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プロローグ リアムという人狼

 軽やかなドアベル音が、酒場『フリッカー』に鳴り響いた。リアムは注文を取っていた手を止め、素早く入り口に目を走らせる。

「ヴィクターさん、お疲れ様です!」

 煤汚れをまとった酔客たちの隙間を通り抜けようとするも、だぶついたズボンが椅子の背やテーブルの角に引っかかり、思うように進めない。頭を覆うスカーフから飛び出た黒髪は、もたつくリアムの動きに合わせて、リズミカルに揺れていた。

「相変わらず盛況だな。満席か?」

「お、奥のテーブル席は空いてますので、だ、大丈夫です!」

 ズボンがずれて、腰紐を慌てて結び直す。

 ヴィクターは眉を顰めながらも、中折れ帽を脱いだ。蜂蜜色の瞳がランプの光を受けて、とろりとした光沢を放っている。その瞳に見惚れていたリアムは、我に返った。

「こ、こちらへ、ど、どうぞ」

 夜を吹き飛ばすほどの喧騒の中、足取りも軽やかに奥へと進んでいると、

「リアムのヴィクター贔屓が出たぜ」

「俺たちのことも大事にしてくれよ」

「酒が弱えやつを相手にして、何が楽しいんだか」

 出来上がった男たちが、リアムをからかう。そんなに態度にでていたのかと、頬が引きつった。

「え、あの……」

「席を埋めるのが、こいつの仕事だろ。機嫌を取ってもらいたいなら、娼館に行け」

「ああ! 捜査官様はそんなに偉いのかよ!」といきりたつ男に、「ここで暴れたら女主人の機嫌が悪くなるぞ」とヴィクターは釘を指した。


 厨房では、女店主のジャズが店内に目を光らせている。喧嘩をふっかけた男は舌打しただけで、大人しく腰を落ち着けた。

「すみません、僕のせいで……」

 店内奥のテーブル席についたヴィクターに、リアムは頭を下げる。

「気にするな……お前ももっと堂々としてろ。怯えていると、酔っぱらいにつけこまれるぞ」

 叱咤しながらも、ヴィクターの声音は柔らかかった。

 ――やっぱりヴィクターさんは頼もしいなぁ。

 背筋の伸びた姿に、またもや見惚れそうになる。リアムは気を取り直して、給仕に集中した。

「いつもので、いいですか?」

「それもいいが。……お前が何か見繕ってくれ」

「え?」

 固まったリアムに、ヴィクターは自身の鼻を指さした。

「鼻が利くんだろ」

 どくんと心臓が高鳴る。

 ――もしかしてヴィクターさん、僕の正体に気がついて……。

「先週、(いか)つい顔つきのジジイ相手に料理を選ばされてただろ?アレ、うちの幹部だ」

 リアムは勘違いだったかと安堵し、記憶を掘り起こす。やたらと高圧的に注文をする客に、しどろもどろになりながらも言われた通り料理を出したのだ。完食した老人は、テーブルに代金を投げつけ、無言で立ち去ったのである。

「ということは、ロドルナ警察の偉い人、ですか?」

「偉くねえよ。ただ長生きして、上層部に媚びるのが上手いだけだ。……裏路地街(エンドフロア)の酒場でメシがマズいだなんだと文句をつけて、憂さ晴らししてんだよ。俺たち下っ端の憩いの場でいい迷惑だ」

 頬杖をついたヴィクターは一転、少年のような満面の笑みを浮かべ、

「それがだ。美味いのに認めたくないんだろうな。眉間にしわ寄せながらここのメシを平らげてるんだぞ。いい気味だったぜ」

 リアムは上機嫌なヴィクターを拝みたくなるが、我慢した。

「あ、あの、ご注文を……」

「お、そうだったな。俺に合う肉料理を選んでくれ」

 ヴィクターのオーダーにリアムは硬直する。

「す、すみません……。僕、肉料理は食べたことがなくて」

「苦手なのか?」

「はい……」

「ジジイには勧めてただろ?」

「えっと、実はこの前のお客さんのときは、好みを女将さんに伝えて、作ってもらいました……」

 あまりにもしつこく自分に相応しい肉料理を持ってこいと吠える客に困り果て、ジャズに相談すると、彼女は料理の力で敵を圧倒した。

 ヴィクター相手にも対応してくれるだろうか。

「女将さんに、聞いてきま……」

 厨房に戻ろうとしたリアムの手首をヴィクターは素早く掴んだ。

 ――ヴィ、ヴィクターさんの手が、手が!

「なら、他ので構わない」

「わ、分かりました」

 リアムはメニュー板を抱え、厨房に逃げ込んだ。

 嬉しいような恥ずかしいような。

 リアムは不規則に鼓動を刻む胸元をなだめるのに苦労した。


 ヴィクター・ルージェンドは、シティ・ロドルナの治安を守る、ロドルナ警察の捜査官である。二十代半ばにして、部下を抱える出世頭だ。

 制服越しでもわかるほど筋肉質な体躯は、リアムの憧れだ。やせぎすで幼子に間違われるリアムとは大違いである。客のからかいに困っていると、すぐさま助け舟を出してくれ、リアムはいつも感謝していた。

 ヴィクターにとっては些末な事だろう。週に一度訪れる酒場のボーイのことなど歯牙にもかけていないはずだ。

 それでも、リアムはヴィクターに救われていた。


 ――今日はたくさんお喋りしてしまった…。僕、明日、死ぬのかな。


 その日もヴィクターの姿を目に焼き付け、最後の客を見送る。鼻歌を歌いながら店先の灯りを消そうとしていたのだが。

「おい坊主、ちょっとこっちこい」

 右手の路地から常連客の男が、リアムを手招きした。リアムと大して歳の変わらない若者は人通りがないのに、辺りを忙しなく見回している。

 リアムは厨房を見やってから、若者に近づいた。

「なに、僕、まだ仕事中なんですけど……」

 サボれば容赦なくジャズの拳骨が降ってくる。スカーフを両手でつかみながら怯えるリアムに、若者はニヤリと笑みをこぼした。

「いい儲け話があるんだ。これはお前にだけ言うんだけどさ……」

 目の下に黒い隈を作った若者は、自慢げに鼻の穴を広げた。

 リアムはこの不健康そうな若者が苦手である。酒場の客たちに胡散臭い儲け話を吹っかけては騒動を引き起こしているからだ。


 ――新種の家畜を育てるための資金を集めているんだ。当たれば富豪の仲間入りだぜ。

 ――改良型の『リボルバー』が安く手に入ったぞ。これで大森林に棲みついてる人狼を狩れば、警察からたっぷり報酬が出るって。


 酒場の信用が落ちる、とジャズが先日彼を酒場から追い出したのだが、他に出入りできる店がないのか、懲りずに辺りをうろついるようだ。


 ――ジャズに知らせたほうがいいよね。


 ゆっくりと後ずさりしたのだが、遅かった。若者は麻袋と紙切れをリアムに押しつける。

「これをここに届けてほしいんだ。報酬は荷物と引き換えに渡してもらえるから、半分はお前のもんだ。届けるだけでユフラスコ金貨二枚だぜ」

 金貨一枚あれば、一年は何もしなくても生きていける。それが二枚となると……。

 リアムは思わぬ大金に驚き、「え、え、」と口ごもってしまった。

「じゃ、頼んだぞ」

 若者はリアムの返事も聞かず、路地の奥に走り去ってしまう。彼が消えた先と麻袋を交互に見てもどうすることもできない。

「どうしよう……」

 呆然と立ち尽くすリアムの頭上、ガス灯の灯りは乳白色を増した霧に飲み込まれつつあった。


 擦り切れた紙には、数日後の日付と番地名が書かれている。警察に届けるのが最善であるが、リアムはあまり警察署に近寄りたくない。警察署本部は、シティ・ロドルナの中心街にあり、裏路地街(エンドフロア)の住人がうろついていると悪目立ちするからだ。

 

 シティ・ロドルナはかつて城塞都市であった。崩れかけた城壁跡が所々に残り、裏路地街(エンドフロア)はその城壁沿いに蜘蛛の巣のように広がっている。

 数日迷った末、酒場の仕事を終わらせた深夜に、リアムはその一画で立ち竦んでいた。川が近いせいか、辺りは霧で(けぶ)り、手にしたランタンの灯りを霞ませている。

「ここかな……」

 何度も紙切れを確認し、今にも倒れそうな木造小屋の、立て付けの悪い扉をノックしようとして。

「遅いじゃねえか」

 中から人影が現れ、リアムは麻袋をぎゅっと抱きしめた。

 首が痛くなるほど見上げても、顔が見えない大男を前に、リアムは『来るんじゃなかった』と後悔する。


「ブツは?」

「え」

「それか?」


 リアムの胸元から麻袋を毟り取ると、大男は中身を一瞥し、小屋の中に消えた。周囲には朽ち果てた廃屋が暗闇の中に寝そべっている。人が住める状態ではないが、生き物の息づかいや臭いは感じられた。


 ――よし、逃げよう。


 踵を返そうとした矢先、扉が外れそうな勢いで開け放たれる。

「おい、こら、待て!」

 大男は数歩でリアムに近づくと、襟首を掴みあげた。

「頼んだ量より少ねえ。てめえ……くすねやがったな!」

 首が絞まり、リアムはぐうと喉を鳴らすしかなかった。

「な、え、何のことですか……。僕はただ持って行くように言われただけで……」

「ふざけるな、残りをどこへやった?吐くまで、帰れると思うなよ」

 小屋からは、大男に負けず劣らずな風貌の男たちが数人現れ、リアムは冷や汗が止まらなくなった。


 ――こ、殺される……。


「おい、待て。……こいつ、高く売れるぜ」

 大男の脇からリアムのスカーフのなかを覗き込んだ男は、黄ばんだ歯を剥き出した。そのままスカーフを剥ぎ取られそうになり、必死に縁を掴んで抵抗する。

「この、大人しくしろ!」

 振り被った男の手に瞼を閉じた、その時。


「警察だ!動くな!」


 昼間のように明るく照らし出され、目がくらんだ。大男たちも同様で、目元を守るように手で覆う。その隙をつき、リアムは這うようにして瓦礫の影に隠れた。

 先陣を切って大男たちに立ち向かっているのは、ヴィクターだ。大量のランタンの灯りが、捜査官たちと大男たちのぶつかり合いを浮かび上がらせる。

 ヴィクターは、ひと回り以上大柄な男たちを、拳の一振りで叩きのめしていく。骨が軋み、肉がぶつかり合う音に、リアムは頭を抱えて縮こまっていた。それでもヴィクターの雄姿を見たいがために、陰から顔を出しては口の中で悲鳴をこらえ、隠れる、を繰り返す。

 しばらくすると、あたりは捜査官たちが走り回るだけになった。出るに出られず途方に暮れていると、ヴィクターがリアムの隠れ場所に向かってきた。


 ――ど、ど、どうしよう……。


 さらに瓦礫の奥に隠れようとしたが、カンテラに照らし出されてしまう。

「お前、『フリッカー』の給仕だな?」

「え、と、その……」

「まあいい。とりあえず出てこい」

 ヴィクターはリアムの腕を引いて立ち上がらせ、服の埃を払った。ヴィクターの視線がリアムの首元でとまり、

「怪我してるのか? 赤くなってるぞ」

「だ、大丈夫です」

 圧迫感は残っているが、呼吸がしづらいわけでもない。

 大男たちは、縄で拘束されぐったりとしていた。対してヴィクターは激しい戦闘後であるにもかかわらず、平然としている。闇に溶け込みそうな色合いのフロックコートも、一切乱れていない。赤みがかった金髪は、夜霧を含み、艶を増していた。

「アイツらが何者か知ってるのか?」

「い、いえ」

「……決まりなんで、事情は聞かせてもらうぞ。ついてこい」

 頼もしい反面、リアムは自分の正体を知られたらどうすればいいのか、不安がよぎる。


 ――絶対、ばれないようにしなくちゃ。


 スカーフがずれていないか忙しなく整え、ヴィクターの後を追いかけた。


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