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孤島の犬神  作者: 藍上恩
第一章:発端
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第一章:発端

 「あと何分くらいで着きますか?」

粗末とは言わないまでも決して豪華ではない客船には、

大学生Hの他に客はいなかった。

「あと10分くらいで着きますよ」

若干うなだれているような顔のHとは対照的に、船長は余裕の表情を浮かべて返事をした。

「そうですか・・・・・・しかしこのへんは暑いですねえ」

Hは汗で肌に張り付いた服を揺すりながら、ペットボトルの水を一気に飲み干す。

「なに、月ヶ瀬島に着けば少しはマシになりますよ。

そうら、島が見えてきた」

瀬戸内海の西側、やや四国よりに位置する月ヶ瀬島。

西側は殆ど山に覆われており、南東の端っこにある小さい平野に数百人程度が暮らしている、

どこにでもありそうな小島だ。


 ことの発端は半月前だった。

大学の史学科、民俗学専攻のHは図書館にいた。

当時調べていたとある民俗についての書籍を探していたのだが、その本を取り出すときに、

間違えて隣の本を取り出してしまった。

(ああ、間違った)

と思ってその本を本棚に戻そうとしたとき、

ふとその本の題名が彼の目に入ってきた。

『現代も生き続ける月ヶ瀬島の犬神伝説』

その本は昭和時代に書かれたものらしく、

図書館においてあるにしては保存状態も悪いようで痛んでいた。

古ぼけた本を見て、夏休みの論文の宿題を思い出す。

(民俗学の論文として使えそうだな)

先程まで調べていた民俗のことなど、Hの頭から既に消えうせていた。

古ぼけた本を手に取り、適当な場所を見つけて座り込む。

その本には、瀬戸内海に浮かぶ月ヶ瀬島というとある小さな共同体の信仰についての記録が書かれていた。

もちろんここまでならば、たいして珍しいものではない。

しかし月ヶ瀬島で祀られている『犬神』という存在が、

島民の願いを次々と叶えさせているという前書きを見て、

この共同体の信仰についてHは興味がわいてきた。

何やら胡散臭い前書きにHは半信半疑で本を読んでみたが、この記録には、

実際に『犬神』のおかげで願いが叶ったと主張する人が5人ほど、

匿名ではあったがインタビューに答えていた。

(冗談にしては手が込みすぎている・・・・・・)

そう思ったHは自分の目で確かめようと考えた。


 波止場に着いて、Hは月ヶ瀬島の地を踏んだ。

「ここが月ヶ瀬島か・・・・・・予想以上にきれいなところだ」

岩の積み上げられた海岸には、何匹かの海鳥が佇んでいる。

上を見れば眩しいばかりの澄み切った空。

目線を下げれば、小さな民家や店が数軒あるだけで、さらに奥を見れば山。

都会暮らしのHにとっては神秘的ともいえる島の風景にしばらく見とれていたが、

やがて自分は観光ではなく研究のためにこの島にきたことを思い出す。

(どれほどの成果が得られるかわからないが、

及第点をもらえる論文をかける程度にはやろう。

んで・・・・・・まずは今日から世話になる旅館のもとへ荷物を置いていこう)

そう思ったHの視界に人間が入ってきた。

正確には、先程からそこにいた少女に、Hが今になって気づいた。

彼女――恐らくHとそこまで年齢は変わらないであろう――は白い帽子を目深に被りながら、一心に海を見つめている。

しかし彼女の目は、海を見ているようには見えなかった。

「すみません」

道に迷っているでもなかったが、Hは声をかけずにはいられなかった。

「あら・・・・・・」

見知らぬ男に話しかけられたのに関わらず、白い帽子の彼女は驚いた様子を見せなかった。

「なにぶんこの辺りは初めてでして・・・・・・山守旅館というのを探しているのですが」

このときHは自分の胸が高鳴っているのを感じなくはなかったが、

口からでまかせを何の躊躇いもなく口走っていることに、一種罪悪感にも似た気持ちを催していた。

「山守旅館ならば、」

彼女は、Hの心中などお構いなしにある方向を指差した。

彼女が指差した先には、

『山神旅館 月ヶ瀬街道をこの方面に走って3km先』と書かれた古ぼけた看板があった。

「ああ、ありがとうございます」

道筋を既に知っていたとはいえあまりの呆気なさに、思わず返事がどもってしまうH。

そこまで女性慣れしていないこともあって、

Hは気恥ずかしさに耐えられなくなってその場を去ろうとするが、

「お待ちになって」

彼女は口元を緩ませたような声を出してHを引き止める。

「この村には昔、『犬神』って呼ばれていた神様がいたんですの」

犬神、という言葉にHは反応せずにはいられなかった。

今回この月ヶ瀬島へ来たのも、その犬神について調べるのが目的だったのだから。

「あなたは、犬神について何かご存知なのですか?」

Hは先程の羞恥も忘れ、彼女に詰め寄る。

彼女は、少しだけなら、と首を縦に振って、

「犬神は呪われた神。

きっと、未だに犬神のことを想う者なんて、私くらいのものでしょうね」

魅惑的とも自虐的ともとれる笑みを浮かべた。

「犬神が呪われた・・・・・・?」

この島へ行く動機付けとなった書籍を読んだ限り、

犬神は月ヶ瀬島中の信仰を集めているようだった。

それが、わずか数十年ほどで信仰が失われることなどあるのだろうか。

「今でも犬神伝説は語られる。

でもそれは、チャチな『おとぎ話』として。

本当の犬神については、皆が怖がって誰も話そうとしない」

海から吹いてくる風は、潮の匂いがする。

その風は、彼女の頭から帽子を剥ぎ取った。

「あ・・・・・・」

近くの砂浜に静かに落下した帽子はHに拾われたのち、

再び持ち主のもとへ帰ってくる。

「どうも」

彼女はHに向かって軽く会釈すると、また海を眺めた。

「あなたは、犬神を信じていますの?」

声はHに向けられたものだが、彼女の目線はやはり海に向いていた。

「・・・・・・ひょんなことから犬神について知り、興味を持った」

Hは今の自分の気持ちを、淡々と彼女に話すことにした。

いつのまにか、Hも海を眺めていた。

「犬神の存在を調べるために、この島へやってきた。

だから、信じるとか信じないとか、そういうことは・・・・・・」

わからない、とHが言おうとした声は、彼女の澄み切った声によって掻き消された。

「私はね、信じていますの」

海に向いていたHの目線が目の前の彼女に向く。

天真爛漫としながらも気品に溢れた笑顔を見て、思わずHは心臓が止まりそうな感触を覚えた。

「では」

彼女が軽く頭を下げると、

Hも高鳴る鼓動をどうにか押さえ、軽く会釈をして犬神神社へと向かった。


 初めての土地である。

山守旅館に荷物を置いて神社まで行こうとしたが、早速Hは道に迷った。

あたりを見回すと、一人の老爺が歩いていた。

「すみません」

老爺は、穏やかな表情を浮かべながらHの方を向く。

「どうしました?」

やさしそうな声で応対するあたり、まさに好々爺といった人のようだった。

「犬神神社への道のりを教えて欲しいのですが」

瞬間、Hの目の前の好々爺の顔がこわばった。

「アンタ・・・・・・もしかして、犬神の信仰者かいな?」

先程の穏やかな表情は消え去り、懐疑的な視線をHに向ける。

白い帽子の彼女が言っていた『呪われた神』が、Hの脳裏を過ぎった。

「い、いえ、そういうわけではありません」

Hは好々爺の豹変ぶりに驚きながらも、なんとか平静を保って否定する。

「そうか・・・・・・ならいいのだが・・・・・・」

しかし目の前の老爺から懐疑の表情が消えることはなかった。


 山道は険しく、体力にあまり自信のないHは歩くだけでも難儀した。

先程の老爺が渋々教えてくれた道順通りに歩き続け、どれくらい経った頃だろうか。

息も絶え絶えになりながらも神社らしき境内が見えた時、

既に日は傾いていた。

「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」

鳥居の横に備えられた岩には、『犬神神社』の刻印。

しかしHは、ここが犬神神社であるとは到底信じられなかった。

参内には落ち葉が積もりに積もっており、

神社の建物自体もあちこちにヒビが入っており、窓ガラスも割れていた。

(神主さんでもいれば・・・・・・)

そう思って建物の扉を何度も叩いてみたが、返答はない。

埒が明かなくなり強引に建物に入ろうとしたが、カギがかかっているらしく、開かない。

隅っこにあった倉庫らしき建物も施錠されており、入れない。

日が暮れているのもあって、今日はひとまず引き上げることにした。

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