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祈りの森に眠る宝石  作者: 鳥無し
7/22

第六話『妖狐達』

ネーミングセンスの無さが爆発する回

 森の中では、木や草が風に揺れてざわめく音や、動物達の鳴き声が響いていた。

 時刻は夜。夜行性の動物や虫が活発に活動する時間帯。フクロウやコウモリが餌を探して飛び回り、春の虫がつがいを求めて鳴く。冬と比べれば賑やかで、夏と比べれば落ち着いた景色が、祈りの森を包んでいた。


 クルト達はそんな森の中で焚火をしていた。今までも夜は焚火をしていたが、ここまで深く入ってくると動物も多くなる。凶暴な動物が近寄ってこないように、最近では焚火を大きくしていた。もっとも、火を恐れないくらい力を付けた動物達には効果が無いだろうが……。

「綺麗ですね。これだけ大きな火だと、見入ってしまいます」

 珠が大きな焚火を見てそんなことを呟く。

「あんた今日おねしょするわよ」

 すかさずフィルが珠をからかう。からかわれた珠は少し顔を赤くしたように見えた。

「ハハハ……」

 クルトは苦笑して出来たばかりの晩御飯を食べる。

 もうクルトは、フィルの口が悪いのを注意しなくなっていた。注意したところで変わらないし、珠もそんなに嫌がっている風ではないので、放置することに決めたのだ。


 クルト達が魔物に取りつかれた虎を倒してから、一週間ほどが過ぎていた。

 一度不自然に森の中に消えた珠は、数時間後には自分から戻ってきて元気な姿を見せた。だからクルトは、珠は本当にトイレを我慢していたのだと信じて、深くは理由を聞かなかった。

 それなのに、クルトが珠に深く聞かない理由をフィルが看破し、大声で珠に伝えるものだから、珠は顔を真っ赤にしてフィルに文句を一幕があった。だがそれを見てクルトは、珠が完全に元に戻っていることを理解できたので、結果オーライだ。

 一週間の間に、魔物や悪魔と遭遇することが何度かあった。そのたびにクルトと珠が――フィルは相変わらず高みの見物――協力しあって敵を倒し、ここまで来ていた。そのおかげで、珠の剣術の腕もかなり上達している。実戦に勝る稽古なしとはこのことだろう。


「へぇ、それじゃあクルトさんのお婆さんは魔女なんですね」

 今はエリザベートのことが話題になっていた。話の流れで、クルトが記憶喪失であることと、エリザベートに育てられたということは話していた。クルトは少し緊張しながら、エリザベートが魔女であることを打ち明けたが、珠は別に何とも思わないようだった。

「何とも思わないの?」

「えッ!」

 クルトに突っ込まれて質問をされると、自分の受け答えがまずかったのかと珠は焦り出す。

「す、すごいと思いますよ! 人間で魔法が使えるなんてそうはいませんから!」

「そうじゃなくて、魔女は嫌われ者なんでしょ? 一般的には悪魔に力を借りるから汚れた存在だと思われてるからって……」

「そ、そうなんですか? あ、いえ! そうです! 魔女は悪魔と契約した悪い人間です! だから嫌われるのが常識なんでした! 確かそうです!」

 珠は今思い出したとばかりに大声をあげる。

「あう……それじゃあ僕のことも嫌いになるよね?」

「ええッ!? いや、私はクルトさんのことが大好きですよ? あ、いや、好きというのはその……えっと……。じゃなくて魔女は嫌われる存在で、なぜ私がクルトさんのことを嫌いにならないのかというと……」

 珠は混乱して支離滅裂なことを口走る。なんといえば正解なのか必死で考えているのだ。


 そんな珠の様子を見かねて、フィルが助け船を出した。

「あのねクルト。珠は旅人だからあっちこっちの常識が混ざってるのよ。世界はものすごく広い。だから、魔女に対しての認識も地域によって違うの。魔法を使ったと噂されただけでも処刑される所や、火の玉一つ生み出す程度魔法が使えるだけで、神扱いされる知恵遅れの地域もある。だから珠には自分の常識というものが無い。珠はあんたのことを嫌いじゃない。それだけ分かればいいでしょ?」

「そうなの……?」

「そうです! 全くその通りです! 世界にはいろんな常識があるのです!」

(あ、危なかった。人間の常識が分かりませんでしたから、墓穴を掘ってしまいました。フィルさんがフォローしてくれなかったら……)

 珠は目線をフィルに向けて、頭を一つ下げた。

「でもよかったよ」

 クルトがスープを飲みきって珠に話しかける。

「僕人間の友達って居ないんだ。ひょっとしたら永遠に人間の友達はできないんじゃないかと思ったけど、珠が僕のことを嫌わないでくれて嬉しいよ」

「あ、当たり前じゃないですか! 私がクルトさんのことを嫌う訳がありません」

 何故か珠の胸を小さな針が刺す。

 それには気付かずにクルトは続ける。

「珠は僕にとって、人間の初めての友達だよ」

「あ……」

 クルトのまっすぐな瞳を見て、珠は自分の胸を刺した針の正体に気付いた。この胸の小さな痛みは罪悪感だ。クルトに対して嘘をついているという罪悪感。今クルトは、初めての人間の友達ができたと喜んでいる。しかし実際は違う。珠の正体は人間じゃない。だから罪悪感が珠の胸を刺したのだ……。

(でも、気付かれる訳には行きません。今更正体をばらしたら今までクルトさんのことを騙していたのがばれてしまう。それに……私が人間じゃないと知れれば……)

 珠の胸には小さな恋心が生まれていた。人間でなければこの思いは叶えることはできない。だから何が何でも人間じゃないことは隠し通さなければならない。

(一生人間として生きて行けばいい。そうすればクルトさんと恋人になることができる)

 クルトと恋人になるなら、人間であることは絶対条件。珠は一生自分の正体を隠しきるつもりでいた。


(こいつ、面白いなー)

 フィルはにやにやしながら珠のことを見る。

 フィルは珠の正体をばらしたりしないし、こんなことがあればフォローもする。だがそれは珠のためにやっているんじゃない。自分が楽しむためだ。ぽろっとばれてしまうより、もっとふさわしい場面があるはずだ。

(その時までクルトにはばれないようにしなくちゃね、ふふ。……それにしても)

 フィルはクルトのことを見る。

(この人畜無害な奴が、どうして嫌われているのか……)

 実はフィルはずっと気になっていたのだ。クルトが嫌われる理由が分からないからだ。

『フィルは僕の初めての友達なんだ!』

 クルトが初めて悪魔と戦った時に言った言葉。フィルはそれを聞いて、クルトが嫌われているのだということをようやく信じた。それまでは、『魔女に育てられたから』という訳のわからない理由で嫌われるのが、どうしても信じられなかったのだ。


 さっき珠をフォローするときに言った理由。『地域によって魔法に対する認識が異なる』というのは、フィルがたてた仮説の一つだ。クルトの住んでいる地域が、魔法に対して悪い印象を抱いている可能性。

 だがこれはすぐに引っ込めた。クルトがやってきた方角にある町について、フィルはある程度の知識があった。その町で、魔法を嫌っているなんて話は聞いたことが無い。だからこれは違うはず……。


 二つ目の仮説はエリザベートに問題がある可能性だ。エリザベートが特別嫌われる理由を持っていて、そのエリザベートに育てられたから嫌われている可能性。

 だがこれも違うと思う。クルトが時よりエリザベートのことについて話すが、問題のある人物には思えない。クルトが奴隷の様に働かされているというならこの説は信憑性があるのだが、話を聞く限り大切に育てられていたらしい。それに、エリザベートはかなり力を持った魔女なのだという。その魔女が大切に育ててるクルトを町人たちがいじめたりするだろうか? この説もいまいち説得力に欠ける。


 三つ目の仮説は……クルト自身に問題がある可能性……。

 人によって異なるだろうが、今のクルトに嫌われる要素は特にない。だが、記憶喪失だというのが気になる。なぜクルトは記憶を失ったのか? クルトの両親は? なぜエリザベートに拾われたのか? 

 もしかしたらクルトは、記憶を失う前は極悪人で、町の人間に迷惑をかけていたのでは? 記憶を失い、エリザベートが一から育てなおして今の人格になったというのはどうだ? フィルが、現時点で一番可能性が高いと思っているのがこの説だった。

 では……クルトの記憶が戻ったら、性格の悪い極悪人になったりするのだろうか?

 フィルはそう思いながらクルトの顔を覗き込む。

「ん? どうしたのフィル? 食べてみたくなった?」

「……無いわね。この幸せそうな顔が醜悪の笑みを浮かべるようには思えないわ」

 大体クルトが記憶喪失になってから八年も経っているのだという。クルトはどんなに若く見えると言っても一八才が限界。十歳の子供に何ができるというのか。

「???」

 フィルの突然の言葉が理解できず、クルトはしばらく考え込むのだった。


   *    *    *


 次の日の朝。クルト達は森の中を歩いていた。木々の間から太陽の光が、薄く霧がかかった森に差し込んできて幻想的な景色が広がっている。

 森の中は空気も澄んでいるし、地面には春の花が咲いている。悪魔や魔物が出たりしなければ、これだけ散歩に適した場所はそうないだろう。クルトは、普段こんな美しい場所で暮らしている動物達を少し羨むのだった。

「そう言えば……」

 クルトがあることを思い出してフィルに話しかける。

「二層目は数百年生きた動物達が居るんでしょう? それなのにまだ一度も遭遇していないけど……」

「そりゃそうよ。動物が数百年生きるなんて稀だもの。そんなに個体数はいないから、簡単に遭遇するはずが無い。ただ、そう言う動物は種族の長になって森を監視させてる。二層目に入ってからだいぶ経つからね。今頃あんたを襲う計画でも建てているかもしれないわよ?」

 フィルがそう言った瞬間、クルトは何かに監視されている錯覚を覚えて周りを見渡した。周りにはなにもいないが、それがかえって不気味だった。

 少し不安そうな表情を浮かべたクルトを、珠が励ます。

「大丈夫ですよ! これまでだって何匹も悪魔や魔物を退治したじゃありませんか。動物もクルトさんの力は知っているはずですから、襲いかかってこないかもしれませんよ? それに、私もいるんですから」

「あんたコウモリ踏んづけて襲われてたじゃない。今度は大蛇のしっぽでも踏むんじゃない?」

「そ、そんなことしませんよ!」

 フィルの言葉を、珠が必死になって否定する。

「珠も剣術の腕がだいぶ上がったよね。そうだ!」

 クルトは突然立ち止って鞄の中を漁り始める。そして何かを取り出して珠に渡した。

「これは……小刀ですか?」

 クルトが渡したのは、刃渡りが十Cmほどの小刀だった。

「僕はお婆ちゃんに、剣の腕が上がるたびに物をもらっていたんだ。だからその小刀は珠にあげるよ。本当ならもっといいものをあげたんだけど、今はそれくらいしてあげられるものが無いんだ。ごめんね?」

「いいえ! とんでもないです!」

 珠は手渡された小刀をぎゅっと握りしめた。

「ありがとうございます。私……大切にしますね」

「ドジなあんたのことだから、なくしちゃうんじゃないの? ……おーい?」

 フィルが茶々を入れるが、珠にその声は届いていなかった。


「ったく、こんな幸せそうな顔を見てると気分が……ん」

 フィルは真剣な顔をして空を見上げる。そして、一度にやりと笑ってから飛び立った。

 クルトが飛び去って行くフィルの背中に声をかける。

「フィル、どうしたの?」

「私はちょっと姿を消していることにするわ。太陽が二つも出ているから」

「太陽が二つ?」

 フィルに言われて、クルトが空を見上げた。

(太陽が二つ? そんなことある訳が……)

 しかし、空には本当に太陽が二つ浮かんでいた。目の錯覚か何かだろうか?

「あぁ……あああああ!」

 珠も空を見上げていた。そして太陽が二つあることを確認すると、大きな叫び声をあげてクルトの腕を取る。

「逃げましょう! クルトさん!」

「ちょ、ちょっと珠? いきなりどうしたの?」

「説明は後です! とにかくここから離れないと! ……あッ!」

 珠が何かを見つけて立ち止る。クルトがそこを見ると人が立っていた。

 こんな森の奥に、自分たち以外の人間が? クルトは不思議に思ってよく見ると、その人間は不思議な格好をしていた。

 和服……というのだろうか? 昔東の国からやってきた旅人に見せてもらったことがある。異様なのはその服だけではない。顔に狐のお面を付けているのだ。顔は仮面で隠れているので見えないが、髪は金色の長髪だった。さらに奇怪だったのはお尻から生えているしっぽだった。ただ付いているのではないらしく、尻尾は左右に揺れて動いている。

「近づいてはダメですクルトさん! これは狐……妖狐です!」

 不用意に近づこうとするクルトを、珠がそう叫んでとめる。珠は非常に焦っているようだった。

「ほう、私達の正体を見破るとは、その女はなかなか鋭い様だな」

「私達……?」

 クルトがその言葉に反応すると、お面を付けた人間……いや、妖狐が指を鳴らした。すると、森の中から数十という数の妖狐が現れてクルトと珠を取り囲んだ。皆最初に現れた妖狐と同じ格好をしている。

「囲まれたッ!」

 クルトが剣を鞘から抜いて構える。だがそれはまるで役に立つ気がしなかった。数が多すぎる。

 珠は絶望的な顔をしてクルトの腕を掴んでいた。もうあきらめてしまったのだろうか?

「妖精が一匹一緒にいるはずですが?」

「私達の気配を感じて逃げ出したんだろう。妖精はそういうことには敏感だからな」

「探させますか?」

「いや、人間だけ連れ帰ればいい。妖精を森の中で探すのは困難だ」

 最初に現れた妖狐が、周りの妖狐に指示を出している。どうやらあの妖狐が個の中で一番偉いらしい。

「聞け! 人間よ! 私はこれからお前を我々の国まで連れて行く。そこでお前を五千年狐様が裁いてくださる。大人しくついてこい!」

「嫌だと言ったら……?」

「ほう? この数を相手に逃げられるとでも思っているのか?」

 周りを囲んでいる妖狐達が武器を構える。それぞれ鎌や槍などの武器を持っていて、今すぐにでも切りかかってきそうだった。

 しかし森は木があちこちに生えていて狭い。あまり大きな武器は振り回せないし、数は圧倒的に妖狐の方が多いのだから同志討ちが怖くて思いっきり武器を振るえないはず。珠と協力して一点を崩せれば何とか逃げられるかもしれない。

「……珠? 僕が合図したら後ろに向かって走るんだ。できるだけ戦わずに妖狐の壁を抜けて森の中をでたらめに走れば……珠?」

 珠は怯えていた。身体はがくがくと震えて、汗をかいている。表情は絶望しており、リーダー格の妖狐を見つめて今にも気絶しそうだ。

「む……無理ですよ……。金狐(きんこ)様が居るんですよ? に、逃げられるはずが……」

「珠! しっかりして、諦めたら駄目だよ!」

「女は怯えて動けないようだな。少年の方だけ狙え」

 リーダー格の男がそう指示を飛ばす。すると周りの妖狐が吹き矢を構えてクルトを狙った。

「な、なんだ? ……ぐあ!」

 珠に意識を向けていたから、クルトは吹き矢を避けられずに命中していまう。急いで引き抜いたが、その頃にはもうクルトの視界は歪んでいた。

「く、クルトさん? クルトさん!? い、いやぁああああああ!」

 珠が我に返ってクルトを抱きしめたが、すでにクルトは意識を失っていた。


   *    *    *


「ん……ぐぅ……」

「クルトさん! 目が覚めましたか?」

 クルトが目を覚ますと、最初に珠の顔が飛び込んできた。どうやら珠が膝枕をしてくれているらしい。

 珠は目に涙をためて、クルトのことを見つめている。

「どうなったの? ここは?」

「ここは妖狐の国の中にある牢屋です。クルトさんは吹き矢で眠らされて、ここまで運ばれたんです。 私は何もできずにここに連れてこられました」

 そう言って珠は申し訳なさそうな顔をする。

 なんだか身体が思うように動かないと思っていたら、腕を後ろでにくまされて縛られている。なんとか抜け出そうとしてもがいたが、解けそうにない。

「良いんだよ。あの数じゃ珠一人では何もできなくて無理ないさ。それより僕が眠らなければ、何とか逃げられていたかもしれない」

 クルトが油断したのは珠のせいだ。そのことを言えばクルトはまた優しく慰めてくれるだろうから、珠はそのことを言わずに一人悔いた。

「あ、ごめん。重いでしょ? 今どくから……」

 クルトは膝枕されっぱなしなのに気付いて頭をどかそうとする。するとクルトの頭に手を載せて珠が止めた。

「あ、駄目です! もう少しこのままでいてください」

「でも、僕はもう起きれるけど……?」

「駄目です……もう少し……もう少しだけこのままで……」

 むしろ珠の方が不安そうだった。膝枕をすることで珠が落ち着くというなら、それを拒否する理由は無い。クルトはもう少しこのままでいることにした。


「のんきねぇー。今の状況分かっているの?」

「え、その声は……」

 クルトが声のした方に目線を向けると、そこには呆れ顔をしたフィルが、牢屋の窓から入ってくるところだった。何処となく機嫌がよさそうにも見えるが……。

「こんばんは。硬い地面に軟らかい枕で寝るのってどんな気持ちなの?」

「フィルはこんな時でもいつも通りだな……」

「そりゃそうよ。私は捕まっていないんだから」

 確かにその通りだ。フィルは妖狐達が来るのに気付いて、一人だけ逃げ出したから捕まらなかった。

「何で妖狐が来るって気付いたの?」

「二つの太陽よ」

「確かに太陽が二つあるように見えたけど、あれって錯覚じゃなかったの?」

「あの太陽のどちらか一つは、妖狐が化けていただけ。空を見上げて、太陽か月が二つあったら、妖狐の行列が現れる印。太陽や月に化けるのはリーダー格の妖狐ね。太陽に化けるのが金狐で、月に化けるのが銀狐(ぎんこ)だったかしら? とにかくそれで私は逃げ出したという訳」

 フィルは自慢げに胸を張る。ただ単に逃げ出しただけだというのに……。

「それなら妖狐が来るって教えてくれればよかったじゃないか」

「私が高みの見物を決め込むのはいつものことでしょ? それに、あれだけ囲まれてたら私が言ったって間に会わなかったわよ」

 薄情な気もするが、相手がフィルなので文句の言い様が無い。そう言えば……。

「珠は知ってたんだよね? 二つの太陽は妖狐が現れる印だってこと」

「え? ええ……まあ」

 あの時、珠は二つの太陽を見た瞬間に怯え始め、クルトの手を掴んで走り出した。結局捕まってしまったが、あれは妖狐のことを知っていたことの証。

「旅をしていると色々な知識が手に入りますから、妖狐の話も旅の途中で……」

「そうなんだ。でも確か、『金狐様』って……」

「き、聞き間違いじゃないですか? 私がそんなことを言う訳がありません」

 珠はひどく狼狽しているように見えたが、それ以上聞いても仕方が無い。それより、これからのことだ。


「フィル。僕達はこれからどうなると思う?」

「殺されるでしょうね」

 あっさりと……何のひねりも包みも無くフィルはそう言った。

「殺されるって……僕たち何もしてないのに……?」

「何もしてなくてもよ。妖狐はプライドが高いから、偉そうにしている人間が許せないのよ。あんたが偉そうだって言ってるんじゃないの。人間全般のことをそうとらえていて憎んでいる。だからこのままなら間違いなく殺されるわ」

 フィルはいつものからかう様な口調ではなく、事実を淡々と述べるといった調子でそう言った。だからこれは本当のことなのだとクルトは理解する。

「なんとかここから出られないかな?」

「無理ね。この牢屋の壁には狐の妖力が込められている。ちょっとやそっとじゃ壊せない」

「そっか……どうするかな……」

 クルトは目をつぶって考え込む。しかしこの状況をなんとかできるような案はまるで浮かんでこなかった。

「クルトさん……」

 珠はクルトを膝枕したまま心配そうに見つめる。そんな珠をにやりと笑ってフィルが見る。


「ねえ、珠? あんたならクルトのことを助けられるんじゃない?」

「フィ、フィルさん!」

 珠がフィルの言葉に焦り出す。

「珠が? 珠ならこの状況を何とかできるの?」

「あ、あの……私には……えっと……」

「それしか手が無いわよねぇえ? 下手に暴れて妖狐達の印象を悪くするより、あんたがなんとかした方がまだ可能性がある」

「でも、私は……私は……う、うぅ……」

「何困った顔してるのよ? あんたが大好きなクルトさんが困ってるんじゃない。助けてあげないの珠? 散々クルトの役に立ちたいとか言ってたのは全部嘘? ああ、そうか! 適当にいいこと言って、クルトの気が惹いてただけだったのね。クスクス……汚い女」

「そんなこと! ……そんな……ことは……」

「じゃあ助けてやりなさいよ! あんただったらきっと助けられるわよ! 何せあんたはッ!」

「やめるんだフィル!」

 牢屋の中にクルトの声が響く。

「フィル! 珠が嫌がってるじゃないか! 何を知っているのか知らないけど、適当なことを言って珠のことを傷つけたなら謝れ!」

「……そうね、私もちょっと熱くなって美味しいところを食べそこなうところだったわ」

 そう言ってフィルは珠に向き直る。

「ごめんなさいね珠。約束だったものねぇ? うっかり喋っちゃうところだったわ」

 その謝罪は、珠にというより自分に対して言っているように見えた。美味しいものは最後に取っておかなくちゃダメだろという感じで……。

「なにはともあれ、私は退散するわ。じゃあねクルト。今までで一番面白いものを期待しているわよ?」

 そう言ってフィルは、牢屋の窓から出て行った。

「珠……大丈夫?」

 クルトは珠を心配して声をかける。

「大丈夫です……。クルトさん……私……」

「ん? どうしたの?」

「……いえ、何でもありません」

 何かを言いかけた珠は、クルトに見つめられると口を噤んでしまった。だが、その表情は何かを決意したようにも見えるのだった。


   *    *    *


「出ろ!」

 数時間が経ち、夜が深くなると、クルト達の牢屋に妖狐がやってきてドアを開けた。妖狐は身体だけは人化していたが、首から上は人化しておらず、狐の顔になっていた。

「何処に行くんだ?」

「妖狐の国の中心広場だ。そこで五千年狐様がお前達を裁いてくださる」

「……捕まる時にも五千年狐って言う言葉を聞いたけど、それは一体……?」

「妖狐の長です」

 後ろから珠がそう言った。

「五千年を生きた妖狐。その圧倒的な妖力は、三層にいる上級悪魔達と比べても引けを取りません」

「……珠? どうしてそんなに……」

「行くぞッ!」

 珠が異常に妖狐のことに詳しいを子と聞こうとしたクルトの声は、妖狐が二人を牢屋から連れ出す声にかき消された。


 しばらく連れられて歩いていると、広場についた。その広場は円形で、幅は五百メートルくらいあるように思えた。そしてその広場を取り囲むように、数千という妖狐がここに集まっている。

「これは……すごいな……」

 自分は捕まっているのだということを忘れて、クルトはそう呟いてしまった。紙とペンがあれば、絵を描きたくなるような壮大な光景だったからだ。

 さまざまな色をした妖狐や、人化している妖狐に人化していない妖狐。部下を連れている妖狐や部下としてつき従っている風な妖狐。森中の妖狐がここに集結しているように思われた。

「五千年狐様だ……五千年狐様がいらっしゃったぞ!」

 どこかからそんな声が上がり、広場は大きな歓声に包まれた。

 この数の中からその五千年狐を見つけるのは、苦労するかと思ったが、その妖狐はあっさりと見つかった。


「私が五千年狐である」

 何もかも様子が違っていた。人化してはいたが、尻尾が付いている。そのしっぽはどの狐よりも大きく美しい。そのしっぽが九本も付いているのだ。それだけでも異常な貫禄が感じられた。

 性別はメスらしい。誰が見ても絶世の美女と認めるような容姿は、多くの人間を魅了することだろう。その五千年狐の周りに、四匹の色の異なる狐がつき従っていた。その狐も明らかに他の狐とは格が違うように思われた。

 まず五千年狐のすぐ両脇には、金色と銀色の狐――これが金狐と銀狐か?――がおり。さらにその脇に、黒と赤の狐が連れだっている。

「名前を先に聞いておこう。少年よ、名はなんという?」

「クルト……です」

 何故か敬語を使わなければいけない雰囲気を感じ、クルトはそう言った。

「よろしい、ではこれより審判を始める」

 その言葉に周りの狐が少しざわめく。クルトに対しては名前を聞いたのに、珠に対しては名前を聞かない。

 クルトは横目で珠のことを見たが、珠は特に気にしていないようだった。いや、そんなことを考えている余裕などないほど、緊張しているように見えた。

 結局、誰も珠に対して名前を聞かないのを指摘しないまま、審判は始まった。


黒狐(くろこ)や、罪状を読み上げてくれるか?」

 五千年狐がそう言うと、黒い狐が即座に人化して紙を取り出す。

「罪状は森を荒らしたことと、森の動物達の虐殺です。ひと月ほど前から森の中が荒れ始め、森動物達が大量に死んでいます」

「そ、そんなことしていないよ!」

 クルトは身に覚えの無いことを言われて反論する。

「否定する者が居るぞ? 黒狐よ、何か証拠になるようなものは無いのか?」

「森の中に動物を捕えるための罠が大量に設置されていました。また、動物が大量に殺されているのを見た者が居ます。現在森の中にはこの少年と女しか人間はいません。この少年がした可能性が高いのではないかと……」


   *    *    *


「罠があることと、森にはクルト達しか人間がいないことだけで、クルトが犯人だと断定するんだ。狐の裁判っていうのは茶番劇でしかないわね」

 フィルは広場がよく見える場所に隠れて、クルトが裁かれる様子を眺めていた。広場の会話は、風がフィルのところまで運んできてくれる。あまりに遠すぎてはっきり見えないのが気になるが、これ以上近づくのは危険だ。ぼんやりとした光景と、理不尽な裁判の音を聞くだけで我慢するしかない。

「さあクルト、どうするの? 狐達の中で、あんたの罪状と判決はとっくに確定している。あんたが必死に弁明しようとしても、狐達は証拠を改ざんし、捏造し、裁判を構築してしまう。裁判? いえ、やはりこれは茶番劇だわ。裁判は事実を明らかにするもの。これは虚偽を真実に捏造するための出来レース。あんたの弁明は狐達が酒をおいしく飲むための肴。それ以上のことをしないなら、あんたはここで死ぬことになる」

 そう呟いて珠は怪しく笑う。

「でも……もし珠が決意しているなら、話は少し変わってくるわ」

 ここからでは遠すぎて珠の表情は見えない。もっと近づくことができたなら、今頃苦悩する珠の顔を見て楽しむことができただろうに……。

「さあ、これがただの茶番劇で終わるかは、あんたにかかっているわよ? 珠?」


   *    *    *


「だから! 僕はそんなことしてないんだってば!」

 クルトが必死に黒狐の主張を否定しようとしていた。すでに森を荒らした罪は確定し、今は森の動物達を虐殺した疑いについて審議が行われていた。

「ここ数日、森の動物達が怯えているように見えました。どうしたんだろうと不思議に思っていたのですが、この間見てしまったんです。たくさんの刀傷を負って死んでいる動物達の姿を……」

 証言を求められた狐が、人化をして広場の前に進み出て涙目になりながらそう訴えていた。黒狐がその狐に対してさらに詳しく状況を聞く。

「確かにそれは剣で切られていたのか? メスを争って、オス同士が戦った挙句に死んだのではなく?」

「動物達がどう争ったら首がもげるのですか? 足が切れるのですか? 切られた首は近くの木の枝に刺さっていました。動物の血を使ってその木の幹に、動物を嘲笑う言葉がいくつも書かれていて……」

「もうやめてよ!」

 クルトがそう叫んだ。目には涙が浮かんでいる。自分の主張が受け入れられないのが辛いのではない。狐の話を聞いているのが耐えられなくなったのだ。

「見苦しい奴だ。証拠はいくらでもあるというのに……。五千年狐様。これ以上こ奴の意見を聞く必要などありません。判決を下してください」

「そうか? もう少し時間をかけるつもりだったのだが。それでは判決を言い渡す。こやつの武器を持ってこい」

 五千年狐がそう言うと、クルトの剣が運ばれてきて、クルトの前に置かれた。

「重罪人は死罪。その処刑方法は、自らの剣によって首を切り落とすことにする」

 五千年狐は立ち上がってクルトの前まで歩いて行った。どうやら、処刑するのは五千年狐が直々にするつもりらしい。

「最後に言い残したいことがあれば聞いてやろう」

 その言葉に、クルトは少し沈黙してから口を開いて答えた。


「僕は嫌われ者です」

「……ほう?」

 クルトの言葉に、五千年狐は少し興味を持ったらしい。

「僕がこういう扱いを受けるのは当然のことなんだと思う。今までずっと嫌われて生きてきたから……。町の人達は、僕が居るのに気付くと急に静かになるんだ。それまで楽しそうにおしゃべりをしていたのに、歌を歌っていたのに、踊りをしていたのに、まるで火が消えたように静かになる。そして僕のことを静かに睨むんだ。僕のことが嫌いだって言うことを伝えるために……」

 それまでざわついていた広場は急に静かになった。

「でもそれは仕方が無いことなんだ。僕は皆に嫌われる様な存在なんだもん。僕とちゃんと接してくれるのはお婆ちゃんだけだった。でも……森に入ってからそれは少し変わった……」

 クルトは想起する。不安に思いながら森に入ってきた日のことを……。

「フィルに会ったよ。いつも僕のことをからかうけど、それは無視されるより全然辛くなかった。むしろ、お婆ちゃん以外にちゃんと僕と話をしてくれる存在は初めてだったから、嬉しいくらいだった。フィルは僕にとって初めての友達……」

 この場にフィルがいたら何と言っただろう? きっと何も言わない。何も言わず、少し照れたようにそっぽを向くのだ。

「そして珠にも出会えた」

「クルトさん……」

 珠がクルトの名前を呟く。その表情からは何を考えているのかは分からない。

「珠は初めて会った時から、僕に普通に接してくれた。そして一緒に森を旅することになって、剣術を教えて、どんどん仲良くなって行った。珠は初めての人間の友達。僕はそのことがすごく嬉しかったんだ。こんな僕でも人間と友達になれるんだって分かって嬉しかった」

「………」

 珠は少し気まずそうに顔を逸らす。

「この二人のおかげで僕は救われたよ。だから……僕は嫌われ者だっていうことを忘れていた」

 クルトは大粒の涙をこぼす。

「これは確かに贖罪なんだ……。でも、それは森を荒らしたからとか、動物達を残酷な方法で殺したからとかいう罪に対する贖罪じゃない。見てはいけない夢を見てしまったことに対する罰。僕は嫌われ者で、親しくしていいのはお婆ちゃんだけ。そのことを忘れて、フィルや珠という友達を作り、嫌われ者でいることを忘れたこと……それが僕の最大の罪……」

 自虐。クルトは町の人に煙たがれる度に、自分のことを自分で責めて苦しめていた。

 根拠なんていらない。理由なんていらない。ただ自分は嫌われている。それが事実であり、自分が嫌われ者であることの証明。

「世界で一番醜い存在。それがこの僕。だって、何もしていないのに嫌われるなんて、普通あり得ないでしょ?」

「クルトさんは……クルトさんは醜くなんてありません!」

 それまで黙っていた珠が急にそう叫んだ。


「クルトさんは優しい人です! このような場所でクルトさんの何が分かるというのですか? 一日でもクルトさんと一緒に過ごした者が居ますか? クルトさんと話をした者が居ますか? クルトさんが罪人? もしクルトさんを裁くというなら、今まで生き物を殺したことが無いくらいの善人でなければその資格はありません!」

「おい! 口を慎め!」

「よい」

 銀色の狐が珠を黙らせようとするのを、五千年狐が止める。

「被告の弁護がしたいというのか? だが、人間としての意見(・・・・・・・・)ならば聞けぬぞ?」

 五千年狐は少し含みのある言い方をする。五千年狐は気付いているのだ。

 珠は腕を縛られたまま立ち上がり、前に進み出る。

「珠……?」

「ごめんなさいクルトさん……私はずっとあなたを騙していました……」

 珠は振り返らずに告白する。

「私は人間ではないんです……」

「な、何を言っているんだよ。珠が人間じゃない……なん……て……?」

 クルトは見た。珠の真黒な長髪が、徐々に白くなって行くのを……。白くなって行くのは髪だけではない。珠の身体も徐々に肌色から白くなっていき、どんどんと縮んで行く。珠が着ている服も色を失って行き、ボロボロと崩れるように溶けて消える。そして最後に、狐のしっぽと耳が生えて変化は終わった。

「私は、あなたに助けられた白狐(しろぎつね)……妖狐です」

 そう珠が呟いた時、もう人間の姿をした珠はそこにはいなかった。そこにいたのは、小さな体をした白い狐がいた。

 そして……それが珠の本当の姿だった。

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