11
2時間目と3時間目の間の中休み。
ひとみはみゆの席の横に立ち、焼きそばパンを食べていた。
そしてポケットからさらに焼きそばパンを取り出し、みゆに「食べる?」と差し出した。
「いらない」
「じゃあ私が食うか」
あっという間に焼きそばパンが2個消えた。
お嬢様か…。確かにお嬢様は大食いのイメージがないな。
ひとみがお嬢様かどうかは分からない。
ただ食費がかかるしお金持ちの娘と勝手に思ってるだけだ。
行動は確かにお嬢じゃない。
「ねえ、みゆ、焼きそばパン買ってきて…」
えっ、このフレーズ。
パシリにされる時のセリフ。
ついに私はひとみの下僕になるのか?
「…あげようか?」
「うん?買ってきてあげようか…」
「私さ、今から購買部に行って焼きそばパン買ってくるから、ついでにみゆの分も買ってきてあげようか?」
違った。パシリ宣言じゃなかった。
「いいよ、弁当あるから」
「ほんと、みゆは小食だね。だからそんなに細いのよ」
それはひとみが大食いなだけだ。
でも食べたものはどうなってるんだろう。
ひとみは細いし、モデルだったらみんなに羨ましがられる。
みゆは太ってないのだが、油断すると太ってしまうから、小学生の頃から体重管理は日課になっている。
極端なダイエットはしないが、撮影の前の日に食事を抜くことはあった。
ひとみのおなかは隠れてて見えないけど、妊婦みたいに出っ張ってるのかな。
あれだけ食べるんだから食事はおなかの中に存在してるはず。
まさか四次元ポケット。
ドラえもんを飲み込んだの?
その日も藤棚の下で弁当を食べていた。
さっき焼きそばパンを3つ食べたばかりのはず。
ひとみの弁当はみゆの弁当の3倍くらいある。
「今日もみゆの弁当、可愛い」
キャラ弁だ。全くママったら頑張りすぎだ。
ひとみだからいいけどこんな弁当、いじめのきっかけになるじゃない。
「ドラえもんでしょ」
「みたい…」
全くベタだ。何歳だと思ってるの?
もう藤子不二雄は見てないのに。
「みゆもママも芸術家嗜好なんだね」
「芸術家?キャラ弁が?」
「だってみゆが昨日書いてたのって詩でしょ?」
「詩って言うか…、落書き…」
「落書きじゃないよ。ちゃんとしてるし…メルヘン…」
あれがメルヘン…。
そんなこと言ってくれるのはひとみだけだ。
「秘密だからね、あれって童話のつもりなの」
妄想するのが好き。
ボーっとするとなんとなく世界がファンタジーに見えてくる。
そんな妄想を書き留めたりするのが趣味みたいになっている。
「私、童話作家になりたいの」とみゆは言った。
ひとみは大きな口でパンを一飲みした後、笑顔で、
「なんだ、なりたいものがあったんだ」と言った。
「もちろん願望だけどね。私の願い事の延長線上にファンタジーがあって、それを物語にしてみたいの」
「へえ…」
「まだ一つも物語になってないんだけどね」
みゆは急に恥ずかしくなって、顔を手で覆い隠した。
「嫌だ、恥ずかしい。私、変なこと言ってる」
「全然変じゃないよ」とひとみはみゆをじっと見つめて、
「そうか、それがみゆの夢なんだ」
夢?
そうか、これって私の夢なんだ。
「いいな、みゆ。なりたいものがあって」
「えっ、童話作家なんか無理だって」
「希望なんでしょ。願い事は追いかけないと叶わないよ」
「うん」
「応援するね。って言っても何もできないけど。叶うといいね」
「嫌だ、恥ずかしい」
「恥ずかしくなんかないよ。かっこいいよ」
「私、なるべくみゆの夢が叶うようにって、願ってるよ」
「ありがとう」
「別に感謝されることじゃないよ」
「そうじゃないよ。笑わないでありがとう」
「笑う?どうして?可愛い話になりそうだし、できたら私に最初に読ませてよ」
「えっ、昨日のあれ?あれは別に落書きだし」
「じゃあ私のために物語にしてよ」とひとみはみゆをまっすぐな目で見つめた。
「う、うん」
「きっと面白くなるよ。って言うか楽しみ」
「うん、分かった。できたら一番に読ませるよ」
「じゃあ、私が一番最初のファンだね」
「そう、そうだね」
やったー!とひとみは両手をあげて喜んだ。
そして「ワクワク、ワクワク」と両肘を開いたり閉じたりしてはしゃいでた。
ひとみって本当に子供みたい。
「ああ、読ませるって言ったけど。私、誰にも読ませたことないのよね」
午後の授業が始まるとみゆは憂鬱になった。
みゆは相変わらず釣りのイメトレをしている。
その様子を数の子先生が渋い顔でチラチラ見ていた。
何か企んでる顔だ。
先生に目をつけられたら、大変なのに…。
数学は得意かもしれないけど、内申書に落ち着きがないとか書かれそう。
「みゆ、一緒に帰ろう」とひとみ。
「軽音部は?」
「軽音部か。なんか少し期待外れ。私が目指す部活とはずいぶん違うんだ」
「へえ」
「だから今日は帰宅部。一緒にサイゼリアに行こう」
相変わらずひとみの机の前は食事で溢れていた。
次々に皿が積みあがっていく。
四次元ポケットだ、やっぱり。
「数学の数の子先生がひとみのこと変な顔で見てたよ」とみゆ。
「そうなんだ」
ひとみは唐揚げを頬張ってる。
「大丈夫?」
「えっ、大丈夫だと思うよ」
なんだろう、この自信。
何か根拠があるんだろうか。
「それよりさ、みゆに問題出していい?」
「問題?」
「そう、数学の問題」
そう言えば数の子先生の出した難問、いとも簡単に解いてたっけ。
そもそもあんな数式、高1の数学力じゃ解けない問題なのに。
そんなひとみが私に問題?
成績普通の私に問題。
いやだ、嫌がらせ。
でもひとみに限ってそんなことはない。
ひとみはノートを取り出して、何かを描きだした。
「128√e980」と書いてある。
やっぱり数学。
「説いてみて」とひとみ。
って言うか、さっぱり分からない。
ルートはルートよね。
例えばルート2は同じ数字をかけると2になる数字。
一夜一夜に人見頃。
つまり1.414213562×1.41421356は2になる。
でもルートの前にあるeって何?
「お手上げです」
「ごめん、問題まだ出してないから」とひとみは笑う。
「ヒント、なぞなぞかな。これって」
「なぞなぞ?」
「ハートの方程式と同じかんじの答えかな」
「ハートの方程式って、この前数の子先生をぎゃふんと言わせたやつでしょ」
「ぎゃふんとは言わなかったけどね」
「あの方程式はハートが隠れてたわよね」
「アッ!ヒントないと分からないかも…」
「ええ、何、全然分からない」
「数式の上半分を隠してみて、それが私の気持ちだから」
「上半分を隠すの?」
128√e980の文字の上半分を隠すと…。
何、上半分を隠すって何?
「じゃあ、隠すね」とひとみは上半分を手で隠した。
1vove you。
ああ、Vじゃなくて、横に少し傾けるとLだ。
1も数字の1じゃなくて、アルファベットのI。
つまり、I LOVE YOU。
嫌だ、イケメン。
イケメン告白。
確か私の気持ちだからって言ったよね。
嫌だ、告白。
ひとみったら、見た目はロリ顔。中身はイケメン、名探偵コナンみたい。
「どう?告白できない時にこの数字説いてみて、私の今の気持ちだからって、言ったらかっこよくない」
嫌だ、とろけそう。
百合が開花しそう。
「いつか使ってみたら、みゆも…」
うん?
「童話作家じゃ、使い道ないかもしれないけど、恋愛小説なんかで使うのありかなって思ってさ」
うん?
「みゆが童話作家になりたいって言うから、夢のお手伝い」
「ねえ、今の告白じゃないの?」
「告白?そう、みゆも誰か好きな人ができたら使うといいよ。ただ難問だから男子が解けるかどうかわかんないけどね」
男子って言った…、言ったよね、男子って。
私、女子だし。
イケメンとは言われるけど、一応女子だし。
ひとみは私が女子だって知ってるし…、告白じゃないんだ。
私一人舞い上がって、バカみたい。
いや、私のバカ。
そんなの当り前じゃない。
問題を出してる時のひとみって何してた。
ドリアを食べてたじゃない。
パスタを口いっぱいにして、問題出してたし、パンをくわえて謎解きしてた。
サイゼリアだし、こんなところで告白するはずないし。
それに最初に言ったよね。
問題出すって。
そうだ、ひとみは全然気が付いてもいない。
問題を出した先生が生徒に答えを教えてるようなもんなのだ。
私の勘違い。
はずかしい。
勝手に妄想しちゃって、百合でもいいなんて思ってしまった。
ハートを射抜かれてしまった。
ほんと、勘違い。
おっちょこちょい。
ああ、ひとみが天然でよかった。
きっと私の動揺に気が付いてない。
それだけが救いだ。
好きと言った途端に避けられる話、恋愛じゃよくある話だし。
もしひとみが私の気持ちに気が付いたら、避けられるかもしれない。
それに私、別に百合じゃないし。
男が好きだし。
まあ好きな芸能人はいないけど、モデル時代に男子にときめいたこともないけど…、私、間違いなく男好き。
いや、言い方。
好きものじゃないから。
私のひとみに対する気持ちは親友よ。
そう、心の底から幸せになってほしいと思う相手。
出会えて良かったと思う相手。
そして最高に好きなお友達。
「ドリア2皿追加で」とひとみ。
大好きな食いしん坊。
「誰がロリ顔よ」とドリアを食べながら、ひとみは声をあげた。
嫌だ、さっき考えったこと聞こえてたのかしら。
「まだ成長途中よ。今は子供に見えるけど、将来はボンキュッボンよ」
えっ。どういうこと?
「一体どれだけ食べてると思ってるのよ。これでボンキュッボンにならなかったら、投資詐欺よ」
やっぱりそうだ、ひとみはいっぱい食べると大人になると思ってるんだ。
でもいくら何でも成長期終わってるよね。
ひとみ、あなたのちっちゃな胸は現状維持よ。
なんて口が裂けても言えない。
みゆはことばを飲み込んだ。
代わりにみゆはひとみに、「ファイト」とこぶしを握って見せた。
ひとみは笑顔で、こぶしを握り締めた。