仕事とプライベート
「久実ー!」
「ゆり、久しぶり!」
今日は、仕事もお休み。大学時代の友達と街に遊びに来た。
あれ以来、ミスも前よりずいぶん減って、職場の環境にも慣れてきた。(そして力の抜き方も知っ……ゲフンゲフン)
「どこにいこうか?」
「新しくできたカフェは?」
「いいね!じゃあ、行こうか。」
白い花柄のついたスカートをふわりとさせてゆりは楽し気に先を歩いた。
彼女は森林サークルというサークルで活動していた、見た目はおっとり、中身は体育会系というギャップガールだ。だが見た目は本当にかわいい。小柄な彼女が歩くたびに、ポニーテールにされた長い黒髪が左右に揺れる。
「ここのカフェ、店員がイケメンなんだってさー。」
「イケメン、ねー。」
新しくできたというカフェは、テラス席があるいい雰囲気のお店だ。混んでいなければもっとよかったのだが、贅沢は言えない。
30分ほど待って、私たちは少し奥まったところにある二人席に通された。隅の方ではあったが、窓からは日の光が差し込んでいるため暗い感じはない。
「お待たせいたしました、こちらおしぼりでございます。ご注文がお決まりの頃お伺いします。」
「はいっ」
さわやかな笑みをこぼすイケメン店員にゆりの目はハートになっている。
「ちょっと、ゆ・り。彼氏はいいわけ?」
「別腹よ別腹。それに、彼氏とは別れたの。今はフリーで、合コンを楽しんでるわよ。」
「え、別れたの?結婚するのかと……」
「しないしない!だって家事出来ないし金遣い荒いし。まー、やさしくて友達思いの人だから、いい人ではあったんだけど、やっぱり結婚ってなると、いろいろと考えちゃってね……」
「ふーん、そういうものなのか……」
私には分からん。
「ね、それよりどれにする?このパフェとかおいしそうだよねー。」
「私はこっちのケーキがいいかなぁ。さっきからコーヒーのいい匂いもしてるし、セットドリンクはスペシャルブレンドにして…」
「相変わらずねー、しぶい。」
二人でケタケタ笑いながら近況報告をしながら、注文したものが運ばれてくるまでの時間を過ごした。でも、なんとなく高槻さんのことは話せなかった。
「……ご注文の品は以上でお揃いでしょうか。」
「はい~」
「では失礼致します。」
すたすたと戻っていく姿は確かに細マッチョでかっこいいかも。大体66kg級ってところか…
「久実、今また階級はかってたでしょ。」
「ばれた?つい癖でねー。」
「それで久実の方はどうなのよ!彼氏の方は。」
「いないよ。仕事始めてまだそんな余裕もないし。」
「ふーん……」
話を聞いているのかいないのか、パフェに目を落としながら上の空の返事をしながら、パフェのソフトクリームの尖端をつついている。
「まだだめか……」
ぼそりとつぶやいた彼女の顔を思わず見つめてしまった。どこ吹く風で「おいしい」とスフとクリームを頬張る彼女を。
「今、なんて?」
「ん?だって……ほら、久実って大学時代、『彼』と仲良くしてたじゃない?結局あんなことになっちゃったけどさ……そのことに、ちゃんと気持ちの整理つけられたのかなって。私と違って久実は奥手だし、というより、相手の人間性を見て大事にしたいって思いを持てるかどうかってのが先に来るでしょ?彼氏が欲しいとかじゃなくてさ。一旦大事にすると決めたものを簡単に手放したりするタイプでもないし。変に真面目だから、心配してたのよ。」
予想外だった。まさか、ここまでいろいろ考えて心配してくれていたとは……
「そっか…心配かけたね。ごめん。」
「謝ることじゃないよ!でも、新しい男探すのも、過去を忘れる手段だよ?たまには、そんなふうにいろんなものから逃げてもいいと思うよ。」
過去を忘れる、か。
忘れたいものなのか、忘れるべきことなのか。何にせよ、忘れよう忘れようとするほどにはなかなか忘れられないものなのだと、もうすでにここ2年以上で実感している。
たとえ新しい想いへの走り出したいと思っても、過去の自分が足止めする。
本当に、これでいいのか、と。
私はチョコレートケーキのガナッシュをゆっくりと口で溶かしながら、ブラックコーヒーを舌の上に含ませた。
甘くて苦い、味がした。
その後店を出てから、私たちはのんびりと散歩をしながら話すことにした。
もうすっかりと夏の日差しを向ける太陽を避けるように、私たちは川沿いに等間隔に並んで植えられている木の下を歩いた。
犬を散歩させているおじいさんや、河原でボール遊びをしている親子など、都会から少し離れたそこはゆったりとした時間が流れている。
向こうからは、ランニングウェアをまとい、サングラスをかけた人が走ってくる。
休日だなぁ……
通り過ぎていくであろうその人をぼんやりと眺めていると、ふと私たちの前で立ち止まった。
「よお、上野。」
「え!?わ、私の名前……」
「ああ、すまん、俺だ。」
その人はサングラスを上げてニカっと微笑んだ。
「高槻さん?」
「え、だれだれ、このイケメン!」
「これは、失礼しました。高槻と申します。上野の会社の先輩にあたりますね。」
「そうだったんですねー。私、大学時代の友達で、大野ゆりと申します~。」
「大学時代?では柔道部の?」
「まさか!こんな枝みたいな腕で人なんか投げられませんよ~。久実とは同じ学部だったんです。」
「ああ、なるほど。それはそれは、失礼しました。」
なごやかに話が進んでいるが、私は突然の高槻さんの登場についていけず、口をパクパクさせるのがやっとだった。
「どうしたの?久実。酸欠の魚みたいな顔になってるわよ。」
「誰が酸欠の魚よ!大体、酸欠の魚の顔なんかみたことあるの?」
「ぶっ……ククク……」
「わ、笑わないでくださいよ、高槻さんっ」
「すまんすまん、あまりにいいツッコミで、つい。」
「もう……。それにしても、休日にランニングですか?」
「ああ、まぁな。普段はデスクワークばかりだから、休日くらい動かないと腹が出るだろう?」
「まだそんな年じゃないでしょう。あ、でも高槻さんお酒好きですもんね。それに、仕事中にチョコレートつまんでるところを見ましたよ。」
「恥ずかしいな、そんなところ見られてたか。」
「ふふ、まあ糖分接種は必須ですよね。クライアント様とお話しするのもかなりの集中力と思考力を使ってますし。」
「中途半端な対応はできないしな。向こうだって必死だ。」
「ちょっとちょっとお二人とも、だんだん話が仕事の話になってますよー。せっかくの休日に、もう!」
二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「確かに。」
「でも、上司と会って何を話せって?」
「いろいろあるでしょー、ランニングが趣味なんてかっこいいですね、とか。家はこの近くなんですか?とか!」
「さすがゆり。合コンの女王。」
「もう!変な称号つけないでよ。それってずっと合コン出てるって言いたいんでしょ!」
「あ、ばれた?」
「ハハハ……仲いいんだな、二人は。」
「すみません、お恥ずかしいところを。」
「いやいや、こっちこそすまんな、急に声をかけて。ごゆっく…」
「あ!!そうだ、私。この後約束があったんだよねー。久実、悪いけど今日はここで。」
「え?だってゆり、今日は……」
「じゃー高槻さん、久実はこのあとフリーなんで。あとよろしくお願いしますね?じゃあまた!」
まくしたてるようにそう言うと、山で鍛え上げられた足の筋肉をフル活用して風のように消えていった。
「……おいて行かれた、な。」
「……はい。」
何を勘違いして置き去りにしていったのか……。
高槻さんと目を合わせ、困ったように笑い合った。
「訳の分からん友人ですが、やさしくて明るい人なんです。」
「友達思いのいい子じゃないか。」
「とはいえ、すみません、ランニング中に。」
「いや、ちょうどいいから切り上げるよ。それより上野、この後暇か?」
この後……もともとゆりとは晩御飯まで食べて帰ろうと思っていたから予定は空いている。
「はい。」
「じゃあご友人のお気遣いに則り、一緒にご飯でもいかがですか?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべている。全く、困った上司だ。
「ぜひ。」
その後、一旦分かれて私の自宅の最寄り駅に再集合となった。
せっかくなので家に帰り、化粧を直した。特に意味はないが家をきれいにしたり、台所を片したり。高槻さんが家に来るとは全く思わないが、心持の問題というか、要は落ち着かなかった。
「お待たせしました。」
「いや、大丈夫だ。すまんな、休みの日に上司と飯だなんて。」
「いえいえ、全然。あ、何食べますか?この近くだと……うーん…居酒屋でもよければいろいろあるんですが。」
「一人で飲みに行ってるのか?」
「……まさか、そんなことするわけないじゃないですかー。」
「間があった上に棒読みだぞ。嘘つけない性質だな。」
「そこはご想像にお任せします。この近くに、ご飯がおいしい居酒屋があるんです。お酒もおつまみもおいしいんですけど、そこの海鮮どんぶりがまたおいしいんですよ!」
「ほう、それは興味あるな。連れてってくれるか?」
「はい!」
あれ、なんだろ。何か「普通」の男女みたいだ。
そんなことを片隅で思いながら、お店に入った。ほんの5分ほどだったはずなのに、やけに長く感じた。
「こんにちは、2人なんですけど。」
「はいはい、カウンターにどうぞ。」
こじんまりとしたお店は、お客が3組ほどいるだけでも店の半分以上を占めていたが、不思議と窮屈という感じはなく、落ち着いた雰囲気だった。懐かしいというか、なんというか。
「いい店だな。」
「そう言っていただけると連れてきたかいがあります。」
「いらっしゃい、何にします?」
「海鮮丼2つ。」
「あ、あとおすすめの日本酒があったら2つ。あとはたこわさ一つ。」
「はいよ。」
すらすらと伝票に書いて、店のおばちゃんは奥へ引っ込んでしまった。それにしても日本酒って……
「お酒も飲む感じなんですね。」
正直どういうテンションでいたらいいか分からなかったので、お酒を飲むというのは一つの指標になってありがたい。
「だって、居酒屋に来て酒を頼まないのも何だか落ち着かなくてな。あ、ひょっとしてこのあと何か用事があったか?すまん、勝手に……」
「いえ!全然、大丈夫です。日本酒好きですし…」
「はいお待ち。日本酒とたこわさ、あと海鮮丼ね。」
「「…はやい…」」
会話もろくにしていないままに、予想以上の速さですべての品がそろった。やや調子は狂いつつも、乾杯をして海鮮丼を食べる。
「うまい!」
「でしょう?お醤油にもこだわっているみたいで、すごくおいしいんですよ。」
お腹がすいていたのか、それ以降は会話もせずに海鮮丼をあっというまに食べつくしてしまった。
「いやー、無言でがっついてしまった……本当にうまかったなぁ。ありがとう、連れてきてくれて。」
「いえいえ、満足いただけたようで何よりです。」
私たちは、たこわさと日本酒をのんびりと食しながらどこを見るわけでもなくぼんやりとカウンターの奥に見える店の主人の背を眺めた。
「そういえば、今日の友達はずいぶんかわいかったな。彼女もてるだろ。」
「え?あー…まぁそうですね。でも、顔だけで寄って来る男なんてーって、よく言ってますし。彼女も彼女でいろいろ理想もあるみたいですし、結構難儀してるみたいですよ。」
「そうなのか。」
ああいうタイプが好みなのだろうか。確かに、変わってはいるが友達思いだし、かわいいし。
「高槻さんは……」
「ん?」
「あ、いえ…。」
いや、上司にそこまで突っ込んだ質問をするのもどうかな。
「なんだ?気になる。言わないとたこわさ全部食っちまうぞ?」
「なんですか、そのよくわからない脅しは。」
「気を使うなってことだよ。仕事中じゃあるまいし。」
そうか、それはプライベート……なのか?
「でも高槻さん上司です。」
「それは……その人に対して持つ印象は、やっぱり何かに依存せざるをえないですよ。」
「正論かもな。ある関係性から完全に逃れることは難しい。そうだな、じゃあ聞き方を変えよう。俺は上野が俺に何を言いたいと思っているのか気になる。言いたくなければ言わなくてもいい。でも気を遣って溜め込まれたくはない。」
その言い方はずるい。
「そんな大したことではないんですけどね。ただ、高槻さんも、ゆりみたいな子が好きなのかなーって思っただけです。私、男性の好みの女の人って良く分からないので。」
「なんだ、そんなことか。もったいぶらずに言ってくれよ。俺は、どうかな。話してみないと分からないが、いいやつなんだろうなとは思う。けど見た目で好きとかはあまりないな。」
「そうなんですか。」
「その子の、見た目で寄ってきて中身をみられないっていうのは少しわかる気がするな…。」
遠くを見つめるような視線でグラスを傾ける高槻さんの横顔に、なんて言ったらいいのだろうか。その視線の先を追うように私も見つめる。
高槻さんも、きっと。
見た目だけで寄ってこられたのかもしれない。胸をわしづかみにされるような、何か痛い思いをしたのかもしれない。
なんて、お酒が入ってるからか、行き過ぎた妄想だ。
「……高槻さんは、見た目も中身もイケメンだと思いますよ。」
高槻さんの視線をほほに感じて、私はその目をみやり、口角をあげた。
「ちょっとめんどくさい性格ですけど。」
「ははっ、めんどくさいって……上野に言われたくないな。」
「ひどーい、どういう意味ですか?」
軽口をたたきながら日本酒を飲んでいると、不思議と柔らかい気持ちになっていく。
固まっていた心が、ゆっくりと解きほぐれて広がっていくような、温かさ。
きっと日本酒のせいだ。
帰り際、高槻さんは「また会社で」と言い残して去っていった。
私はゆっくりと一歩一歩確かめるように歩きながら帰る。この辺りは明かりがともっているため、空を見上げてもあまり星は見えない。
そういやあの日も見えなかったか。重く広がった雲、ゆったりと落ちてくる雪。
いつだって思い出すのは雪景色だ。
あの頃もずっと、考えてた。立場とか、立ち位置とか、相手にとっての自分の意味とか。
そんな自分探しをしていた頃が懐かしいとか思ってたのに、今もまだ、私は分からないことばかりだ。仕事とか、プライベートとか、恋とか友達とか、どんなカテゴリーにいれば安心できるのだろうか。
どんなカテゴリー化をしたら、あの人も、高槻さんも、割り切っていられるのだろうか。