『昔はよかった。当時は今に1流くらいのことを2流3流のやつでもできた。今では1流でなければ不幸だ』
熱に浮かされながら書いた。後悔はしていない。でもきっと今後する。
次のような考えがある。『昔はよかった。当時は今に1流くらいのことを2流3流のやつでもできた。
今では1流でなければ不幸だ、負け組だ』という腐った考えだ。いかれている。ふざけるなと言いたい。私はそんな時代には生まれていない。そんな時代は知らない。そんなころに理想なんざ知ったことか。
今すべきことは過去を懐かしんで今を嘆くことか。否だ。畏れ多くも起て一系の大君を光と永久に戴く帝国臣民たる我らは、今この時に一致団結し、日本精神を涵養し、今再び栄光を取り戻すべく
無私の奉仕を、祖国日本と一億同胞の為に行うべきである。
本来は幸福とは、無私の奉仕の上に成り立つ。すなわち帝国の繁栄を保持し、皇恩に報いることができれば、その先に皆が平等に生きてゆける空間が、老いも若きも皆が等しく皇恩に浴し、福祉をうけられ、万余の物資は循環する。しかし、戦後、祖国に対する無私の奉仕を教えなくなった。その代わりに個人の欲を肯定し、幸福は個人で回ればよいとしたのだ。その教育は臣民たる我らを独りよがりにした。だから今、一流でなければ幸せでないと嘆かせるのだ。全く持って不愉快である。なぜ陛下の元に団結しないのだ。日本精神が足りないのである。もし幸福でないというならば、後の続く後世の臣民に奉仕せよ。同じ様な目に合わせるわけにはいくまい。後世の為の無私の奉仕こそが常に国家を前進させる。嘆き悲しむ必要はないのだ。我ら臣民、今や一致団結し、各々の職掌を把握し、そして死力を尽くしてこれを完遂せしめて、もって国難克服にあたるべきである。
我らの世代が無私の奉公をすることによって、後世の者が先祖代々に恥じることなく、父母を養い、子をいつくしみ、子孫の者の為に奉公する健全なる帝国の未来が開けるのである。それが祖国のため、ひいては陛下の為になるのである。
嘆くな、恐れるな。奉公せよ。
こいよ非国民