旅立ち
【旅立ち】
「さて、と。」
鞄を背負い直して、ふと私は部屋を振り返ってみた。
からっぽ。
「もう卒業か」
長かったような、短かったような大学生活を振り返ると、ふと笑顔がこみあげてきたが、すぐに涙がこぼれそうになる。
置いてあったベッド、机、テレビ、座布団……
そして、君。
何もない部屋に、触れるくらい鮮明に思い浮かべることが出来てしまうことがひどくむなしく感じた。
『将来はさ、何がしたいの?』
『まだ分からないけど……誰かを助けられる仕事がしたい、かな」
『……ふっ』
『な、なによ!』
『いや、久実が言う誰かって誰なのかな?って思っただけ。どんな仕事も誰かや何かのためにあると思ってるから……久実にとっては、誰かってのはどこにいる、どんな人なのかなって思ってさ』
ただ単に馬鹿にされたのかと思ったら、案外しっかりとした答えが返ってきて面食らった。
しかも答えられない。
目の前でいたずらっぽく笑いながらも、少しばつが悪そうに頭を掻く彼のしぐさに胸がドキドキした。その姿を見ていられるだけで、温かな気持ちになれた……。
将来の真面目な話をしていたはずなのに、そんな目の前の小さな幸せに心はすぐに奪われてしまったのだ。
そのことが、何となく恥ずかしくて私も同じように頭を掻きながら笑った。
目を閉じる。
忘れよう、もう。
ゆっくりと目を開けてもう一度鞄の位置を直す。
部屋に背を向けてコツコツとブーツのつま先をつつき、私はドアノブを掴み、迷いなく押した。
さあ、行こう。