最終章:約束
二人は神社を後にして、更に山を登った。
山頂へ着く頃には、既に空は橙色に染まっていた。
「ここは島で一番高い所。
夕日が綺麗でしょう?」
「ええ。心が洗われる想いです」
左には四国、右には本州、そして前方の彼方には九州が見える。
その三島の間を、赤く染まった水が穏やかに流れる。
「そういえば・・・・・・」
Hは、あることを思い出した。
「宿屋の主人から聞いた話なのですが、
犬神神社の敷地内に入った者は狼のような獣に襲われるとか・・・・・・。
どうして自分は襲われなかったんでしょうか?」
「ああ、そのこと・・・・・・」
女性の目線はHでも海でもなく、本州の方に向いていた。
「それは、私があなたを襲わせないように犬神にお祈りしたからですわ」
「え・・・・・・どうして・・・・・・?」
「最初は半信半疑でした。
でも万が一の可能性を考えてお祈りしていたら、本当に調べていたんですもの。
お祈りしておいて正解でしたわね」
目線は本州に向けたまま、しかし口調は笑っているようだった。
「いや・・・・・・そういうことではなくて、
どうして見ず知らずの自分なんかを・・・・・・」
Hが言いかけた時、海の方から風が吹いた。
白い帽子が風にのって、女性の頭から浮遊する。
Hはそれに素早く反応し、地面に落ちる前に帽子を掴んだ。
「どうぞ」
「フフ、ありがと」
「・・・・・・え?」
今の今まで上品な敬語を使っていた女性の口調が、突然くだけたものになった。
「さっすが。
あの頃から全っ然変わってないね」
女性が何のことを言っているのか、Hにはわからなかった。
「あの・・・・・・失礼ですが、一体何を・・・・・・」
目を白黒させるHに、女性は口元を大きく緩ませた。
「『うん! ぼくぜったいうわきなんかしないからね!』
さすがにもう忘れちゃった、かな?」
Hは首をかしげる。
『うん! ぼくぜったいうわきなんかしないからね!』
どこかで聞いたフレーズである。
「確か・・・・・・夢で・・・・・・」
瞬間、Hの脳裏で再びあの夢が再現された。
-「わたしたち、おおきくなったらけっこんしようね!」
「うん! ぼくぜったいうわきなんかしないからね!」
数日前にも見た、あの光景。
しかし当時と決定的に違うのは、Hの自我が存在している場所だった。
「うれしい! ひーくん、だいすき!」
目の前の少女の唇の感触が、頬を伝う。
ひーくん――そう、自分の名前であるヒロシのヒの字をとって、
目の前の少女――スマコは、自分のことを『ひーくん』と呼んでいた。
突如視界が暗転する。
やがて聞こえてきた泣き声とともに、視界が徐々に回復する。
「とうきょうに、ひっこすの?」
「うん、ほんとうはひーくんのおよめさんになる・・・・・・つもりだったのに・・・・・・」
スマコは親の仕事上の都合で、東京へ引っ越すことになった。
ヒロシは――自分は、泣いているスマコの両肩を力いっぱい握った。
「ぼくがおおきくなったら、ぜったいにとうきょうまでむかえにいってやるから!」
するとスマコは泣くのをやめ、精一杯の笑顔を作ってくれた。
そしてその時、再び視界が真っ暗になる。
「あ・・・・・・」
視界は、オレンジ色の空を映し出していた。
H――もとい弘からみえる空は、濡れていた。
目の前の白い帽子の女性――須磨子も泣いていた。
「やっと、思い出してくれたんだね・・・・・・弘」
「須磨子・・・・・・ごめん・・・・・・ごめん・・・・・・」
須磨子が東京へ引っ越したあとも、しばらくは手紙によるやりとりは続いていた。
しかし、互いに幼稚園や小学校での友達ができるうちに、
いつしか手紙の頻度も少なくなり、やがてぱったりと無くなってしまった。
「私、寂しかったんだからね・・・・・・」
弘は須磨子のことを忘れてしまっていたが、
彼女は片時も弘を忘れることはなかったという。
「中学校の時に、たまたま読んだ本で犬神伝説について知ったの。
東京の高校を卒業したのちにここ月ヶ瀬島へ行ったのも、昔交わした約束を果たすため」
「・・・・・・『けっこんする』ってやつか」
弘が月ヶ瀬島へやって来たのも、島に着くやいなや出会ったのも、
全て私が犬神にそうなるように祈ったから――そう彼女は言った。
「大学が終わったら、自分もこの島へ行く。
一緒にこの島で暮らそう」
「・・・・・・うん、今度は忘れないでね」
「忘れるもんか」
夕日が二人を照らす。
照らされたことでできた二つの影は、やがて一つになった。
「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」
弘と須磨子がはじめて、いや、久しぶりにあったあの海岸に、弘はいた。
弘は今日、本州へ帰る。
走ってきた彼女は息を切らしていた。
「よかった、間に合って・・・・・・」
船の出航時間まで3分を切っていた。
「全く・・・・・・このまますっぽかされるのかと思った」
弘は、なかば呆れ顔になっていた。
しかし内心では、須磨子以上に安堵のため息を漏らしていた。
「もうそろそろ乗らなくちゃいけなかったから・・・・・・。
最後に須磨子の顔を見れてよかったよ」
軽く手を振って船に乗り込もうとする弘の腕を、須磨子は強く掴んだ。
「待って」
そういって須磨子は彼の顔に自分の顔を正面から近づけて――。
二つの顔は一瞬、唇を介して繋がった。
出航を告げる汽笛が、高らかに瀬戸内海に響き渡った。
最後までありがとうございました。
拙作揃いの中でも割と自信作でしたので、
こちらの方でも投稿しようと思い立った次第です。
(他の作品も見たい!という方は、
拙作ブログの方をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/abswear18723/)
今作の執筆で一番苦労したのは、辻褄合わせですかね。
第三章、第四章、第六章は特に苦労した記憶があります(汗
何度も何度も推敲して、また矛盾点が見つかって、
更に推敲して・・・・・・の連続でした。
Hのキャラ像はズバリ「どこにでもいる大学生」です。
没個性的といえば聞こえは悪いですが、逆にいえばクセッ気のない人間像に仕上がりました。
強いて特徴をあげるとすれば、一人称が「自分」となっているところですかね。
ヒロインのキャラ像で最も個性的なのは、「女言葉の敬語」ですよね。
私が目指したキャラ像は「おしとやかな女性」ですので、
意図通りのキャラクターに仕上がった感はあります。
もちろん不十分な点もありましたが(笑
色々と課題も多かった今作ですが、
個人的にはかなりの自信作です。
最後まで楽しんでいただけたのであればこれ以上ない幸いです。
宣伝というと聞こえは悪いですが、
私の拙作ブログの方では短いながらもアフターストーリーを掲載しています。
もちろん本編ではないので、「読まない」という選択肢もアリですが、
興味があれば是非。
「歪みない小説を目指して」
http://blog.livedoor.jp/abswear18723/