表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

大惨事河童対戦

作者: Mr.村崎

あらすじにも書いた事ですが、この作品は例大祭10にて荒野 沖様主催の河城みとり合同誌に寄稿した小説です。pixivにも掲載しています。

 花火が綺麗だと思える感性は、観察者が遠くにいるからこそ成り立つものだ。夏の夜空に咲く花火を綺麗と思えても、目の前で爆散する火花を綺麗と思う事はそう簡単には出来ないだろう。

 その感性は、弾幕ごっこにも通じるものがある。遠くから眺めるだけならそれこそ花火さながらの美しさを誇る数々の弾幕、しかし勝負している当人達にとっては必ずしもそうとは限らない。たかがお遊び、されどお遊び。勝ち負けが存在するならば、誰だって勝つ事を選択する。そんな中、相手の弾幕の美に意識を向ける事が出来るのはそれこそ実力者と呼ばれる数人しか居ないだろう。

 少なくとも、彼女達二人がその数人に当て嵌まる事は無い。彼女達は自分の目的の為に勝利を欲し、敗北を避けたがる一般的な思考回路の持ち主達だ。

「あやややや、随分と派手にやらかしますねぇ」

 一人の少女が、朱色と蒼色の弾幕を見つめながら呟く。

 ここは妖怪の山。かつて鬼が、今は天狗が支配するこの土地で。弾幕の花火を見物するのは射命丸文と呼ばれる一人の鴉天狗。そして、玉屋と鍵屋の作る花火は、二人の河城という河童だった。


  ◇ ◆ ◇


 事の始まりを語るには、少し時間を遡る必要がある。季節は秋、二人の秋神様が両手を上げて喜び回り、幻想郷中の紅葉を更に色鮮やかに染めている頃合い。

 そんな幻想郷らしい秋の中、妖怪の山に流れる川の傍に佇む小屋、河城にとりの工房で始まった出来事だ。

「いやーやっぱり胡瓜は美味しいね!」

 普段は金属を加工する音や機械の爆発する音が絶え間無く響き渡るこの場所で。河城にとりは実の姉、河城みとりと共に遅めの昼食を食べていた。

「そうだな、たまにはこういうのも良いな」

 本日の主食は、みとりが趣味で作った自作の胡瓜。収穫時期が遅れたのも手伝ってか、決して絶品とは言えない代物ではあるのだが、彼女自身が努力して作った物と愛着があるからなのか自然と食は進んでいる。にとりの方も、姉が頑張って作ってくれた美味しい胡瓜と言いながらその手を一切休めない。

 そんな愛くるしい妹は、口に胡瓜を含んだままこう言った。

「お姉ちゃんさぁ、地底で住むよりここに住んで胡瓜を作ったら? そっちの方が胡瓜作りやすそうだし、何より私も安心するもん」

 唯一無二の肉親である彼女としては、姉の人間不信を直したいので何とかして姉の住居を地底から妖怪の山へ変更させたいのが本心だ。あわよくば一緒に暮らし、もっと沢山胡瓜を作ってもらえれば良いな、と。そんな都合の良い、素晴らしい未来予想図を展開する。しかし、当の本人である河城みとりはその提案を一瞬で拒否した。

「生憎それは出来ない相談だな。私には向こうで暮らす方が心地良いんだ」

 それは単に面倒臭いからなのか、それとも自分が未だに忌避されている存在だと感じているからなのだろうか。彼女は冷淡に、少しだけ寂しそうに胡瓜を齧る。

「そっか、残念だな」

 良い返事が聞ける訳無いとはにとり自身もある程度予測していたので軽く返す事が出来たけれど、それでも少しはショックを感じる。まだ駄目なのかと、自然と溜息が漏れるのが分かった。

「……あ、胡瓜もう残り一個だね」

 気不味い空気が流れる前に、にとりは話題を変える為に胡瓜を手に取ろうとした。

「「あ」」

 瞬間、二人の手が重なる。最後の一本の真上、二人の綺麗な指が絡む様にぶつかり、お互いがお互いの胡瓜を取る行為を妨害していた。

「お姉ちゃん、最後の一本は私に譲ってくれるよね?」

 このままでは埒が明かない、そう感じたにとりは問う。言葉の通り、最後の一本は優しい姉が譲ってくれると信じて。

 しかし、現実はそんなに甘く出来ていなかった。

「は?」

 質問してから返答まで、僅か一秒未満。極めて辛辣に、有り得ない程に眉を歪めて、まるで意味が分からないとでも言いたげな表情で妹を見るみとり。その凄まじい気迫に、にとりの内心に姉に対する恐怖と驚愕が芽生える。これが実の妹に対して向けて送られる表情なのだから恐ろしい。しかし、逆の立場なら自分も同じ表情をするのかもしれないと感じた。河童という種族にとって、胡瓜とはそれ程に大切な存在だという事を純粋な河童であるにとりはよく理解している。理解しているからこそ、最後の一本は絶対に譲れない。

 ほんの数秒だけ、二人の間に沈黙が流れる。先に動いたのはにとりだった。

「お姉ちゃん、もう一度訊くけどその胡瓜は私に譲ってくれるんだよね?」

「何故だか知らないけど寝言が聞こえるな……最後の一本位は優しい妹が私に譲ってくれるんだろう?」

「でも、お姉ちゃんもうお腹一杯でしょ? 残すのも勿体無いから、最後の一本は私が食べてあげるよ」

「そう言うにとりだってもう十分に胡瓜を食べた筈だぞ? この胡瓜は私が食べるべきだ」

「いやいや別に遠慮しなくて良いんだよ? 私が食べるから」

「そっちこそ無理に気を使うな。私が食べる」

 姉へ甘える様に媚びてみても、体調を心配する素振りで切り出してみても、同じ事をされて平行線に戻されてしまう。

 お互いに一歩も譲らない、極めて醜い真剣な争いが続いていく。険悪さもそれに合わせて、加速度的に増していった。

「私が食べるって言っているよね?」

「それはこっちの台詞だ」

 お互いの棘を含んだ応酬を経て、二度目の沈黙が訪れる。先程よりも明らかに悪化した空気が、彼女達の眉に皺を作り出していた。

「この胡瓜は私の物だ」

「いや、私の物だな」

 どちらも諦めるつもりは一切無く、断固として譲る姿勢を見せない。

 そしてついに、みとりが武力行使に切り出した。

「表に出な、弾幕だ」

 幻想郷で最も一般的な決闘法、スペルカードルール。今代の博麗の巫女が提唱したこの決闘方式は今や幻想郷全土に広まり、様々な人妖に親しまれている。彼女はこれを用いて、誰が最後の胡瓜を手にするかを決めようと言うのだ。

「良いね、そっちの方が分かりやすくて私は好きだよ」

 その瞳に闘志を燃やし、にとりは席を立つ。みとりもそれに合わせて立ち上がり、工房の外の川辺へと向かおうとした。

 そこに、一人の烏天狗の少女が現れる。

「にとりさーん、何か面白いネタは無いですかー?」

 現れたのはにとりの友人である烏天狗、射命丸文。川辺の工房へ颯爽と訪れた彼女は、目的の人物達の顔を見て驚愕した。

「って、どうしたのですかお二人さん!? 何か殺気立っていますよ?」

 目を見開いて、わざとらしい程に驚く射命丸。その無駄に高いテンションに、二人は若干の苛立ちを覚える。

「邪魔するな烏天狗、私達にだって絶対に譲れない物があるんだ」

「そうだよ文、これは私達姉妹の問題なんだから!」

 極めて真剣に怒りの表情を浮かべる二人を見つめて、射命丸は少しだけ恐怖と感じた。何に対して怒っているのか分からない彼女は、こちらにその怒りが飛び火しない様気を付けながら情報を引き出そうとする。

「いえいえ、別に邪魔するつもりは毛頭ありませんが、詮索はさせてもらいますよ? お二人ともこれから何をするおつもりで?」

 そんな彼女の口調に二人は正直鬱陶しい物を感じたが、ここで黙らせるのは無理だと悟る。みとりが口を開いた。

「これからこの愚妹と、弾幕決闘をするつもりだ」

「ほう、普段は仲睦まじい姉妹と名高い貴女方二人がですか? それは随分と珍しいですね。余程何か深刻な事でもあったのでしょうね……」

 深刻な事情と言われ、二人は少し顔を紅く染める。

 当の本人達にとっては絶対に譲れない戦いではあるが、それが第三者から見れば酷く滑稽だという事は分かっていたらしい。そうとは知らない射命丸は、神妙そうな顔つきでこれ以上の詮索はしないと言った。

「ですが弾幕決闘と言うなら話は別です! その事だけは記事にさせて頂きますよ!」

「その位なら別に良いよ」

「にとりが良いなら、私も別に構わない」

「あ、でも出鱈目は絶対に書かないでよ?」

「前向きに善処させて頂きます! 所で審判はどうするおつもりですか?」

 審判と言われ、河童二人は同じタイミングで視線を逸らす。射命丸は一瞬首を傾げたが、すぐに事実へ辿り着いた。

「……え、まさかとは思いますが決めてなかったんですか?」

 射命丸が驚くのも無理は無い。選手自身が審判を行うのは、正式な決闘に相当の不備が出るからだ。自分達で審判を行おうものなら、お互いがお互いの有利な判定をするに決まりきっている。よりにもよって原因がお互いの私利私欲である以上、それは避けられない未来だろう。

「あーじゃあさ、折角だから文が審判やってくれないかな?」

「別に私は構いませんが、ルールの方はどうするおつもりで?」

 本来ならルールは審判である射命丸に決める権利が委ねられるが、恐らく本人達がやりやすい様にとの判断だろう。射命丸は二人にどういうルールにするか聞いてくる。新聞記者としてはパパラッチだのマスゴミだのと罵られる事の多い射命丸だったが、審判としてはとても優秀であるのが窺えた。

 そんな射命丸の優しい配慮も好都合と言わんばかりに、少し悪い表情をしたにとりが口を開こうとする。しかしそれよりも先に、同じ事を考えていたみとりが今回のルールを提示した。

「使用スペル枚数は最大四枚、勝敗は降参か制限時間内の被弾数。それで出来るか?」

「分かりました、時間はどうしますか?」

「じゃあ一五分で頼む、にとりもこれで良いな?」

 にとりは一瞬まともなルールだと安心しかけたが、すぐに大事な事が触れられてないと気が付いた。

「ちょっとお姉ちゃん! そんな勝手に決めないでよ!」

 妹の反論を鬱陶しいと思いながらも、彼女はにとりの言い分を聞く。

「別に不公平なルールを設定したつもりは無いぞ、何か不満があるのか?」

「あるよありありだよ大ありだよ! そのルールじゃお姉ちゃんに何の制限も無いじゃん!」

 我が妹ながら賢しい奴だ。みとりは心の中で悪態を吐く。しかし遅かれ早かれ言及されていただろうと考えると、このタイミングでのにとりの横槍は彼女にとって都合が良かった。

「そうか。じゃあ審判に言う事だな」

 確かにこれ以上みとり相手に言及した所でルールが変わる訳でも無い。にとりは姉に対して何か言いたかったが、今は我慢して審判の射命丸の方を向く。

「文! そんなルール絶対に認めないからね! 今すぐ姉さんに制限をかけて!」

「お、落ち着いてくださいよにとりさん……制限と言いますと?」

「それ本気で言ってんの!?」

 信じられないという衝撃がにとりを襲う。記憶が確かなら彼女は一度姉に対して取材を行っている。ならばその時に能力の事も理解している筈だ。

 にとりは射命丸の肩を掴み、再確認させる様に言い放つ。

「お姉ちゃんの能力は『あらゆるものを禁止する程度の能力』なのは知ってるでしょう!? あまり乱用されると勝負にならないじゃん!」

 にとりに言われて、射命丸はようやく思い出す。

 一度みとりの事を記事にしようとして、にとりに協力してもらってまでして色々と聞き出したが、最終的には記事にされるのを禁止されていたのだ。記事に出来ない所為で結局忘れてしまった事だったが、思い出してみると確かに彼女の能力は弾幕ごっこでは規制した方が良いのかもしれないと思う。仮に弾幕ごっこで無制限に使われたとしたら、絶対に勝負にはならないだろう。にとりはそれを知っているから制限しろと声を大にしているのだ。

 彼女はにとりの目を見る。ここで正直に忘れていたと言ったとしても、信用してくれそうな雰囲気では無い事を悟る。仕方無い、ここは誤魔化す事にしよう。そう思いながら射命丸は声を出した。

「何と! みとりさんの能力はそんなに強大だったのですか!? これは特集を組まないと──」

「いちいちワザとらしいんだよぉおおおおおお!」

 射命丸の胸倉を掴み上げ、大きく揺らすにとり。何でバレたんだろうと呑気な事を考えようとしたが、にとりが予想以上の力で頭を揺らす所為で思考の邪魔をされる。次第に強烈な吐き気が射命丸を襲い始めた。

「にとり、それ以上は『禁止』だ」

 みとりがそう呟いた瞬間、にとりの手が弾かれた様に射命丸の手から離れる。突然抵抗を失った射命丸は転びそうになるが、咄嗟に自分の持つ能力とバランス感覚を上手く使ってすぐに体制を立て直した。

「ゲホ、ゴホ……確かに恐ろしく便利な能力ですね」

 自分の身体で改めてみとりの能力を体感して、射命丸は制限した方が良いと考えを強くする。今回はその能力で助けられたがこれは明らかに危険過ぎる能力だ。正直言って弾幕ごっこだけとは言わず、普段から制限をして貰いたいとすら思う。そこまで考えて、射命丸は二人の睨む様な視線を感じた。どうやら思考に時間をかけ過ぎた様だ。射命丸は慌てた様子でルールを提示する。

「では、回数と内容に制限をかけましょう。よろしいですか?」

「構わない、と言いたい所だが内容にもよるな」

 内容による――確かにその通りだがその匙加減が特に難しい。今回の場合、制限し過ぎればみとりが怒り、制限しなさ過ぎればにとりが怒るのだから。

 射命丸は頭の中でシミュレーションをし、どの程度が丁度良いのか模索する。まだ正解とは思えなかったが、とりあえず考え出したバランスを口にしてみた。

「……回数は二回、内容は一瞬で勝負が付いてしまう様な内容は禁止でどうでしょう?」

 そこまで言って射命丸は恐る恐る二人の様子を見る。本人は気付いていない様子だが、舌を噛まない様に歯を食い縛っていた。

「まぁ、妥当だな」

「それなら、まぁ……」

 しかし彼女の予想とは裏腹に、にとりもみとりも少し不満そうな顔をしただけで提示したルールを承諾してくれた。少なくともどちらかには罵倒されるだろうと思っていたのに、意外と良い結果に終わったので射命丸本人が一番驚いてしまう。無自覚とはいえ身構えてまでいた彼女としては拍子抜けだったが、結果としてはありがたかったので話を続けた。

「分かりました。再度確認しますが、お二人はこのルールで勝負するという事でよろしいですね?」

 念を押す様に、射命丸は告げる。

「構わない」

 と、みとりの声。

「大丈夫だよ」

 と、にとりの声。

 そして射命丸が、高らかに告げる。

「よろしい、ならば弾幕だ」

 こうして、勝負の土台が整う。後は彼女達が全身全霊をかけて戦うだけだ。

 かくして幕は開かれる。河城の姓を持った二人の、どうしようも無い程下らなく、どこまでも真剣な弾幕ごっこが。


  ◇ ◆ ◇


「では被弾数のカウント、開始や終了の合図はこの清く正しい射命丸文が厳正に執り行いましょう。進行を円滑に行う為に以降はみとりさんを赤、にとりさんを青とします。両者、準備はよろしいですか?」

 射命丸がそう言うと、二人は黙って頷いた。二人の表情を見れば、どちらもやる気満々と言う言葉を絵に描いた様に燃えているのが分かる。幾らか殺気も放っているので、殺る気満々と言っても何の問題も無い位だろう。

 どちらの目もギラリと光り、瞬きもせずに相手の挙動一つ一つを観察している。口には出さずとも早く始めろという意思が見て取れた。

「分かりました、では始めましょう」

 ここまで真剣な様子のにとりを、射命丸は今まで一度も見た事が無い。これから一体どんな弾幕ごっこが繰り広げられるのか。楽しみで堪らない射命丸はすぐに開戦を宣言した。

「始め!」

 射命丸の合図と共に、両者は一斉に弾幕を展開する。お互い牽制を目的とした弾幕だが、その質量は圧倒的にみとりが勝っていた。彼女らしい禁止を暗示するバツ印をゆっくり描く様に、弾幕は徐々にその勢いを増していく。

 対するにとりも負けじと弾幕を厚くする。しかしそれでもにとりの弾幕の厚さは、目に見えて姉に劣っていた。

「くっ……! やっぱりお姉ちゃんは強いね……!」

 自身の弾幕の厚さと比べ、改めて自分の姉の戦闘能力の高さを思い知らされるにとり。これでまだみとりが全力で無いのは、妹である自分自身が一番理解している。このままでは負けてしまう、にとりはそう感じていた。しかしその程度の事で諦める程彼女の心は脆くない。むしろにとりは姉をよく理解しているからこそ、勝機はあると余裕の表情を浮かべていた。

「そんな顔をしている奴に強いと言われても説得力が無いな」

みとりはそう言いながら更に弾幕を強くする。数が増えても圧倒される事無く、にとりは姉の癖を的確に読んで弾幕を最小限の動きで回避する。

「……正直、これで一回は落とせると踏んでいたんだがな」

「友達に百戦錬磨がいてね、その動きを真似しているだけだよ」

 そう言いながら、にとりは親友である魔法使いを頭に浮かべる。

 考えてみれば、彼女が地底に行かなければ自分は姉に巡り会う事は無かっただろう。あれが異変だった以上彼女が地底に向かったのは必然だったのかもしれないが、それでも今の状況はそのお陰である事には変わらない。

 にとりは弾幕ごっこの最中だというのに、霧雨魔理沙に対して無意識に感謝の言葉を呟いていた。

「霧雨魔理沙……あの白黒か。随分と悪いお友達を持った様だな」

 にとりの呟きを聞き取ったみとりも、頭に同じ顔を思い浮かべる。しかしにとりとは違いその印象は全く良いものでは無かった。嫌な事を思い出してしまったと言いたげな表情をしながら、みとりは鬱憤を晴らすかの様に更に弾幕を張る。にとりは慌てて回避して、また弾幕を避ける事に集中し始めた。

「さて、一見みとりさんが優勢に見えますがその厚い弾幕は依然としてにとりさんに当たりません。姉の癖を知り尽くしていると言わんばかりの無駄の無い回避行動です!」

 突然、射命丸が実況を始める。煩わしく思ったみとりは、射命丸へ向けて禁止看板を飛ばした。

 射命丸は最小限の動きで看板を避ける。勿論回避行動中も、試合中の二人から視線を外す事は無い。

「審判への妨害行為は失格ものですよみとりさん、一体どういったおつもりで?」

「黙れ烏天狗。審判をしろとは言ったが実況と解説をしろと言った覚えは無い」

「これは大変失礼しました。まぁこれも楽しみの一つなので大目に見てくださいよ。私も今の行動は無かった事としておきますから」

「くそっ……」

 本来なら有無を言わさずに『禁止』している所だったが、ここで能力を使用したら一回目としてカウントされる可能性があると考えたみとりは、舌打ちをして我慢した。その時に生じた隙を、にとりは見逃さない。

「水符『河童のポロロッカ』!」

 彼女の宣言と同時に、波を模した様な弾幕が展開される。水辺を住処とする河童らしい、涼しげな弾幕だ。

「最初に宣言したのはにとりさんですか。さてさて、これが吉と出るのか凶と出るのか」

「勿論、大吉に決まってるよ!」

 にとりは持てる限りの妖力を弾幕に注ぎ込み、弾幕の厚さを増やしていく。本来なら細波程度である筈の弾幕の流れは、今この時に限り、大津波と表現しても遜色無い状態にまでなっていた。荒々しい激流が、みとりを襲わんと迫っている。

「一撃で全て決めるつもりか……甘過ぎるな!」

 みとりはその膨大な弾幕を前にして尚、微動だにせず冷静ににとりを見つめる。みとりは手を弾幕へ向けてかざし、静かに呟いた。

「――『禁止』だ」

 瞬間、海が縦に割れる。まるで山の風祝が湖相手に起こした奇跡の様に、にとりの弾幕は綺麗に真っ二つになってしまった。

「ちょっとしたお遊びのつもりだったが……案外綺麗なものじゃないか」

 みとりはニヤリと笑う。割れた海の先にいる、にとりに向かって。

「何だよ、全力全壊だったってのに! やっぱりそれ反則だよ!」

「審判が認めた事だ、今更文句を言った所で意味は無いな」

「あーもう! 今の技結構疲れるんだよ! 空気読めよ!」

「そう言うな、私に一回能力を使わせただけでも上出来だろう?」

 みとりはそう言っていたが、にとりには姉の本心が見て取れた。彼女の表情は明らかに自分を馬鹿にした顔付きである。末吉だったな。そう言われている様な気がした。

「畜生! ぎったんぎたんにしてやる!」

 実の姉にここまで馬鹿にされて黙っている程、にとりは大人しい性格では無い。だが今すぐ飛び掛ろうにも、先の弾幕で攻撃出来る程の妖力は尽きてしまっていた。少し時間が経てばすぐにでも回復するだろうが、その少しの時間を与えてくれる程実の姉は優しくは無いだろう。

「だったら!」

 そこでにとりは、背負っているリュックから素早く二種類のドライバーを二つ取り出した。怪しく思ったみとりは、にとりに問いかける。

「どうした? 私と接近戦でもするつもりか?」

「まさか、ドライバーは長物相手に戦える武器じゃないよ」

「だったら、どうするつもりだ?」

「こうするつもり、だよっ!」

 にとりは思い切り腕を振り上げ、力強く振り下ろした。ドライバーは勢いを持って、みとりの元へ真っ直ぐ向かっていく。俗に言う投擲だった。

「随分と面白い事をするな……だが!」

 みとりは禁止看板を持つ手に力を込め、そのまま大きく横に薙ぎ払う。硬い金属音が響き、ドライバーはにとりの方へ飛んでいった。しかしにとりは臆する事無くみとりに向かって接近する。手には大きめのサイズのスパナが握られていた。

「なんとぉおおおおおお!」

 にとりはスパナを盾にして跳ね返されたドライバーを防ぐ。迫る勢いは段々と加速していった。

「何だ、結局接近戦に持ち込むんだな」

「嘘吐いてごめんなさい、ね!」

 にとりはスパナを振り上げてみとりへぶつける。対するみとりは禁止看板を盾にしてそれを弾いた。

「しかし、その選択は不正解だ!」

 弾いた勢いを殺さない様に、みとりは回転切りをにとりに放った。慌ててにとりはスパナでガードしたが、強い勢いを保ったままの攻撃には敵わず、吹き飛ばされてしまった。

「審判、今のは被弾にカウントするか?」

「いえ、スパナで防いでいたからノーカウントです。接近戦での被弾判定は武器にではなく身体に働きますからね」

 みとりが射命丸に確認している隙に、飛ばされたにとりは体制を立て直した。戦いはスタート地点まで戻される。

 数秒の静寂が彼女達を包んだ。両者が睨み合い、次の行動を探る様に動く。少しでも時間を稼ぐ為に、にとりが口を開いた。

「やっぱり姉さんは凄いね。今のを回避するだけならまだしも、カウンターを決めるなんて」

「昔のお前なら、今のは回避出来なかったな」

 お互いを褒め合った事が可笑しかったのか、二人は勝負の最中だと言うのにクスリと笑う。その流れのまま、にとりは切り出した。

「褒めてくれてありがとね。褒めてくれたついでに私に譲ってくれないかな?」

「それは出来ない相談だ。欲しければ私を倒せ」

 最初と同じ様な質問をするにとりに、これまた同じ様な即答をするみとり。また二人、クスリと笑いあう。

「だったら倒させて貰うよ! 光学『オプティカルカモフラージュ』!」

「悪いがこっちも負けるつもりは無い! 禁視『オプティカルブラインド』!」

 二人は同時に、同じタイミングでスペルカードを宣言した。しかし弾幕が現れたのはみとりの方だけで、にとりの方は弾幕どころか彼女の姿すら消えてしまった。しかしそれはにとりの妖力がまだ回復しきっていない訳では無く、極めて戦術的な判断だった。

「弾幕を張るまで見せなくするにとりさんに、弾幕を張って見えなくするみとりさんですか。一体どちらが優れているのか見物です」

 にとりが居た位置に、眩しい程の弾幕が押し寄せる。けれども、にとりが被弾した様な手応えは一切感じない。既にあの位置には居ないという事を、みとりは何となく理解していた。周囲の空気を読みながら、思考を張り巡らせる。にとりは自分の癖を見抜いて弾幕を回避していた。ならば自分にも同じ事が出来る筈、と。

「………………」

 みとりは集中する為に、自身の内にある余裕を沈める。それに伴って上げられた集中力の影響で、思考が一気にクリアになった。

 さぁ、にとりは一体何処から来る? 真正面か? それはきっと有り得ない。真正面には現在進行形で弾幕を張っているし、相手が攻撃をすれば一瞬で回避出来るからだ。ハイリスクノーリターン、真正面にいる意味が無い。となると一番有り得るのは真後ろだろうか? 今使っているスペルカードは真後ろが最大の弱点だ。後ろから来るのが一番有効だろう。そこまで考えて、みとりは素早く後ろを向いた。

「……顔が笑っているぞ、にとり」

 みとりは後ろを振り向いたまま、真正面へ向けて多量の弾幕を張った。

「な、何ですとぉ!? ウボァー!」

 悲鳴と共に、にとりは姿を現した。彼女にとっての予想外が原因で移動を止めてしまった所為で、弾幕が直撃してしまっていた。被弾した影響で、彼女自慢の光学迷彩が消えてしまっている。

「青、被弾です!」

 射命丸が判定を下した。それを聞き、みとりは満足な表情を浮かべた。

「痛たたたた……何で私が真正面にいるって分かったのさ……」

 にとりは思わず問いかける。作戦は完璧、そう考えていたというのに現実はどうであろうか? 被弾したのは姉ではなくて自分である。不思議で、謎だらけで、意味不明。実に好奇心を擽られる状況だ。にとりの問いかけにみとりは不真面目に答える。

「私はお前の姉だぞ? 妹の考えている事なんてお見通しという事だ」

 勿論、お見通しというのはハッタリだ。それでにとりが悔しがるならそれで良いという、みとりの小さな意地悪心だった。しかし何も根拠が無い訳では無い。それはにとりの性格と、彼女が見せた回避行動にあった。弾幕の厚い真正面はきっと有り得ない。だからこそ、にとりは真正面にいる。奇策を思いつく頭脳とそれが実行出来る技術を持っているからだ。

「馬鹿と天才は紙一重、一般的な思考では天才技術者は名乗れない。その発想力が、今回は裏目に出てしまったという事ですか」

「まぁ、そういう事だな」

 射命丸の要約に、みとりは頷いた。

「さぁ勝負はにとりさんが一回被弾してみとりさんが優勢! ここから逆転は出来るのでしょうか!」

 にとりの質問によって戦いの空気が薄れそうになった途端、射命丸が実況を挟み込む。これにより、二人の意識は再び戦いの方へ向く。

「このままじゃ負けちゃうね、どうしたものか……」

 にとりはそう呟きながら牽制の弾幕を張る。対するみとりは、大きく動きながらその弾幕を回避し続けた。勿論その移動中にもみとりは牽制の弾幕を張る。

「右に後ろに上に左に前に下にチョコマカ動いて! 目が回るから止まってくれないかなぁ!」

 みとりを追いかけるにとりの視線の先も、森に空に川にと目まぐるしく変わっていく。

「……あっ!」

 しかしその瞬間、にとりの思考に電流が走った。彼女は慌ててみとりの顔を見る。どうやら今回は気付かれていないらしい、みとりは首を傾げてこちらを見つめていた。

「随分と笑うのが好きな様だな、何がそんなに面白いんだ?」

「ウェッヒッヒ、お姉ちゃんは私に大変なものを授けた様だよ……!」

 にとりが舌なめずりをする。これで勝てる、そんな確信が彼女にはあった。

「よーし、出来立てホヤホヤの一か八か! 超妖怪弾頭とっておきの奇策だよ!」

 そしてにとりは宣言する。

「河童『のびーるアーム』!」

 名前こそ同一のスペルカードであったが、それはいつかの異変の時に使った弾幕では無く、背負ったリュックサックから飛び出してくる数本の腕による弾幕だった。

「まるで四次元ポケットだな」

 そんな軽口を叩きながら、みとりは弾幕を上へ飛ぶ事によって回避する。のびーるアームはそのまま真っ直ぐに進み、みとりの後ろを通り過ぎていった。

「って思うじゃん? まだだよ!」

 しかし通り過ぎた腕は、角度の急なカーブを描いてすぐ後ろから迫ってきていた。

「なっ、追尾式か!」

「避けられるもんなら避けてみなぁ!」

 みとりは急いで動き、素早く且つ小さく旋回する。しかしのびーるアームはそれをしっかりと追尾し、着々とみとりの背中を狙っていく。被弾まで残り約一メートル、振り切れ――ない。

「なら、断ち切る!」

 回避が不可能だとすぐさま判断したみとりは禁止看板を後ろに向かって投げつけ、のびーるアームを一本だけ破壊する。その爆風によって、他の腕が四方に飛び散った。

 みとりは吹き飛んできた看板を掴み、再び向かってきたのびーるアームを見据える。

「まずは一つ目か……二つ目!」

 ガンと音が響く。目の前まで迫ってきていたのびーるアームが二つに割れる。

「三つ目! 四つ目!」

 また迫ってくるそれらを薙ぎ払い、これらも真っ二つにしていく。

「五、六、七――」

 リズムゲームでも興じるかの様に、にとりのとっておきを一つの漏れも無く破壊していく。

「八つ目!」

 にとりのとっておきは無惨にも全て破壊され、真下の川まで真っ逆さまに落ちていく。爆散したのびーるアームが、水飛沫を空高くまで飛ばした。

「こんな玩具がとっておきか……残念だよ」

 みとりは禁止看板をにとりに向けながら、溜息と共に吐き捨てる。

「あんな見掛け倒しの腕で私が倒せると思っていたのか? 舐め腐るのもいい加減にしろ!」

 無意識にも期待していたのだろう。こんなにもアッサリ終わってしまったにとりのとっておきに、みとりは明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。

「……ふっふっふ」

 だが、にとりは挑発的な笑みを崩さない。彼女には到底似合わない、獲物を見つめる視線をみとりにぶつける。

「安心してよお姉ちゃん。私のとっておきはまだまだ絶賛継続中なんだからさ」

「……一体何を言ってるんだ? お前のとっておきは既に潰した筈──」

 突然、パシャンと音が鳴る。それと同時にみとりの首筋に冷たい感触が襲った。今のは一体何だと思い、彼女は首に手を当てて確認をする。冷水か何かが首筋に垂れてきたのかと思ったが、次の瞬間にみとりはそれが何なのかを知る。

「赤、被弾です!」

 射命丸が、そう宣言したからだ。

「ば、馬鹿な! 一体何処から弾幕が!?」

「あれ? お姉ちゃん、妹の考えは全部お見通しなんじゃないの?」

「くっ……馬鹿にしてくれるじゃないか!」

 みとりは悔しそうな表情でにとりを見る。先程までとは立場の逆転した構図に気付いたみとりは、苛立ちを加速させた。

 しかしここで苛立ったままではにとりの思う壺だろう、すぐに自分の心の怒りを押さえ、今の攻撃の正体を探る。

「残念だけど、考える暇は与えないよ」

 にとりがそう言うと、にとりのリュックサックからまたのびーるアームが射出された。

 数こそ先程の半分ではあれど、集中力を削ぐには十分だろう。

「くそっ!」

 みとりは正直に悪態を吐く。にとりはそれが楽しいと言わんばかりの表情で弾幕を張っていく。

 のびーるアームがまた迫ってくる。攻撃の正体は、まだ分からない。

「ちっ……はぁ!」

 正体不明を相手するのは少し怖かったが、今ここで被弾してしまったらにとりに逆転されてしまう。それだけはどうしても避けなければならなかった。

 迫る腕を回避しながら、思考を再開させる。

 とっておきは本当にあの腕か? 本当に壊し切っていたのか?

 避けながら考えていては、答えは全く浮かび上がらない。そうこうしている間にも、のびーるアームが迫ってくる。

「邪魔だ!」

 禁止看板を上から叩きつけ、のびーるアームを下の川まで落とす。瞬間、もう一つの疑問が浮かび上がってきた。叩き落とした先は、何処だったか?

「川──」

 みとりは壊れた腕の先の景色を見る。静かに流れる川が見える。のびーるアームが川に落ちる。水飛沫が、跳ね上がる。

 つまり、さっきの弾幕は──

「──水か!」

「Exactly! ただし気付くのが遅過ぎたね!」

 みとりは急いで周囲を見渡す。空高くまで跳ね上がってきた水飛沫が空中に停滞している。

「行け!」

 そして、一斉にこちらへ向かってくる。回避は既に不可能、弾くにも量が多過ぎて裁ききれ無い。このままでは、負ける──!

「くっ……『禁止』だ!」

 みとりは急いで、自分に迫る水の弾幕の動きを『禁止』する。水飛沫の弾幕は一瞬で動きを止めてしまった。

「ちぇっ、本当はもう一回位被弾させたかったんだけどなぁ……まぁ能力を使わせただけ良しとしようかな」

 にとりは満足気な笑みを浮かべて、みとりに語りかける。みとりにしては珍しく、駄々っ子の様な顔でにとりを批判した。

「私の能力だって反則級の代物だが、水辺で戦うならお前の『水を操る程度の能力』の方がよっぽど反則じゃないか……!」

「文句があるなら審判に言う事、でしょ?」

 奇しくもルールを決める時のにとりの様な事を言ってしまっていたみとり。そんな言動が恥ずかしかったのか、彼女は顔を赤くした。

「最後の最後まで意趣返しのつもりか……面白い!」

 その恥ずかしさを、にとりに向ける闘志に置換して、みとりはにとりを睨み付けた。それに合わせて、にとりもみとりを睨む。

「残り時間は一分! 現在被弾数は両者共に一回、残されたチャンスはここしかありません!」

 水を差す様に射命丸が言う。一進一退の攻防を繰り広げたこの戦いも、決着が付こうとしていた。

「もう少し戦いたかった所だが——お互いこれで決着にしようじゃないか」

「そうだね、泣いても笑ってもこれで決着だね」

 お互い名残惜しそうな表情を一瞬して、すぐに戦う者の表情へ変わる。ここから先は余計な小細工は一切無しの、お互いの限界をぶつけ合う戦いだ。

 二人は深呼吸をする。覚悟は、決まった。

「赤河童『禁止看板』」

 みとりは宣言する。看板を模した弾幕が、にとりに迫る。

「漂溺『光り輝く水底のトラウマ』」

 にとりは宣言する。左右から迫る波の弾幕が、みとりに迫る。

 山の川辺に、一際大きな花火が上がろうとしていた。

「これで、最後だ!」

「いっけぇええええええ!」

 辺り一帯が、光に包まれる。


 そして、花火は散った。


「はぁ……はぁ……」

「……くっ」

 射命丸の耳に、二人の苦しげな声が聞こえてくる。

 一体どちらが勝ったのか、余りの眩しさに目を背けてしまった射命丸は、二人の様子を凝視した。すると、どちらかの声が聞こえてくる。

「──私の負けだね、お姉ちゃん」

 そう呟いたのは、にとりだった。彼女はそう言ったが最後、川へ向かって真っ逆さまに落ちる。

 勝敗が、決した。

「──勝者、河城みとり!」

 射命丸は高らかに宣言する。

「おめでとうございますみとりさん! 早速勝利した感想を──あれ? みとりさん?」

 駆け寄ってきた射命丸を無視し、みとりは落ちていったにとりの元へ駆けつける。幸いにも怪我は一切していなかったので、みとりは安堵の溜息を吐いた。

 その溜息の音で目が覚めるにとり。その目に映ったのは、満面の笑顔を浮かべる姉だった。

「お、お姉ちゃん……?」

「何だかんだ言って、とても楽しい戦いだったよ。お前と遊べてよかった」

 一体何時から、自分の姉はこんな表情をする様になったのだろう。無邪気で綺麗な、にとりが一度も見た事が無い様な笑顔は、見惚れる程に美しかった。

「お姉ちゃん……うん、私も楽しかったよ」

 そんなみとりの笑顔に、にとりも釣られて笑顔で返す。

「ただし、胡瓜は別だ。あれは私が全部貰うぞ?」

「ちぇ、ケチ」

「ケチで結構。ほら、早く立ち上がりな」

 差し伸べられた手を、にとりは強く握り返す。

 二人は手を繋いで歩いていった。


  ◇ ◆ ◇


「しかし、手に汗握る良い戦いでしたね! 私も何回か審判をした事がありますが、あれ程の名勝負には中々お目にかかれませんよ!」

 弾幕ごっこが終わって少し経ち、射命丸はみとりに対して質問攻めをしていた。新聞を書く為の取材とはいえ、そのテンションを鬱陶しいと感じるみとり。

「五月蝿い、口を開く事を禁止するぞ」

「そんな照れ隠しなんてしなくても良いじゃな──」

「それ以上お喋りは『禁止』だ」

「ん!? んー! んー!?」

 みとりの忠告も聞かずに喋り続けた射命丸は、当然の様に口を開く事を禁止されてしまった。それを見ていたにとりは呆れた表情で笑う。

「それにしても身体の節々が痛いなぁ……本気出し過ぎたかな?」

「そうだな、今日はゆっくり休め」

 そんな雑談をしながら、三人はにとりの工房の食卓に入る。

 みとりは素早く、胡瓜の置かれていた皿を見つめた。

「……え?」

 不意に、みとりが声を漏らした。姉の声に釣られて、にとりはみとりの視線を追う。そして彼女も、声には出さなかったものの同じ様に驚愕した。

「おい……何でこんな事になってるんだよ……!」

 みとりが驚くのも無理は無い。何故なら──

「何で無くなっているんだよ……!」

 ──胡瓜が、消えていたのだ。

 にとりが大好きな胡瓜が、みとりが育て上げた胡瓜が、二人が弾幕ごっこしてまで求めた胡瓜が。食卓のテーブルから、忽然と消えていたのだ。

「そんな……どうして……?」

 にとりが悲しそうな声で呟く。凌ぎを削り合った弾幕ごっこが、無意味な物へと変化していく。何も得る事の無い、下らないがらくたの様になっていく。

 みとりは、射命丸に話しかけた。

「おい、烏天狗……ここにあった胡瓜は?」

「んー! んー!」

 射命丸は口を尖らせながらこちらに向けてきた。そういえばさっきお喋りを禁止していたなと、自分のした事を思い出したみとりは溜息を吐いた。

「ちっ……禁止は解くから早く答えろ」

 みとりは指を鳴らす。その瞬間に、プハァという音と共に射命丸の口が開く。開放された射命丸は、早速説明を始めた。

「胡瓜ですか? それなら二人が準備している間に私がちょいと美味しく頂き──!?」

 そこまで言って、射命丸は口を止め、そして恐怖した。彼女は、目の前に鬼を見た。勿論鬼と言っても、かつて妖怪の山を支配していた種族が突然現れた訳では無い。彼女が見た鬼──それは河城みとりから漏れ出す圧倒的な敵意だった。その醜悪な表情から、握り締めた拳から、手にした通行禁止を意味する看板から。溢れ出し、漏れ出す憎悪とも哀愁とも付かない感情の渦が、彼女の背後に居ない筈の化け物を具現化させる。修羅──そう呼ぶに相応しかった。

「な、何でそんなに怒っているのでしょうか……?」

 額から滝の様に流れる汗を拭う事も出来ず、射命丸文は河城みとりに恐る恐る訊いてみる。この妖怪の山においてヒエラルキーの低い種族相手に本気で下手に出てしまった事に、天狗としてのプライドと彼女自身のプライドが傷付くのを感じる。しかしそんな物すらも思い切り投げ出してしまう位に。目の前の赤河童に、怯え竦んでしまう。逃げ出す事を禁止されている訳でも無いのに、身体が言う事を聞いてくれない。

「分からないか? 私達が何でこんなに煮え滾っているか、本当に分からないのか?」

 急かされたって分からないものは分からない。出来ない事はどれ程時間をかけたって出来はしない。

 知らない事を知っているとは、どんな人妖だろうと言えないのだ。

「にとりさん! 貴女のお姉さんを何とかしてくださ──」

 文は逃げ出す様に河城にとりの方を見る。彼女なら答えを知っている、彼女の声ならばきっと鬼を止めてくれるだろうと期待して。

「──っ!?」

 しかし、逃げ出した先にもまた、鬼が存在した。河城みとりのそれよりももっと暗く、もっと深く、もっと強く。ただ静かにこちらを見据える様な修羅がそこにいた。この二つの怒りを上手く例えるとするならば、河城みとりは動きのある熱い怒り、河城にとりは静かな冷たい怒りと言えるだろう。性質が全くの正反対な修羅に挟まれて、射命丸文はようやく河城姉妹の譲れない物が何なのか理解する。正確には、彼女達が怒る前の自分の台詞を思い出す。

『胡瓜ですか? それなら二人が準備している間に私がちょいと美味しく頂き──』

 そこから先は、連鎖反応的に繋がっていく。一つ一つの物事が、パズルの様に組み立てられていく。

 河城にとり──種族、河童。河城みとり──種族、人間と河童の混血。胡瓜──河童の大好物。弾幕ごっこの発端──たった一本の胡瓜。

 胡瓜の行方──自分の、腹の中。

「そんなの半分にして分け合えば済む話だったじゃないですか……!」

 自分が身震いをしてしまった怒りの原因が余りにも馬鹿馬鹿しく、射命丸はポロリと本音を吐露した。確かに彼女の意見もごもっともだろう。世の中には半分に出来ない物だって確かに存在するが、胡瓜はそれに当てはまらず、半分にも三等分にも出来るのだから。

 しかし、仮に彼女達が半分に割って食べようとしていたと仮定しても、ほんの少しでも大きいのを食べようと結局は弾幕ごっこで喧嘩になるのだろう。どの道その胡瓜はもう既に射命丸文の胃袋の中に収まってしまった。今更どう喚こうが覆水は盆に返らない、後の祭りにしかならないのだ。

 そして迂闊にも声に出してしまった本音は、二人の怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならない。

「そうだな、半分にして食べてみようか」

「そうだねお姉ちゃん、半分にしてみようか」

 二人は歪んだ笑顔で話す。一体何を半分にするのか、射命丸は言われなくても理解していた。

 今彼女に出来る事は、地に膝を付き、手を合わせ、無様であろうと許しを請う事しか残されていないのだ。

「ま、待ってください! お慈悲を! お慈悲をぉおおおおおお!」

 誠心誠意、本気で心を込めて謝罪の言葉を叫ぶ。普段は饒舌である筈の彼女は、たったこれだけしか喋らない──これだけしか、喋れない。

 足が竦む。息が詰まる。汗が垂れる。全身が震える。鬼が、迫る。

「ごめんで済んだら巫女は要らないんだよ?」

 にとりは言う。鞄から取り出した工具を強く握り構えながら。

「……さようなら」

 みとりは言う。その手の禁止看板を高く構えながら。

「「お帰りはあちらです」」

 二人は言う。構えたそれらを射命丸に向けながら。

「嫌ぁああああああ!!」

 沈んでいく夕日を背に、射命丸文は吹き飛んでいく。

 彼女の大きな悲鳴は段々と小さくなり、いつしか聞こえなくなっていった。


  ◇ ◆ ◇


 戦火報告。

 河城にとり、河城みとり両名の弾幕によって、河城にとりの工房周辺地形に多大な損害。

 また、その余波により烏天狗が一人吹き飛ばされる。その後、博麗神社に墜落した所を博麗霊夢が救助。現在永遠亭にて治療中。全治一か月の重症。


 大惨事河童対戦、終結。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ