みえる子さんの非日常的日常
コーヒーチェーン店の一角には、年配の男女が二人掛けの席に向き合い座っていました。
女性側の背後には男が三人立っています。執事や警護人であればふさわしい立ち位置ですが、彼らにそのような覇気はなく、それ以前に生気すらありません。
一様に恨みがましい顔つきで立ち尽くす男達は、既にこの世の存在ではないのでした。
この場にいる人間で彼らを知覚しているのは私、加賀巳恵理子くらいのものでしょう。
さて、店を出ましょうか。待ち合わせ場所へ向かわねばなりません。
今日はうだるような暑さです。陽炎揺らめく通りに出るとすぐに玉の汗が浮かびます。取り出したハンカチで額をぬぐっていると、汗びっしょりになりながらもマフラーを巻いている女性とすれ違いました。さすがに驚きましたが、よく見ればちょっとした見間違い。
ちなみに、明らかに季節外れの厚着をしている人はチラホラいますが、彼らに気温は関係ありません。一見ごった返した通りも、うち二、三割ほどは彼岸側の存在が占めているのです。
いわゆる見鬼の才。
この世ならざる存在が視える者にとって、朔日は力が高まるため必要以上によく視えます。霊視をする分には都合がよいですが、必要ないものも見聞きしてしまうのが困りもの。おかげで横断歩道などは阿鼻叫喚の惨状で、血溜まりの中で重傷を負った人々が至る所でもがき苦しみ、助けを求める声がやむことなく続いています。
おっと……臓物の臭いまでしてきました。さすがにこれはしんどいです。
目を閉じて『見ざる、聞かざる、言わざる』の三戒を幾度も脳内でリフレインします。これは三猿で有名な言葉ですが、私が師について最初に教わった基本原則というやつです。
余計なものは見ない、聞かない、言わないようにしていれば、人は大過なく生きることができる。およそあらゆる物事に通じる真理ではないでしょうか。
だから、見たくもない、聞きたくもないものは、さっさと意識下から消えちゃってくださいな――なんて念じていると、いつしか周囲の異様な気配は薄れ世界が常識的な在り様を取り戻していました。
そうこうしているうちに待ち人が来たようです。
「どうも、お待たせしました」
黒塗りの車が停まって、後部座席の空いた窓から声がかけられました。
そこにいたのは先ほど店にいた年配の男性です。
真偽は不明ですが、彼は調査会社のスタッフなのだとか。あの年配婦人を調べており、本格的な調査に踏み込む前に視てほしいと私に依頼してきたのですね。
なにぶん人前ではしにくい話ですので、さっそく車に乗り込みます。
「霊視の結果ですが、三人ほど憑いていました」
「えっ、本当ですか! ああ、こいつは大事になりそうだなぁ」
大きくため息を吐くと依頼主はメモ帳を取り出し、私に視た人物の特徴を訊ねては一人一人詳細に書き込んでいきます。
随分とお疲れのようですね。ときおり手を止めては首や肩を揉みほぐしています。
ちなみにこの調査の目的を私は知らされていませんが、女性の背後に男性複数人の霊というパターンは大抵金銭絡みの殺人であるようです。
となると、あの女性はひょっとすると相続人や保険金の受取人、依頼主は遺族、警察ないしは生命保険の調査員といったところでしょうか。
まぁ、何であれ私には関係ないことですが。
なすべきことは、あくまで受けた仕事の範疇で見聞きしたことを伝えることのみ。それをどう解釈し利用するかは彼ら次第です。
ニーチェの有名な言葉に『お前が深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ』というものがありますが、全く至言であると思います。
好奇心は猫をも殺す。深みにはまれば我が身の破滅。
近所に強面のサングラスをかけた男性がうろついているからといってまじまじと見詰める人はいないでしょう。そっと通報するに留めますよね。
私がしている仕事はそのくらいのことなのです。
分をわきまえビジネスライクにいくのです。ビジネスライクでいいのです。
そんなわけで、依頼主の背後にいる存在について何も告知したりはしません。
肩の上にいるそれ、胎児と思われる何かがどろどろに溶けた存在は、小さな手足を必死に伸ばして男性の首や肩にしがみついています。時折、男性が首周りを揉みほぐそうとする度に払いのけられるのですが、しばらくするといじましくも再び彼の元へと戻るのです。
これは水子の霊ですね。
先ほど通りですれ違ったマフラーを纏っているように見えた女性も、よくよく視れば大勢の水子に纏わり憑かれていたのでした。まぁ、暑いのにマフラーなんて巻くわけないですよね。霊に憑かれているだけなら珍しくもありません。
この方のように父親に水子が憑いているのは珍しいですが、まぁ因果によってはそういうこともあるのでしょう。
いずれにせよ、ああいうものはすべきことをしていれば出てきたりはしないものです。いきなりプライバシーに踏み込むのもなんですし、さほど害のある存在ではないのでスルーでよいでしょう。
これにて本日の仕事は完了です。
バイト代を請求に叔父の経営する探偵事務所へと向かうことにします。
幸運にも依頼主がこのまま車で送ってくださるそうです。
今日はいい日ですね。
そうは問屋が卸しませんでした。
事務所に着くなり待っていたのは仕事の追加です。
まぁ、あまり時間のかからなそうな案件でしたので、引き受けることにしましたが。
私も懐具合の寂しい大学一年生でありますゆえ、夏の暇な時にバイト代は稼いでおきたいのです。
今度は不動産絡みです。これは非常によくある案件ですね。
こういった依頼をされる方は、いわゆる霊感の強い方が多いです。
そもそも心霊現象は誰もが体験しうるものですが、通常、縁もゆかりもない霊であれば互いに気付くことがありません。
しかしながら、霊感の強い方々は因縁をつけられやすい体質とでもいいましょうか、特に体や心が弱っている時などに感知してしまう傾向にあります。
なので、住まいに霊が居ついていたりしますと一大事なわけでして、家の賃貸や購入の前には調査が必須となるわけです。
そこで私のような見鬼の出番です。
若輩ながらこの手の家屋調査には自信と定評がございます。また大型物件でも、廃ホテルや廃遊園地などで実績を積んでおります。ご依頼くだされば、その地に居ついている霊の有無はもちろん、霊道や隣接地の状態なども含めてばっちり診断してさし上げますとも。
ちなみに、こうしたことは霊感の無い方であればあまり気にしない方がよいです。
まぁ、そうは言っても気になる人がほとんどでしょうけれど。
実際、不動産取引では心理的瑕疵といって、人死にがあったいわゆる事故物件であればその旨を告知する義務もあります。もっとも、これはきちんしたルールのあるものではなく、事故物件となった後に一度でも借り手がつけば、その後は告知されないということも珍しくないようですが。
またネットには事故物件の情報を取り扱ったサイトも存在し、結構な人気を集めているようですが、その情報にどれだけの信用性があるのかは分かりません。
そもそも、人死にが起きた場所イコール霊がいるというわけではないのです。
むしろ、そうした情報を積極的に集めることで、自身と幽霊との間の縁を結ぶことになるくらいです。
知らぬが仏というやつです。知れば鬼が現れます。
さて、そんなことを考えているうちに現場へと到着しました。
今回のお宅は古びた日本家屋です。かつては大家族が住んでいただろう広々としたお屋敷で、今は荒れていますが石灯籠を設置した風情あるお庭もあります。縁側に腰かけてスイカなど食べましたら、さぞ夏を満喫した気分になることうけあいだったでしょう。
呼び鈴を鳴らすと私より少し年上と思しき背の高い男性が出てきました。
この方が今回の依頼主で、事前に聞いた話では芸大生だそうです。原色を大胆に使ったシャツをお洒落に着こなす、ちょっと怪しい色気のあるイケメンさんですね。
やはり今日はいい日です。
挨拶もそこそこに、さっそく事情聴取に移ります。
「この家は親戚のものなんですよ。長らく空き家になっていて、誰か住んでくれていたほうが助かるということで格安で貸してもらったんです。大学からは少し遠いんですが、アトリエとして使える部屋が多いので気に入ってます」
入居の前には手入れや大掃除をする必要があり、これは親戚一同でしたそうです。
その際、親戚の子が暇そうにしていたので、絵を描く道具を貸してやったところ色々と描いていったのだとか。
「残していった絵を何の気なしに眺めてたんですけど……ちょっとおかしな点に気付いたんです」
それは、描かれている中にまるで知らない人物が紛れていたということでした。
もちろん、親戚の中には何年も会っていなかったような人もいたようですが、さすがにそんな人物がいたはずはないとの確信があるようです。
「まぁ、子供のすることだから想像上の登場人物を加えるということもあると思います。うちは長寿の家系なので、この家を建てたひい爺さん達も施設でまだ健在ですし、家にまつわる不吉な話なんかも一切ないですから」
依頼主の言う通りで、この家には曰くの類が全くありません。
事前に叔父が調べたのですが、この辺りは戦後に山林を切り崩して造成した土地なのだとか。少なくとも記録上はクリーンであり、事故物件の類でないことだけは確実ですね。
「とはいえ、あの絵を見てからちょっと気味が悪くって。家鳴りがしたりするのも誰かがうろついているように感じられて……」
それで友人に相談したところ、人づてに叔父の事務所を紹介してもらったとのことです。私が言うのも何ですが、変わった交友関係をお持ちのようですね。さすがは芸大生というところでしょうか。
まぁ、それはいいとして、
「その絵を見せてください」
手渡された画用紙には、親戚一同で和やかな宴会をしている様子が描かれていました。
子供が描いたとは思えないほど上手でしたが、やはり芸術に造詣の深い家系なのでしょうか。さて、怪しげな人物はどれでしょう。絵描き自身は含めなかったらしく描かれているのは大人達だけとなりますね。
と、横からそっと伸びた指が一人の人物を示しました。
そこに居たのは団らんの片隅で独り所在なさげに立ち尽くす剃髪した白装束の男性です。
「ああ、明らかにこの人だけ浮いていますね」
そう言って傍らを見れば、物憂げに頷く男性とばっちり目が合いました。
不覚にもちょっとドキドキ。全く、不意打ちはやめて欲しいものですね。
すると彼は私の手を取り、隣室へと誘うように歩き出します。
見かけによらずとても強引な方ですね。
隣室はお座敷でした。その一角にある床の間へと私を連れてくると、男性は怪しく微笑み壁ドン――じゃなくて床柱に手を突きます。
「そうですか……分かりました」
私がそう口にすると、男性は満足そうに微笑みました。
「何が分かったんですか?」
戸惑った様子の依頼主が声をかけてきます。
彼からすれば、絵を眺めていたと思ったら唐突に隣室へと移動して、床の間の前で分かったと独り言ちたようにしか見えていないので当然ですね。けれど、私には全て視えてしまったのでこう答えます。
「あの白装束の人物は幽霊です。どこの誰かは分かりませんが、ご自身やご親族、この土地とも無縁の人物と思われます」
「ああ、やっぱり幽霊なんですか。でも、無関係な霊が何でうちにいるんですか?」
「それはこの床の間のせいですね。正確には、床柱に使われた木が原因となっているようです。それ以上のことはまだ分かりませんので、後ほど改めて調査に伺わせていただきます」
というわけで、私の仕事はここまでです。
まぁ、なんとなく予想はつくのですが、違っていたら困りますのでそれ以上は言わずにおきましょう。依頼主と、白装束の幽霊さんとに別れの挨拶を済ませ、事務所に報告の電話を入れて帰宅します。
それからひと月ほどで、叔父の調査により床柱の由来は判明しました。
あれは元々、とある名家の地所にあった立派な赤松であったということです。その家が没落して家財を処分することになった際、高級木材として伐採されてしまったのですが、実はその木は単なる観賞用ではなく家の守り神であったそうです。
伝えられるところによれば、その家は江戸期に灌漑事業の指揮を執って財を成したそうです。
ところが当初事業は失敗続き。いよいよ進退窮まった頃、ある晩、夢枕に立った土地神がこう言います。『私のために社を築き、赤松の木を植えよ。さすれば、たちどころに難題は解決するだろう』と。
お告げのとおりにした結果、灌漑事業は無事に成功。それ以来、土地神は守り神として祀られることになりました。
この話から推測される幽霊の正体とは何でしょう?
昔は土木工事に挑む際に人身御供を行うことがありました。
土地神に捧げる生贄としたのか、人柱となった者の霊力による補強のつもりなのか、いずれにせよ、あの赤松はそうした犠牲者の墓標代わりに植えられたものとみてよいでしょう。
ですから、御霊を慰めるための唯一の寄る辺であった赤松とともに、そのままこの家についてきてしまったのですね。
伝承や記録というものは、都合よく改変されるものです。
施主が木の由来を知っていれば、没落した家の人柱の墓標を新たな家の柱にしよう、などとは思わないでしょうが……。
まぁ、知らぬが仏でしたね。
憑いていた霊も別に悪いものではなかったですし、新たな塚を築いて慰霊を行い一件落着としましたので、床柱もそのまま使っていただいて平気です。
え、不気味ですか?
このくらいよくあることですよ。
食の安全だってよく分からない世の中です。細かいことをいちいち気にしていたら生きていけないと思うのですが。
それに、この件で気になることはもっと他にあったのです。
『見ざる、聞かざる、言わざる』の三戒を遵守する私ですが、霊能者の端くれとして本当に危険な物事は放置したりはしません。
ですから、今回の件の発端となった親戚の子について、一応コンタクトをとっておこうと思ったのです。
どの程度の力かは分かりませんが、霊感があるのは間違いなさそうでしたので、成長するにつれて失われるのかそうでないのかを見極めて、適切な助力をしなければいけないと思ったのですよ。
ところがですね。
いなかったんですよ、そんな子供は。
親戚の方に確認したところ、あの作業に子供は連れてきていないというのです。
そして、あの絵を描いていたのは依頼主自身とのことでした。
現場を目撃したらしく、夜中に独りで目を血走らせながら描いていたとのことです。声をかけても反応が無いので、大した集中力だと感心していたそうですが。
さて、一体どういうことなのでしょう?
別の何かが憑いていたりしたのでしょうか?
少なくとも私が視た時点では、何も憑いていなかったしその痕跡も見当たらなかったのですが。
結局、依頼主をいたずらに不安にさせるべきではないとの判断でこのことは伝えず、何かおかしなことがあったら連絡するよう注意を促しておくに留めましたが、ちょっとすっきりしませんね。
まぁ、この業界で物事がすっきりすることの方が珍しいのですけれど。
やはり、切り替えていくとしましょう。気にしていたらきりがありませんからね。
分をわきまえビジネスライクにいくのです。ビジネスライクでいいのです。
どうせ今日もまた、私の瞳には新たな彼岸の存在が視えるのですから。
あなたもそろそろ自分の身の振り方を考えておいてくださいね?