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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス[王都編]2 『ウーリの谷』を守り抜け

作者: シベリウスP

最初は様々な作品のごっちゃ煮の感じがしますが、元ネタらしきものに気がついても気にしないのが読み進むコツです。回が進むうちに、だんだんと色が定まってきますので、それまでどうぞよろしくお付き合いのほどを。

起の章 久しぶりの帰宅


 「お~い、ハシリウス~。朝ですよ~」

 「ぐー……」

 ここは、白魔術師の国であるヘルヴェティア王国の首都・シュビーツにある、王立ギムナジウムの学生寮。その一室で、さわやかな朝寝を堪能する生徒を、同室の生徒が起こそうと努力していた。

 「爽やかな朝だよ~。たまには自分で目覚めんか~い」

 「ぐーすかぴー…………」

 ハシリウスと呼ばれたその生徒は、栗色の髪をぼさぼさにしたまま、枕を抱いてぐっすりと眠っている。起こそうとしている生徒は、しばらくその寝姿を見ていたが、時計の時刻に気付き、肩をすくめた。

 「はっはっはっ♪ 結局君は、こうしないと起きないんだね――風の精霊エアよ、今朝もよろしく頼んます♪ フライ!」

 同室の生徒――アマデウス・シューバートがそう言うと、ハシリウスの身体がふわりと浮きあがり、ベッドの外に出た。そして、

 ドッシ――――――ン!!!

 素晴らしい地響きを立てて、ハシリウスの身体はお尻から床にたたきつけられる。

 「バビロニアっ!」

 ハシリウスは、わけのわからない叫び声をあげる。

 「おっは~♪」

 ハシリウスの目の前に、そう言って手を振るアマデウスの顔が見える。

 「うう……朝からそのさわやかな暑苦しい顔を見ると……」

 「こら、ハシリウス。人がせっかく起こしてやっているのに、そんな言いぐさはないだろう」

 「でも、もう少し優しい起こし方ってもんがあるだろう?」

 ハシリウスがお尻をさすりながら、そう言って立ち上がる。

 「甘いっ! 何度優しく呼びかけても、まったく目覚める気配すら見せないキミが悪い!」

 「うう、そう言われると返す言葉もない……」

 ハシリウスが言うとアマデウスはにかっと笑って、

 「とにかく、ちゃんと起こしたぞ。授業に遅れないようにしろよ。今日が年末最後の授業だからな」

 アマデウスは、そういうと風のように部屋から出て行った。

 時計を見ると、始業30分前だ。これからソッコーで準備してもギリギリだ。ハシリウスはその碧色の瞳を大きく見開いて言った。

 「やべっ、本当に遅刻するぜ」

 ハシリウスは慌てて着替えをしに洗面所へと駆け込んだ。


 カランカラン……カランカラン……午前の授業が終わった。ハシリウスは机に突っ伏して、

 「ふ~っ、やっと午前の授業も終わりか……今日も何とか間に合ったなあ」

 寮から学園まではホーキでひとっ飛びとはいっても、ホーキ置き場からこの教室まではけっこう距離があり、いつも全力疾走しなければならないのである。今朝のハシリウスは、始業開始前のベルが鳴る直前に、何とか教室に滑り込んだのだ。アクア教諭が教室に向かってくるのが見えていたほど、スリリングな滑り込みセーフだった。

 でも、滑り込みセーフとはいっても、その姿を見られたアクア教諭からは、

 ――学生たるもの、授業の5分前には席について、用意万端整えていなければなりません。

 と、耳に痛い小言をたっぷり食らったが……。しかし、もうお昼である! 楽しいランチが待っている! ハシリウスは、今日は誰と一緒にランチタイムしようかと考えていた。

 「ハシリウス、何とか今日もぎりぎりセーフだったね」

 席に突っ伏しているハシリウスに、そう言って元気に呼び掛けてきた女生徒がいる。赤毛のショートカットにブルネットの瞳をくるくるさせたその少女は、もう一人、金髪のロングヘアに銀の瞳を持つおとなしそうな女生徒とともに、ハシリウスに笑いかけた。

 「結局、キミは1・2学期中ぜ~んぶ、遅刻ギリギリだったね。しかし、良く遅刻しないもんだ。ボク、ある意味で感心するよ」

 「あ、ジョゼ。ホントだね~、僕自身も自分で自分をほめてやりたいよ。今日なんか非常にスリリングだったけど……」

 ハシリウスは、そう、赤毛のオンナノコに答える。彼女の名はジョゼフィン・シャイン。ハシリウスの幼なじみだ。6歳のころ、両親をモンスターに殺されてから、ハシリウスの両親に引き取られ、ハシリウスとは姉弟のようにして育てられた。だからお互いに気心が知れていて、ものいう言葉にも遠慮がない。

 「だめだ、皮肉が通じてない……」

 ジョゼが肩をすくめそう言う。それを見て、もう一人の金髪の美少女がハシリウスに話しかけた。

 「あの……ハシリウス、余計なお世話かもしれませんが、もう少し早く起きることはできないのですか? 今日こそ遅刻して立たされるんじゃないかと心配していました」

 「ああ、ソフィア。そうだね、僕も早起きしようって努力はしているんだが、結局、毎朝アマデウスに起こされる羽目になっちゃうんだ」

 ソフィアと呼ばれた美少女は、本名ソフィア・ヘルヴェティカ。ヘルヴェティア王国の王女であり、王位継承権第1位の、『未来の女王様』だ。ハシリウスの住んでいたイブデリ村に、当時の乳母の事情で引っ越ししてきた。ハシリウスが彼女の最初の『友だち』になったこともあり、お姫様とはいえジョゼ、ハシリウスとともに『仲良し幼なじみトリオ』としてずっと一緒に過ごしてきている。

 「でも、アマデウスくんとずっと一緒にいるわけではないですし、いつまでも起こしてもらうわけにはいきませんよ?」

 「そうだよなあ。でも、ひとつ早起きできるいい方法がある」

 ハシリウスが言うと、ソフィアは眼を見開いて聞く。

 「まあ、そんな方法があるのでしたら、試してみてはいかがですか?」

 「じゃあ、ソフィアが毎朝、起こしに来てくれるかい?」

 「え゛!? 私が……ですか?」

 「そう、ソフィアがその優しい声で、耳元で『あなた、朝ですよ。起きて❤』って言ってくれたら、きっと一発で目が覚めると思うんだ!」

 のーてんきにそう言うハシリウスの言葉に、ソフィアは耳元まで真っ赤になっている。

 「え? で、でも……いやだ、ハシリウスったら……」

 真っ赤になって困っているソフィアに、ジョゼが助け舟を出す。ハシリウスがソフィアにちょっかい出すときにはいつものことだが、ジョゼは少~し、ジェラシってるようだ。

 「却下、却下、きゃーっか! 大体、朝は一人で起きるもんだよ! キミはいっつもそうやってソフィアをイジメルんだから」

 「かわいいからね、ソフィアは」

 「じゃ、何かい? ボクは可愛くないってかい?」

 目を半眼にしているジョゼは、身体中から怒気のオーラを発している。ハシリウスはやや焦り気味に言う。

 「い、いえ! めっそうもない! ジョゼ様もすんごく、可愛らしゅうございますです、ハイ」

 「ホントーにそう思ってる?」

 こくこくこく、ハシリウスはマッハ2で首を縦に振る。

 「じゃ、ボクが毎朝、ハシリウスを起こしに行ってあげよう❤」

 「謹んでご辞退申し上げます」

 間髪を入れず、ハシリウスがそう言う。ジョゼはむすっとしてハシリウスに抗議する。

 「あっ、ハシリウスったら、ボクが毎度おなじみのフォイエルでキミを起こすって思ってるんだね?」

「当たり……ジョゼが可愛い声で起こすなんて、そんなしおらしいことするわけないからね」

ハシリウスが言うと、ジョゼは真顔で言う。

「ボクが可愛い声を出せないと思ってんだね? ボクだってオンナノコさ、ソフィアに負けないくらいの可愛い声くらい出せるぞ」

 「ほほう、ジョゼくんがそーまでゆーのだったら、きーてあげようぢやないか」

 ハシリウスがふざけてそう言うのに、ジョゼは、

 「押さえろ、押さえろ……ボク……」

 そう小声で言って怒気を鎮めて、やおらハシリウスの耳元に唇を寄せて言った。

 「ハシリウス❤ 朝よ❤ 起きてぇん❤❤」

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ……ハシリウスの背中に何かが走った。

 「ううう……」

 ハシリウスは真っ赤になって、びっくりした目でジョゼを見つめている。

 ――か、可愛い……ジョゼじゃないみたいだ。

 「な、何よ……ボクの顔になんかついてる?」

 ジョゼも思わず真っ赤になって言う。ジョゼとしても、一世一代のぶりっ子だったに違いない。ハシリウスは思わず言った。

 「いや、見直した。とっても可愛いかったよ。声は」

 「だ~から、何でキミはいっつも一言多いんだよ! ボクがせっかく清水の舞台から飛び降りるくらいの大決心でしたことを……フォイエル!」

 「うわっ!」

 ハシリウスは、毎度のことながらジョゼのフォイエル――火の玉で相手を攻撃する魔法――の餌食となった。

 

 「ところで、明日から冬休みだね。ハシリウス、休みはどうするのさ?」

 学園の中庭で、お弁当をぱくつきながら、ジョゼがそう聞く。ハシリウスは髪の縮れを気にしながら言う。

 「さあて……まだ決めていないけど」

 「去年みたいに寮で新年を過ごすのもいいけど、なんか味気ないんだよね~。何も予定がないんだったら、三人でどこかに旅行に行かない?」

 ジョゼが言うのに、ソフィアが残念そうに答える。

 「すみません、私は、年末から年始にかけて、国の行事がありますので……」

 ソフィアはギムナジウムの生徒ではあるが、ヘルヴェティア王国の王女であり、次期女王となる身でもある。学校を離れれば、王族としての行事がそれこそ分単位のスケジュールで待っているのである。

 「そうかあ……ちなみにどんな行事があるのさ?」

 好奇心旺盛なジョゼが聞く。ソフィアは自分のスケジュール表をぱらぱらとめくって、

 「水木の月はっと……25日から28日まではヘルヴェティア王国の各界の代表者との懇談会で、29日がレギオン司令官たちとの晩さん会で、30日が巡察使の報告を聞いたあと各国大使を招待した晩さん会で、31日は女王陛下と一緒に究極結界魔法についての講義をお聞きして、闇の月1日から3日は各国大使がお年賀に見えるのでその謁見と、4日はヘルヴェティア王国の各界代表者との新年祝賀会、5日はレギオン司令官たちとの新年祝賀会、6日は空いています」

 「……そして7日から学校って……ソフィアも忙しいなあ。息が詰まらないかい?」

 ハシリウスがびっくり顔で言う。この幼なじみは、本当にお姫様だってことを実感した顔である。

 「でも、もう慣れました。他の女の子たちみたいに、ボーイフレンドと遊びに行くことができないのが、ちょっと悲しいですけれど……」

 そう言うソフィアに、ハシリウスが聞く。

 「え? ソフィア、誰か好きな人がいるのかい? 気になるなあ、ソフィアの眼鏡にかなった幸運な男って誰だろう? よければ聞かせてくれないか? ナイショにしとくから」

 「それは……秘密です」

 「ええ~っ、気になるじゃないか。お兄ちゃんにも話せないのかい?」

 「だれがお兄ちゃんですかっ?」

 しつこく聞こうとするハシリウスに、ジョゼが言う。

 「ハシリウス、しつこい男は嫌われるぞ? ソフィアも話せる時期になったら話すよ、きっと……このハシリウスの鈍感」

 最後はぶつぶつと独り言のようになる。

 「そうかあ……悪かった、ソフィア。言いたくないなら聞かないさ。でも、ソフィアの恋、かなうといいな」

 笑顔で言うハシリウスに、ソフィアは複雑な表情で言った。

 「ええ、ありがとうございます」

 「ところで、お弁当おいしかったよね。ソフィア、大変だったんじゃない?」

 ジョゼがすかさず話題を切り替える。

 「そうだ。ソフィア、とてもおいしかったよ。ありがとう」

 ハシリウスが言う。ソフィアは顔を赤くして、

 「と、とんでもない……お口に合いましたか?」

 「うん。特にこのミートパイなんか、母上が作ったのよりおいしかったよ。それに、僕の好物ばかりだった。よく僕の好み知っていたね?」

 「それは、ボクが教えてあげたんだよ。ここ何週間か、ソフィアったらハシリウスの好物ってなんだろうってぶつぶつ言ってたから、一覧表にしてあげた」

 ジョゼが気を利かせて言うが、ソフィアは顔をさらに赤くして、

 「そ、それは、そう! 私もミートパイに挑戦してみようって思ったから、そ、その……」

 「ふ~ん、それじゃ、僕はソフィアの新しい料理の実験台だったのかな?」

 「え、え~と、そう言うことになりますね……すみませんハシリウス」

 「いいよいいよ、さっきも言った通り、すんごく美味しかったから」

 「そう言ってもらえるとうれしいです」

 ほっとするソフィアに、ジョゼは小声で言った。

 「ソフィアって不器用なんだから……」

 「それはお互い様です……」

 ソフィアも小声で言う。

 「あ~あ、お城に気軽に『ソフィア、遊ぼう』って押しかけるわけにはいかないしなあ」

 ハシリウスが言うのに、ジョゼが

 「でも、ハシリウスはお城の一番綺麗なところにも入ったことがあるんでしょ? いいなあ、ボクも入ってみたいよ」

 ハシリウスは、ギムナジウムの生徒ではあるが、超超S級魔法を使えるため、大賢人――ヘルヴェティア王国の魔術師最高位で、王国の最高執政官も兼ねている――ゼイウスに気に入られ、王宮魔術師補という官職も持っている。今から二月ほど前、ヘルヴェティア王国制圧をもくろむ闇の帝王・クロイツェンが放った『闇の使徒』アスラルを、ハシリウスは親友である星将――星の力をまとった戦神――シリウスとともに、ヘルヴェティカ城内で倒していた。

 なお、ジョゼも、アスラルと戦って一時危篤状態となったハシリウスの看病のため、お城の一角には入ったことがあるが、ハシリウスのように城内のあちらこちらを回ったわけではない。

 「ハシリウスも王宮魔術師補ですから、こんなに公務が立て込んでいないのであれば、二人をご招待するんですが……」

 残念そうに言うソフィアに、ハシリウスはにっこりとして、それからジョゼを見ながら言う。

 「ま、今年も寮での年越しかな? よろしくな、ジョゼ」

 「し、仕方ないなあ……付き合ってあげるよ」

 ハシリウスの家はここ王都シュビーツにある。しかし、父のエンドリウス・ペンドラゴンは王宮魔術師長として魔術寮を統括しているため、年末年始も家に帰らない。母のエカテリーナは、ハシリウスの帰宅を待っており、ジョゼとともに帰っておいでと言われているが、ジョゼが恥ずかしがって帰ろうとしないのだ。それで、去年も、ご飯だけは二人で食べに行ったが、そのままジョゼをエスコートして寮に帰ってきてしまった。

 ――ジョゼ、あなたは私たちの子どもです。ハシリウスのことも、よろしく頼むわよ。

 昨年、帰宅した時、エカテリーナはハシリウスが風呂に入っているときに、ジョゼにそう言ってほほ笑んだ。その優しい笑顔! ジョゼは思わず顔を赤くして言った。

 ――こ、こちらこそ、お母様。

 それを思い出すと、ジョゼは背中がむずかゆくなって、ソフィアのように妄想が大暴走しそうになってしまうのである。

 ――ま、寮でハシリウスと二人っきりになれる方が、ボクにとってはいいや。ソフィアにはちょっと悪いけど、たまにはボクもハシリウスを独占したいんだ。

 ジョゼはそう思い、午後の授業が早く終わらないかなと思った。

 そんなジョゼの姿を、校舎の端っこからじっと見つめている黒い影があったことに、三人は気付かなかった。


 カランカラン……カランカラン……。

 「はい、これで今年最後の授業は終わりです。明日23日から闇の月6日までは、お待ちかねの冬休みです」

 アクア教諭がそう言うと、生徒たちは喜びの声を上げる。

 「静かに! 長い休みですから、いろいろ計画を立てている人もいるでしょうが、事故や病気に気を付けてください。新学期にまた全員が元気にそろってここに集まれるよう、私も祈っています。では、日直のアマデウス君、号令をお願いします」

 アクア教諭がそう言うと、アマデウスの元気な声が響く。

 「きりーつ!、きょーつけー!、れーい!」

 生徒たちが帰り支度を始める。それを見ながらハシリウスが寮に帰ろうとした時、アマデウスが声をかけてきた。でっかい荷物を持っている。

 「よう、ハシリウス! 今年も寮に残留かい?」

 「どうも、そうなりそうだね。アマデウスはどうする?」

 「俺ぁ、このまま実家に帰るぜ。闇の月の5日に戻ってくるよ」

 「そうか……実家は『オップヴァルデン』だったな。気を付けて帰省しろよ」

 「おお、じゃあな。よい新年を!」

 アマデウスは学園の玄関から、そのままおっきな荷物を積んだホーキを操って、南の空に飛んで行った。ふと見ると、あちらこちらで帰省のためにホーキに乗って飛んでいく生徒たちが見える。

 「ハシリウス、一緒に帰ろう」

 振り返ると、ジョゼがそう言って立っていた。

 「ソフィアは?」

 ハシリウスが聞くと、ジョゼが特別大きな馬車を指差して言う。

 「緊急の国事が入ったからって、お城からお迎えが来たわ」

 馬車の窓から手を振るソフィアに、二人で手を振って見送った後、急にハシリウスは心の中がぽっかりと穴が開いたようになった。やはり、さみしいな……。

 「え?」

 ジョゼがハシリウスを見つめて訊く。午後の風に髪をなびかせて、首を傾げるジョゼは、ハシリウスが今までに見たことがないくらい可愛かった。

 「い、いや、なんでもない」

 顔を赤くして言うハシリウスに、ジョゼは笑って言う。

 「ヘンなハシリウス。ね、このまま帰るのって、もったいなくない?」

 ジョゼが言う。確かに、残留組がほとんどいない寮に帰っても、何もすることはない。それに、母からも年に一度くらいは顔を見せるようにと言われている。僕が一緒なら、ジョゼも気兼ねはしないだろうし、一度家に行ってみるか。

 「そうだね、じゃ、いっぺん家に行ってみようか?」

 ハシリウスが言うと、ジョゼは目をうるうるさせて、

 「違うの、ちょっと二人きりで歩いてみたいなあって、そう思ったの……ダメかな?」

 そう言う。ジョゼにしては珍しいことを言うもんだなと思いつつ、確かに家に行っても何もすることがないと気付いたハシリウスは、うなずいた。

 「そうだね、それじゃ、公園にでも行こうか。まだ日は高いし、のんびり冬休みの計画でも考えよう」

 「うれしい!」

 ジョゼはそういうと、ハシリウスの腕に自分の腕をからませた。

 「お、おい、ジョゼ……どうしたんだい? 今日に限ってこんなことするなんて、ジョゼらしくない」

 ハシリウスが顔を赤くして言うと、ジョゼはハシリウスを見つめてニコリと笑った。

 「だって、この子は、あなたのことが好きだから……」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ヘルヴェティカ城の北側に、王都の飲料水を賄っている、大きな青い湖がある。『蒼の湖』と呼ばれるその湖のほとりに、ヘルヴェティア王国筆頭賢者であるセントリウス・ペンドラゴンは隠棲していた。

 今年62歳になり、頭髪もほぼ銀に近く、あごひげもすっかり白くなってはいたが、黒曜石のような瞳はまだ鋭い光をたたえ、腕に年は取っておらず、星読みの術も確かだった。

 さらに、筆頭賢者である彼は、他の魔術師ができない特技を持っていた。それは、星の力を宿した戦神・12人の星将を自在に操り、時には星の運行すら変えてしまうほどの力を持っているということであった。

 ヘルヴェティア王国の建国物語に、聖なる女王として登場する高祖オクタヴィア女王を助け、星を読みつつ策を授け、12星将を自在に使役した大星読師・ヴィクトリウスがいたが、セントリウスはその直系の子孫であり、ヴィクトリウスの再来といわれるほどに力のある星読師だった。

 今日も、セントリウスは、小屋の中で観想していた。

 「セントリウス」

 不意に虚空から声がして、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿が現れた。星将シリウスである。

 「おお、どうしたシリウス」

 セントリウスは観想を中断してそう問いかけた。

 「『闇の使徒』がまたぞろ動き出したようだ。今度は軍団を組んで、ヘルヴェティア王国のいずこかを急襲するつもりらしい」

 「ふむ……星将プロキオンからも、ベテルギウスからも、同じような報告が入っていた。ポラリス、ポラリスはいるか?」

 セントリウスの声に、星将ポラリスが顕現する。白い衣に金のベルトをして、豊かな金髪をゆったりと留め、金の宝冠をかぶっている。女神であるが、12星将をたばねる主将でもあった。

 「『闇の使徒』たちの動きはどうじゃ?」

 セントリウスが訊くのに、ポラリスは眉をひそめて言う。

 「アスラルが倒されたことで、闇の使徒たちは激昂しています。今度は、12夜叉大将の一人、マルスルが、約3万の軍勢を引き連れて侵攻してくるようです」

 「マルスルか……12夜叉大将の副将格じゃな」

 「主将ヤヌスル、そしてマルスルとイークが副将です。特にマルスルは流麗な剣技が得意で、剣を扱わせては12夜叉大将随一との噂があります」

 「進路は分からんか?」

 「今のところ、『ウンターヴァルデン』と『ウーリヴァルデン』の境に向かっていますが、どこに侵攻してくるかは分かりません」

 セントリウスとポラリスがそう話しているのを聞きながら、シリウスは不敵な笑みを浮かべて言った。

 「面白い……相手がマルスルとなれば不足はない。セントリウス、大君主の出番だな」

 その言葉に、セントリウスは少し首を傾げた。

 「ふむ……日月の乙女がまだ目覚めておらんが……。しかし、ハシリウスとお前ならば、何とかできるかもしれんのう。行ってみるか?」

 「セントリウス様、まだハシリウスは完全ではありません。体調も完璧に復調したわけではありません。相手がこの『風の谷』に入ってきてから、迎撃した方がよいかと思いますが?」

 ポラリスが心配そうに言う。セントリウスはゆっくりと観想して、

 「デネブとトゥバンとアークトゥルスをハシリウスとともに行動させよう。シリウス、他の星将たちといさかいを起こさぬようにな」

 「その心配はいりまへんで、セントリウス様」

 という声とともに、緑色の髪をしたやんちゃ坊主のような星将トゥバンが顕現した。トゥバンは紫の衣に金の帯を締め、身長に余る長弓を持っている。

 「なんせ、このトゥバンは、シリウス様の舎弟ですねんから、シリウス様の仰ることでしたら、何でも聞きまっせ!」

 「それに、デネブはシリウスと特別仲が良いからな」

 そう、くすくす笑いながら、星将アークトゥルスが顕現する。シリウスは冷たい目で二人を見ながら、

 「そのように余計なことを言うのであれば、仲間などいらぬ……いてっ!」

 「仲間で助け合わないと、アンタの大事な大君主様が危ない目に遭うよ? シリウス、少しは素直になったらどうだい」

 デネブがシリウスの頭をどつきながら顕現した。

 「こら、デネブ、ひとの頭をポンポン叩くな!」

 「叩かれるようなことを言うからだ。私は大君主ハシリウスの力がどれほどのものか、アンタほどは知らないが、それでも四人で力を合わせて何とかしたいと考えてるのさ。大君主側近のアンタがそんなことじゃ困る。今度は、アークトゥルスがリーダーでお願いしたい」

 アークトゥルスは、少し癖のある金髪を形のいい指に絡ませながら、

 「いいや、やはりリーダーは星将随一の猛将・シリウスがよい。私はシリウスに知恵を貸そう」

 という。シリウスは薄い唇をゆがませて、どや顔でデネブを見て言う。

 「そう言うことだ。今回は私がリーダーとなって、ハシリウスの下知のもとに戦う」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「……ジョゼ……じゃ、ないのか?」

 ハシリウスは、自分の腕に腕をからませて、可愛い顔で自分を見つめているジョゼにそう言った。しかし、ちっとも怪しい感じも、ピリピリするような殺気も感じない。

 「手を離さないでね、ハシリウス。この子は、こうしてあなたと歩きたいと、いつも思っていたんだから」

 「君は、誰だ? 感じからすると、闇の使徒とは違うようだが……」

 ハシリウスは、腕を組んだままそう聞く。

 「うん、やはり大君主ハシリウスは、女神アンナ・プルナ様のお眼鏡にかなっただけあるわね。その優しさ、私はとても好きよ」

 「君は、女神アンナ・プルナ様の知り合いかい? どうしてジョゼの格好をしているんだい? ジョゼはどこにいるんだい?」

 ハシリウスは、どうやら相手は悪いモノではないと思い、そう優しく聞いた。

 「いやだなあ、ジョゼはここに居るじゃない。私は、ジョゼの身体を借りてるだけ……あなたと少しお話がしたくて……」

 「とにかく、ベンチにでも座ろう」

 ハシリウスは、そう言ってジョゼ(?)とともにベンチに腰掛ける。ジョゼはハシリウスの腕を握ったまま離さない。

 「まず、君の名を聞こう」

 「私は、ゾンネ。太陽の乙女よ」

 ジョゼはそう言って、ハシリウスの肩に頭をもたせ掛ける。ハシリウスは、『ゾンネ』という名前に聞き覚えがあった。確か……

 「確か、女神アンナ・プルナ様の絵を描くとき、その両脇に控えている永遠の乙女……」

 「そう、太陽の乙女・ゾンネとその妹、月の乙女・ルナのことよ」

 「その太陽の乙女が、なぜジョゼの中にいる?」

 「だって、この子は、もう一人の王女様と対になる『日月の乙女』なのよ。大君主ハシリウスの知恵となり勇気となるのが、私たちの役目……」

 ハシリウスの目をじっと見つめて、ゾンネであるジョゼが言う。ジョゼの胸がハシリウスの腕に押し付けられる。

 「だったら、こんなかっこで話さなくても……」

 「ハズカシイ? でも、私がこうしてあげないと、この子はいつまでたってもあなたに気持ちを伝えられないわ」

 「この子の気持ちって……」

 ハシリウスがさすがに赤面しているのを見ると、ゾンネは笑って立ちあがった。

 「まあ、いいわ。あなたは、私が想像していたよりずっと初心で、誠実で、優しいオトコノコだったわ。安心した、これならいい大君主になれそうね」

 そして、ゾンネは優しく、どことなくイタズラっぽい目でハシリウスに言った。

 「覚えていて、私とルナは、いつもあなたのことを見ているから……私はもう女神アンナ・プルナ様のもとに戻るけど、私が話したことや、あなたとこうしていたことは、全部、この子も見て、聞いて、感じているわ。私は身体を借りただけですもの。この子がなんと言おうと、あなたは受け止めてあげてね。じゃ、またお会いできることを楽しみにしているわ、大君主ハシリウス」

 ゾンネはそう言うと、ジョゼの身体から離れた。とたんにジョゼは崩れ落ちるようにハシリウスの方に倒れ込んできた。

 「ジョゼ、大丈夫か?」

 ハシリウスはジョゼを受け止めて、そう聞いた。ジョゼはなぜだか顔を真っ赤にして震えている。

 「ジョゼ、熱でもあるのか? 顔が赤い」

 「だ、大丈夫だよ。もう平気。ありがと、ハシリウス、支えてくれて」

 ジョゼは、ぱっとハシリウスから離れると、ゆっくりハシリウスの隣に座った。

 「熱があるのなら、うちに行こうか? 母上も待ってる」

 「う、うん。お母様にお会いするのも久しぶりだね。行こうか」

 ジョゼはそう言うと、たったか歩き出した。ハシリウスは早足で追いかけ、ジョゼに並んだ。

 「ねえ、ハシリウス……」

 「何だい?」

 「さっきの、ゾンネが話したこと、忘れていいからね」

 「ゾンネが話したこと?」

 「ボクの気持ちがどうちゃらこうちゃらってこと、忘れていいからね」

 「覚えていたら、恥ずかしいかい?」

 「うん……フォイエルを食らわせたくなるほど恥ずかしい」

 「そうか……」

 ハシリウスは、どっちつかずの返事をした。忘れても、覚えていても、ジョゼに悪い気がしたのだ。


 「久しぶりね、ハシリウス。ジョゼも、お帰りなさい」

 玄関のベルを鳴らすと、エカテリーナが出てきて、二人を見てぱっと喜びを顔に表してそう言った。

ハシリウスの家は、王都の北西、お城から歩いて30分程度のところにある一軒家である。ハシリウスとジョゼは、ギムナジウムに入学して寮生活を送っているため、あまり家には帰らなかったが、それでもハシリウスの父と母は、この家にハシリウスとジョゼ、それぞれの部屋を準備していた。

 「ほんとに、あなたたちったら、去年の暮れに帰って以来、一度も顔を見せないんだもの。さびしかったわ。でも、しばらく見ないうちにジョゼはとっても綺麗になったわね」

 「そ、そうですか? うれしいな……」

 ジョゼは借りてきた猫のようにおとなしい。顔を赤らめてしおらしくそう言うジョゼに、ハシリウスが茶々を入れる。

 「ジョゼ、いつも僕にフォイエルをかましている元気はどうした?」

 「そ、それは……だってハシリウスがいろいろボクをバカにするからじゃんか」

 頬を膨らませて抗議するジョゼに、エカテリーナはとびっきりの微笑みを見せて言う。

 「ハシリウスがあなたにちょっかい出すんでしょうね? 小さい時から内弁慶で、ジョゼにだけは何でも話していたから、いろいろ言いやすいんだと思うわ。ごめんなさいね、ジョゼ」

 「そ、そんな! ボクは別に……」

 あわてて言うジョゼに、エカテリーナは優しい声で言う。

 「とにかく、着替えておいでなさい。あなたとハシリウスの部屋に、新しい服を用意しておいたから、ぜひ着てみて。それから、ジョゼ、先にお風呂に入りなさい。ハシリウスがお風呂に入ってる間、二人で夕食の準備をしましょう。今夜はお父様もお帰りになりますから」

 ジョゼは、ゆっくりと湯船につかりながら、目を閉じていた。ハシリウスの家に引き取られてから、優しいハシリウスの父母にあたたかく育てられ、ジョゼはほんの一秒たりとも不満や不安を感じたことはなかった。

 「おとうさん、おかあさん……ボク、ハシリウスの家で幸せに暮らしているよ」

 ジョゼは、天国にいる本当の父母に、何度そう言ったかしれない。家族があるって、本当に幸せなことだ。そして、いつの日にかハシリウスとボクの家族がつくれたらいいな……それが、ジョゼのささやかな夢だった。

 ジョゼが風呂に入っている間、エカテリーナはハシリウスと、この一年間の出来事を話した。ハシリウスが『大君主』候補に挙がっていることや、魔導士の位をもらい王宮魔術師補となったことについて、エカテリーナはエンドリウスから聞いて知っているはずだが、そのことには何も触れなかった。

 ――でも、その方がいい。王宮魔術師は、父上のように家を空けることも多いし、危ない橋を渡ることだってある。僕がそんな立場に立っていることを知れば、母上も心配されるだろう……。

 ハシリウスはそう思い、寮での生活のことやジョゼのこと、ソフィアのことを主に母に話した。

 やがてジョゼが風呂から上がってきた。ジョゼは、エカテリーナ手縫いの服を着ている。赤い生地に、花や鳥が刺しゅうされている。それはジョゼの体にぴったりで、とてもジョゼに似合っていた。

 「まあ、よく似合うわ。ジョゼ、本当にあなたも大きくなったわねえ」

 ハシリウスは、ジョゼのそんな姿がまぶしくて、そそくさと風呂に向かった。

 「ありがとうございます、お母様」

 ジョゼが言うのに、エカテリーナは、

 「ジョゼ……将来の夢は、もう見つかった?」

 「い、いえ……特にまだ、何になろうっては……」

 口ごもるジョゼに、エカテリーナはほほ笑んで言う。

 「貴女がよければ、これからもずっと私のことを『お母様』って呼んでほしいのだけど……」

 「え?……」

 その言葉の意味を理解できないほど、ジョゼもうとくはない。ジョゼは顔を真っ赤にして俯けた。

 「ハシリウスが『大君主』の候補として、大賢人様や女王様に特別な関心を寄せていただいていることは知っています」

 「……」

 ジョゼが顔を上げる。

 「あの子が、魔導士として王宮魔術師補の官職を頂く話が出た時、私もお父様も反対しました。あの子は、もっと普通の人生を歩いてほしいと思ったからです」

 「でも、ハシリウスには、それだけの才能があるんです。それに、ソフィア姫との結婚の話も出ているって聞きました。ソフィアは、優しくて、強くて、素直で賢くて、王女としても普通の女の子として見ても、とてもいい子です。それに引き替えボクは、まだ将来の夢もなくて、得意なものもなくて……ボクはハシリウスの邪魔になるんじゃないかと思うことがしばしばあります」

 ジョゼがそう、自分の胸の内を打ち明ける。エカテリーナはにっこりと笑い、ジョゼの手を取って言った。

 「貴女はまだ17歳です。これからいくらでも成長できます。むしろ、私はあなたの中にある光の輝きが、ハシリウスを守ってくれるのではないかと思うのです。ハシリウスもまだ16歳、これからいろいろ経験し、大人になっていくのでしょうが、私としてはハシリウスの隣にあなたがいてくれれば、とても安心します」

 そう言うエカテリーナには悪いと思いつつ、ジョゼは首を振って言う。

 「……ハシリウスの気持ちが、分かりません。それに、ボクは、まだハシリウスに選んでもらえるほど素敵な女性じゃないと思います」


 ハシリウスは、風呂の中で顔を赤くしていた。ジョゼは普段あんなに体にぴったりした服を着ないので気が付かなかったが、本当に女の子らしくなったなあ……。

 そう思ってボーっとしていた時、ふと感じるものがあった。

 「シリウス、人が風呂に入っているときに、何の用事だい?」

 ハシリウスがそう言うと、星将シリウスが顕現した。

 「ハシリウス、『闇の使徒』たちがこの国を襲いに来る。われらもそれを迎え撃たねばならない。すでにセントリウスが王宮に向かい、この情報を女王の耳に入れているはずだ。いつでも出かけられるように、心の準備をしておいた方がいい」

 ――『闇の使徒』たちが?……クロイツェンめ、アスラルを倒されて本気になったらしいな……。

 ハシリウスはそう思い、シリウスに訊く。

 「今度の相手は、アスラルより強いのかい?」

 「アスラルより強い。12夜叉大将の副将・マルスルが相手だ。今度は一筋縄ではいかんだろう。私のほかにデネブ、トゥバン、アークトゥルスが、ハシリウスとともに戦うことになる」

 「そうか……分かったよシリウス。早く風呂を切り上げて、準備をしておこう」


 ハシリウスは、そっと風呂から上がると、母が用意してくれた服に袖を通した。それは、青く染めた生地に花や鳥が刺しゅうされていた。ジョゼとおそろいのもののようだ。着てみると、これもまたぴったりだった。

 ――母上、ありがとう。

 ハシリウスは心の中でそう言って、荷物の中から神剣『ガイアス』を取り出した。この国を守るだなんて、大きなことは言わない。でも、母上やジョゼやソフィアを守るために、『闇の使徒』たちをやっつけねばならない。ハシリウスはそんな決意を胸に、神剣を手にしたままリビングに向かった。あいさつだけはして出て行こうと思ったのだ。

 「あら、ハシリウス、早かったわね」

 エカテリーナはそう言ったが、ハシリウスが手にしている神剣『ガイアス』を見て、事情を悟った。

 「ハシリウス! どこに行くの?」

 台所から顔を出したジョゼが、そう言って棒立ちになる。

 「星将シリウスが知らせに来たんだ。ちょっと行かなくちゃいけない。ジョゼ、うちで待っててくれるかい?」

 「ちょっとって、どのくらい? どこに行くの? ボク一人での年越しなんてやだよ!」

 ジョゼがそう言ってハシリウスに詰め寄るのに、エカテリーナも優しい微笑みを絶やさずに言う。

 「急がなければいけないのですか? お父様のお帰りを待って、助言をいただいてから行ってはどうですか?」

 「お母上の仰るとおりにする方が賢明だと思います、大君主ハシリウスよ」

 星将シリウスとともに、星将アークトゥルスがそう言いながら顕現した。

 「星将シリウス、ハシリウスはまだ身体が完調じゃないんだ。どこに、何をしに行くのさ?」

 ジョゼがシリウスに訊く。

 「太陽の乙女よ、『闇の使徒』がこの国に押し寄せてくる。われらは大君主ハシリウスとともに、それを迎撃する」

 「初めまして、私は星将アークトゥルス。このたび、星将シリウス、デネブ、トゥバンとともに、大君主ハシリウスと行動を共にさせていただくことになりました。以後、よろしく、太陽の乙女と大君主ハシリウスのお母上様」

 アークトゥルスは金髪を揺らしながら、二人の女性に優雅にあいさつする。その様を見ていると、彼が12星将随一の智将であることが素直にうなずける。

 「……とにかく、エンドリウスが帰るまで、出発を見合わせていただきたいのです」

 エカテリーナがそう言うと、星将たちは微笑んでうなずいた。

 「ハシリウス、とにかくお座りなさい。ジョゼも、ハシリウスの隣に座って」

 エカテリーナはそう言うと、星将たちの分も含めてグラスを出し、木の実のジュースを注いだ。そして自分も座ると、星将たちに訊いた。

 「私は、星将の皆さんにお会いするのは初めてですが、それぞれ、ハシリウスの力になってもらえるものと確信しています。しかし、ハシリウスは可愛いわが子、危険な目に遭わせたくないというのも、母親として正直なところです。星将シリウス、エンドリウスから聞いた話では、あなたはセントリウス義父上に頼まれて、この子をずっと見守っていたそうですね。本当にこの子に『大君主』が務まるのでしょうか?」

 星将シリウスは、その黒い瞳に真剣な光を宿して言う。

 「魔術や体技は、まだ粗削りな所はございますが、ハシリウスの優しく強い心と、大きな魔力が、ハシリウスを大君主としてふさわしいものにしています。なによりハシリウスは女神アンナ・プルナ様のお気に入りです」

 「分かりました……今この国に、ハシリウスのほかに大君主たるべき魔法使いはいないということですね……困ったこと……おお、エンドリウスが帰りました」

 エカテリーナは、そう言うと玄関にエンドリウスを迎え、星将たちのことやハシリウスのことについて手早く説明した。

 「ふむ……父上も本日、そのことについて陛下に意見具申された。それにより、私は大賢人様から、ハシリウスをウーリヴァルデンに派遣せよとの命令を受け取っている。ちょうどいい、ハシリウスと星将たちとも話をし、今後のことも知らせておこう」

 エンドリウスはそう言うと、そのままリビングに向かった。

 「お、お帰りなさいませ、お父様」

 ジョゼが顔を赤くして言う。エンドリウスはジョゼがいることを失念していたらしく、ちょっと虚を突かれた感じの顔をしたが、すぐに笑顔になって言う。

 「ただいま、ジョゼ。ほほう、少し見ないうちにすっかり大人びて、綺麗になったものだ。ハシリウスにはもったいないな」

 「え? そ、そんなでもありません」

 照れるジョゼにエンドリウスは、

 「ハシリウスや星将たちと大事な話がある。ジョゼはエカテリーナとともにあちらの部屋に行っていなさい」

 そう言うが、星将シリウスがそれを止めた。

 「待て、エンドリウス。その娘は『太陽の乙女』だ。こちらで私たちの話を聞いてもらおう。ハシリウスの力となってもらうために」

 エンドリウスはびっくりした。ハシリウスのことは父セントリウスや大賢人ゼイウスから聞いていたが、ジョゼがそのような役割を担っていたとは初耳だったからだ。

 「何、『太陽の乙女』だと?……ならばジョゼもここに居なさい」

 「はい、お父様」

 ジョゼは再びハシリウスの隣の席に座る。

 全員がそろったところで、エンドリウスが口を開いた。

 「ここで話したことは、厳に秘密を守ってほしい。実は、辺境警備隊から注進が来て、『闇の使徒』たちが大挙してこの国を攻めようとしていることが分かった。このことについては、本日、父上が陛下と大賢人殿に話をされている」

 全員が黙ってエンドリウスの言葉を聞いている。エンドリウスは続けた。

 「魔物たちの進路は、今のところよく分からない。しかし、ウーリの谷か下の谷を狙っているのは間違いない。そこで、本日付でベレロフォン卿とネストル卿は、それぞれの領地へと戻られた。それぞれの領地を守るためであることは言うまでもない」

 「父上、敵の数は分かっているのでしょうか?」

 ハシリウスが訊くのに、エンドリウスはニコリともせずに答える。

 「約3万だ。そのため、ウーリの谷と下の谷、それぞれにマスターたちが5人ずつ出撃することになっている」

 12人いるマスターのうち、10人を投入するというのだ。これは近年にない大きな戦乱になると思われる。

 「われわれの魔術寮にも、レギオンの守護のために王宮魔術師の現地派遣について依頼が来た」

 そこでエンドリウスは、ハシリウスを見て、

 「今回の派遣について、私は光と闇、双方の魔法に通暁している者をと考えている。しかし、魔術寮の魔術師が多いと言っても、光と闇双方を自在に使いこなす者は、ほとんどいない。そこで、私がウンターヴァルデンに行くので、ハシリウスにはウーリヴァルデンに行ってほしいのだ」

 「分かりました」

 ハシリウスが決意を眉に表して答える。そんなハシリウスに、エンドリウスは慈父の顔に戻って言った。

 「ハシリウス、本当は、私はお前を派遣したくない。しかし、光と闇の魔法に通暁している魔法使いが本当に少ないのだ。しかも、お前は『闇の沈黙』から生還したただ一人の魔法使いだ。星も読めるし、星将も扱える。大賢人殿も、女王陛下も、そなたを名指しで派遣要請を出されているほどなのだ」

 そこで一息つき、今度はジョゼを見つめて言う。

 「ジョゼにも、せっかくのハシリウスとの冬休みを、こんなことで離ればなれにしてしまって、本当にすまないと考えている」

 「そ、そんな……気にしないでください、お父様」

 ジョゼがそう言って続ける。

 「ボクは、ハシリウスがそんなにも女王様から期待されているのを誇らしく思います。それに、ウーリヴァルデンはボクの故郷です。ハシリウスに守ってもらえれば、とてもうれしい……おとうさんもおかあさんも、きっとハシリウスを守ってくれると思います」

 エンドリウスは深くうなずいて、ハシリウスと星将たちに言う。

 「ハシリウス、今回はマスターたちがそれぞれ5千の兵を率いて行く。戦いはレギオンに任せ、レギオンを敵の魔法から守るのが務めだ。決して最前線では戦わないように。星将たちよ、ハシリウスを頼んだぞ」

 「任せろ、エンドリウス。このシリウスとデネブ、アークトゥルスとトゥバンがついている。すでにトゥバンは偵察に出ているし、アークトゥルスはハシリウスを直接に護衛するつもりだ。われらの大君主に指一本ふれさせん」

 星将シリウスとデネブ、アークトゥルスが顕現してエンドリウスたちに言う。シリウスは、特にジョゼの目を見ながらそう言った。

 「では、行こうか」

 ハシリウスがそう立ち上がった時、エンドリウスが言った。

 「ハシリウス、出発は明日の朝にしなさい。私からお前に与える物もあるし、母さんやジョゼの料理を食べずに行くのももったいない。ジョゼ、ハシリウスに夕飯をついであげんか。それから、星将たちにもごちそうするとよい」



承の章 闇軍団との決戦


 「あれが、ウーリヴァルデンの主城、ウーリ城ですねん。すでにロード・ベレロフォンが5000の兵を率いて在城してまっせ」

 ウーリヴァルデンの南方、城を間近に見る小高い丘の上で、ハシリウスたちは現在の状況を星将トゥバンから聞き取っていた。

 星将トゥバンは、緑色の髪を風になぶらせながら、自分の背丈よりも長い弓であちらこちらを指し示しつつ説明する。

 「あそこのレギオンの指揮者は誰だ?」

 ウーリ城の城門前にたむろする5000ほどの軍勢を指して、星将アークトゥルスが聞く。星将アークトゥルスは、全身を赤い革鎧で覆い、赤い盾を持っている。彼の得物は剣だ。

 「こちらには、筆頭マスターであるアキレウス・オストラコンをはじめ、イカロス、ウルバヌス、エレクトラ、オルフェウスの5人が来ておま。あの軍勢は、たぶんマスター・オルフェウスでっしゃろ」

 星将トゥバンが答える。

 「マルスルの軍は、どのあたりまで来ている?」

 星将デネブが聞く。デネブは紫紺の衣に銀のベルトを締め、背中に大刀を2本、ぶっちがいで背負い、腰には短剣を6本差している。彼女は二刀流だ。

 「マルスルの軍勢は、ここから2日行程のところまで来ておま。ウーリヴァルデンにくるのは、ほぼ確実みたいでっせ」

 トゥバンはそう言うと、シリウスに目をやった。

長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスは、いつものとおり蛇矛を抱え、丘に座ってゆっくりと空を見ていた。

 「とにかく、マルスルにこの地を踏みにじらせてはいけない。みんな、僕に力を貸してくれ」

 ハシリウスはそう言って星将たちを見回した。星将たちは力強くうなずいた。シリウスも、少し離れてはいるが、座ったままうなずいた。

 ハシリウスは、父・エンドリウスから譲られた青く染めた革鎧を着て、これも青く染められた手甲と脛当てを着けている。マントも青で、すべて父がレギオン司令のときに使っていたものである。

 さらに、ハシリウスの襟元には、魔導士のバッジと王宮魔術師補のバッジがつけられている。ヘルヴェティア王国では、魔導士以上でないと帯剣で道を歩くことはできない。

 「それでは、ベレロフォン卿に会いに行くか」

 星将シリウスがそう言って立ちあがった。

 「よく来てくれた、ハシリウス・ペンドラゴン殿」

 ウーリ城内で、ハシリウスはベレロフォン卿から丁寧に迎えてもらい、感激していた。

 城下まで来ると、神剣『ガイアス』を佩いたハシリウスの姿は非常に目立ったため、あわやアキレウスの軍団兵につかまりそうになったが、ハシリウスの名を名乗ると、事前に通告でもあっていたのか、非常に丁寧な応対に変わった。

 「まだ弱冠の私に、過分な対応、ありがとうございます」

 ハシリウスがそう言うと、ベレロフォンは形のいい唇を大きくあけて笑う。彼はまだ若く、才気のきらめきが全身を覆っている。

 ――このような方こそ、英雄というのかもしれないな。

 ハシリウスは、ベレロフォンの如才のなさと、自分の領地であるウーリヴァルデンの民の安全を最も気にしている姿に共鳴した。

 「なんの、気にするな。ここ、ウーリヴァルデンは私の大事な故郷だ。それに、ここで生活しているたくさんの人々を、私は領主として守る義務がある。だからこそ、君の来援はとてもありがたい」

 「……私ごときがお役に立つかどうか、心もとない気がしますが、ここは私の故郷でもあります。それに、大切な思い出もある土地です。必ず『闇の使徒』たちを退けて御覧に入れます」

 ハシリウスが言うと、ベレロフォンはにっこりと笑って言う。

 「君の噂は、前々から知っている。今回、ここに君を差し向けてくれとエンドリウス殿に頼んだのは、この私だ。私自身も魔法を使うが、君が一緒にいてくれればとても心強い。出発は明日の朝だが、君は私の本陣にいて、私に様々な助言をしてほしい」

 「分かりました。さっそく、今夜星を読んでみます」

 ハシリウスは、そう言ってベレロフォンの前を辞した。


 一方、こちらはウンターヴァルデンである。王宮魔術師長のエンドリウスは、主城であるベルン城でロード・ネストルと話をしていた。

 「星を読むと、マルスルの軍はほぼ100パーセント、ウーリヴァルデンを狙います……」

 エンドリウスが言い終わらぬうちに、ネストルは

 「それでは、わが軍はそのマルスルを後ろから襲い、ロード・ベレロフォンと力を合わせて魔軍団を殲滅してくれよう」

 と力む。それにエンドリウスは首を振る。その様は、父であるセントリウスそっくりであった。

 「マルスルの軍はそうですが、別に1軍がこの谷を狙っていると、星が教えてくれました。おそらく、その軍はこの谷の搦め手、西側のオンへの小路を通って来るでしょう」

 エンドリウスが言うのに、ネストルは落ち着いた声で言う。

 「オンへの小路は大軍を通さない。何かの間違いではないか?」

 「いいえ、確かに星は西側からの攻撃を示唆しています。オンへの小路は音に聞こえた難所、しかし、そこからの攻撃ができないと決めてかかってはいけません」

 「ふむ……」

 ネストルは少し考えていたが、ここは軍勢を割いても守るべきだと思ったのだろう、やがて顔を上げて家宰を呼び、

 「オンへの小路に、マスター・オデッセウスとマスター・エパミノンダスを差し向けてくれ」

 そう命令した。

 「では、私はマスター・オデッセウスたちとともにオンへの小路を鉄壁の城砦としてきましょう。長老も 大手口をよろしくお願いいたします」

 エンドリウスはそう言って席を立った。

 「こちらは何もしてくれんのか?」

 ネストルが笑って言うのにエンドリウスも笑って答える。

 「ご心配なく、すでにすべての兵士たちに、“時の黙契”により女神アンナ・プルナ様のご加護をいただいています。特に、長老は大事な方ですので、念入りにお願いしておきました」

 「そうか、セントリウスの息子よ、感謝するぞ」

 ネストルは笑って、この魔術師長の出陣を見送った。


 「明後日には、ウーリヴァルデンに入る」

 12夜叉大将の副将・マルスルは、一緒に進んできたもう一人の副将・イークにそう話していた。

 マルスルは、夜叉大将という名にはふさわしくない程の優男で、長い黒髪を細い指でかき上げ、もう一方の手に持ったグラスを揺らした。

 「おう、俺もその時はウンターヴァルデンに突入する。どちらが先に『風の谷』に入れるか、競争だな、マルスル」

 イークの方は、マルスルよりも若干、線が太い感じがする。しかし、それでも蒼い髪と蒼い瞳のその顔は、決して悪い部類ではない。

 「……今回は、相手には星読師がついている。前回、30年ほど前に戦った時の相手ほどではなかろうが、それでも昨年、『イスの国』を攻略した時ほど、楽な戦いではないぞ」

 マルスルがそう言ってイークに黒い目を向けた。イークはこの優男な親友の戦略眼を非常に高く評価している。マルスルの言わんとすることがよく分かった。

 「ああ、気を付けて戦うさ。決して猪突猛進はしないよ」

 「君は、僕たち12夜叉大将きっての猛将だ。相手が星将シリウスであろうと、君にはかなうまい。しかし、相手が星読師なら別だ。星読師たちは、われらの弱点を現すべく、星の運行すら変えてしまうという。セントリウスは今回、王都から動いていないらしいが、その子と孫が出てきているらしい」

 「あの、ハシリウスとかいうやつだな。星将シリウスを従え、アスラルを屠っている。まだ小僧だというが、大した奴だ。われらの仲間にならんかな」

 イークはそう言うと、テーブルの上のグラスをつかみ、ゆっくりと中身を楽しみ始めた。

 「……何にせよ、今回の戦いは気を緩めないことだ。見事われらでヘルヴェティア王国を征服し、クロイツェン王国の復活を世界に宣言すれば、あとの国々は黙っていても我らの支配下に入る」

 「だから負けられない戦いだな」

 イークがそう言ってグラスを舐める。そんなイークに、マルスルは言った。

 「……イーク、今度の先鋒は、僕に任せてくれないかな」

 「? お前にしては珍しいな。別にかまわないぞ」

 「そうか、では、イークは僕の隊がウーリに突っ込んだ次の日から、ウンターヴァルデンへの突進を開始してほしい。それと、隊の半分を大手から突っ込ませ、君自身は搦め手にあるオンヘの小路から突入するんだ。オンへの小路は大軍を通さないと言われている。しかし、君の得意な散兵戦法であれば、難なく通れるはずだ。君が早くウンターヴァルデンを制してくれれば、僕の隊も楽だし、ヘルヴェティア王国としても打つ手をなくすだろう」

 「承知した。友よ、『風の谷』の入口で会おう」

 イークはそう言うと、グラスを差し出す。マルスルは笑ってそのグラスと乾杯した。


 「エンドリウスの方は、『オンへの小路』に重点を置いているようじゃな。それでよし。さて、ハシリウスの方は……」

 セントリウスは、『蒼の湖』のほとりで、日課の観想をしていた。彼は、自身の精神を拡散して、いろいろな物事を知る能力がある。今回のエンドリウスの布陣は、セントリウス自身が星を読んで考え付いたものとほぼ同じであった。

 ハシリウスの方は、星将アークトゥルスを身辺に置き、トゥバン、デネブ、シリウスの3将をうまく使って、ベレロフォンが率いる3万の軍勢を見事に決戦場となるべき位置まで導きつつある。こちらも初陣にしては見事な働きぶりである。

 ハシリウスは、星を読んで、

 『破軍星が出ている……ということは、動いた方が負ける。この戦いはウーリヴァルデンの中に誘い込んで戦った方が利がある』

 と気付いていたのである。そこで、ハシリウスはウーリ河が峡谷から出るところから、少しウーリヴァルデンに入ったジョゼ平原という場所に決戦場を求めるようにロード・ベレロフォンに進言した。

 ベレロフォンはハシリウスの進言に対し、

 「ありがとうハシリウスよ。実は出て戦うか、引き込んで戦うかに迷っていたのだ。しかし、引き込んで戦うからには一撃で敵の行動をマヒさせるような戦い方が必要だ。どうするつもりかね?」

 と聞く。ハシリウスは、目に力を込めて言う。

 「敵の全軍が戦闘隊形を作るために展開しやすくて、しかも逃げ道がない場所がふさわしいと思います。そういう場所であれば、僕たちの魔法も効果的な使い方ができるものと思います」

 「しかし、われらに利する場所は、敵にも利する。敵に逆を取られれば、われらは一撃で敵の餌食になるぞ」

 「そうかもしれません。しかし、そうはならないと思います。まず、峡谷まで進み、あとは敵を誘いながらゆるゆるとジョゼ平原まで退いてきてください。僕がそこでマルスルを罠にかけます」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 水木の月の24日、ソフィアは女王に願い出て、ハシリウスの家にジョゼを訪ねていた。

 「まあ、王女様! どうされました、突然」

 エカテリーナは突然のソフィアの来訪に驚きながらも、すぐさまソフィアを客間へと通した。

 「突然の訪問をお許しください、ハシリウスのお母さま。今日はジョゼとお話をしに来ました。ジョゼの友達として来たのですから、お構いなく」

 エカテリーナは、王女に対して失礼とは思いながらも、そう言うソフィアをまじまじと見つめてしまった。確かに、王女としての格式ある服装ではなくて、王立ギムナジウムの制服である。

 「では、ジョゼを呼んでまいります。しばらくお待ちを、王女様」

 ジョゼは、自分の部屋でウーリヴァルデンの地図とにらめっこしていた。ハシリウスは『闇の使徒』たちと戦うことになるのだろう。としたら、自分たちの家はどうなるのか、ハシリウスと遊んだ広場や、一緒にかくれんぼした場所や、ソフィアも含めた3人でよくレンゲを摘んだ花畑はどうなるのだろう……と考えていたのである。

 「ジョゼ、王女様がお越しですよ」

 ドアの外からエカテリーナがそう言うと、ジョゼははっとした。ソフィアが来ている。きっと、ハシリウスのことを話しに来たのに違いない。

 「え? はい、分かりましたお母様。すぐに行きます」

 ジョゼはそう言うと、地図を持ったまま客間に向かった。

 「お久しぶりです、ジョゼ。元気にしてましたか?」

 ジョゼの姿を見て、ソフィアがそう言いながら近づいてくる。

 「う、うん。元気だよ。ソフィアも元気そうだね」

 ジョゼはそう言うと、ソフィアとともにソファに座る。

 「それ、ウーリヴァルデンの地図ね?」

 ソフィアが、ジョゼの手に持った地図を見て言う。

 「何で分かるの?」

 「だって、ウーリ河の特徴的なくねくねとした流れが見えたから……それに、ジョゼのことだからハシリウスの心配をしていると思ったし……」

 「な? なんでボクがあいつの心配しないといけないんだよ。あ、あいつなら大丈夫さ。星将だって、今回は出血大サービスの4人も連れて行っているし」

 「そうですか……ジョゼはハシリウスのことを信じているんですね……」

 伏し目がちに言うソフィアに、ジョゼは、

 「な、何だよ。ソフィアはあいつのこと、信じていないの? あいつなら大丈夫さ、殺したって死なないやつだもの。今度だって無事にあのイケスカナイ『闇の使徒』ってやつらをギッタンギッタンのボッコボコにやっつけて帰って来るさ。なんたって、ソフィアのことを守らなきゃならないからね」

 そうまくしたてる。ソフィアは笑って首を横に振って言う。

 「そうですね……私もハシリウスのことは信じています。でも、ハシリウスのことを信じるのと、ハシリウスのことを心配するのは別物です。私すらこんなに心配なのですから、ジョゼがどれほどハシリウスのことを心配しているか……そう思ったらいてもたってもいられなくなって、あなたに会いに来たわけです」

 「……ソフィアは、ハシリウスのことをそんなに心配してるんだ……」

 ジョゼが言う。ソフィアはあわてて首を振った。

 「か、勘違いしないでください。私は、ハシリウスが怪我でもしたらジョゼが悲しむと思って……」

 そう二人で話していると、

 「うふふふ……」

 と、笑いながらエカテリーナがお茶とお菓子を持って出てきた。そして、

 「失礼しました、王女様。でも、お二人とも可愛らしいなと思いまして」

 そう言いながらお茶菓子を二人の前に置く。

 「ハシリウスのお母さま、お母様こそご心配が大きいでしょう。すみません、女王様がハシリウスにぜひ出陣してもらいたいとおっしゃったばかりに……」

 ソフィアがそう言って謝る。しかし、エカテリーナは笑って言った。その優しい微笑み! ソフィアはすっかりハシリウスの母が好きになってしまった。

 「王女様、私はハシリウスの母として、確かに年端もいかないあの子がこんな大きな役割を持って戦いの場に出ることを不憫に思いますし、心配もしています。しかし、それもこれも女神アンナ・プルナ様の思し召しでしょう。あの子が女神様から好かれていることを信じるのみです……もっとも」

 「もっとも……何でしょう?」

 「こんな可愛らしい女神様が、二人もあの子のことを心配してくださっているのを知ったら、ハシリウスも喜ぶでしょう。私もうれしいです」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 一方、こちらはハシリウスの方である。

 水木の月の24日の朝が来た。ウーリヴァルデンを間近にした場所で、二つの軍がその行き先を別々にしようとしていた。

 「では、マルスル、健闘を祈る」

 「お互いにな」

 イークとマルスルは、互いにそう言い、鞭を振り上げながら別れた。

 「マルスル様、明日の朝にはウーリヴァルデンに突入します」

 副将ギヤマンがそう言う。マルスルはウーリヴァルデンの地図を見ながらギヤマンに訊く。

 「ウーリの谷に入ってすぐにある、この平野の名は何だ?」

 「はい、確か『ジョゼの平野』という名だったと思います」

 「ふむ……」

 マルスルは地図を見ていた。『ジョゼの平野』は、ウーリの渓谷が狭まった南側に広がっている。この渓谷からウーリ河が流れ出ているが、ウーリ河はこの平野の南でぐっと左に曲がり、天然の橋頭保となっている。ここを占拠できれば、ウーリヴァルデンは半分征服したも同じことだ。

 「敵はここを取られないように、渓谷の外で戦いを挑んでくるだろうな」

 「そうですね。渓谷の外でわれらに敗れても、今度は渓谷自体が防御線になりますから、その可能性が高いですね」

 マルスルの言葉に、ギヤマンが相槌を打つ。

 「では、お前が2万を指揮して、渓谷の外に陣を張った敵を撃破してくれ。私は1万を連れてこの細道を使い、敵の後ろに回ろう」

 「大丈夫ですか? もし、その道に敵がいたら、マルスル様も苦戦されるでしょう」

 「大丈夫だ。敵がいたら、少し痛めつけて引き返して来よう。その分、お前の方の敵が減る」

 マルスルはそう言って笑った。


 「敵の軍が、二手に分かれました。マルスルとイークがそれぞれ3万を連れて、マルスルはそのままウーリヴァルデンに、イークはウンターヴァルデンに向かっているようでっせ」

 星将トゥバンがそう注進してきた。

 ここは、ウーリ軍の本陣である。ウーリ軍はマスター・エレクトラを『ジョゼ平野』に後詰として残し、2万5000で峡谷の出口に布陣していた。ロード・ベレロフォン隊を中心に、マスター・アキレウス隊とマスター・ウルバヌス隊が左右の翼を構成し、マスター・オルフェウス隊は後陣に控え、マスター・イカロス隊を伏兵としてアキレウス隊の左側の山間部に配置していた。

 「ウンターヴァルデンには、長老とセントリウス殿がいるから、万に一つも破られる心配はない。問題はマルスルだ。どのような方策を取るだろうか」

 ロード・ベレロフォンがハシリウスに訊く。ハシリウスは夜明け前に読んでいた星の結果を告げた。

 「敵は、一隊で正面から攻撃して、一隊を山の尾根伝いにこの軍の後ろに回すでしょう。星が教えるところによると、その迂回隊はマルスル本人が率いてくるようです」

 「エレクトラ隊でマルスルを抑えられるだろうか?」

 「難しいでしょう。しかし、もっけの幸いです」

 「? どういうことだ?」

 「こちらの退陣を怪しまれずに済みます。僕たちは、あくまで『ジョゼの平野』での決戦が目的です。敗走する僕たちを敵がかさにかかって追ってくる……そう言うシナリオがもっとも効果的です。明日の決戦では、僕は星将たちとともに『ジョゼ平野』に下がっておきます。イカロス隊が敵の本隊の後ろを衝き敵が乱れても、深追いせず折を見てさっと平野の東端まで退くことです。敵の本隊の将はマルスル隊の活躍によってわが軍が乱れたと思い、深く怪しみもせずに追撃してくるはずです」

 「ふむ」

 「エレクトラ隊には、マルスル隊を抑えられないとなったら退いてもらいます。後退先は、ここ『ジョゼ平野』の東端とします。つまり、ロードの隊に合流していただきます」

 「しかし、それではマルスル隊を捕まえられないぞ。それに、マルスル隊の方の進撃がエレクトラ隊の退却より速かったらどうする?」

 「そのために、星将シリウスと星将デネブがいます。それに星将トゥバンの3人で、ある程度マルスルを抑えておけるものと思います。敵の本隊は、マルスル隊が来るまでに撃破しましょう」

 「なるほど……ハシリウス、君は将軍になれる。王宮魔術師に嫌気が差したら、私のところに来ないか? すぐに一軍を預けよう」

 ロード・ベレロフォンが感嘆して言うのに、ハシリウスは恥ずかしそうに笑って言う。

 「い、いえ……実を言うとこれ、全部、星将アークトゥルスの策なんです。僕はそれをお伝えしているだけで……」

 「そうか……しかし、君が星を読み、星将と話ができなければ、そういう助言も受けられなかった。君はいつの日か、このヘルヴェティア王国でなくてはならぬ人材になるだろうな」

 「痛み入ります……しかし、まだ勝ったわけではありません」

 「そうだな、戦いは水ものだ。明日の正午に勝ちどきを上げるまでは、気を緩めないでおこう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 場面はハシリウスの家に戻る。水木の月24日の夜、エカテリーナは非常に身の細る、かつ、誇らしい思いをしていた。ソフィアがそのまま家に泊まると言いだしたのである。

 「女王陛下には、許しを得ています。私はジョゼと話がしたいのです。ハシリウスのお母さま、私のわがままですが、お許し願えますか?」

 ソフィアが言うのに、エカテリーナは困ったような笑みを浮かべて言った。

 「畏れ多いことです……。そういうことでしたら、むさくるしい家ですがお泊りください。しかし、王女様を疑うわけではありませんが、女王陛下のお許しを得ているかどうかを確認させてください」

 すると、ソフィアは明らかに狼狽の色を浮かべ、やがて恥ずかしそうに言った。

 「すみません……私、嘘をついていました」

 エカテリーナはびっくりしたが、すぐに優しい顔に戻って言う。

 「いいえ、そのように素直なことは良いことです。しかし、そんなにジョゼとお話がしたいということでしたら、女王陛下にお頼みされてはいかがですか?」

 「そうですね……では、女王様にお願いして、また出直します」

 ソフィアがそう言った時である。ソフィアのお付きで、護衛を兼ねている執事のもとに、お城から連絡が来たのは。執事は、ちょうどソフィアが出て行こうと席を立った時に、その知らせを持って部屋に入ってきた。

 「失礼いたします、ペンドラゴン夫人」

 執事は丁寧にエカテリーナにあいさつすると、お城からの知らせをソフィアに伝えた。

 「王女様、女王陛下からです。ハシリウス殿の出陣に際して、ペンドラゴン夫人がさびしがっていると思われますので、王女様が十分に慰めて差し上げてほしいとのことで、今夜はペンドラゴン邸に泊まって差支えないとのことです」

 「やったね! 女王様って話せるじゃん! よ~し、ソフィア、今夜は夜通し語り合うわよ!」

 ジョゼが飛び上がって喜ぶのを見ながら、ソフィアは執事に言った。

 「女王様に、私のわがままをお聞きいただき、ありがとうございますと伝えてください。それから、あなたにも、迷惑をおかけしますね?」

 「かしこまりました。お気になさらずにいてください、王女様」


 「しかし、ソフィアって本当にお姫様だったんだね~」

 ジョゼがゆったりと湯船につかりながら言う。

 「え? 何ですか、突然」

 ソフィアは金色の髪を洗いながら、ジョゼに訊く。

 「いや、ボクとハシリウスはソフィアのこと『ソフィア』って呼び捨てにしているじゃないか。でも、今日なんて、あ~んな殿方がソフィアのこと『王女様』とか『かしこまりました』とか言っているのを聞くと、なんかボクたちって礼儀知らずなのかなって思っちゃったよ」

 ジョゼが湯船に両肘をついて、あごを支えながら言う。そんなジョゼに、ソフィアはほほ笑んで言う。

 「くすっ……いいじゃないですか。私たちは幼なじみなんですし、私だって『ソフィア』って言ってもらえてうれしいんですから……ジョゼ、何でしょう? じーっと私のこと見て?」

 ジョゼは感心したように言った。

 「い、いや……ソフィアってホントにスタイルいいなあって思ったんだ。そーとー気を遣っているでしょ?」

 そう言われたソフィアは、顔を赤くして言う。

 「そ、そんなでもありません。その……む、胸なんかはジョゼの方が大きいと思いますが?」

 「ああ、これ?」

 と、ジョゼは自分の胸を見ながら言う。

 「胸が大きくったって、肩がこるばかりだし、運動するのにも邪魔になるし、いいことないよ。それでハシリウスが好きになってくれるわけでもないし……」

 最後はつぶやきに近い。

 「で、でも、男の方って、胸が大きい女性が好みの方が多いって、本で読んだことがありますが……」

 ソフィアが言うのに、ジョゼが真顔で答える。

 「そうかもしんないね、男って不思議な生き物だから。でも、胸が大きいの小さいのってそんなことで女の子を格付けするじゃない? あれってシツレイだよね。どんな貧乳の女の子でも、赤ちゃんができたらそれなりにおっきくなるって、ハシリウスのお母さんが言ってたよ」

 「え!? そうなんですか?」

 ソフィアがそう言って、自分の胸を見つめる。

 「でも、ソフィアのもそんな、気に病むほど小っちゃくはないって」

 ジョゼが言うのに、ソフィアが聞く。

 「あ、あの……ハシリウスは、やっぱりその……胸の大きさに女の子の好みがあるのでしょうか?」

 「さあ?……でもそうだね、ハシリウスはオンナノコの胸がどーのこーのって話はしないよね。ま、アマデウスとならそんな話もしてるかもしんないけど、少なくともボクは、ハシリウスが女の子を胸の大きさで格付けしているところは聞いたことないなあ。そう考えると、あいつって意外と紳士なんだね……あ~、のぼせそうだ。ソフィア、ボク、先に上がるね」

 そう言うと、ジョゼは風呂から上がり、バスタオルで身体をぐるぐる巻きにした。


 「ジョゼ、もう寝ましたか?」

 ソフィアは、隣で寝ているジョゼに、そう声をかけた。

 「まだ寝てない……」

 ぽつりとジョゼが答える。

 「ソフィアこそ、まだ寝ないの?」

 ジョゼが背中を向けたまま聞く。ソフィアは天井を見つめたまま答える。

 「あなたと同じです……。こうやって夜になると、ハシリウスのことを心配してしまいます」

 「ボ、ボクは別に心配していないよ。あいつの心配しだすと、身が持たないからね……」

 「ジョゼ……」

 「な、なに?」

 ごそごそとジョゼが動く気配がする。

 「……何でもありません。おやすみなさい、ジョゼ」

 「……うん、おやすみ、ソフィア」


 ジョゼは、広い野原に立っていた。野原の向こうでは、たくさんの兵士たちが、魔物たちと戦っている。剣戟のきらめきは見えるけれど、音はしない。だから、それが夢だってことは、ジョゼにもすぐ分かった。

 ジョゼは、野原を一目散に走りながら、ハシリウスの姿を探した。

 ハシリウスは兵士ではなく、将軍でもない。王宮魔術師補だ。だから、本陣で将軍とともにいるか、それとも戦場から少し離れた場所でレギオンを守っているか、そのどちらかだと見当をつけたジョゼは、少し小高くなった丘に、青いマントを翻し、青い革鎧を着た少年が立っているのを見つけた。ハシリウスだ!

 ハシリウスは、神剣『ガイアス』を抜き放つと、その切っ先を地面に向け、突き刺した。その途端、目もくらむような閃光が走り……魔物たちの姿が消えた。

 『ハシリウス、すごいじゃない!』

 ジョゼがそう叫んでハシリウスの傍に駆け寄ろうとした時、嫌な感じがした。何かがハシリウスを狙っている……とらえようのない不安がジョゼを包んだ。その時、

 『トランス・ストライク!』

 誰かの声が響き、そして、

 『うわああっ!』

 ハシリウスの声が響いた。ジョゼは見た。ハシリウスの革鎧が無残に引き裂かれ、その胸に深々と剣が突き刺さっているのを。

 剣先はハシリウスの心臓を貫通し、背中に突き出ている。ハシリウスの顔は、出血でみるみる青ざめていく。そして、神剣『ガイアス』がハシリウスの手から滑り落ちた。

 『大君主ハシリウス、わが一族の恨みを思い知れ!』

 その声とともに、ハシリウスの胸に突き刺された剣が、思い切り横に払われる。ハシリウスは斬り口から白い肋骨が見えるほど右胸を切り裂かれた。

 『ぐはあっ!……う、うう……』

 斬り口から噴き出る鮮血を押しとどめようと、ハシリウスの両手が力なく動いたが、その手が傷口に達する前に、ハシリウスは力尽きて倒れた。

 「ハシリウス!」

 ジョゼは自分の叫び声で目が覚めた。じっとりとした汗が背中を流れている。

 ふと気が付くと、隣ではソフィアが、同じように額にじっとりと汗をかきながらうなされていて……。

 「ハシリウス!」

 と、ソフィアも自分の叫び声で飛び起きた。

 「ソフィア!?」

 ジョゼが言う。ソフィアははっと我に返って、

 「じ、ジョゼ……どうかしましたか?」

 と聞く。ジョゼはまじまじとソフィアを見つめて、恐る恐る言った。

 「ソフィア……ボク、ハシリウスが殺される夢を見たんだ……」

 ソフィアも目を丸くし、口元を手で覆って言う。

 「……右胸……でしたか?」

 ジョゼは震えながら頷く。

 「また、予知夢じゃないよね? この前だって、途中までは当たっていたけど、結局ハシリウス、無事だったし……」

 「……無事ではありませんでした。女神アンナ・プルナ様のお助けがなければ、ハシリウスはあのまま死んでいました……」

 「じゃ、またきっとアンナ・プルナ様が……」

 言いかけるジョゼに、ソフィアが首を振って答える。

 「前回は、幸運にもハシリウスを刺した剣は急所を外れていました。さっきの夢では、剣が致命的な所に刺さっています。しかも、その剣を横に払われました。あれではハシリウスの心臓は完全に切り裂かれてしまうでしょう……そうなったら、たとえ女神様でも……」

 「じゃ、ハシリウスに知らせないと!」

 焦るジョゼに、ソフィアが言う。

 「でも、どうやって? 私たちが戦場の真っただ中に行けるわけがないでしょう? 行けたとしても、かえってハシリウスの邪魔になります」

 「そりゃそうだけど……そうだ!」

 ジョゼはそう叫ぶと、辺りを見回して言う。

 「ねえ、ゾンネ。ゾンネはいないの?」

 「ゾンネ?」

 ソフィアが不思議そうに言う。ジョゼはうなずいて、

 「うん、この間、ボクの身体を乗っ取った『太陽の乙女』さ。彼女なら、きっとハシリウスにこのことを知らせてくれる。もう一人の『月の乙女』ルナとともに、ハシリウスの勇気と知恵を助けるって言ってたから」

 そう言う。ソフィアは眼を点にしていたが、うなずいて目を閉じた。精神を集中し、ゾンネに呼び掛ける。

 「太陽の乙女、ゾンネよ。もしここに居ますなら、われら大君主の傍に仕える乙女の祈りを憐れみ、その願いを聞きたまえ……」

 すると、ジョゼが何かに反応したかのように、びくっと体を震わせ、ソフィアに言った。

 「何かご用かしら? わが妹・ルナに愛されし月の乙女よ」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 水木の月の25日、朝日が昇るとともに、ウーリヴァルデンの渓谷でマルスル軍とロード・ベレロフォン軍が激突した。

 「行けえ! われらが主・クロイツェン大王のために!」

 マルスル軍副将のギヤマンがそう叫び、2万の軍が突撃を開始する。

 「よし、今日は遠慮はいらん。名ある敵を打ち取って手柄にせよ。勇士たちよ、続けっ!」

 ベレロフォン軍の両翼では、マスター・アキレウスとマスター・ウルバヌスがそう叫び、それぞれ5000が魔軍を迎え撃って激烈な白兵戦へと突入した。

 「ヘルヴェティア王国の勇士たちよ、われらには女神アンナ・プルナ様のご加護がある! 勇気をもって突撃せよ!」

 ベレロフォンはそう下知するとともに、

 「フォイエル・バーン!」

 自らも得意の炎魔法を使って勇士たちを援護する。戦況はこう着状態を呈してきた。そのとき、

 「今だっ! 今このときのためにわれらがいる! 勇士たちよ進めっ!」

 突如、山の陰からマスター・イカロスの5000が現れ、アキレウス軍と戦っていたギヤマン軍の背後から襲いかかった。

 「しまったっ! 伏兵かっ!」

 ギヤマンは舌打ちして、すぐに伝令を両翼の隊に走らせた。

 「左翼隊は少し引けっ! そしてウルバヌス隊の右翼を包み込めっ! 右翼隊はイカロス隊の左翼へ回り込み、わが本隊と手をつなげ!」

 ギヤマン隊は少しずつ戦線を整理している。しかし、ここ1時間の戦闘でおびただしい被害を出していた。

 ロード・ベレロフォンは、右翼はるかな山の上を注視していた。その山の上で、ピカリと光る合図があったのを確認して、ベレロフォンはうなずき、下知した。

 「全軍、『ジョゼ平原』まで退けっ!」


 ギヤマンは、苦戦の中で焦っていた。このままではマルスル様が逆に敵中に孤立する。どうにかしないと……。その時、前線から注進が来た。

 「ヘルヴェティア王国軍が退却します」

 「なにっ! そうか、マルスル様の軍が敵の後ろに回ったな……。よし、今がチャンスだ! 全軍、前進せよ。前進してマルスル様の軍と協力し、ヘルヴェティア王国を壊滅させるのだ!」


 こちらはマルスル軍である。夜明け前からゆっくりと山道を登り始めたマルスル軍1万は、頂上に達する前に、朝の光の中で敵軍の旗を見た。

 「前方に、敵軍の旗が見えますっ!」

 マルスルは、その報告を聞いても慌てなかった。ゆっくりと軍の前方に歩んでいき、頂上にひるがえる軍旗を見ると、不敵な笑みをたたえて言った。

 「ふん、敵軍にも少しは戦略が分かるやつがいたか……そうでなくては面白くない」

 そして、無造作に号令を出した。

 「緒戦の腹ごなしだ。われに続け!」

 マルスルは愛用の剣を抜き、緋のマントをひるがえして駆け出しつつ、そう叫んだ。

 わあああああっ!!!

 魔軍は、この12夜叉大将随一の剣術家であるマルスルの雄姿を見て奮い立った。

 勇将のもとに弱卒なしという。このマルスル直属の軍は、イーク直属軍、そしてヤヌスル直属軍とともに、クロイツェン軍最強の軍と言われていた。その威力はすさまじく、迎え撃つエレクトラ軍の兵たちは明らかにおびえ切っていた。

 「あんな軍とまともに戦っても、失うところが多すぎる。いいか、ある限り矢を浴びせ、頃合いを見て麓まで退けっ!」

 エレクトラはそう下知して、近づいてくる敵軍に自ら弓を構えた。

 「放てっ!」

 エレクトラの下知とともに、1000の弓隊が一斉に矢を放った。

 「おおっ!」

 マルスルは華麗に矢を斬り払ったが、一緒に突撃した兵たちの半数近くが矢を受けてくずおれるのを見て、

 「いったん、身を隠せ!」

 そう言って自らも岩の陰に身を伏せた。

 「よし! えびらの矢の半数を放ったら、一斉に退けっ!」

 エレクトラは弓を構えつつ、そう下知した。


 一方、マルスルは岩の陰で、飛んでくる矢の数を数えていた。12斉射まで数えたところで、飛来する矢がぴたりと止まった。

 「……おかしい、急に矢が来なくなったな」

 マルスルのつぶやきに、一緒に隠れていた兵が言う。

 「出てみましょうか?」

 「いや、待て。こちらの様子をうかがっているのかもしれない」

 マルスルはそう言うと、ゆっくりと100数えた。それでもまだ矢は来ない。

 「……」

 マルスルはゆっくりと立ち上がった。もちろん、矢が来ることを想定して、すぐに斬り払えるように用心しながらである。

 しかし、矢は来ない。

 「さては……」

 マルスルはゆっくりと用心しながら敵陣に向かった。そして、しっかりと作られた柵を無造作に斬って落とす。それでも敵陣は静かなものだ。

 マルスルは、自分の隊を振り返ると、大声で言った。

 「敵は退却した。すぐに追撃だ!」

 その時、マルスルに皮肉な声で呼びかける者がいた。

 「残念だが、マルスルよ。貴殿をこれ以上進ませるわけにはいかん」

 「なにっ!」

 驚いて振り向いたマルスルの前に、長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスが現れた。

 「おおっ、そなたは、闘将筆頭シリウス……」

 驚くマルスルに、シリウスは黒い瞳を当てて言う。

 「そう言うことだ。ここで貴殿の勝利の記録は終わる……。では、覚悟してもらおう」

 シリウスは蛇矛を虚空から取り出し、ゆっくりと構えた。

 「猪口才な……おい、者ども、こいつは星将随一の猛将・シリウスだ! 討ち取って手柄にせよ!」

 マルスルはそう、自隊を振り返って叫んだが、

 「そうはさせないよ!」

 そう言って星将デネブが顕現する。

 「あたしは星将デネブ、雑魚はあたしが相手する! さ、命がいらないっていうやつは、遠慮なくかかっておいで!」

 星将デネブは、ゆっくりとぶっちがいに背に担いだ刀を両手で抜き、両刀に構えた。その凄絶な姿に、あえて手出しをしようというマルスル軍の兵士はいない。

 「マルスルよ、そなたの兵は噂程ではない腰抜けだな。心置きなく私と一騎打ちを楽しもうではないか。そちらから来なければ、こちらから行くが?」

 シリウスが蛇矛を構えながらそう揶揄すると、マルスルは剣を立て、顔の前で構え、何か呪文を唱え始めた。

 「シリウス! 油断するんじゃないよ! そいつは『トランス』を使うよっ!」

 デネブがそう叫ぶ。しかし、シリウスは目を細めて微動だにしない。

 マルスルの呪文とともに、その身体が光を発していく。しかし、シリウスもそれに反応するかのように、身体が光り始めた。

 「トランス・ストライク!」

 マルスルがそう叫ぶと同時に、その姿が消えた……と思うほど、マルスルの突きは素早かった。しかし、シリウスの反応は、もっと素早かった。

 チイイン!

 マルスルの剣先は、シリウスが突き出した蛇矛に阻まれていた。

 マルスルは瞠目した。絶対の自信を持った自分の電光石火の突き、トランス・ストライクがこうもあっさり受け止められるとは!

 「さすが星将随一の猛将……」

 ニヤリと笑ったマルスルは、そのままシリウスといつ果てるともしれない戦いに入った。

 「マルスル様を援護せよ!」

 兵士たちがマルスルの傍に寄ろうとするが、

 「雑魚は通さないよっ!」

 星将デネブが一人残らずその両刀の餌食とする。デネブは女将とはいえ、12星将の4闘将の一人に数えられる猛将である。これくらいの敵なら、腹ごなしにもならない。

 「よっしゃ、足止め成功!」

 星将トゥバンは、弓を構えながら眼下の様子を見て、はるかベレロフォン軍に合図を送った。


 「追え、ヘルヴェティア王国軍を殲滅せよ!」

 ギヤマンは2万の軍の先頭に立って追撃を続けていた。しかし、ベレロフォン軍の逃げ足は速く、なかなかつかまらない。

 「くそっ、このままでは逃げられる。あれだけの軍を逃がしたら、あとの決戦に響こう。なんとしても捕まえろ!」

 ギヤマンは焦っていた。焦っていたために、自分が絶好の罠にはまったのに気付かなかった。

 「ハシリウス・ペンドラゴン、後は任せたぞ!」

 退却して陣を整えたベレロフォンが、本陣ではるか平原の真ん中に陣取るハシリウスにそう叫んだ。


 ハシリウスは、ベレロフォン軍の退却を見届けながら、一人、平原の真ん中にいた。いや、近くには星将アークトゥルスがいるはずだが、今は隠形している。

 ハシリウスは、目を閉じて心を鎮めていた。ハシリウスの栗色の髪が、戦場を走り抜ける風になぶられている。その髪の動きがなければ、ハシリウスは遠目から見ると彫像のように見えた。

 『ここは、僕の故郷だ。僕とジョゼとソフィアとの思い出がいっぱいある、かけがえのない故郷だ』

 そんなハシリウスの心の中に、女神アンナ・プルナの声が響いてくる。

 ――守りたいものは、何ですか?

 『わが故郷です』

 ――あなたは、私の力が必要ですか?

 『はい、女神様』

 ――大君主ハシリウスよ。あなたに私の力を預けます。正しく生きる人々のため、闇の力を解き放ち、光の力とともに、正しき道を指し示しなさい。

 「はい、女神様……」

 ハシリウスはそう言うと、ゆっくりと神剣『ガイアス』を抜き放った。そして、ガイアスを天に向けながら、呪文を詠唱し始めた。

 「アム・トュルフェン・イム・ガイアス・イューバー・アーレス……」

 そのはるか先に、ギヤマン軍2万の姿が見えてきた。


 「な、なんだ、あいつは?」

 ギヤマンは、はるか前方に、剣を抜いてたたずむ青い戦士を見つけて、思わずそう叫んだ。見たところそいつはまだ子どものように見える。そんなやつが、何を間違って戦場にいるのだ!

 「まさかあいつが、ヘルヴェティア王国で今、噂されている『大君主』ではあるまいな……」

 ギヤマンはそう言ったが、そう思った傍から、彼の心が拒絶した。大君主ならば、それらしい男が出てくるはずだ。ヘルヴェティア王国のやつらは、血迷ったか!

 「よし、気は進まないが、あのガキを始末して、ヘルヴェティア王国軍を探すぞ!」

 ギヤマン軍の突進が再開された。


 「ロード、あのままではあの少年が死んでしまいます。早く迎撃させてください!」

 ロード・ベレロフォン軍の本陣では、マスター・アキレウスがそう言ってベレロフォンに詰め寄っていた。しかし、ベレロフォンは涼しい顔で言う。

 「君たちの出番は、マルスル軍が現れてからだ。それまで大君主の戦いぶりを見ておきなさい」

 「大君主? あの少年がですか?」

 呆れているアキレウスに、ベレロフォンは無言で頷いた。


 「……リュード・アム・シュバルツ・ウント・シャイン・トランス・イム・ガイアス……」

 ぐんぐん近づいてくるギヤマン軍の喚声すら聞こえないように、ハシリウスは落ち着いて呪文を口ずさんでいる。そして、

 「……イム・ガイアス・フューア・アンナ・プルナ・ディー・イューバー・アーレス」

 その途端、ハシリウスの身体は銀色に光り輝き始めた。その光は『ジョゼ平原』全体を照らし、ベレロフォン軍とギヤマン軍のすべての兵士たちの目をくらませた。

 「おおっ……」

 平原に広がる両軍の兵士たちのどよめきの中、ハシリウスの声がはっきりと響いた。

 「光の精霊リヒトよ、地に満ちた邪悪を払い、平穏な時を取り戻すため、女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる。汝の力を神剣『ガイアス』を依代としてわれに与えよ! “月の波動”ウム・ルフト・ウント・“ギガント・ボンバー”!」

 そう言うとともに、ハシリウスは光り輝く神剣『ガイアス』を逆手に持ち替え、ドスンと地面に突き刺した。その途端、ハシリウスを中心に光の波動が同心円状に広がり、しかもそれは『ジョゼ平原』全体をあっという間に覆ってしまった。

 「う、うおおおおお~~~~~!」

 2万を数えるギヤマン軍は、ギヤマンとともにハシリウスの光にとらえられ、引き裂かれ、燃え尽きてしまった。


 「!」

 ギヤマン軍の消滅を、星将シリウスと激闘を交えていた夜叉大将マルスルが感知した。いや、ハシリウスの力はここにも及び、マルスル軍の兵士の中にも消滅したモノもいたのである。

 シリウスは、その動揺を見逃さなかった。

 「やっ!」

 「おおっ!」

 シリウス渾身の突きが、見事にマルスルの右肩に決まった。思わず剣を取り落すマルスル。

 「もらった!」

 「くそっ! これが『大君主』の力か……シリウスよ、後日再戦!」

 全軍のほとんどを一瞬にして失ったマルスルは、そう言ってシリウスの蛇矛を避けると、虚空に消えて行った。

 「逃げ足だけは速いヤツめ……」

 シリウスは、蛇矛を横たえてそう言う。さすがに肩で息をしている。

 そんなシリウスにデネブが言った。

 「しかし、これでとりあえずは大丈夫だね」


 『ジョゼ平原』では、ベレロフォン軍の兵士たちが呆然としていた。いったい今の魔法は何だったんだ! 兵士たちのほとんどは魔法を使えないか、使えても『修士』程度の魔法しか習得していない者たちがほとんどである。そんな彼らから見れば、2万もの敵を一瞬にして消滅させたハシリウスの魔法は桁が違っていた。

 それは、兵士を率いる各隊長たちも同様である。彼らにしても、『修士長』や『高級修士』レベルがほとんどであった。いや、『高級魔導士』の位を持つベレロフォンにしても、

 「すごいな……噂以上の少年だ」

 と、ハシリウスの魔力の高さに正直に脱帽していたくらいなのである。


 ハシリウスは、身体を神剣『ガイアス』に預けたまま、肩で息をしていた。これまでもそうだが、これほどの魔法を使った後は、身体に力が入らないほどの疲れを感じる。しかし、

 「さすが神剣『ガイアス』だ。これまでの“月の波動”と比べ物にならない力だったのに、それほど疲れはひどくない……な」

 そう、独り言を言って立ちあがった。向こうから、ベレロフォン軍が勝利の歓声を上げながら、ハシリウスの方に近づいてくる。その中央には、ロード・ベレロフォンがニコニコ笑いながら鞭を振り上げ、ハシリウスの健闘を讃えていた。

 「ハシリウス・ペンドラゴン殿、ご苦労だった。聞きしに勝るその力、しかと見届けさせてもらった。おかげでわが『ウーリヴァルデン』の平和は保たれた」

 ハシリウスにとって、それはとてもうれしい言葉だった。ハシリウスは疲れも忘れて、ベレロフォンに手を振った。


 「何、マルスルが敗れた?」

 イークは、マルスル軍の伝令からまさかのマルスルの敗戦を聞いて絶句した。

 「はい、軍隊は大君主ハシリウスのために殲滅され、マルスル様ご自身も星将シリウスの蛇矛を受けてご重傷です」

 「そうか、仕方ない。無念だがこのまま進んでも全面的勝利は難しい。私も退こう」

 イークは、先にマルスルと約束したとおり、自ら兵を引き、ウンターヴァルデン侵攻を諦めた。


転の章 イブデリ村での冬休み


 水木の月の26日の夜、ハシリウスはジョゼとともに、生まれ故郷である『ウーリヴァルデン』のイブデリ村を訪れて、久しぶりに生まれ故郷の家でのんびりしていた。

 なぜ、ここにジョゼがいるかというと……


 ハシリウスがマルスル軍を殲滅した『ジョゼ平原の戦い』が行われた水木の月の25日の夜、ハシリウスはロード・ベレロフォンの歓待を受けた後、部屋で疲れをいやしていた。そこに、

 「ハシリウス~!」

 と、聞き慣れた声がする。

 「いけないな、ジョゼの声が聞こえるなんて。幻聴かな? やっぱり疲れているんだ」

 ハシリウスがそう言った時、ドアが開く音が聞こえて、ハシリウスの目の前に赤毛でブルネットの瞳をした少女が、ロード・ベレロフォンに連れられて現れた。

 「ハシリウス・ペンドラゴン殿、可愛いお客様です」

 ロード・ベレロフォンがそう言ってジョゼとともに部屋に入ってきた。

 「ジョゼ! どうしてここに?」

 ハシリウスはびっくりして言う。ジョゼはにこっと笑って言う。

 「ハシリウス、マルスルは『トランス・ストライク』っていう技を使うわ。これは、相手の手元に電光石火で飛び込んで、剣の突きを見舞う技よ。見切りをしっかりしないと、あなたも危ないわ」

 その言い方で、ハシリウスは事情を察した。

 「ありがとう、太陽の乙女・ゾンネ。わざわざそれを言いに王都から来たのかい?」

 ジョゼのゾンネは、にこにこしながら言った。

 「いいえ、とんでもない。この子が悪い夢を見て、あなたのことをとても心配するから、私が彼女の身体をちょっとだけ使わせてもらったの。ここまでホーキでまるまる一晩飛び続けだったから、この子もすごく疲れているはずよ」

 「そのようだね。でも、とりあえず敵の軍はいなくなったし、マルスルもシリウスが何とかしてくれたはずだ」

 ハシリウスが言うと、ジョゼは少しほっとしたように

 「そう、シリウスが……じゃ、ハシリウスはソイツと戦わなかったんだね」

 という。ハシリウスはうなずいて訊く。

 「今しゃべっているのは、ジョゼかい? それともゾンネ?」

 「ボクだよ。ゾンネはまだボクの中にいるけど、ボクがハシリウスとしゃべった方がいいって言うから……」

 そう言って、ロード・ベレロフォンをちらっと見る。ベレロフォンは察しよく、

 「長旅でお疲れでしょう、お嬢さん。すぐに着替えとお食事を届けさせますから、ハシリウス殿とごゆっくりお過ごしください」

 そう、優雅に言って出て行った。

 ドアが閉まると、ハシリウスはジョゼに言う。

 「戦いが終わっていたからいいものの、まだ戦いが続いていたらどうするつもりだったんだい? おとなしく家で待っててくれているものと思っていたのに、危ないじゃないか」

 「だって、この子があなたのことを心配で心配で、夜も眠れない程だったから、王女様のお願いもあって私がここに来たのよ」

 「ソフィアの?」

 「ええ。二人とも同じ悪夢を見たから、それが正夢にならないようにって、私を呼び出して、それからあなたに伝えてほしいって頼まれたのよ」

 「同じ悪夢?」

 「うん、ハシリウスのお母さんがキミのことを心配しているだろうから、女王様がソフィアに慰めてあげろって言って、うちにソフィアが泊ったのさ。その時に二人とも同じ夢を見た……」

 ジョゼが出たり、ゾンネが出たり、忙しい。ハシリウスもちょっと混乱してしまいそうになった。

 「ちょっ……悪いけど、ジョゼかゾンネか、どちらかでしゃべってもらえればうれしいんだけど」

 ハシリウスが言うのに、いたずらっぽくゾンネが聞く。

 「あら、私がいいかしら? それとも、ジョゼの方がお好み?」

 「……あのね、答えづらくなるような聞き方をするなよ。その身体はジョゼなんだから、ジョゼが話す方が、僕的にしっくりするよ」

 「あン❤ 大君主様のイ・ケ・ズ❤」

 ジョゼのゾンネが、そう可愛い声で言って、ハシリウスにウインクする。ハシリウスは真っ赤になって言う。

 「だから、そんな可愛い声やしぐさをしてもだめだよ。ジョゼの身体はジョゼのものなんだから」

 「はい❤ かしこまりました、大君主様❤」

 ゾンネはそう笑って言うと、やっとジョゼの身体から離れた。

 「……あのさ、ハシリウス……」

 ジョゼは耳まで真っ赤になっている。ハシリウスはそれに気づかない振りして言う。

 「なんだい? ジョゼ」

 「あれ、ボクじゃないからねっ!」

 「あれって?」

 わざと聞いてじらすハシリウス。

 「そ、その……ウインクしたり、その……」

 ジョゼはいっぱいいっぱいだ。それにハシリウスが追い打ちをかける。

 「でも、可愛い声やしぐさだったよ? ジョゼもあんなに可愛いんだなって思ったけどなあ」

 これはハシリウスの本心でもあった。でも、ジョゼにしたらたまらなくハズカシイ。

 「う……」

 「ジョゼ、もっと素直になって、僕のことが好きだっていえばいいじゃん」

 よせばいいのに、ハシリウスはそう言って、罠のバネをはじいてしまった。

 「う……うぅぅ……ハシリウスのおバカ! フォイエル!」

 「どぅわっ!」

 ということで、ハシリウスは恒例のフォイエルの餌食となってしまったとさ♪

 そのあと、食事を届けに来た召使は、なぜか縮れているハシリウスの髪の毛を不思議そうに眺め、首を傾げて出て行った。


 次の日、もう少し城にいればいいというロード・ベレロフォンの言葉に感謝しつつ、

 「せっかくここまで来たのですから、僕の故郷のイブデリ村に立ち寄ってみたいと思います。お城での歓待、とてもうれしかったです」

 そうハシリウスはベレロフォンに言って、ジョゼとともにイブデリ村に向かったのだった。

 イブデリ村は、ウーリヴァルデンの東側にある、人口は1000人くらいの小さな村である。ハシリウスとジョゼはここで生まれ、中等部卒業までここで育った。だから、村人のほとんどと知り合いだ。

 この小さな村まで、ハシリウスの噂は流れていたので、ハシリウスの帰郷はほとんど凱旋将軍のそれだった。おかげで水木の月26日いっぱいは、村長が主催した『大君主ハシリウスくん歓迎行事』で費やされてしまった。

 「ふう……」

 ハシリウスは、久しぶりの自分の部屋でのんびりとしていた。思えば、2年前までここに居て、家族で暮らしていたよなあ。あのころは、自分がこんな運命になるなんて、全然考えてもみなかった。

 ハシリウスは、本棚から本を取り出し、机に座って本を広げた。『星読師ヴィクトリウス伝』というこの本は、ジョゼがハシリウスの誕生日に買ってくれたものだ。

 そこに、トントンとドアをノックする音。ま、この家には今はジョゼと二人きりだから、誰が来たのかは決まっている。

 「ジョゼ?」

 「うん。ハシリウス、ちょっと入っていいかな?」

 「ああ、いつも通り、カギはかけてないから、勝手に入ってきていいぞ」

 「じゃ、邪魔するね」

 ジョゼが入ってきた。珍しく、ジョゼはウール地のピンク色のセーターに、淡い水色のロングスカートをはいている。ハシリウスが机に座っているのを見ると、ジョゼがからかった。

 「あれ、珍しい。ハシリウスが勉強しているなんて、どうした風の吹き回しだい?」

 「ジョゼこそ、スカートなんかはいてどうしたんだよ? 珍しいことすると明日大雪になっちゃうじゃんか」

 「うっさいな~。ボクだってたまには女の子らしいカッコしたいさ」

 「まあ、似合っているからいいけど……」

 ハシリウスは、用心のためそう言った。いつもジョゼをバカにするとその報復がきっちりとやって来るから、ちゃんとほめるところはほめとかないとな。

 「え……?」

 ジョゼが明らかに照れている。ハシリウスはしかし、深追いを避けた。

 「似合っているって言ったの。聞こえなかった?」

 「い、いや……ハシリウスからそんなあからさまなほめ言葉が出てくるなんて思わなかったから、一瞬鳥肌が立っちゃったよ」

 「そりゃ悪かったね」

 「い、いや、何て言うか……今日、パーティーで、ハシリウス、モテてたでしょ?」

 ジョゼはハシリウスのベッドに腰掛けてそう言う。

 「え? 僕、モテてた?」

 ハシリウスは本気でそう言った。

 「うん、中等部の同級生で、ここの州立ギムナジウムに行った女の子、結構いたでしょ? そんな子たちがハシリウスの周りを取り囲んでいたじゃんか? あれって絶対、ハシリウスに気があるんだ」

 「……そうだったの? だからみんな、僕に寮の住所やら電話番号やら訊いたのか……」

 「ええっ! そんなやつもいたの? それでハシリウスはどうしたのさ?」

 「教えていけないこともないし、どうせ住所とか調べれば分かることだから教えてあげたけど?」

 ハシリウスの答えを聞くと、ジョゼは両足をブラブラさせながら、笑って言う。

 「……ハシリウスって、ニブチンのくせに妙に優しいから、女の子は淡い期待をするんだよね。別の言い方すると、罪作りなヤツだよね」

 「……」

 「好きなら好き、嫌いなら嫌いって伝えた方が、かえって女の子のためにはいいんだけどな」

 「……じゃあ、好きでも嫌いでもない場合は、どうすんのさ?」

 「う~ん、ハシリウスが今、好きな子がいないってんなら、優しくしてあげてもいいのかな? それで恋が芽生えるってこともあるだろうし……。好きな子がいるんなら、ちゃんと伝えないと、相手の子にも失礼だ」

 「……じゃあ、僕がジョゼのこと好きって言ったら、ジョゼはどう答えるのさ? ジョゼ、今、好きな奴いないだろ?」

 「えっ……し、失礼な! ボクだって好きな奴くらいいるさ!」

 「えっ? それは失礼しました。じゃ、僕にその好きな子のことを伝えて、ゴメンナサイするのかな?」

 「……それは秘密さ」

 ハシリウスはちょっと混乱した。どういうことだろう? ジョゼの態度には明らかに矛盾がある。

 「ゴメン、ハシリウスを混乱させちゃったね? ボクってどうして、ハシリウスにこんなイジワルばかりするのかなあ?」

 そう言うジョゼに、笑ってハシリウスが言う。

 「そーやって反省するくせに、結局いつも同じことをするんだよな~」

 「そうだね。おかしいね」

 ジョゼはそう言うと、笑って部屋から出て行った。


 次の日、ハシリウスはジョゼと一緒に、ジョゼの両親の墓参りに行っていた。

 ジョゼの両親は、ジョゼが6歳のころ、突然村に現れたモンスターによって殺されてしまった。その時、一緒に仕事場に行っていたジョゼとハシリウスは奇跡的に助かり、四人を襲ったモンスターは何者かの手によって黒焦げにされていた。

 ジョゼは、お墓に花を手向けると、ずいぶん長い間座ったまま手を合わせていた。

 ハシリウスも、一緒に手を合わせた。そんな二人を遠くから見たら、どう見えるだろう? 恋人同士? それとも姉弟? それとも夫婦? ハシリウスはなぜか、そんなことを考えていた。

 ジョゼは、ハシリウスが一緒に来てくれたことがとてもうれしかった。だから、天国のお父さんとお母さんには、ハシリウスの母から暗にお嫁に来てほしいって言われたことと、ハシリウスが大君主になったよってことを誇らしく報告した。ハシリウスには秘密だけどね。

 「ずいぶん長くお祈りしていたね」

 帰り道、ハシリウスはジョゼに優しくそう言った。

 「うん、報告することが多かったからね」

 「そうか……何をそんなにたくさん報告したんだ?」

 「秘密」

 「昨日から、秘密ばっかりだな……いいや、言える時が来たら言ってくれ」

 ハシリウスはそう言うと、にっこりとジョゼに笑いかけた。と、その微笑みが急に凍りつき、そしてハシリウスの瞳に鋭い光が宿った。

 「ハシリウス、モンスターだ」

 星将シリウスが蛇矛を持って顕現する。折よく、星将デネブもまだハシリウスの傍にいた。

 「デネブ、『太陽の乙女』のことを頼む」

 シリウスはそう言って、現れたモンスター・グリズリの群れに突入する。

 「う、……うう……」

 ジョゼは、グリズリの群れを見つめながら、あの日のことを思い出していた。お父さんもお母さんも、このグリズリにやられたんだ!

 「ジョゼ、早く逃げるんだ!」

 ハシリウスがそう叫ぶ。しかし、ジョゼは眼を据えたまま歩こうともしない。

 「『太陽の乙女』どうしたんだい?」

 星将デネブは、刀を抜いて構え、ジョゼをかばいつつそう聞く。しかし、ジョゼは動けないし、言葉も出せない。

 らちが明かないと考えたハシリウスは、11年前に無意識で使った魔法を、また無意識で使っていた。

 「光の精霊リヒトよ、その神々しき光をまといてわが前に立ち、われに害意ある者どもに鉄槌を下したまえ。ブリッツストーム・イム・ラント!」

 その言葉と同時に、ハシリウスの身体からほとばしり出た光の矢が、グリズリの群れを包み、一匹残らず黒焦げにしてしまった。

 その時である、虚空から

 『大君主の小僧よ、夜叉大将スナークがマルスルの仇を取らしてもらう。トランス・ストライク!』

 という声がした。ジョゼはその声にびくっと反応する。ハシリウスが危ない!

 一方、デネブもシリウスも、虚を突かれた。

 「しまった! ハシリウス!」

 ハシリウスにも見えた。自分の心臓めがけて突き出される電光のような剣先の光が。いかん、よけられない!

 その何百分の一秒という刹那の時間の中、ハシリウスたちは、

 「太陽の乙女ゾンネの名において、女神アンナ・プルナの力をもて大君主を守護す! ゾンネンブルーメ!」

 という声を聞いた。そして、剣より速く、ジョゼがハシリウスの前に立ちはだかった。

 「ジョゼ、危ない!」

 ハシリウスが叫んだ時、ジョゼの掌から輝く光が、まるでヒマワリのように広がり、剣先を受け止めた。

 「くそっ! 太陽の乙女か!」

 ジョゼは受け止めた剣先が引き抜かれる隙をついて、そのシールドで相手の左腕を斬り飛ばした。

 「うおっ!」

 その相手、夜叉大将スナークは、痛手に耐えながら虚空に消えようとしたが、

 「させるか! 光の精霊リヒトよ、悪しき闇を退けるため、女神アンナ・プルナの名において、ハシリウスが命じる。“光の剣”ウム・ルフト!」

 ハシリウスの“光の剣”は、見事にスナークをとらえた。

 「うおっ、く、くそっ!」

 スナークが光の呪縛から逃げようと力を振り絞る間に、星将シリウスが駆け付けた。

 「スナークよ、かえって藪蛇をつついたな。これでもくらえっ!」

 「うおーっ!」

 夜叉大将スナークは、シリウスの蛇矛を真っ向から受けて、唐竹割となって息絶えた。

 「大丈夫かい、『太陽の乙女』!」

 ハシリウスは、襲い来る疲れと戦いながら、倒れてしまったジョゼのもとへと歩いた。しかし、何歩もいかないうちに、デネブがジョゼをしっかりと抱えているのを見ながら気を失ってしまった。


 「う、う~ん」

 ジョゼはゆっくりと目覚めた。いつの間にか、自分の部屋のベッドに寝かされている。

 ボクはどうしたんだろう……しばらく考えて、ジョゼの記憶がよみがえってきた。そうだ! グリズリの群れが現れて、それをハシリウスが倒してくれて、虚空から夢と同じ声がして、そして……ハシリウスはどうしたんだろう?

 「ハシリウス!」

 ジョゼは起き上がった。思ったより長い時間寝ていたようだ。外はすっかり暗くなっている。星将たちがそばにいてくれていると思っても、あんなことがあった後だから、ジョゼは少し心細かった。ハシリウスはどうしているのだろう?

 ジョゼは、身体を引きずるようにして、やっとのことでハシリウスの部屋の前に立った。ノックしようとして、ハシリウスを起こしたら悪いと思い直し、そのままドアを開ける。

 「ハシリウス?」

 ジョゼが低い声で尋ねるが、返事はない。ジョゼはハシリウスの部屋に滑り込み、静かにドアを閉めて聞き耳を立てる。静かだが、確かにハシリウスの寝息が聞こえる。よかった! 無事だったんだ!

 「ハシリウス?」

 ジョゼはハシリウスのベッドの横まで来て、ハシリウスの耳元でささやく。ハシリウスが、

 「う、う~ん……」

 と言って薄く目を開けた。ジョゼは聞く。

 「ハシリウス、無事だった? ちょっと怖いんだ……その……一緒に寝ていいかな?」

 ハシリウスは寝ぼけているのか、あくびをしながら言う。

 「怖いのかい? 何も怖くないさ……おいで、ジョゼ」

 「うん、ありがと、ハシリウス」

 ジョゼはそう言うと、ハシリウスの隣に滑り込んだ。身体が震えている。

 ハシリウスは不思議そうに言う。

 「ジョゼ、震えてる……寒いの?」

 「ん……」

 ジョゼが言うと、ハシリウスはゆっくりと腕を回し、しっかりとジョゼを抱きしめて言う。

 「しょーがないおねーちゃんだなー……これで寒くないかい?」

 「ん……」

 ジョゼは心臓がどきどきしたが、ハシリウスのゆっくりした鼓動を聞いているうちに、心が落ち着いてきた。

 ――ハシリウス、あたたかい……

 ジョゼはそう思いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。


 翌朝、ジョゼはぐっすりと眠った後の、爽快な気分で目を開けた。目の前にハシリウスの胸が見える。

 「!?」

 ジョゼは、何かの間違いじゃないかとびっくりした。そして、ゆっくりと昨夜のことを思い出す。

 ――ぼ、ボクがハシリウスのベッドに自分でやって来たんだ……。そして、ハシリウスがボクをしっかりと抱いててくれたんだ……。

 ジョゼは、朝っぱらから顔がほてるのを感じた。早く起きなくちゃ!

 ジョゼがゆっくりと顔を上げる。ハシリウスの顔がすぐ近くに見える。起きているときに、こんな体勢になったら、ボクはこっばずかしくてフォイエルをかましてしまうかもしれない。いや、フレーメンヴェルファーかな?

 ハシリウスの顔は、ちょっとの間にだいぶ大人びてきていた。大君主と言われ続けた月日が、ハシリウスを成長させているんだなあ……ジョゼはそう思いながら、ハシリウスのまつ毛って、意外に長いことを知った。こうしてまじまじと見ると、ハシリウスはかっこいい部類だな。

 「ん……」

 ハシリウスは何かの夢を見ているのか、ジョゼを抱きしめるハシリウスの腕に、少し力が入った。

 「あっ……」

 ジョゼはびっくりして、思わず身体を固くした。ごめん、ハシリウス、ボクはキミのお嫁さんになる日までは、純潔でいたいんだ。

 でも、ハシリウスは別に何をしようというのではなかった。ホッとしたジョゼだったが、少し失望した自分がいることを知って、

 ――ええい、ボク、しっかりしろ!

 そう心の中で言う。

 「ジョゼ……大丈夫か?」

 「え?」

 ハシリウスの声に、思わず聞き返すジョゼ。それが寝言だったと知って、ジョゼはくすっと笑った。

 ――どんな夢を見ているのかな? ボクを守る夢? だったらうれしいよ、ハシリウス。

 ジョゼはそう思うと、とてもハシリウスという幼なじみが愛しくなった。幸い、今は二人きりだし、誰も見ていない。星将たちだって、ボクとハシリウスのことは知ってるから、秘密にしてくれるよね。

 ジョゼは、目を閉じて、唇をゆっくりとハシリウスの唇に近づけた。もうすぐキスする……というときに、ジョゼの脳裏にソフィアの顔が浮かんだ。ここまででずいぶんソフィアに抜け駆けしてしまった。これで、ハシリウスのファースト・キス(?)までボクが奪ったら、ソフィアに悪い気がする……。

 ジョゼは眼を開けて、ふっと笑い、ゆっくりとハシリウスを起こさないようにベッドから抜け出した。パジャマもズボンも乱れていない。ハシリウスは寝ぼけていたのか、それとも、あえてボクに手を出さなかったのか……ま、前者だろうけど、寝ぼけてなかったら、ハシリウス、どうするんだろう?

 ――これは興味あるなあ、今度、機会があったら試してみようかな?

 ジョゼはそう考えながら、ハシリウスの寝顔に微笑みかけて言った。

 「おはよう、ハシリウス。昨日はありがと❤」


 「んん?……」

 ハシリウスは、ぱちりと目が覚めた。自分だけでこうやって目が覚めるのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする……。ハシリウスは、何年ぶりかを考えようとして、やめた。真剣に考えたら、コワイものがあったからだ。

 「よいしょ……あれ?」

 ハシリウスは身体を起こして、妙に右腕がしびれているのに気が付いた。まだ疲れが残っているのかな? と思う。実はジョゼを腕枕していたから、しびれるのは当然なのだが、ハシリウスはあいにく、ジョゼと一緒に寝たなんてこと、覚えていなかった。

 「?……む?」

 ハシリウスは、パジャマを脱ごうとして、自分のパジャマからほのかにラベンダーの香りがするのに気が付いた。気が付いたが、それ以上考えないことにした。この辺りはハシリウスらしい。

 ――ジョゼは大丈夫だったかな?

 ハシリウスは、着替えると最初にジョゼの部屋をノックした。しかし、返答がない。

 「ま、僕が起きているのだったら、ジョゼはすでに起きているんだろうな」

 ハシリウスはそうひとりごとを言うと、1階へと降りて行った。階段の途中で、ほのかにいい匂いがする。ハシリウスがリビングに現れると、台所からジョゼが顔を出して言った。

 「おはよう♪ ハシリウス!」

 「あ、おはようジョゼ。もう大丈夫かい?」

 ハシリウスが、エプロンを着てフライ返しを持っているジョゼにそう言う。ジョゼはにこっと笑って言う。

 「大丈夫だよ♪ ちょっと待っててね、すぐ朝ご飯作るから」

 ジョゼが妙に機嫌がいいのが、ハシリウスにとって気になるところだった。それに、今朝のジョゼは昨日までのジョゼと何かが違う気がしてならなかった。

 ジョゼは、鼻歌なんか歌いながら料理を作っている。その様子を見て、ハシリウスは、

 ――ジョゼも、やっぱりオンナノコだなあ……もう少しジョゼが素直だったらなあ……。

 そう思って、食卓に座っていた。

 「お待たせ、ハシリウス❤」

 ジョゼはそう言って、焼きたてのパンとベーコンエッグ、そしてコンソメスープを食卓に並べた。

 「ジョゼ……」

 「なに? ハシリウス」

 ジョゼがくるくるとしたブルネットの瞳でハシリウスを見つめる。ハシリウスはドキッとしたが、

 「え~と、今話しているのは、ジョゼ? それともゾンネ?」

 と聞いた。ジョゼはイタズラっぽく笑うと、

 「さあ……どっちでしょう? 当ててみて、ハシリウス❤」

 と答える。ハシリウスは、じっとジョゼを見つめた。話し方は、ゾンネのようだ。しかし、ハシリウスにはゾンネの気配が感じられなかった。ジョゼだとすると、今朝はどういった風の吹き回しだろう。

 じっと見つめられているジョゼは、ハシリウスの向かい側に座って、頬杖をついてハシリウスの碧の瞳を見つめ返している。こんなことも、今までのジョゼにはなかったことだ。

 ふと、ハシリウスはラベンダーの香りに気が付いた。それは、ジョゼの髪の匂いだった。

 「ジョゼ……なんだね? ちょっと信じられないけど……」

 ハシリウスは、ゆっくりとそう言った。ジョゼは優しくほほ笑んで言う。

 「当たり……昨日はありがとう、ハシリウス。ボクを守ってくれて。そして、ボクのお父さんとお母さんの仇を討ってくれたのも、ハシリウスだよね?」

 ハシリウスは首を振って言う。

 「僕こそ、ジョゼの『ゾンネンブルーメ』に助けられた。あれがなければ、僕はスナークとかいうやつに心臓をえぐられるところだった。ありがとう、ジョゼ。命の恩人だ」

 「お礼なんて言わなくていいよ。ハシリウスこそボクのことをずっと守ってくれているから……最初の包帯ゴリラのときも、次のカニ兄弟のときも、それからアスラルのときも……。ううん、もっと昔、ボクがグリズリに襲われた時、助けてくれたのは、ハシリウスだよね? 昨日ボク、確信したんだ。そして、ハシリウスにまだお礼を言っていないことに気が付いた。昨夜だって……」

 「昨夜?」

 「う、うん……何でもないよ。とにかく、ボクはハシリウスにお礼が言いたかったんだ」

 ひたむきに自分を見つめるジョゼに、ハシリウスはなぜか心が締め付けられそうな思いがした。この幼なじみは、強がっていただけなのかもしれない。本当は、ソフィアが言うように、優しくて、傷つきやすい女の子なのかもしれない。

 「分かったよ。ジョゼのお礼の気持ちは、しっかり受け止めた。さ、せっかく作ってくれた朝ご飯だ、冷めないうちに食べさせてくれ。お腹が減って倒れそうだよ」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「大君主だと!?」

 ここは、ヘルヴェティア王国からはるか北、一年のほとんどを雪と氷で覆われている地。生きて動くものの姿はまれにしか見受けられず、太陽の光すらも弱々しい。

 その最果ての北の地で、ベッドに横たわった男が、怒気をたたえた顔を、ひざまずく臣下たちに向けて怒鳴った。臣下たちはガバッとひれ伏す。

 「クロイツェン陛下、お心を鎮めてください」

 ここは、黒魔術の王たるクロイツェンの国であった。ベッドの傍で佇立する一人の男が、静かにベッドに横たわるクロイツェンに声をかける。彼は、それに続いて、

 「トドメスやロムルス・レムスたちはまだ魔力が高いとは言えぬので、ハシリウス・ペンドラゴンという男を見くびっていたのは確かです。しかし、アスラルを倒し、マルスルを破り、12夜叉大将の一人であるスヌークまで屠るとは、やはり並の人間ではありません」

 「しかし、小僧ではないか! 小僧に夜叉大将を討たれて、黙っておられるか!」

 大声を上げるクロイツェンに、もう一人、ベッドの横に佇立する女が話しかける。

 「クロイツェン陛下、ハシリウスはただのガキではありません。陛下もよくご存じの、セントリウスの孫です。その力量はまだまだ小さなものですが、将来的には『大君主』として手に負えなくなる可能性がとても高いです」

 「何より、女神アンナ・プルナが彼を守護していますし、セントリウス同様、12星将を使っています。マルスルの軍は、12星将によって破られたといってもいいでしょう」

 男が補足して言う。

 「ぬぬぬ、セントリウスめ、奴のおかげでわしは30年もの間身動き一つできなかったわ! きゃつの結界を破るだけで、わしの魔力のほとんどを使ってしもうた……。バルバロッサ、メドゥーサ、おぬしたちは何をぐずぐずしているのだ! 早くそのハシリウスとかいう小僧の首を、わしの前に持ってこんか!」

 激昂するクロイツェンの声は、外のブリザードよりも猛々しい。その声の嵐の中、臣下の一人が手を挙げて言った。

 「陛下! ぜひわたくしにその役目をお与えください! みごとハシリウスの首を持って参ります」

 「おお、夜叉大将ナイトメア。そなたが行ってみるか?」

 バルバロッサと言われる赤毛で赤い髭の男が、手を挙げた女に言う。彼女は笑って言った。

 「参ります。ハシリウスを人間どもに殺させてみせましょう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 王都の北にある『蒼の湖』の湖畔で、セントリウスは湖面を見つめながら今後の『闇の使徒』たちの動向を探っていた。

 湖面には、セントリウスにしか見えない星の運行図が現れている。その星々の動きを見ていると、一つ気がかりがでてきた。大君主の星の光が弱い……それはハシリウスの危機を予言していることになる。

 「ふむ、ハシリウスに凶星が宿ってしまったようじゃな……」

 セントリウスはそうひとりごちると、慌てるでもなく星将ポラリスを呼び出した。

 「ポラリス」

 「はい、何でしょうか? セントリウス様」

 星将ポラリスが顕現する。

 「ハシリウスに、凶星が出ている。すまんがそなたには『月の乙女』が目覚めているかどうかを確かめてきてほしい」

 セントリウスの言葉に、ポラリスが首を傾げて訊く。

 「『月の乙女』が目覚めている場合は?」

 「女王陛下に断ったうえで、『月の乙女』をハシリウスのところに連れて行ってほしい」

 「目覚めていなかった場合は?」

 「そなたがハシリウスのもとに行き、おそらく次に現れる夜叉大将ナイトメアへの対抗策をハシリウスに教えてくれ」

 「かしこまりました」

 星将ポラリスがそう言って隠形した後、セントリウスは遠くウーリヴァルデンを望み、つぶやいた。

 「さてさて……今ハシリウスを呼び戻すわけにはいかんからのう」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 水と木の月の27日、ソフィアはヘルヴェティカ城の中にある『アンナ・プルナの神殿』で、女神アンナ・プルナにハシリウスとジョゼの無事を祈っていた。

 24日の夜、ジョゼに降臨した『太陽の乙女』に、

 『太陽の乙女よ、大君主ハシリウスの危機です。敵将はとても危険な術を使います。ハシリウスはそのことを知らないはずです。ハシリウスに危険を知らせていただくわけにはいきませんか?』

 ソフィアはそう言って頼む。『太陽の乙女』ゾンネは、ソフィアの夢の話を聞くと、

 『確かにそれは危険な術です。『トランス・ストライク』はたとえ星将でもよけることは困難なものですから……。分かりました。知らせてまいりましょう……ただ……』

 『ただ……何でしょう?』

 言いよどむゾンネに、ソフィアは訊く。

 『私がこの身体で行くと、この子とハシリウスが二人っきりってことになるかもしれませんよ。それでもいいのですか?』

 『ジョゼがハシリウスのことを好きだってこと、私も気づいています。それに、ジョゼは『太陽の乙女』なのでしょう? ハシリウスのことを守るのが役目の乙女ですよね? だったら、ジョゼが行くのが当然です』

 そう悲しそうに言うソフィアに、ジョゼのゾンネが言う。

 『お姫様、あなただって『月の乙女』ですよ? 早くルナをその身体に宿して、この子と二人、ハシリウスを守れるようになればいいのです。私は、あなたもハシリウスのことが好きってこと、知らないわけじゃないのですよ』

 『ゾンネ……』

 『とにかく、まずはハシリウスの安全を確保することですね。あの人が死んでしまったら、あなたとこの子、どちらがハシリウスといい仲になるかなんて問題は吹っ飛んじゃいますから……』

 ジョゼのゾンネは、そう言うと、ジョゼのホーキを使って月夜に飛び出して行った。

 ――ハシリウス、無事でいてください。それからジョゼ、あなたも無事でいてください。たとえあなたとハシリウスが恋人になったとしても、あなた方の姿が見られなくなる方が、私にとってはつらいのです。

 ソフィアはそう心の中で念じていた。すると、

 『ハシリウスがジョゼとあなたのどちらを選んだとしても、大君主にとっては『日月の乙女たち』はどちらも必要なのです』

 そう、何かが心の中に語りかけてきた。

 「ど、どなたですか?」

 ソフィアが辺りを見回してそう言う。

 『私は、星将ポラリス。セントリウス様から頼まれて、あなたの様子を見に来ました……そうキョロキョロしてもダメですよ。大君主が側にいないと、私たちの姿を見ることはかないません。あるいは、あなたが月の乙女・ルナと同期していない限りは……』

 ポラリスの言葉に、ソフィアは心配そうに聞く。

 「ハシリウスはどうしていますか? 元気でしょうか? 闇の使徒たちの軍隊は、ハシリウスの活躍で退けたって言う報告が来ましたが、まだハシリウスたちが戻らないので心配していたのです」

 『ハシリウスの活躍により、夜叉大将マルスルとイークの軍が退いたのは確かです。しかし、ハシリウスにとってもっと凶悪な敵が現れようとしています。私は、あなたがルナとして目覚めていれば、ハシリウスのもとに連れて行くはずでしたが、まだ目覚めの時は来ていないようですね……』

 星将ポラリスの言葉に、ソフィアは悲しそうに言う。

 「ジョゼとは違いますから……ジョゼは昔からなんでも器用でしたし……」

 『……それは違いますよ。私の目から見ると、王女様、あなたの方があの子よりも強大な魔力を持っていることが分かります。しかし、太陽の乙女の方が発現が早かったのは、あの子のハシリウスを心配する気持ちと、太陽の乙女・ゾンネの気持ちがうまくシンクロしたからです。しかし困りました……太陽の乙女の方も、完全には目覚めていないのです……このままではハシリウスは星将だけの陣で戦わねばなりません……』

 「星将は星の運行を司り、神の一種として悪霊を調伏する存在と聞きました。その星将の中でもハシリウスに仕えているシリウスは最も強力な闘将と聞きます。それでもハシリウスが危ないのでしょうか?」

 不思議そうに聞くソフィアに、ポラリスは言う。

 「確かに、相手が悪神や悪霊ならば、シリウスに敵うものはそうそういないでしょう。しかし、私たち星将は、人間を殺すことができません。相手が人間だった場合、シリウスも手が出せません」

 その時、ソフィアは、シリウスがなぜクリムゾンにあんなに苦戦していたのかを知った。そうか、人間に憑依したり、人間を操ったりするものがいる場合、ハシリウスは自分だけで戦わねばならない。そんなハシリウスを助けるために、『日月の乙女』は存在するのだ!

 「ジョゼではだめなのですか?」

 『だめということではありません。先にはハシリウスの危機を救っています。しかし、まだ完全な覚醒ではないということです。あなたたちが完全に目覚めれば、ハシリウスはさらに素晴らしい力を発揮するでしょう……しかし、困りました。私はもう行かねば……』

 「待って! 星将ポラリス。少し……そう、半日、いえ、1時間でいいのです、時間をいただけないでしょうか? 月の乙女・ルナを感じてみます」

 ソフィアはそう言うと、ポラリスの返事を待たずに瞑想に入った。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 水と木の月27日の夜、ハシリウスとジョゼは、のんびり夕ご飯を食べていた。

 「いやあ、今日も何か忙しなかったね。ジョゼもお疲れさん」

 「別に大したことないよ。でも、久しぶりでみんなと会ったなあ……2年ぶりだったよね」

 今日は、ハシリウスが帰ってきたことを知った中等部時代の友だちが大挙して押し寄せて、ハシリウスの家で即席のパーティーが開かれたのである。ハシリウスが驚いたことに、ジョゼは突然の多数の来客に慌てることもなく、中等部時代の女友だちを仕切ってパーティーの準備一切を見事にやり遂げた。

 おかげでみんな、とても楽しい一日が過ごせたのである。

 「ジョゼ、いつの間にあんな料理を覚えたんだ? 今日はとても見直したぞ」

 ハシリウスが心底そう言うと、ジョゼは顔を少し赤らめながら、

 「へへへ、ハシリウスからほめられるのって、気持ちいいんだ~。ボクはね、ほめられて上達するんだよ。だからもっとボクをほめなさい♪」

 「そうか、ソフィアから教えてもらったのか」

 「だっ! ボクが何も言っていないのに、なんで分かるのさ? さてはハシリウス、魔法使いだな?」

 「おう! 僕はこう見えても魔導士様だぞ! そのくらい分からいでか!」

 二人はそう言って笑いあった。


 やがて食事も済んで、ハシリウスが

 「今日はジョゼにばかりご飯を作らせたから、僕が片づけをしよう。食後のティータイムになったら呼ぶよ」

 と言って台所に入った。ジョゼは、そんなハシリウスに

 「アリガト♪ じゃ、ちょっと外の風に吹かれてくるね」

 そう言って玄関から外に出る。

 「あ~あ、今日も星がきれいだな~」

 ジョゼが背伸びしてそう言う。本当に手が届きそうなくらい満天の星だ。

 「お父さん、お母さん、ハシリウス、昨日からとても優しいよ❤ ボク、とても幸せだ」

 ジョゼがそう言った時、

 「それは良かったわね」

 背後からそう、女の声がした。びくっとして振り向くジョゼの目に、月の光に照らされて、たいそう美しい少女の姿が映った。ジョゼと同い年くらいだ。

 「あ、こんばんは……えっと、あの、どちら様ですか? ハシリウスならちょっといませんけど」

 ジョゼは、こんな美人がてっきりハシリウスに会いに来たのかと思い、思わず嘘をついた。

 「いいのよ……私はあなたに用事があって来たのよ。太陽の乙女」

 「え……?」

 少女は、その青い目を見開いてジョゼの目を見つめる。少女はゆっくりと手を挙げながら、音もなくジョゼに近づいてくる。ジョゼは、なんだか心が金縛りにあったみたいに、動くことも、しゃべることもできなくなった。

 少女はゆっくりとジョゼの側まで来て、ジョゼの首筋にゆっくりと唇を当てる。

 「う………あぁん……」

 ジョゼは、何ともいえない心地で、頭がぼうっとしてしまう。そんなジョゼを見て、少女はゆっくり笑うと、ジョゼの耳元でささやいた。

 「ハシリウスを、あなただけのものにしなさい……彼を殺せば、彼はあなただけのものよ……」

 「え……」

 ぼっとしているジョゼに、少女は笑って短剣を手渡した。

 「さ、これでハシリウスをあなただけのものにするのよ。ソフィアには渡さなくてもいいわ」


 「ジョゼ、遅いな……」

 食後のティータイムの準備を終えたハシリウスが、いつまでたっても戻ってこないジョゼを心配し、探しに行こうと立ち上がったとき、星将シリウスが顕現した。

 「ハシリウス」

 「あっ、星将シリウス。ちょうどよかった、お茶でもしないか? その前にジョゼを探さないといけないが……」

 ハシリウスがそう言ってシリウスを誘うが、シリウスは首を振って言う。

 「ありがたいお誘いだが、『闇の使徒』が現れた。今、こちらに向かってきている」

 「何だって!? あいつら、まだこの谷を諦めていなかったのか!」

 ハシリウスはそう言うと、自分の部屋に駆け上がって行った。神剣『ガイアス』と父からもらった軍装を取りに行ったのだ。

 「シリウス」

 そこに星将デネブが顕現する。少し顔色が青い。シリウスが心配して言う。

 「どうした、デネブ? 顔が青いぞ」

 「『闇の使徒』は、夜叉大将ナイトメアだ。やつは、この村の人間を操って、ハシリウスを亡き者にするつもりだ。人間たちが武器を持ってこの家に押し寄せてくる……」

 「なに!? そうか……俺たち星将が人間に手出しできないことを知ってか……相変わらずクロイツェンの奴らはやり方が卑怯だな」

 「どうする? シリウス」

 デネブが訊くのに、シリウスはやや考えてから、

 「仕方ない、まずは逃げよう。いったん逃げて、ナイトメアの所在をつかまないと、何もできない」

 そう言った時、ジョゼが帰ってきた。

 「おお、太陽の乙女よ、我々はいったん、この村から出て行くべきだ。あのベレロフォンとかいうロードの力を借りぬとどうしようもない事態が起こっている……どうした、太陽の乙女?」

 星将シリウスは、ボーっとしているジョゼを見て、いぶかしげに言う。何かがおかしい。

 そこにハシリウスが軍装を整えて2階から降りてきた。ハシリウスはジョゼをみて、

 「ああ、ジョゼ、お帰り。どこ行ってたんだ? 心配したぞ」

 そう言いながら、ジョゼの側に歩み寄る。

 「ハシリウス……ボクだけのハシリウス……」

 ジョゼが小さく、つぶやくようにそう言う。ハシリウスは優しい声で聴き返した。

 「なんだい、ジョゼ?」

 そう言ってジョゼの目をのぞきこむ。ジョゼのブルネットの目は、うつろにハシリウスを見ている。

 「ジョゼ、どうした!」

 ハシリウスがそう言ってジョゼの肩を両手でつかんだ時、異変を感じたシリウスが叫ぶ。

 「ハシリウス、下がれっ!」

 その声にはじかれたように、ジョゼは無表情のまま、ハシリウスの左わき腹に、隠し持っていた短剣を突き刺した。

 「うぐっ!」

 ジョゼを離して跳び下がろうとするハシリウスだったが、ジョゼはハシリウスの手をつかんだまま、

 「死んで! ハシリウス!」

 そう叫んで、さらに短剣をハシリウスの胸に深々と突き立てた。そのまま短剣をえぐる。ハシリウスの胸から噴水のように血がほとばしり出た。

 「ぐ……ジョ、ジョゼ……」

 ハシリウスは、胸を押さえたまま、床に崩れ落ちた。

 「何をする! 太陽の乙女!」

 シリウスは、崩れ落ちたハシリウスにとどめを刺そうとするジョゼを、慌てて羽交い絞めにする。

 「放せ! 放して! ハシリウスはボクだけのものだ! ボクだけのものにするんだ!」

 そう言って暴れるジョゼ、その力はシリウスですら抑えられそうにないほど強かった。

 「太陽の乙女、正気に戻るんだ!」

 シリウスがそう言ってジョゼを抑えつけようとするが、ジョゼはますます暴れる。それを見ていたデネブが、鋭い目でジョゼを見つめながら両刀を抜き放った。

 「太陽の乙女、すまないね……“風の刃”!」

 「うわっ! ……う、う~ん……」

 ジョゼは、星将デネブの必殺技を至近距離からくらった。そのままシリウスの腕の中でくたっとなる。

 「デネブ!」

 慌てるシリウスに、デネブは真剣な表情のまま言う。

 「峰打ちさ、殺しゃしないよ。それよりシリウス、ハシリウスを何とかしないと」

 そこではっとなるシリウス。すぐにハシリウスを抱きかかえると、心配そうに傷をあらためる。幸いと言っては何だが、心臓からはずれているし、大きな血管を傷つけてもいないようだ。しかし、この血を何とかしてとめないと、ハシリウスは死んでしまう。

 シリウスはハシリウスの耳元で怒鳴る。

 「ハシリウス、ハシリウス! 気をしっかり持て、すぐに血止めをする。傷は浅いぞ」

 「シリウス、この『女神の秘薬』を使いな。こんなこともあろうかと、セントリウスがあたしに持たせていたものだ」

 「おお、助かるぞ」

 シリウスは、すぐさま『女神の秘薬』を、どくどくと血があふれ出すハシリウスの胸の傷とわき腹の傷に振りかける。しかし、傷口から流れ出る血が止まらない。いや、変わらないわけではない、出血の量は少なくはなったが、それでも、じわじわと染み出すように出血が続いている。

 「くそっ! あの短剣に呪いがかけられていたな。『女神の秘薬』ですら完全には止血できないなんて……」

 悔しそうに言うシリウスに、星将デネブは、

 「“風の連環”! こうしていれば、太陽の乙女は動けない。さて、シリウス、どうするかな?」

 「下手に動かすと、ハシリウスの傷口が破れる。しかし、このまま置いていても、いずれはナイトメアが差し向ける人間たちによってハシリウスは殺される。その前に、ナイトメアをたたっ斬らねば!」

 シリウスがそう言った時、家の外で声がした。一人や二人の声ではない、数百人からの声だ。

 「われらの敵、ハシリウスを殺せ!」

 「殺せ、殺せ!」

 デネブとシリウスは、顔を見合わせて言った。

 「囲まれてしまったようだな……」


決の章 ウーリの谷を守り抜け


 ――私は、ずっと誰かを探していた……そう、あのころは、私は一人ぼっちで遊んでいた……。

 『だって、僕たち、もう友だちだろ?』

 ハシリウスが笑う。その時、私は、わけもなく涙を流していた。今なら分かる、私は、やっと見つけたんだ。友だち以上の何かを……。それから、私はずっと彼だけを見ていた。

 ――彼に、ジョゼがいることも知っていた。ジョゼが、彼のことを好きなのも知っていた。でも、私はそれでもよかった。彼を見ているだけでも良かった……。

 『ソフィア、僕とジョゼとソフィアは、ず~っと友だちだよ』

 初等部の6年生の時、ハシリウスはそう言ってくれた。オトコノコやオンナノコとしてではなく、友だちとして、幼なじみとして、私たちはずっと一緒にいた……。

 『ジョゼやソフィアがいてくれるのに、どうして僕が女の子と付き合わなきゃいけないんだい?』

 中等部の時、ジョゼが友だちからハシリウスへのラブレターを預かった。ジョゼは、一人で渡すのは嫌だと言って、私と一緒にハシリウスに手渡した。ハシリウスは怪訝そうな顔でラブレターを受け取り、差出人を確認すると、そう言ったのだ。

 『で、でも、ハシリウスは友だちや幼なじみではなく、“彼女”は欲しくないんですか?』

 私がそう聞くと、ハシリウスは少し考えて言った。

 『いないと、おかしいかな?』

 『ハシリウスみたいに優しい人だったら、彼女の一人や二人いてもおかしくないんじゃないですか?』

 『ソフィアは、僕が彼女を作った方がいいと思っているの?』

 『……』

 『ジョゼは、女の子がラブレターを書くのは、とても勇気がいることだから、その子の気持ちも考えろって言ってたけど……。でも、僕は彼女って急いで作るものじゃないって思っている』

 ――その時、私は思った。急いで告白しなくてよかったなあって……告白して、ジョゼとの仲がギクシャクしても嫌だったし、ハシリウスがジョゼを選んだらどうしようとも思っていた。

 そうなのだ、ジョゼはハシリウスのことを、ハシリウスだけのことをとても好きなのだ。私は、『王女』であることで、ハシリウスへの気持ちを自分の中でごまかしていた。だから、私には『月の乙女』の声が聞こえなかったのだ……。

 『そう言うことみたいですね……』

 星将ポラリスとは違う女の子の声がした。ソフィアははっと目を開けて辺りを見回す。

 『探さないでいいわ、私はもう、あなたの中にいるもの。ねえ、ソフィア、私と一緒に、『大君主』様を守っていただけないかしら?』

 「守りたいです……私でできるなら、ハシリウスをずっと守ってあげたい……」

 ソフィアがそう言うと、ソフィアの身体は銀色に光り始めた。

 『月の乙女……』

 星将ポラリスがつぶやく。この王女様は、本当に魔力が強い。『月の乙女』とシンクロするのは、そう簡単なことではないと思いつつ、必死に頼むソフィアの真摯な姿勢に打たれて待っていたが、わずか1時間もしないうちにシンクロが始まるとは!

 「ああ、ハシリウス! 私の大事な『大君主』様!」

 光が収まったとき、ソフィアはいつもの服ではなく、銀の衣装に青きベルトを締め、頭には銀の宝冠を載せていた。そして、左右の手には銀の腕輪をして、腕を組んで立っていた――『月の乙女』ルナとして……。

 ルナは、星将ポラリスを見つめた。今は、ソフィアにもポラリスが見える。ポラリスは、びっくりしたような眼をしていたが、それでも白衣に金の帯をし、頭に金の宝冠を乗せているポラリスは、とても美しかった。ルナは鈴を転がすような美しい声で、ポラリスに語りかける。

 「星将ポラリス……お待たせいたしました。大君主様のところに参りましょう」


 水と木の月27日、ウーリヴァルデンのハシリウスの家は、数百人の村人たちによって包囲されていた。村人たちは手に手に武器を持って、ハシリウスの家を遠巻きにしている。

 村人たちが近づけないのは、星将シリウスが家の周囲に“火焔陣”という結界を張っていたからである。“煉獄の業火”程ではないが、それでもこの炎にふれれば、人であろうと悪霊であろうと、骨まで燃やし尽くすだろう。

 「こしゃくな真似を! しかし、大君主の命はそう長くないぞ。どうする、星将シリウス?」

 夜叉大将ナイトメアは、『火焔陣』の中で手出しができない悔しさを、そう紛らわした。

 「……星将の誓いを破るか……」

 ぽつりとシリウスがつぶやく。それを聞いて、デネブははっと顔を上げる。

 「シリウス、そんなことをしたら、皆でアンタを討たねばならなくなる。あたしは嫌だ、そんなこと。この手でアンタの首級なんて挙げたくない」

 「しかし、このまましていても、ハシリウスは死んでしまう。大君主を失うのと、12人いる星将のうち、出来損ないを一人失うのとでは、意味が違う。俺はいくぞ、ハシリウスを頼む」

 シリウスが、蛇矛を取り出して玄関を開けようとする。それをデネブが押しとどめた。

 「アンタには、そんなことさせられない。あたしが行くよ。あたしがこのイケスカナイ村の奴らをなで斬りにしてやるから、アンタは早くハシリウスを連れて逃げな!」

 デネブが刀に手をかけようとした時、

 「それはいけません!」

 そう言って、星将ポラリスが顕現した。『月の乙女』ルナも一緒だ。

 「ポラリス」

 シリウスとデネブが言う。ポラリスは怒りのために、その秀麗な顔を少し赤らめて言う。

 「この村の人々は、ハシリウスの故郷の方々です。斬ることまかりなりません。それに、人間を斬ってもこの事態は解決しません」

 「しかし……」

 シリウスが言いかけるのに、ルナが横たわるハシリウスと呪縛されたジョゼを見つけて叫んだ。

 「ハシリウス! ジョゼ! これは一体どうしたことなのですか!?」

 「あれは……?」

 そう聞いてきたデネブに、ポラリスが答える。

 「『月の乙女』ルナです。つい先ほど目覚めました」

 「そうかい、ちょうどよかった。ルナ、このお嬢さんが夜叉大将ナイトメアの術に引っかかって、ハシリウスを刺してしまった。ハシリウスを何とか助けられないかい?」

 「それは私がやりましょう。ルナ、あなたは『太陽の乙女』を目覚めさせてください」

 星将ポラリスはそう言うと、ハシリウスの傍に座った。両手をハシリウスの傷口に当てて、

 「女神アンナ・プルナよ、あなたの力を、私にお貸しください。この大君主の命の焔は、何物にも代えがたいものです。願わくばわが願いをお聞き届けいただき、復活の魔法としてハシリウスに加護を垂れ給わんことを……“ヴァイス・ヘルツ”!」

 星将ポラリスが“復活の魔法”をハシリウスにかけた。すると、ハシリウスの血は止まり、傷口もみるみるうちに塞がってしまった。

 「ジョゼ、いいえ、ゾンネ……あなたをナイトメアの呪縛から解き放ちます……“ホルスト・ヴェッセル”イム・ヘルツ!」

 ルナは、ジョゼの首筋に残るナイトメアとの“契約の印”を見つけると、その印に右手を当てながらそう言った。途端に、ジョゼはぱちりと目を覚ました。

 「あ、あれ? ボク、何をしていた?」

 そして、ジョゼは血にぬれた自分の両手を見て、床に転がる短剣をみて、そして……ハシリウスを見た。ハシリウスはわき腹と胸にどす黒い血の塊を付けたまま、青い顔をして転がっている。ジョゼは呆然と立ちあがった。

 ジョゼは、沈痛な顔をしている星将シリウスと、星将デネブを見た。二人の目を見た時、ジョゼは悟った。

 「ぼ、ボクがハシリウスを……」

 ジョゼは震える手を見つめ、震える声でやっとそれだけを言う。そんなジョゼの手を、長い金髪に銀の宝冠を乗せた『月の乙女』が優しくとって言う。

 「それ以上言わないでください、『太陽の乙女』ゾンネ」

 「あ、あなたは……ソフィア?」

 ソフィアのルナは、にっこりと笑って言う。

 「そうです、そして、『月の乙女』ルナです。大君主様は大丈夫です。私たちは、力を合わせて大君主様を救わねばなりません。あなたの力が必要です、ゾンネ」

 「ボクの……力……」

 「そうです。外には、悪神に心を奪われた人々が、大君主様のお命を狙っています。私たちは、彼らを傷つけることなく、彼らの心を彼らに戻してあげねばなりません」

 「ど、どうやって? ボク、そんなことできないよ……」

 ルナは、ジョゼの手を力強く握りしめて言う。

 「できます! 私は星将デネブとともに人間たちの心を解き放ちます。あなたは、星将シリウスとともに、夜叉大将ナイトメアを討ち取ってください」

 そう言うと、ふいにソフィアの声に戻って言う。

 「ナイトメアは、あなたの心とハシリウスを傷つけました。私はそれが許せない。ジョゼだって、許せないでしょ? 大事なハシリウスだもの……」

 その言葉を聞いた途端、ジョゼの心の中に変化が生じた。

 ――ボクは、もう、ハシリウスしか家族がいない……。

 『ジョゼ、その服、似合うよ』

 『ジョゼ、料理がうまくなったなあ。もう結婚しても大丈夫じゃないか?』

 ――減らず口が多くて、一言多くて、ボクの気持ちに鈍感なハシリウス。だけど、大好きなハシリウス。ボクは、自分の気持ちに素直じゃなかったかもしれない……。

 「ボクの心をもてあそんで……許せない! ナイトメア!」

 その途端、ジョゼの身体は金色に光り輝く。そして、光が収まったとき、ジョゼはゾンネの本当の姿に変わっていた。緋色の衣の上から金色のチェインメイルを着て、両腕には金の腕輪が光る。頭には金のヘルメットをかぶり、そして右手に火焔をまとった剣『コロナ・ソード』を、左手にはピカピカに磨かれた鏡のような片手盾を持っていた。

 「ルナ、行くよっ!」

 ジョゼのゾンネは、そう言って唇をきゅっとかみしめた。

 「くそっ、大君主、星将シリウス、出てこい! さもなくばこの人間たちの骸と血で、この結界の焔を消してやるぞ!」

 ナイトメアがそう罵ったとき、突如として“火焔陣”の焔が消えた。

 「?」

 思わず一歩下がるナイトメア。そこに、扉が開いて、シリウスとゾンネ、デネブとルナが現れた。

 「出てきてやったぞ、このイケスカナイ魔物め」

 ゾンネが剣を提げ、目を半眼にして言う。

 「覚悟はいいか!」

 シリウスがそう叫んだ時、ゾンネがいきなりナイトメアに斬りかかる。

 「ていっ!」

 「うわっ!」

 ゾンネの先制攻撃を辛くもよけたナイトメアだったが、そこにシリウスが待ち構えていた。

 「これを食らえっ!」

 シリウスの電光石火に繰り出された蛇矛をも、何とかよけたナイトメアは、

 「じ、『日月の乙女たち』……もはやこれまで!」

 そう叫び、一散に逃げ出した。

 「あっ! 待て、ナイトメア! 逃がさないぞ」

 ゾンネはそう叫ぶと、シリウスとともにナイトメアを追いかけ始めた。


 一方、デネブとルナは、押し寄せてきた村人たちの真ん前に立ち、

 「女神アンナ・プルナよ、あなたのみ名において、悪霊に魅入られたこの地の人々の心を取り戻すため、月の乙女ルナが命じます。“ホルスト・ケッセル”!」

 そう叫ぶと、月から一条の光がルナに降りてきて、ルナの身体を銀色に染める。ルナはその光の力を解き放ち、それが辺り一面を煌々と照らし出した。その光にとらえられ、村人たちは誰一人として動くことができなくなった。

 それを見て、満足そうにうなずいた星将デネブは、両肩の刀を抜き放ち、

 「人間の心に巣くう邪悪な魂よ、わが神刀によってその魔力を撃砕し、汝らの魂を汝らのもとに帰さん! “風の刃”ウム・ルフト!」

 そう叫びつつ両刀を振り下ろした。すると、デネブの刀から出た衝撃波が村人たちの群れの中を駆け抜け、村人たちの心に巣くっていたナイトメアの残像を残らず消し去ってしまった。

 「これで、皆さんはもとの優しい“イブデリ村”の人々ですね……」

 ルナが言うと、デネブもうなずいて答える。

 「そうだね。しかし、王女様、アンタもやるじゃないか」

 「何がですか?」

 ソフィアが不思議そうに答える。デネブは何か言いかけたが、笑って首を振り、

 「……何でもないよ。ハシリウスはとても幸せなヤツだ」


 さて、ゾンネの方である。

 ゾンネとシリウスは、逃げ出したナイトメアを追って、村の外れまで来た。

 「このままではらちが明かんぞ、『太陽の乙女』よ」

 シリウスが、自分の横で悠々とナイトメアを追っかけ続けているジョゼに言う。ジョゼのゾンネは、

 「では、こうしてやろう!」

 そう言うと、両手を胸の前で組み、

 「女神アンナ・プルナよ、あなたのみ名において、人の心をもてあそび、邪悪な目論見を遂げんとする悪しきやからを糺さん! 『太陽の乙女』ゾンネが命じる。“ゾンネン・バインド”!」

 その言葉とともに、ゾンネは前で作り上げられた『太陽の盾』を、逃げるナイトメアに投げつけた。

 「うえっ!」

 ゾンネンブルーメの攻撃版ともいえるゾンネン・バインドに見事にとらえられたナイトメアは、

 「ハシリウスの痛み、思い知れ!」

 と、憤怒の形相すさまじいシリウスに頭を断ち割られてしまった。

 「やった!」

 ゾンネは飛び上がって喜び、

 「さすが星将シリウスだね! ありがとう、ボクもこれでスッとしたよ」

 そう言ってシリウスに抱きつく。シリウスは思わず顔を赤らめて言う。

 「こら、『太陽の乙女』よ、抱きつく相手が違っていないか?」

 「え?……やだなあ星将シリウス、キミもボクとハシリウスを冷やかすのかい? ところで、ハシリウスは大丈夫なんだろうか?」

 「大丈夫だ。ポラリスが心を込めた“復活の魔法”だ。効かないわけがない」

 シリウスはそう言うが、ジョゼは心配になった。

 「早く帰ろう。それに、ソフィアも心配だ」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ハ~シリウスっ、起きてる?」

 ドアの外で、ジョゼの声がする。怪我からくる熱でウトウトとしていたハシリウスは、その声で目が覚めた。

 「ああ……今、目が覚めた……入っていいよ、ジョゼ」

 ハシリウスがだるそうにそう言うと、ジョゼが気まずそうに入ってきた。

 イブデリ村での激闘の後、ジョゼ、ソフィア、そして気を失ってしまったハシリウスの三人は、水木の月28日、星将たちに運ばれてここ、王都に戻って来た。

 ジョゼとソフィアは、ハシリウスの家で少し休むと元気を取り戻したが、ハシリウスはエカテリーナやジョゼの看病を受けながら、28日、29日とまるまる二日、目を覚まさなかった。

 ハシリウスが眠り続けている間、王宮からはソフィアの報告を聞いた女王陛下から多大なお見舞いが贈られていた。また、『ウーリヴァルデン』のベレロフォン卿からも、お見舞い品が届けられていた。

 ソフィアたちは、ジョゼが操られてハシリウスを刺したことを秘密にしていたが、さすがにジョゼは苦しかったらしく、ハシリウスの怪我の原因――ナイトメアに操られていたとはいえ――は自分であることを、エカテリーナに告白していた。

 『すみません、お母様。ハシリウスを助けるつもりが、逆にハシリウスにこんな怪我をさせ、お母様にもご心配をおかけしました』

 涙をたたえて謝るジョゼに、エカテリーナは、

 『ハシリウスがあなたを恨んでいないのなら、私は何も言いません。それは仕方ないことですから。あなただって、ハシリウスが嫌いだからとか、恨んでいるから刺したとかではないのでしょう?』

 そう言うと、ジョゼの頭を胸に引き寄せて、

 『あなたも、私の可愛い娘です』

 そう言ってくれたのだ。

 ――ハシリウスのお母さまは、お優しい。ボクもいつか、あんな母親になれるかな?

 そう思いながら、ジョゼはハシリウスに声をかける。

 「ハシリウス、具合はどうだい?」

 ハシリウスは眼を開けて、大儀そうに身を起こしながら言う。

 「大丈夫さ、ちょっと熱があるだけで。この熱も、2・3日で引くだろうよ」

 「あん、起きなくていいのに……無理しないでよ」

 ジョゼはそう言ってハシリウスの背中にクッションをあてがう。

 「いいよ、気にするな」

 そう言うハシリウスに、ジョゼが俯いて言う。

 「そ、その……ハシリウス、ごめんなさい」

 「何が?」

 「き、キミを刺してしまったこと……キミが死んでしまってたらって、今でも思うとぞっとする」

 ハシリウスは笑って言う。

 「仕方ないことさ。僕だって、君の異常に気が付かなかった。僕のせいでもあるんだから、気にするな。僕は全然気にしていない」

 「でも、キミはボクをずっと守ってくれたのに、キミを守りに行ったボクが、キミを傷つけていたらシャレにもならない……。ちゃんと許してもらいたいんだ。なんでもするから……」

 ジョゼはそう言って目に涙をためる。ハシリウスは困ってしまって、ただ苦笑いだ。

 「許すって……ジョゼは悪くないんだから、許しようもないし……そうだ、ジョゼ、お願いがある」

 ハシリウスは、ちょっといたずらっ子な顔で言う。

 「何?」

 ジョゼが訊くのに、ハシリウスはにこにこしながら言った。

 「キスしてくれたら、許したげよう」

 「え!?」

 ジョゼの頬がいっぺんに赤くなる。

 「照れない照れない。昔はよくジョゼからキスしに来たじゃないか……ぶはっ!」

 ジョゼは真っ赤になって、ハシリウスの顔を枕で押さえながら、

 「だ~っ! そ~んな子どものころの話をむしかえさないでよ! それに、乙女のくちびるってそう簡単にあげられるものじゃないんだ! 特にキミみたいにデリカシーのない奴にはねっ!」

 もがもが、ハシリウスがもがいているのに、ジョゼはそう言ってひとしきり枕を押さえつける。

 「ジョゼ、じょ、冗談だって……」

 「にゃにい! 冗談でそんなこと言ったんだったら、余計許せないじゃないか!」

 「わ、わ、許してくれよ~」

 「だめ、ハシリウスみたいなニブチンはゆるさない!」

 ジョゼはそう言いながら、おもむろに枕を取り除いた。

 「ぶはっ! ジョゼ、ひどいじゃないか……」

 そう言うハシリウスの唇が、ジョゼの唇でふさがれた。それはほんの一瞬だったが、ハシリウスの鼻腔にはラベンダーの香りが残った。

 「ジョ、ジョゼ……」

 「ばか……」

 ジョゼは顔を真っ赤にして、ハシリウスにそう言うと、そそくさと部屋を出て言った。

 ハシリウスはしばらく固まっていた。そして、ゆっくりと身体をベッドに沈める。熱がまた上がってきたようだ。今のは、熱で見ていた幻影か? ハシリウスはぼんやりする頭の中、それでもまだ残っているラベンダーの香り――ジョゼの髪の匂い――に、懐かしいものを感じながら眠りについた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ハシリウスが無事だったのが何よりじゃ……」

 セントリウスは、『蒼の湖』の畔の隠棲小屋で星将たちと話をしていた。

 「今回は、『日月の乙女たち』が目覚めたのが、最高の収穫ですね」

 星将ポラリスが言う。

 「そうだね、おかげでハシリウスが一人で頑張らなくて済むようになった」

 星将デネブもそう言ってほほ笑む。

 「しかし、セントリウス、ハシリウスが回復するまでしばらくかかろう。その間に『闇の使徒』たちが来たら、どうするのだ?」

 星将アルタイルが言う。

 「そのために、俺たちがいるんだろう。シリウス一人にいい恰好はさせてられないぞ」

 全身を真っ赤な衣で覆った大男・星将アンタレスが豪快に笑い飛ばす。

 「ま、何にしても、クロイツェンの居場所を確定させねばならない。今のように受けて立ってばかりだと、相手に主導権を握られっぱなしだからな」

 金髪に形のいい指をからませながら、星将アークトゥルスが言う。

 「何かいい方法はあるのか? アークトゥルス」

 茶色の髪をかき上げながら、星将ベテルギウスが言う。

 「トゥバンたちの報告を聞かないとはっきり言えないが、ま、無きにしも非ずだ」

 アークトゥルスの言葉に、ベテルギウスが不満そうに言う。

 「おいおい、何でも秘密にすればいいというわけでもあるまい。まったく、お前はいつもそうだ。謀を帷幄の中で行って、勝ちを千里の外に決するその智謀はかけがえがないが、その秘密主義だけはちょっとなあ……」

 「まあ、セントリウス様やその他の方々の命運を決める場合もあるので、アークトゥルスの口の堅さは仕方ないことですね」

 まだ子ども子どもした星将スピカが口をはさんだ。

 「今は、トゥバンやプロキオン、ベガがレグルスの指揮下で『闇の使徒』たちの本拠を探っている。本拠が分かり次第、総攻撃をかけて、今度こそクロイツェンと雌雄を決せねばなるまいて……」

 セントリウスが遠い目をして言う。『闇の帝王・クロイツェン』、奴とこの前戦ったのは、自分がまだ30代になったばかりだった。魔力が最も強かったあの時ですら、あんなに苦戦したのだ。今、自分は62歳、苦戦はもっと大きかろう。

 エンドリウスは40歳、今が男盛りだが、やはりハシリウスにはかなうまい。ハシリウスがせめて成人していれば、魔力も安定し、クロイツェンとも五分以上に渡り合うだろうが……。

 「あと3年、あと3年あれば、クロイツェンなど、物の数ではないが……」

 セントリウスは、窓の外を見つめながらそう言った。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「今年は久しぶりにあなたたちがいるから、楽しい年越しになりそうね」

 水木の月の31日、エカテリーナはにこにことして言う。

 エカテリーナとジョゼとハシリウスは三人でソファに座っていた。三人の前の座卓にはヘルヴェティア王国の年越しの風習である『ヘルヴェティアン』という巨大なロールケーキがおかれている。

 体調が完全には復活していないハシリウスは、まだ椅子に座ることができないので、ソファにゆっくりと身体をもたせ掛けていた。エカテリーナは、ジョゼがかいがいしくハシリウスの食事を手伝う様を微笑んで見ていたが、食事もひと段落したとみて『ヘルヴェティアン』を出したのだ。

 「昨年の大みそかには、家にいなくてすみませんでした。お母様」

 ジョゼがそう言ってエカテリーナに謝る。エカテリーナはにこにこしながら、

 「ハシリウスと二人きりの方がよかったかしら?」

 というと、ジョゼは顔を赤くしながら可愛く抗議する。

 「も、もう、お母様までボクのことからかうんですか?」

 「からかってはいないわよ。あなたたちの年代だったら、好きな人ができたらその人といつも一緒にいたいって感じるのが普通ですから……ハシリウスもそうでしょう?」

 突然話題を振られたハシリウスは、びっくりして『ヘルヴェティアン』を取り落してしまう。

 「わっと! 母上、急に話題を振らないでよ。びっくりした~」

 ハシリウスは顔を赤らめている。それはジョゼも同じだ。

 「あなたが、ジョゼと二人きりでいたいって言うのなら、寮に帰ってもよくてよ?」

 エカテリーナはそう言う。しかし、ジョゼが反対した。

 「お母様、今年はボク、お母様の側がいいです。ハシリウス、お母様はいつもお寂しい思いをしているのだから、こんな時くらいは親孝行しなさいよ!」

 「……寮に帰りたくても、今の体調じゃジョゼやソフィアに迷惑かけちゃうよ。今年はゆっくりさせてもらいますよ、母上」

 ハシリウスがそう言うと、エカテリーナは二人を慈しむような眼で見つめて言った。

 「そう、二人とも、うれしいことを言ってくれるわ。それじゃ、今年から来年にかけて、本当に楽しい思いをさせてもらえそうね。女神アンナ・プルナ様に感謝しなければね」

 母のそんな姿を見て、ハシリウスは本当に胸が熱くなった。自分が大けがをして帰ってきて、ジョゼが母上に謝って、それでも取り乱しもせず、ジョゼを叱りもしなかった母上……僕は『大君主』として未熟だけれど、本当に『大君主』としてみんなを救う力があるかどうかも分からないけれど、でも、母上やジョゼやソフィアは守りたい――そう思った。

 「あれ、雪が降ってる」

 ふと窓の外を見たハシリウスが、そうつぶやく。ジョゼもハシリウスの言葉につられて窓の外を見て、ぱっと顔を輝かせた。

 「明日の朝が楽しみだね」

 明日の朝は、新年の朝は、雪が一面の銀世界をつくるだろう。これから自分たちにどういった運命が待っているかは知らないが、それでも年の初めをまっさらな気持ちで迎えるのも悪くない――ハシリウスはそう思いながら、母と話すジョゼの横顔を見つめていた。

【第2巻 終わり】


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