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白い入学式

作者: あいうえお

 十五歳、四月某日。

 入学式当日。

 大雪警報発表。


 灰色に濁った曇り空から、大粒の雪がしんしんと降り落ちてくる。

 閉ざされた鉄柵の校門。校門を入ったすぐ近くには、大きな一本の枯れ木。方々伸びる枝には、雪が白い花のように積もっている。門の向こうには、ただっぴろいグラウンド。グラウンドというよりも、もはや雪野原だ。それを見下ろすように佇む、三階建ての校舎。屋根は何色だったのか、もう分からないくらい雪で覆われてしまっている。三階から天に向かって突き出た時計台には、黒縁、黒文字の丸時計。変わり果てた風景など気にも留めていないかのように、淡々と針を進めている。

 時刻は午前八時過ぎ。

 校門前には、新品の制服に身を包んだピカピカの新入生はおろか、在校生も教師も、影も形も見当たらない。

 当然だ。

 警報のため、入学式は中止。学校自体が、休校らしい。

 この地域ではあまり珍しいことではない。突然舞い込んだ休日を、不謹慎とも思わず、同学年・先輩方は謳歌しているだろう。

 不憫なのは、サラリーマンやオフィスレディ。雪が降ろうと槍が降ろうと出勤しなければならない。交通機関の遅延、運行見合わせのため、スーツで武装した戦士達は、駅構内に立ち往生。

 商店街のお店は、シャッターを早々に下ろして休業。大型スーパーは開店するも、お客はまばら。

 犬も猫も外に出ず、家の炬燵で丸くなっている。

 そんな世間を余所にして。

 私はというと、一人校門前に仁王立ちで立っている。

 家族で誰よりも早く起き、まだ運行していた始発の電車に飛び乗った私に、入学式中止の連絡が追いつかなかった。大雪警報と入学式中止の連絡も、お母さんからのメールで知った。そのメール以外にも、私の携帯電話には、鬼のような数の着信と留守電とメールが入っている。全てお母さんから。内容も全て同じ。

「どこにいるの。早く帰ってきなさい」

 申し訳ないが、聞かなかった、読まなかった振り。

 途中で運転見合わせになった電車を降りて、歩いて、バスに乗って、バスが停まって、また歩いて、歩き続けて。

 やっと、この門の前までたどり着いた。

 だから、電話を折り返すのはもう少し後にさせてほしい。


 高校指定の制服に、真っ黒なダッフルコート。ボタンは隙間なくきっちり留めている。短いショートヘアーには、黒いニット帽を。紺色のマフラーは口元まで隠れるようにしっかり巻き、灰色の耳当てで両耳を保護。できることなら、銀行強盗がかぶるような、両目と口元しか開いていないマスクを被りたかった。しかし、入学早々、生徒指導室に直行したくない。足元は黒いタイツに、高校指定のこれまた紺色のハイソックス。金色の鳥をモチーフにした校章が刺繍されている。靴は黒いローファー。家を出るときは卸し立てでピカピカだったか、今はもう見る影もない。防水のスニーカー、いや、ブーツを履いて来ればよかった。

 失敗、失敗。

 頭の天辺から爪先まで、暗い色で統一されている私のコーディネート。しかし、今や校門や校舎の屋根と同じく、雪で白く塗りつぶされかけている。唯一ビビットカラーな赤い折り畳み傘は、途中で放棄した。差しても邪魔なだけだった。今は、私の通学カバンの中でその身を横たえている。

 寒い。

 ともかく、寒い。

 マフラーの中で吐く息が、一瞬の暖となるかと思いきや、甘い考えだった。すぐに冷えた水蒸気となって、私の唇を湿らせる。

 冷たい。

 ともかく、冷たい。

 普段の私なら、すぐにでもこの場所から踵を返して、自宅に向かっている。そもそも、家から出ようとすら思わない。

 ぴゅうっと、横殴りの風か吹く。私に追い打ちをかけるように。

 枝に積もった雪が、ぱたぱたと地面に落ちていく。

 縮こまりながら、コートのポケットから灰色の手袋に覆われた手を出すと、もう一度マフラーを口元まで引き上げる。

 体は冷え切っている。どうしようもなく。

 それなのに。

 喉が、ひどく渇いている。


 喉の奥。

 骨と肉で守られている更にずっと先。体のど真ん中。

 真っ赤な心臓の中心で、炎が燃えている。

 暖かな温もりはない。ガスバーナーみたいに青白くて、細くて、凶暴な色の炎だ。

 心臓がどくり脈打つ度に、血液と共に押し流され、血管を通って全身を巡っていく。そして、足先から頭のつむじまで行き渡り、また心臓へと帰ってくる。

 酸素ではなく、別の何かを奪い続けながら。

 炎が通った後に残るのは、飢え、渇き。

 渇きだ。


 今日は、推薦入試に受かってもぎ取った、高等学校の入学式。

 自宅から自転車で二十分かかる隣町の駅から、電車で一時間。更にバスで三十分。更に更にバス停から徒歩ニ十分。通学片道約二時間。高校がこの場所になければ、きっと一度も訪れることはなかっただろう。

 だから、私を知っている人はいないし、私が知っている人もいない。私のことは、私しか知らない。

 まさに望み通りの場所だ。

 静かに目を閉じると、瞼の裏にちらつく残像。

 机の上の落書き。生ぬるい視線。空っぽの下駄箱。鉛筆を固く握りしめた指先。涙の跡がついた空白のノート。三階の教室の窓から見下ろした、誰もいないグラウンド。

 こびりついている。まだ、剥がれきれない。


 突然。

 睫毛にぴしゃりと冷たい塊がぶつかる。

 慌てて雪のついていない手袋の手のひらで目をこする。目の前に再び現れる白くて見慣れない景色。ぱちぱちと瞬きすると消えていく残像。

 今は、私の目の前にあるものだけを見ていれば良い。

 目に力がこもる。

 こびりついてはがれないものに、かまっている余裕はないのだ。

 縮こまった身体を奮い立たせて、ぴんと背筋を張る。校舎を睨みつけるように、見上げる。

 目尻から、小さく火花が飛び散る。

「部活動は」

 何に入ろう。運動部に挑戦してみようか。いや、早まらずに、慎重に。体験入部を重ねて、本当に入りたいところに入ろう。

「友達は」

 ちゃんと作ろう。少なくても、多くてもいい。おはようと、さよならを言い合えれば十分だ。

「身だしなみは」

 きちんとしよう。おしゃれにはすぐになれない。毎朝しっかりと顔を洗って、髪をとかして、胸元の制服のリボンをきちんと結ぼう。

「恋に」

 落ちよう。どうしようもないくらい。真っ逆さまに。手をつないで一緒に帰りたいと思える相手を見つけよう。

 それは、声に出さない決意。

 なんて、大層な名前がつくものではないけれど。


 どくり。

 心臓の鼓動が激しくなってくる。

 炎が更に燃え上がる。

 強さと凶暴さを持って。

 どくり、どくり、と。

 赤い血と青白い炎が、血管を通って送り出されては、戻ってくる。

 全身を巡る。

 全身から奪う。

 もっと、もっと。

 足りない、足りない、足りない。

 喉が焼かれそうだ。

 思い切ってマフラーをずらして、口を大きく開ける。

 火柱が立ち上るかと思ったが、代わりにぼんやりとした白い水蒸気の塊が飛び出す。すぐに風に煽られ、目の前の校舎に向かって飛んでいく。


 雪は、まだ止まない。

 風がどんどん強くなってくる。

 吹き荒れる雪の嵐。枯れ枝は大きく揺さぶられ、グラウンドでも砂埃ならぬ雪埃が舞い上がる。いつのまにか、黒いローファーが雪に埋もれてしまっていた。慌てて足を上げると、深い足跡が出来上がる。携帯のバイブレーションがまた鳴り始める。

 時刻は、午前八時半。

 そろそろ潮時だろう。

 姿勢を正す。

 じっと校舎を見据えてから、ゆっくりと一礼。ここ一週間、鏡の前で練習した通りに。横から見たら、四十五度の角度。

 この一礼をするために、今日ここに来た。

 考えが青臭いという輩はかかってこい。上等だ。こちとら思春期真っ只中の厨二頭である。

 今日じゃなければ、いつやるのか。槍が降ろうと、隕石が降ろうと。絶対に、今日しかない。

 今日の入学式で、全てが始まるのだから。

 曇天の空の下、白い校門前。白い枯れ木に見守られながら。

 新入生の胸に咲く花と名札の代わりに、燃え上がる青白い炎と渇きを秘めて。

 顔を上げる。前を向く。

 これから三年間、どうぞよろしく。

 

 くるりと踵を返すと、校舎から背を向けて雪道を歩き出す。

 来る時と同じく、帰り道も大変そうだ。深い足跡をつけながら、えっちらおっちら帰路を進む。

 一歩一歩雪を踏みしめる度に、ざくっざくっと音が鳴る。ちょっと楽しい。心が軽やかだ。熱に浮かされたみたいに。

 軽くスキップ。

 案の定、雪に足を取られて前のめりに倒れる。

 世界はスローモーションのように流れず、あっという間に雪道にダイヴ。お約束の通り、思い切り顔面から。

 投げ出されたカバン。コートのポケットから滑り落ちる携帯電話。

 柔らかそうな雪の絨毯の下には、固い固いコンクリートロード。

「痛いっ」

 そして、冷たい。

 叫んだ悲鳴と共に、今度こそ炎が飛び出した気がした。


 春のイメージの入学式を、冬に置き変えました。

 『白』をキーワードにしています。

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