屋に現れた人狼が繋がっているのか。手がかりが忽然と姿を消してしまったので、いま時点で確かめる術はなかった。
「めぼしい所は調査しているが、より精度をあげたい。お前はシティ内でバニシャの臭いを追い続けてくれ」
「わ、分かりました」
今までとやることは変わらないのなら、安心だ。リアムは彼のそばにまた居られるのだと、嬉しいような申し訳ないような気持ちになった。
ヴィクターは腕を組んで天井を見上げていたが、突然ハッとした様子で身を乗り出す。
「お前、あいつのニオイ覚えてるか?」
「ヴィクターさん、危ないですっ」
煙草の灰がテーブルに落ち、紅くくすぶった。白いテーブルクロスに、黒い跡が残ってしまう。
「ああ、わりぃ」
ヴィクターはエプロンのポケットから、コンパクトサイズの灰皿を取り出し、吸い終わった煙草をねじ込んだ。
「で、どうなんだ?」
「え……と、すみません。いろんな血の臭いが混じり合ってて、その……」
貯蔵庫には様々な獣の肉塊が密集していた。そのせいで肉切り包丁の男本人の匂いがどれなのか、判断できない。
「そうか」
「お役に立てず申し訳ないです……」
「密輸犯だけでも苛つくのに、殺人犯まで逃しちまった。……対策課もナメられたもんだ」
「さ、殺人犯?」
「……俺たちを追いかけ回した【人狼】だ。耳にタグがついてただろ?」
リアムは肉切り包丁の男の耳元までは見ていなかったので、ますます首をひねった。
「対策課で保護した【人狼】にはタグをつける。番号を当たってみたら、保護した直後、殺人で手配されていた。名前はジグザ。数年前からシティ内外で人喰い事件を起こしている」
「ひ、人喰いって……」
「バシレイアたちは【食事】と言っているがな」
リアムは顔から血の気が引く。リアムに人を喰ったことがあるかと聞いていたが、あの男は本当に食べていたのだ。
――バニシャを使えば、最強のバシレイアになれる。
「あの、ヴィクターさん。……バシレイアってなんですか?」
「お前、同類のこと何も知らねえんだな」
「す、すみません…」
首をすくめたリアムに、
「いや、俺の言い方が悪かった。……シティで無闇に【人狼】を話題にする奴はいないな」
ヴィクターは咳払いしながら、蜂蜜色の髪をかきあげ、
「バシレイアは人狼の一派、群れみたいなもんだ。……人肉を主に喰ってる奴らは自分たちをそう呼んで、他の【人狼】とは違うとほざいてやがる」
ヴィクターは、新たな煙草をシガレットケースから取り出し、ギリッと歯噛みした。
人喰い狼はシティ•ロドルナの周囲に広がる大森林に棲息しているという。
「辺境の村には、生贄として奴らに人間を捧げる風習が残っている。……胸糞悪い話だ」
リアムが産まれ育った群れも、そうだったのだろうか。
群れの大人たちは、リアムたちを襲った人狼――ジグザのように自信に満ち溢れていた。
美味いから、腹が減ったから、人を食べる。
単純で明快な生き方だ。慄きながらもリアムは、彼の言葉に耳を傾けていた。
――羨ましかったのかな。
人間を食べたら、何かになれるのか。
「……お前が人を喰ったら、俺が即座に処分する」
リアムが憧れる蜂蜜色の瞳には、小さくリアムの姿が映り込んでいる。
「そんなこと、しません」
するつもりはないが、こんなに真剣に見つめてくれるならば、悪事を働くのも悪くないんじゃないか。ヴィクターは犯罪者を全力で追う。リアムが犯罪に関われば、もっと力強く見つめてくれるのでは――。
――その先に何があるんだろう?
ヴィクターがリアムの悪事に興味を示さなくなったら、見放したらどうなる。子供が構ってほしくて悪さをするのと、なんら変わりない。
――そんな卑怯な手じゃなくて、僕はヴィクターさんにちゃんと認められたい。
そのためには、彼の仕事を手伝うのが最善だ。降って湧いた邪な考えを払いのけるため、リアムはピシャリと両手で頬を叩いた。
「……っうぅ」
負傷した右腕がジンジンと傷む。
「何をやってる……」
ヴィクターが呆れるのも無理はない。頼れる相棒になろうと、リアムは痛みを噛み殺した。
「ヴィ、ヴィクターさん、絶対に犯人を捕まえましょうね!」
リアムが意気込むのに合わせて、ヴィクターも「当たり前だ」と口角を引き上げたる。
痺れを切らしたジャズが、ヴィクターの部屋に乗り込んでくるまで、二人は今後の動きを確認しあった。
なんでも上層部からの指示があるまで、リアムを伴っての捜査は一時中断なのだという。
出鼻を挫かれしょげるリアムにヴィクターは、
「稀に見る規模の人狼事案になりそうだからな。上も慎重にならざるを得ないらしい。……数日中には再開できるはすだ。それまでに体調を整えておけ」
ヴィクターは口許を緩め、リアムのハンチング帽に手を置いた。その手はリアムの頭をグリグリと撫でる。ハンチング帽からはみ出した黒い巻き毛が頬をかすめ、くすぐったい。
酔いのせいもあるのか、今日のヴィクターはスキンシップが多くて、リアムは戸惑うも、
――い、今のうちに堪能しておこう。
ハンチング帽越しではあるが、ヴィクターの温もりをリアムは噛み締める。
あたりが暗くなり始めた頃に、リアムとジャズは富裕層街を後にした。
名残惜しくて、アパルトマンをリアムは振り返る。
ヴィクターの部屋には煌々と明かりが灯っていた。書類まみれの机で奮闘しているのだろうか。
リアムはヴィクターを想いながら、ハンチング帽に、そっと触れた。




