本居夕陽 葉月
人が行ってはならない罪とは、いったいどのような罪でしょうか。
大学生になって、二回目の夏休み。今年も、秋学期に向けて、さらなる知識を深めに空満図書館を訪ねてきたんや。休み明けでぽけーっとした顔で講義に出るやなんて、うち自身が許されへん。
「おやおや、暑い日にこちらまでお越しくださるとは。ようこそ、お帰りなさいませ、夕陽さん」
「ふあっ……!」
なな、なななんで、こんな休みに、愛しの真淵先生が!? しかも、カウンターでお目にかかれるやなんて……! こっ、これは、真淵先生日記に即記入やぁ!
「今日は日文の教員として、ではなく、司書として出勤しているのですよ」
先生が、空満図書館の司書として、図書館司書課程も教えてはるのはリサーチ済みや。せやけど、いつもなら三人くらいで受付されてるはずやのに、今日は先生だけなんですねぇ……?
「他の職員は、正午までバックヤードで作業していましてねえ。おそらく当分は、夕陽さん以外に来館される方はいらっしゃらないでしょう」
真淵先生は、クスクス、と小さく笑い声を立てはった。
「夕陽さん、朝から蒸し暑いなか、大変でしたでしょう。ここはひとつ、休憩をはさみつつ、頭の体操でもいかがです?」
カウンター向かいの、コインロッカー兼休憩室に通された。少々時間をいただきます、と先生はどこかへ行かれた。万が一何かあれば、入口にいらっしゃる空満神道の信者さん(ボランティアで学校施設の番やお掃除をされているそうや)に声をかけると良いから、とも仰っていた。
「お待たせしました」
銀色のお盆に、二つのグラスを載せて先生が一礼して入ってこられた。お手伝いしようと近づいていったら、良いのですよと会釈され、恭しくお盆に載っていた物をテーブルに置きはった。
「お口に合うかどうかわかりかねますが、気に入っていただけると幸いです」
先生が椅子を引いて、おかけくださいと目配せされた。お言葉に甘えたら、先生は対面に座られて、
「さあ、冷たいうちに」
とささやくように仰った。アイスティーやろか。緊張と嬉しさで震えつつ、ストローをくわえてみた。あ、ただのアイスティーやない。
オレンジジュースかオレンジシロップも入っている! 紅茶は柑橘の香りがしたから、アールグレイやろうか。紅茶のかぐわしさと、オレンジのさわやかな甘さ、ふたつの飲み物が手をつなぎあって、火照った体を冷ましてくれた。
「僕がオレンジを好きなものでして、ピューレを加えてみたのです。お気に召しましたか?」
「はっ、はい。おいしかったですよぉ」
先生とテーブルをはさんで、一緒に同じ物を飲むて、デートみたいやんかぁ! あかん、デートやなんて畏れ多いわぁ! それでも、うちはこの夢みたいなシチュエーションに、めっちゃ胸が高鳴っているんや。
「さて、夕陽さん」
カラリ、とグラスの氷が涼しげな音を立てた。
「頭の体操といきましょう。人が行ってはならない罪とは、いったいどのような罪でしょうか」
え……? アイスオレンジティーとは対極で熱を帯びていた頭の一点に、クリアな風が突き抜けていく感じがした。
「社会に背くこと、法を犯すこと、というのが答えやないですよね」
先生が細めていた目をゆっくり開き、優しい表情でうなずきはった。
「仰るとおりですよ。やはり、真意を見抜いていらっしゃいましたか。お見事ですねえ……」
正解したわけやないのに、誉められたんかなぁ。それはそれで、嬉しいわぁ。
「これは、単なる風の噂です。ある家の娘が、心を病み命を枯らした父を、一日だけ蘇らせました。他の家族は、娘が父の命を黄泉より取り戻したことを知らず、父の復活を心から喜びました。しかし、生き返った父は、一度生を終えた身、この奇跡はあってはならないのだと、自ら再び黄泉へ旅立ち、今度こそ帰らぬ人となりました。娘は、自身の行いが間違っていたのかと困惑し、父との別れを深く悲しんだあまり記憶を沈め、神宿る器と化してしまった……ということです」
人が行ってはならない罪……!
「夕陽さんならば、もう言わずとも気づかれましたね。そして、その罪に向き合わなければならない時が、厳密にいいますと、その罪を犯してしまった人物と対峙することが、いずれ訪れるでしょう。その時に、僕が申し上げた話を、思い出してくださいね」