第二十話『旅の終わり』
クルトの悲痛な……しかし、しっかりとしたその言葉に、部屋の中は一瞬静まり返る。
「クルトさん……」
やはりつらい内容だったのだ。そう察した珠が、クルトの肩を抱こうと近づく。
「……え?」
しかしクルトは、そんな珠の腕を避けようと身体を逸らした。別に強く拒絶した訳ではない。そのまま強く腕を伸ばせば、珠はクルトの体を抱きしめられたはずだ。
だが、ほんの少しの仕草でも、クルトに避けられたと感じた珠は、その場に立ち尽くしてしまった。
(……ごめん)
クルトは、ショックを受けているらしい珠に心の中で謝った。
別に珠を避けたつもりはない。だが今は、仲間達の顔をまっすぐに見ることができる気分ではなかった。
自分はホムンクルス……作られた生命なのだ。世界の摂理に逆らう存在。それを知られるのが怖い。
「いいでしょう。あなたは最後の試練を乗り越えました。……私に触れなさいクルト」
ゲーベットはそう言いながらクルトの目の前に浮かぶ。
「私に触れればお前は森の入口に移動します。そこから先は、いつどこで願い事をしても構いません。お前が願い事をした瞬間に、私はお前の願いを叶えてまたここに戻ってきます」
ゲーベットは、願い事を叶える力を差し引いても価値がある。
喋る大きな美しい宝石。それだけでどれほどの金になるだろう? 願い事を叶えた後、それを転売すればまた大きな利益が得られる。
ゲーベットが自分を手に入れた者を入口まで運ぶのは、それを防ぐためだ。大抵の者は入口まで戻された瞬間に願い事をする。すると宝石はまた三層の奥地へ戻ってしまう。ただ、金銭的に価値があるだけの宝石を手に入れるために、再び森の中に入ろうとする者はまずいない。
「……分かった」
クルトはそう呟いてゲーベットを見つめる。
ならばこの宝石を触った瞬間、仲間達とはお別れだ。真実を知る前なら別れを惜しんだかもしれない。
だが真実を知った今、自分がホムンクルスということを隠して仲間達と付き合うのは、非常に後ろめたかった。できれば今すぐどこかへ消えてしまいたいような気持だった。
クルトはゆっくりと宝石に手を伸ばす。
「! クルトッ!?」
フィルが思わず叫ぶ。自分達に何も言わずにクルトは宝石に触ろうとしている。別れも告げずにいなくなるつもりなのかと慌てたのだ。
「……みんなありがとう……さようなら」
ゲーベットに触る最後の瞬間、クルトは仲間達に振り返ってお礼を言い、別れの言葉を告げた。そして指先がゲーベットに触れ、クルトは居なくなった。
祭壇の間には、呆然と立ち尽くす仲間達だけが残された……。
* * *
一瞬ふらっとしたかと思うと、目の前の光景が一変した。ごつごつとした岩でできた部屋に居たはずなのに、目の前には青々とした森が広がっていたのだ。
「ここは……?」
クルトは周りを見渡し、自分が森の入口に立っていることに気が付いた。
春の草花が咲いていたこの場所には、もうその面影は全くなく、完全に夏の光景が広がっていた。
「……長かったな」
長かった。旅立ちを決意した日から二ヵ月以上が過ぎたのだ。
クルトはちらりと自分の右手を見た。そこには太陽の光を反射しながら輝くゲーベットが握られていた。
「ゲーベット?」
「なんですか? クルト」
ゲーベットは口をきいてくれた。事務的な説明以外は喋らないのかと思ったが、案外話をしてくれるらしい。
「僕……願い事をしてもいいんだよね?」
「はい、お前は試練を乗り越えました。今すぐにでも願い事を言えば、それは叶います」
「………」
クルトは大きく息を吸い込む。自分はやり遂げた。最後の試練もそうだが、長く険しかった森の中も乗り切ることができた。……仲間達のおかげで。
クルトはしばらくその場に立ち尽くして空を見上げていた。何故か願い事をする気になれなかった。別に真実を知ったからという訳ではない気がする……。
「旅立った日の僕だったら、宝石を手に入れたら最初に何をしただろう?」
その場で願い事を言ったりはしないと思う。きっと報告する。自分の最も大切な人に……。エリザベートに報告する。
「叱ってもらいたい! なぜこんな危険なことをしたのかと……。褒めてもらいたい! 自分のために良くぞ頑張ってくれたと……。でも、今はお婆ちゃんに会うのが怖い……」
自分はホムンクルス。ゲーベットを手に入れるために作られた生物兵器……。
その事実はあまりに重く、クルトにのしかかった。今頃は、大喜びでエリザベートの元に駆け寄ったはずなのに……。
「……行こう」
クルトは、わき上がる不安を必死に押し込めながら、自分の家に向かって歩き始めた。
* * *
「ついた……」
自分の家を見つめるのは、こんなに重いものだっただろうか? クルトは自分の家を見上げながら、まだ迷っていた。
「大丈夫……きっと大丈夫」
クルトはそう自分に言い聞かせながら、必死に落ち着こうとする。
(僕がホムンクルスだからなんだ? お婆ちゃんはそれでも優しく育ててくれたじゃないか。ホムンクルスだからと言って、僕のことを今更避けたりするわけがない! ゲーベットを手に入れるためだけに作られた生物兵器だって? それなら、僕は見事にその期待に答えたじゃないか! 褒められることはあっても、嫌われることなどあるはずがない!)
「……すぅー!」
クルトは大きく深呼吸をしてドアを開ける。一瞬エリザベートが留守でいてくれないかという思いを、必死で掻き消しながら……。
「……あ」
エリザベートは居た。ドアを開けた瞬間、椅子に座っていたエリザベートと目が合い、クルトは声をあげる。
するとエリザベートはすぐさま立ち上がり、クルトに駆け寄ってきた。
「この……ばっかクルトがぁッ!」
エリザベートは鬼の形相でクルトに迫ってくる。クルトは殴られると思い、目を瞑って下を向いた。
しかし駆け寄ってきたエリザベートは、クルトのことを殴るのではなく、力強く抱きしめたのだ。
「一人で森に入るなんて……お前は一体何を考えているんだい? そんなに死にたかったとでも言うのか? 人が……人がどれだけ心配したと思って……」
エリザベートは痛いくらいにクルトのことを抱きしめ、やがて嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
初めはあっけにとられていたクルトも、やがて涙腺が緩んで涙を零し始める。
(ああ、やっぱりお婆ちゃんは僕のことを愛してくれていたんだ。思えば、お婆ちゃんは宝石を取りに行かせるために作ったとは言ってたけど、愛さないなんて一言も言っていない。長く使っていれば、道具にだって愛着は湧く。僕は……愛されていたんだ……)
クルトはそう思い、安心してエリザベートの体を抱きしめる。本当はずっとそうしたかったのだ。何より先にエリザベートに会い、「ただいま」と言いたかったのだ。
「本当に……よく帰ってきてくれた……」
エリザベートはそう言いながらいったんクルトのことを離す。
クルトは涙を拭いて、握りしめていたゲーベットをエリザベートに見せた。
「お婆ちゃん! 僕行ってきたよ! ゲーベット……宝石も手に入れられたんだ!」
……その光景は、他人から見たらどういう風に映っただろうか?
右手に握りしめられた宝石。クルトがにっこりと微笑みながらエリザベートに見せようと突き出す。それはあたかも、エリザベートに|宝石を渡すために差し出した(・・・・・・・・・・・・・)ように見えたのではないだろうか?
ならばその差し出されたクルトの手の宝石を、エリザベートが受け取ったなら、クルトからエリザベートへ宝石が譲渡されたように見えるのではないだろうか?
「ふふふ……ハハハハハハッ! ああ、ついに手に入れた! 数十年の時を経て、ついに私は手に入れた! 数多くの者達が手に入れようとした、欲望の塊! 挑戦者たちが無残に散っていくのを知りながら、その輝きがけっして衰えることのない呪われた宝石! それを私は手に入れたのだッ! ハハハハハ!」
エリザベートは宝石を受け取ったとたん、呪いをかけられてしまったかのように豹変した。狂ったように笑いだし、宝石を太陽に掲げて、その光を反射して自分の顔を照らす。表情は醜悪なものに変わり、クルトのことなど眼中にないかのように感じられた。
「おい、何か喋ったらどうなんだい? 石っころ」
「……お久しぶりですねエリザベート。お元気そうでなによりです」
エリザベートの問いかけに、沈黙していたゲーベットが返事をする。
「あー……耳障りなその声……。数十年経っても昔のまんまだね。私の声はすっかりしゃがれちまったっていうのにさ」
「クルトには、全てを話しました」
「そうかい。まあ、他人を苦しませて喜ぶ性格の悪いアンタだ。そのくらいのことはするだろうと思っていたさ。クルトに全部教えて、わざわざ苦しませるようなことをして楽しむだろうとね」
エリザベートはにやりと笑い、クルトを見下ろした。クルトは呆然としながらエリザベートを見上げる。
「全部聞いたというなら知ってるんだろう? お前がホムンクルスだってことをさ」
「……うん」
クルトはこくりと頷く。
「なら、お前の体にはいくつか欠陥があることも知ってるね?」
「肉が食べられないとか……」
「ククク……あえてそれを言うということは聞いていないんだね? つくづく趣味の悪い宝石だよ。最後のケツは私に拭かせて楽しまそうって魂胆なんだから」
クルトはエリザベートがなにを言いだすのか分からずに口を噤む。ゲーベットはまだ自分に話してないことがあるというのか?
「ホムンクルス……お前の最大の欠陥は『寿命』だよ!」
「……え?」
クルトはポカンとしてエリザベートを見返す。
「最初の頃にお前を医者に見せたのさ。そしたら身体の中の構造がちょっとまずいことになってるらしくてね。十五年生きればいい方らしいよ。下手すりゃもう死んでてもおかしくないらしい」
エリザベートの表情は嘘をついているようには感じられなかった。長年一緒に暮らしていたクルトには今のエリザベートの言葉が嘘ではないと分かる。
「こうして宝石を手に入れられて安心したよ。後は、お前を生み出した責任を取らないとね」
「お婆ちゃん?」
クルトはエリザベートを呼びながら言いようのない恐怖を感じていた。
「一度体が壊れちまったが最後、急激に症状が進んで死ぬんだそうだ。激痛を味わいながらね。せっかく宝石を手に入れてくれたというのに、それじゃああんまりにも憐れじゃないか」
「お婆ちゃん……」
懐に手を伸ばすエリザベートを見ながら、再びクルトは自分が最も慕う人を呼ぶ。
「せめて……私自らが殺してやるよ」
「お婆……ちゃん……」
エリザベートは懐から杖を取り出し、クルトに向ける。杖の先端が、死の魔法を発射させようと怪しく光った。
「そうはさせませんッ!」
「なに? うわぁ!?」
何処からかナイフが飛んできて杖に命中し、エリザベートは杖を取り落としてしまう。
「誰だいッ?」
「クルトさんを傷つけようとする者は、誰であっても私が許しませんッ!」
「珠!?」
ナイフを投げたのは珠だった。その後ろにはフィルとラルフもいる。
「際どかったが、なんとか間に合ったな」
「先を越されたわぁ。私が鞭であの杖を吹き飛ばすはずだったのに」
仲間達はそう言いながらクルトの周りに集まってくる。
「みんな……どうして……?」
「クルト、私達も見たわ」
フィルがクルトの肩に乗りながらそう言った。
「見た? 見たってまさか……」
「真実の書です。クルトさんが消えても、床に落ちていましたから……」
「床に落ちているとなったら見るしかあるまい? 幸い、ちゃんと見ることができた」
珠とラルフはそう言いながらクルトを守るように構える。
「クルト、アンタ人間じゃないんですって? ふーん……それがどうしたの?」
「え……それはどういう……?」
クルトはフィルの言葉に聞き返す。
「私は妖精!」
フィルはそう言って胸を張る。
「私は狐です!」
珠は狐の耳としっぽをぴょこんと出して微笑んだ。
「俺は見ての通り狼だ」
ラルフはフッと笑い、横目でクルトを見る。
「クルト、私達の中に人間は一人もいないのよ? それどころか同じ種族だって誰もいない。アンタが人間じゃない? へぇー、そうだったんだ。ホムンクルス? だからどうしたの? そんな感想しか出てこないのよねぇ」
「クルトさんは以前、私が人間だから友達になったんじゃないって言いましたよね。私達だって同じですよ。私達はそんな理由でクルトさんと一緒に行動していたんじゃありません。私達は、クルトさんだから一緒に居たんです」
クルトは気が抜けて、その場に尻もちをつく。
「でも……どうしてここに?」
「お前と宝石が居なくなった後、空間に穴が開いていてな。そこを潜ったら森の入口に出たのだ」
「……楽しくおしゃべりしてるところ邪魔するよ」
エリザベートが別の杖を取り出し、クルト達のことを冷ややかな目で見ていた。
「なるほどね。森の中でできたお友達という訳かい。私の作ったホムンクルスはずいぶんとモテるんだねぇ……」
「こんにちはお婆様。本当ならクルトを婿にもらう時挨拶に来たかったけど、こんな荒々しい訪問でごめんなさい」
フィルが芝居がかった挨拶をする。
珠はそれにツッコミを入れたいのを必死に我慢して、エリザベートに向き直る。
「クルトさんと出会わせてくれたことには感謝します。ですが、クルトさんに危害を加えようというなら容赦はしませんッ!」
「そうは言うけどねぇ。クルトは私の作品なんだよ? 製作者に壊される運命もなかなか美しいとは思わないかい?」
「黙れ老女。いくら高名な魔女とて、年老いたお前では俺達には勝てん」
「そうだね、私は確かに年寄りさ。でもね、私は宝石を手に入れたんだよ? この石っころに願えば、全盛期の頃に若返ることができる。そうすればお前達の様なひよっこ共は、相手にもならないよ」
エリザベートはそう言いながら手の上で宝石を弄ぶ。
「それは無理よ」
フィルは勝ち誇ったように笑いながら言った。
「無理? なぜだい?」
「私達は、クルトがどんな願い事をしても納得するということには合意したけど、クルトが誰かに宝石を譲渡することには合意した覚えはないの」
「ほう……すると、一体どういうことになるのかな?」
エリザベートは、フィルの言わんとしていることを何となく理解して笑った。
「つまりアンタは、私達の許可なしでは願い事をすることは永久にできないってことよッ!」
フィルの言うとおりだった。フィル達が、クルトが誰かに宝石を譲渡することに合意していない以上、クルトが誰に宝石を渡したとしてもそれは無効だ。だからエリザベートは若返ることは絶対にできない。
だが、エリザベートの表情は依然として余裕に満ちていた。
「その答えは完璧ではないね。別にアンタ達の許可なんてなくても願い事をする方法はあるのさ。ルールの中にこんなものがあるのは知ってるかい? 『たどり着いた後に死亡した場合は、その者は願い事をする権利を失い、合意が必要なくなる』つまり、アンタ達を殺せば私は願い事ができるという訳さ」
エリザベートはそう言い放って杖を掲げる。すると、エリザベートの体から強力な魔力が溢れだし、それは風となってフィル達に吹き付けた。
「戦う気? 珠! ラルフ! やるわよ!」
フィルの合図と共に、ラルフと珠が回り込むようにエリザベートに向かって走る。
「上等だわ。ババア一人くらいなんてことないッ!」
フィルは鞭を取り出して、力いっぱいそれをエリザベートに向かって振るう。
「ふ……」
超高速でエリザベートに振り下ろされた鞭を、エリザベートはいとも簡単に杖で弾き飛ばす。それだけではなく、弾かれた振動が鞭を伝ってフィルに向かって返っていく。
「なッ! きゃあ!」
振動を返されるという初めての反撃に反応しきれず、フィルはそのまままともに衝撃を受けてしまった。
「フィルさん! この!」
珠が足を止めて念を込める。その念は珠の妖気と融合し、強力な炎が右腕に生まれた。
「くらえ!」
珠は炎をエリザベートに向かって投げつけた。その炎はエリザベートを飲みこもうと広がる。
「綺麗だね。でも、あまりにシンプルで面白みに欠ける」
珠から放たれた炎は、エリザベートに届く寸前で止まり、たがいに引き寄せあって炎の龍となった。その炎の龍は、珠に向かって飛ぶ。
「そ、そんな……わぁあ!」
珠はその炎の龍を剣で受け止めようとするが、抑えきれずに吹き飛ばされてダメージを喰らう。
「このぐらいの芸が無きゃね。……さて、後はアンタかい?」
音もなく忍び寄っていたのはラルフだった。ラルフは口を開き、巨大な牙でエリザベートを食いちぎろうとする。
「地面に食らいつくと良いよ」
「!?」
ラルフが飛びかかろうとすると、突然目の前の地面が避けて盛り上がり、巨大な壁となってラルフに立ちふさがる。
エリザベートが盾のつもりで出したのだと解釈したラルフは、防げていない上から入り込もうとジャンプする。すると、盛り上がった地面の盾を突き破って、エリザベートがラルフに迫ってきた。
「盾だと思ったかい? これは目くらましだよ」
ガラ空きのラルフの腹に、杖から発射された魔法が命中する。まともに食らったラルフは、地面を転がりながら、相当な距離を飛ばされる。
「ハハハハ! 若返らなくても、お前たち如きに負けはしないよッ! 私は天才魔女エリザベート! 世界で最も力を持った魔女だよ? 地面を割り、火の雨を降らせ、竜巻を起こして軍隊すら殺す、究極の魔力を持った魔女だ! どうだい? 死なすには惜しいと思えてきただろォ? 何をしでかすか気になるだろォ? そういう言い訳をさせてやるさ! 戦いで負けたなんて認めたくないもんなァ? 殺すには惜しくなったから負けてやった。そういう風に負け惜しみを言ってプライドを保たせてやるぜ。だから、せいぜい苦しみな? あははははははッ!」
圧倒的。三層での戦いの疲れが残っていることを差し引いても、エリザベートの魔力は強大だった。フィルと珠とラルフの三匹が協力しても倒せない。それだけの力が、エリザベートには確かにあった。
そんなエリザベートの敗因をあげるとしたら、遊んでしまったこと。クルトに決心させる時間を与えてしまったことだろう。
「僕の友達に……手を出さないで……」
クルトの手に握られた剣は、エリザベートの背中に突き刺さり、貫通して腹を突き破っていた。
「クル……ト……お前……」
クルトは剣を引き抜いて、ゆっくりと下がって尻もちをついた。エリザベートは腹を抑えながら歯を食いしばる。
完全に油断していた……。いや、安心していた。クルトは絶対に自分を裏切らない。自分に歯向かうような事はしないと思い込んでいた。だって、クルトの仲間は自分しかいないのだから。
「……い、今よ!」
フィル達が最後の力を振り絞ってエリザベートに向かっていく。
……エリザベートが後十年……いや、二十年若ければ、なんとか持ち直したかもしれない。しかし、腹に負った深い傷は、歳を取り過ぎたエリザベートには大きすぎた。それに、エリザベートがクルトに作ってやった剣は、魔力を吸う。
「ぐ……ぐぅッ!」
何とか防いでいたエリザベートだったが、フィル達三匹の攻撃を防ぎきれず、ついにその場に上向けになって倒れてしまう。
「もらったッ!」
フィルがとどめを刺そうとエリザベートに向かって飛ぶ。
「待って!」
しかし、クルトが途中に立ちはだかってフィルを止めた。
「どきなさいクルト! 私が殺してあげるから!」
「……ダメだ!」
クルトは首を振ってフィルの言葉を無視する。
「フィルさん、どの道もう……」
珠はフィルに近づきながらそう呟く。ラルフもすべてが終わったことを感じて止まっていた。
「馬鹿ッ! あいつはまだ生きてるじゃないッ! まだ死んでない! 私が殺せてないのよ!」
フィルは決心していた。クルトが殺せない相手でも……クルトが辛くて殺せない相手でも、自分が代わりに殺す。嫌われてもいい。このままエリザベートが死んだら、みんなで殺したことになる。クルトも含めた上でのみんなで……。
「いいんだよフィル……ありがとう」
クルトもフィルの意図は察している。その上で止めているのだ。
「……ばか」
すべてと悟っているクルトの表情を見て、フィルも手に持った鞭を捨てる。
クルトはふっと微笑んでから、エリザベートの横にしゃがみこんで抱き起こす。
「はぁ……はぁ……ハハ。いいさ、最後に言いたいことがあるなら思いっきりいいな。お前の罵倒を聞きながら息を引き取るのも悪くない……」
エリザベートも自分が死ぬことを悟った。最後に散々裏切ったのだ。クルトにはエリザベートを責める権利がある。
「……た……」
「ん? なんだって……?」
クルトの声が小さすぎて聞こえず、エリザベートは聞き返す。
「お疲れ……さまでした……」
「……クルト……お前……」
それは旅立ちの日、エリザベートがクルトに教えた自分が死んだ時に言えと言った挨拶だった。これだけの裏切りをされても、クルトのエリザベートへの思いは失われなかったのだ。
「お疲れさまでした……僕のお婆ちゃん……大好きなお婆ちゃんッ!」
「ふん……馬鹿……息子が……」
その言葉を最後にエリザベートは息を引き取り、エリザベートの宝石を巡る長い人生は終わった。
* * *
クルトはしばらくエリザベートの亡骸を抱きしめていた。
長い時間がたった後、クルトはエリザベートをそっと地面に置き、仲間達に振り返る。
「みんな……本当にありがとう!」
「たく、何も言わずに居なくなりそうになった時はどうしようかと思ったわよ」
「クルトさん……クルトさーん!」
「やれやれ……狐はいつもワンパターンだな」
仲間達がクルトに駆け寄ってくる。クルトは仲間達を抱きしめながら宝石を差し出した。
「これ、みんなにあげるよ!」
「……いいのか? お前はその宝石を手に入れるために苦労したのだろう?」
「いいんだ。僕の願い事はもう必要なくなっちゃったし……」
クルトはそう言いながらエリザベートをちらりと見る。
「でも、その宝石の力があれば……」
「『年寄りが若者より早く寿命で死ぬのは当たり前のことなんだ』」
「……何よそれ?」
「お婆ちゃんが言った言葉だよ。……お婆ちゃんも本当は不老長寿なんて馬鹿馬鹿しいと思ってたのかもしれない。でもプライドが高いから、引っ込みがつかなくなったんだと思うよ。『やっと休める……』お婆ちゃんの表情を見てるとそう言ってる気がするんだ」
エリザベートの表情は、苦悶に満ちたものではなかった。どこか安堵したような、そんな感想を覚えるような表情をしている。
「なら、起こすようなことはしない方が良い。僕には他に欲しいものはないし……みんなにあげるよ」
クルトはそう言って宝石を差し出す。仲間達はそれを受け取った。そしてお互いに顔を見合わせ、クスリと微笑んで頷いた。
「……? どうしたの?」
仲間達はクルトのことを見ている。
「願い事は決まったわ」
「はい、満場一致で決定です」
「これが一番だろうな」
仲間達はそう言ってから宝石に手を乗せる。そして、声を合わせて叫んだ。
「「「クルトを普通の人間にしてください!」」」
仲間達の声が揃うと、宝石がまばゆい光を放ちながら空中に浮かんでいく。そして、その光はクルトに降り注ぎ、温かく包んだ。
「いいの? 珠。宝石に頼めば人間にしてもらえたわよ?」
フィルが珠を見ながらそう問いかける。
「いいんです。クルトさんは例え妖狐でも人間として扱ってくれると言ってくれましたから。フィルさんこそいいんですか? クルトさんの愛を永遠に自分のものにしてくれとか頼むんじゃないかと思ってましたよ?」
「フフフ……あんたがそれを許すなら、それを願うんだけどねぇ。ラルフ、あんたはいいの? 世界最強になれたのに」
「ふん、それは己の力で手に入れなければ意味が無い。力を手に入れることは俺の生きる目的でもある。それを手に入れてしまったら、生きる目的が無くなってしまうだろう?」
「みんな……」
クルトは、宝石から発せられる光を浴びながら仲間達を見る。
「みんな……それでいいの……? 僕のために……」
「いつだったか言ったでしょう? 他人の幸福を願うのは、自分がそれをすることで幸福になれるからだって」
「クルトさんの幸福が、私達の幸福です!」
「宝石に叶えられる願い事で、これ以上のものはない」
仲間達の答えは淀みなかった。
「みんな……みんな……うわぁああああん!」
クルトは大粒の涙を零しながら仲間達に駆け出し、仲間達を力いっぱい抱きしめた。絶対に離れることが無いように……。
* * *
「体が軽い……」
エリザベートが目を覚ますと、空に昇っていくところだった。何もせずとも空に引っ張られ、地面がどんどん遠く離れていく。エリザベートは、今度こそ本当に死んだのだ。
「エリザベート」
名前を呼ばれ、声のした方に視線を向けると、そこには長年求め続けた宝石……ゲーベットが居た。
「……よう、石っころ。あの世への水先案内人がアンタだなんて、ずいぶんと皮肉が効いてるじゃないか」
「最後に質問したいことがあったので見送りに来ました」
ゲーベットのその言葉に、エリザベートは笑う。
「へぇー、あんたが私に聞きたいことがねぇ。いいよ、何でも聞きな」
「……クルトはこの八年間、本当に幸せに過ごしていたようですね。それはあなたが良い母親だったからでしょう」
「母親の真似をしただけさ。あの人は私と違って優しい人だったからね」
エリザベートの母親は、本当に優しい魔女だった。誰からも好かれ、誰からも尊敬される様な……。
「……エリザベート、果たしてできるのでしょうか? 一日二日ではありません。八年間も偽りの優しい母親を演じることなど、できるものなのでしょうか? あなたはクルトの世話をするうちに、本当に息子として愛を注ぐようになったのではありませんか?」
一瞬の沈黙。だが、エリザベートの表情はすぐに醜悪な笑みへと変わった。
「石っころの常識で人間様を図ろうとするんじゃないよッ! 人間て言うのはな、欲深い生き物なんだ。目的を達成するためなら八年間くらい……いや、永遠にだって嘘をつき続けることだってできちまうんだよ! クルトが真実幸せに暮らしていたって、私が本当に愛していたことの証明になんてならないッ! 私はクルトを、お前をてに入れるための手段にしか見ていなかったよ! あんたについては負けっぱなしの人生だったけど、最後の最後で一矢報いてやったぜェ? あははははははッ!」
エリザベートは高笑いを浮かべながら、天へと向かって昇って行った。
「そうですね……。クルトが幸せに暮らしていたからと言って、あなたが愛を持って接していたことの証明にはならない。ですが……」
ゲーベットはエリザベートを見送ってから、三層の神殿へと飛んでいく。
「あなたのその最後の言葉が真実かどうかもまた、証明することはできないのですよ」
ゲーベットが最後にそう呟いた。そして、また神殿の祭壇に収まり、次に自分を求めて訪ねて来るものを待つ。
祈りの森の宝石は、光の届かない神殿の中で、美しく輝いていた。