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祈りの森に眠る宝石  作者: 鳥無し
13/22

第十二話『強き狼』

 森の中に木々が倒される音が響き渡っていた。

 その轟音と共に小さな影三つと、大きな影一つが揺れながら移動していた。クルト達と昨日の巨大な狼だった。

「これでも食らえ糞犬!」

 フィルがそう言って魔力を込めた(つる)を狼にけしかける。しかし狼はそれを避けながら爪で切り裂き、確実に距離を詰めてくる。

「珠! コショウ爆弾はどうしたのよ!」

「もう使いきってしまいました!」

 珠はそう叫んで狼に振り返り、刀を取り出す。しかし直接狼と戦う気はない。

「……はぁああああ!」

 珠は力いっぱい地面を刀で切りあげた。このあたりは湿気が多く、地面はかなりぬかるんでいた。だから、地面を切ることで泥を巻き上げ、狼の目を潰そうとしたのだ。

 しかしそんな珠の狙いも読まれていた。狼は泥を軽々と避け、さらにクルト達に近づいてくる。

「危ない!」

 狼が珠にくらいつきそうになる寸前で、クルトが珠を抱きかかえて横に飛んだ。

 珠を噛み損ねた狼は、すぐにまた襲いかかろうとしたが、狼の顔に何かが大量に降ってきてそれは妨げられた。

「花粉のシャワーよ! 花粉症にでもなると良いわ!」

 フィルが近くに生えていた花を魔力で刺激し、通常の数十倍の花粉を噴出させたのだ。

 クルト達は、狼が花粉を取り除くのに苦戦している間に逃げ出した。


   *    *    *


 ラルフが花粉を取り除くと、そこにはすでにクルト達は居なくなっていた。

「また逃がしたか……。まあいい、だんだんパターンも読めてきた」

 今日だけでこれが三度目の襲撃だった。そのすべてで逃げられてしまったが、だんだん攻撃のくせも読めてきた。次に遭遇した時も逃げ出すようなら、今度こそラルフの牙はクルト達をとらえる。

「しかし……」

 ラルフは依然として疑問だった。

 さっきもそうだが、逃げずに攻撃するチャンスは今までに何度かあった。しかし、クルト達はそれをせずに逃げ出す。

 もし逃げずに切りかかってきたなら、ラルフは一撃を受けたとしても二つ目の攻撃は受けない。そのまま切りかかってきた者を牙で噛み殺してやる。それが分かっているから逃げ出しているのか?


「まあいい。これから食い殺す相手のことなど気にしてられん」

「相変わらず荒れているようだなラルフ」

 ラルフの後ろから声が聞こえてきた。ラルフはその声の主に心当たりがあった。

「長か……」

 ラルフに声をかけてきたのは妖狼達の長だった。長と言っても、五千年狐の様に力に満ち溢れた姿ではない。老衰し、妖力は衰え、足取りすら弱々しい姿だった。恐らくもう寿命が尽きようとしているのだろう。

 妖狼の長は護衛の妖狼達を従え、ラルフに話しかけてきた。

「森が荒れている。倒された木々に狼の爪の後が残っていた。あれをやったのはお前だな」

「だからなんだ? 俺は獲物を追いかけていたのだ。その際にやむを得ず木々を倒しただけのこと」

「獲物か……。お前は人間や妖精を食うのか?」

 そう言って長は睨むようにラルフを見る。すべてを知った上でラルフに会いに来たのだ。

「俺の糧になるという意味では同じだ。強い者と戦い、強い者を殺し、強い狼となる。あの人間はそれなりの力を持っている。だから俺はあいつを追いかけているのだ。獲物と表現するのは間違いではないだろう?」


「……お前の父親は人間に殺されたのだったな」

「関係ないッ!」

 妖狼の長の言葉に、ラルフは怒鳴り声をあげる。

「親父の仇を取るためにあの人間を追いかけていると思っているならそれは勘違いだ! 俺はあいつが 強いから襲いかかっているだけ! それに、俺が親父を殺されたから人間を恨んでいると思っているならそれも違う。弱者は強者によって殺される。それが自然のルールだ。親父はそのルールに従って殺された。だから俺は人間を恨んではいない。そして俺は……強くなる」

 恨んでいないとは言っても、ラルフが強さを求める理由は父親が殺されたことが原因だ。父親があっさりと殺された時、ラルフは他の狼と比べて異常に強さを求めるようになった。父親の様になりたくない……父親の様に弱くはなりたくない……それだけのために。

「父親の仇を取るためではないというなら、なぜお前は強さを求める?」

「……なぜ?」

「仇を取るために強さを求めるというなら理解できる。強大な力を手に入れ、全ての人間に復讐するために力が欲しいというなら、共感はできずとも納得はできる。しかしお前は恨んではいないという」

 ラルフは沈黙していた。この年老いた狼が何を言いたいのか分からない。

「仲間を守るために力を求めるというならそれも理解できる。しかしお前は群れから離れた。ならばお前は力を手に入れてどうしたいのだ?」

「なぜそんなことを答えなくてはならない?」

「強さは手段だ。強さは目的を達成するための特技にすぎない。強さを求めるのが目的だというなら、その強さを手に入れた先お前はどう行動する? 強さを求めるというなら、何か目的を持っていなくてはならない。たとえその目的が、我々を皆殺しにするというものであってもだ。それが無ければ、無意味に鍛えた強さと虚しさだけが残る」

 妖狼の長は責めるような口調でラルフにそう語った。

「ふん! 馬鹿馬鹿しい!」

 ラルフはそう吐き捨てて立ち去ろうとする。しかし、途中で立ち止まって妖狼の長にひとこと声をかけた。


「もし俺の目的が、お前達を皆殺しであったとしたらどうするんだ?」

「その時は全力を持ってお前を殺す」

 その言葉に護衛の狼達が唸り声をあげ始める。しかし妖狼の長はそんな狼達を目で沈めて、また森の中に戻って行った。護衛の狼達もそれに続く。

「……おいぼれ狼め」

 ラルフはそう呟いて自分も森の中に消えて行った。


   *    *    *


「しーつーこーいー!」

 フィルがそう言ってクルトの肩の上で暴れる。

 さっきの襲撃で四回目の逃走だ。ここまで遭遇すれば、クルト達を狙って襲いかかってきているのだということは明白だった。

「クルト! 今度こそあの狼殺しましょうよ! いい加減全速力で逃げ回るのは耐えられないわ!」

 フィルの主張にクルトは首を横に振る。

「狼と戦うのは駄目だよ。ここまで逃げ回ればあの狼も諦めるはずさ。餌として狙っているなら、もっと確実に捕まえられる動物に切り替える。力試しのためだというなら、逃げ回っている間に僕達のことを弱いと思って呆れるはずだよ。だから我慢してね?」

「ぐ……ぅう……」

 フィルは歯ぎしりをして耐える。ここまでずっとそうやって我慢してきた。しかし、そろそろそれも限界だ。


 クルトは甘い。いくら動物が好きだと言っても、相手は命を狙って襲いかかってきているのだ。そこらへんの飼いならされた小犬とはわけが違う。優しく微笑みながら頭を撫でれば言うことを聞く様になるとでも思っているのか? 頭を撫でようとした腕ごと食いちぎられてしまうのがオチだ。

 それに、こっちの攻撃パターンも読まれてきている。今までは運良く逃げることができたが、次の次くらい……いや、次に襲いかかってこられたら逃げ切れる自信はない。仮に逃げられ続けたとしても、いざ倒そうとなった時、手の内をすべて読まれてしまった後では敗走は確実……。

(どうにも手に負えなくなる前に殺す。クルトに責められようが関係ない、もともと汚れ役なんだから恨み事は全部私が買ってやる!)

 フィルはそう決意をした。次に狼が隙を見せたら殺す。


 珠はそんなフィルの表情を見て、フィルの考えていることを何となく理解した。

(フィルさんはきっと狼を殺すつもりなのでしょう。ですが……)

 狼を殺せばクルトが悲しむ。そんなことを言ってられない状況ではある。クルトが狼を殺す決断を下せば、それが一番いい。

 だが、クルトはそれをしないだろう。珠は今まで一緒に居たから分かってる。クルトは一度助けると決めた相手を見捨てることができない性格だ。

『見捨てるつもりなら最初から見捨てろ!』

 妖狐の大群の前でそう言い放った人なのだから。しかし、具体的な解決案はない。

(もしもの時は……)

 珠が身代わりになって狼を止める。トカゲの尻尾にでもなって見せる。そう決めたのだから……。


「さてと、そろそろ行こうか。できるだけ狼に気付かれないように静かに行こう」

 そう言ってクルトは歩きだした。

(狼が現れた時は私が殺す)

(狼が現れた時は私が囮になります)

 フィルと珠は、それぞれ違う思いを胸に秘めながらクルトの後をついて行った。


   *    *    *


 森の中をラルフが歩いていた。森の中を静かに移動しても無意味だ。普段森の中にはしない人間の匂いが、克明にクルト達が居る方向を教えている。

「こっちか……」

 ラルフは森の中を歩きながら、さっきの妖狼の長の言葉を考えていた。

『強さは手段。目的無き強さは虚しい』

「馬鹿が……。目的などなくとも強さを手に入れられればそれでいいではないか。もし目的が必要だったとしても、強さを手に入れてからそれを探せばいいだけのこと……」

 ラルフは一匹呟きながら森を歩く。ラルフの歩いている先に深い崖があることには気付かないまま……。


   *    *    *


「……悪い知らせよクルト」

 フィルがそう言って森の奥を見つめる。

 クルトと珠はその言葉を聞いてまたあの狼がやってきたのだと理解した。

「何処から?」

「ジグザグに走ってるわ。逃げる方向を絞らせないつもりね」

 フィルは鞭を取り出して身構える。珠とクルトもそれにならって武器を取り出す。逃げ出すにしても武器を持っていた方が良い。

「来るわよ!」

 フィルがそう叫ぶと共に、巨大な狼が森の中から飛び出してくる。鋭い瞳でクルト達を確認すると、これから襲いかかることを知らせるように吠える。

「逃げましょう!」

 珠がそう合図をして狼が現れたのと逆方向に走ろうとする。

「? ……待って!」

 クルトが突然そう叫んで狼を睨みつける。フィルと珠は何が起きたのかと訝しんでクルトを見る。

「何? どうしたのクルト? って、危ない!」

 狼がクルトに向かって襲いかかってきた。クルトはそれを避けながら珠とフィルに指示を飛ばす。

「珠! フィル! 狼の動きを止めて!」

「何ですって?」

「狼の動きを止めてどうするんですか?」

 逃げるだけなら足止め出来れば十分だ。だが、クルトは動きを止めろと言った。それにクルトは逃げようとする気配が無く、厳しい目で狼を見つめている。その様子はまるで……。

「二人が動きを止めてくれたら、僕があの狼の背中に飛び乗る!」

 狼を倒そうとしているようだった。


「え、クルトさん……?」

 珠は困惑の表情を浮かべる。クルトは睨むように狼を見ている。今まで一度だって助けると決めた相手を見捨てなかった――この場合は見逃すだが――クルトが、今それをしようとしている……?

「……ようやくやる気になったのねクルト」

 困惑の表情を浮かべる珠とは対照的に、フィルは満足そうな表情だった。クルトらしくないなどと言っている場合ではない。この状況では狼を殺すのが最善の手。それを選べるようになったクルトを、成長したとフィルは喜んでいるのだ。

「どうしたの珠? 狼を倒す決断をしたクルトにショック?」

「……いいえ、クルトさんが決めたことならどんなことでも私はそれに従います」

 クルトが倒すと決めたのなら、その決断に反論するつもりはない。狼に対して振り下ろす刀に迷いはない。


 狼は珠に襲いかかってきた。狼は珠に爪を振り下ろして切り裂こうとする。

 珠はそれを受け止めようと思ったが、寸前で後ろに飛んで避けた。狼の爪はそのまま地面に振り下ろされ、大きく地面をえぐる。

「……受け止めれば刀ごと殺されていましたね」

 珠は今自分が死んでいたかもしれないことを理解して、刀を握る腕に力を込める。逃げる技術と、倒す技術は別物だ。

(私は直接狼に隙を作ることはできませんね。囮に徹して、フィルさんが動きを止めるのを期待しましょう。その後は……クルトさんが……)

 珠はそう考えながらフィルを見る。


 フィルは緊張した珠の表情を見て作戦を理解した。

(それにしてもこの狼……)

 フィルはこの狼が今までより若干動きが鈍い気がしていた。それにどこか前より息が荒い気もする。その上奇怪(きっかい)なのは、狼がひどく汚れている点だ。まるで水たまりで転がりまわったかのように泥だらけだった。

「まあいいか……」

 動きが俊敏になっているならともかく、鈍くなっているというなら別に構わない。何度も襲いかかっているうちに疲れてしまっただけだろう。


「こっちです!」

 珠が大きく動きながら森の中を跳ねる。地面から木の枝へ、木の枝から岩の上へ、岩の上からまた地面へ……。

 できるだけ狼の攻撃を引き付けてから避ける。狼を挑発するためだ。

「狼さん、あなたの攻撃では私を捕まえられませんよ? ああそうか、私とダンスを踊ってくれているんですね? 森の中で泥を巻き上げながら踊る……土臭い狼さんに相応しいダンスパーティーです」

 フィルの真似をして、少し馬鹿にしたようなことも言ってみる。すると狼は怒り狂って攻撃を繰り出してくる。

 攻撃は激しく強くなり、避け損ねればただでは済まない。しかし、狼の意識は完全に珠に向いた。

「これをダンスパーティーと形容するようじゃまだまだね。これは狩りよ。狩人が狐を囮にして暴れ者の狼を罠にかけるの。……こんな風にね!」

 フィルが突然現れて鞭を振るう。狼はそれを見て鞭を避ける。

 しかしそれも囮。本命は避けた先にある茂みの中……。

「かかったわね!」

 フィルが大きく両手を振るう。すると狼の後ろから蔓が何十本と現れて狼を拘束しようと(うごめ)く。

 狼はその蔓のうちの何本かを食いちぎったが、圧倒的な数の前に結局その牙は沈黙した。

「あんたが珠と遊んでいる間に、このあたりに生えてた蔓をありったけ集めてたのよ! いくらあんたでも逃れられるものですか!」

 狼は牙を封じられてもなお蔓を引きちぎろうともがく。巨大な狼が暴れる力に、何本かの蔓が音を立てて切れる。

 だが、フィルもありったけの魔力を込めて蔓を操り、狼をしっかりと抑えつける。

「今よ! クルト!」

「ありがとうフィル!」

 フィルの合図で、タイミングをうかがっていたクルトが現れ、木の枝から狼の背中に向かって飛ぶ!

「はぁああああ!」


「………!」

(ここまでか……)

 ラルフは死を覚悟した。身体を拘束している蔓すべてを引きちぎり、顔を少年に向けて噛み千切るまで、どうしても数瞬足りない。

 三対一なのは言い訳にしない。それを理解したうえで勝負を仕掛けたのだ。だから最後の瞬間。ラルフは大人しくなってクルトに身を任せた。

「クルトさん!」

「なに……やってるの?」

 ラルフは不思議に思った。少年が自分の体に飛び乗ったと言うのに、いつまでたっても痛みが来ない。少年は剣を持っていたはず、あれで一突きにすれば自分は死ぬ。だが、一向にその刀が振り下ろされる気配が無いのだ。

 しかも、少年の仲間が何か焦ったような声を出している……?


「……ひどい怪我だ」

 狼の背中に乗ったクルトが一言そう呟いた。狼の背中には、巨大な傷口があったのだ。

 この傷はクルトが付けたものではない。もちろん逃げ回ることに集中していた珠が付けたものでもないし、ただ蔓で狼を縛ったフィルが付けたものでもない。この傷はラルフが崖から落ちた時に追った傷だ。

 クルトを探している時、ラルフは崖に気付かず落ちてしまったのだ。そして落ちた先に運悪く巨大な岩があり、背中に大きな怪我を追ってしまった。

「傷口にこんなに泥を塗ったらばい菌が入ってしまう。すぐに水で消毒しないと……」

 ラルフは傷口を塞ぐために泥を塗った。いや、塞ぐというより隠すためだ。長く生きているラルフにとって、この傷は――無理をしなければ――自然にふさがる程度のものだ。だがら、負けた言い訳にしたくなかったから隠したのだ。

 クルトは水筒を取り出して傷口にたっぷりと水をかける。綺麗な水が傷口にしみてラルフの背中を激痛が襲う。

「―――!」

「痛い? でも我慢してね。今薬を付けてあげるから……」

 クルトは薬を取り出すために鞄に手を伸ばす。

(余計なことを……するな……!)

 狼はクルトを振り払おうとしてもがいた。

「動くなッ!」

 クルトが急に怒鳴りつけた。何か大きな間違いをしてしまった子供に、親が叱りつけるような口調だった。

「痛いのは分かるけど、大人しくしないと薬が塗れないでしょ? しばらく動いちゃダメだ!」

 何をふざけたことをとラルフは思った。しかし、なぜかそれ以上暴れる気が起きず、大人しくクルトに薬を塗られていた。


「これでよし……。さ、みんな行こうか!」

 そう言ってクルトは狼から飛び降りた。

 それまでクルトの行動に唖然としていた珠とフィルは、その言葉でやっと正気に戻った。

「は、はい! 逃げましょうクルトさん!」

 珠は素直にクルトを追いかけようとする。しかしフィルは違った。

(いまここで殺せば……)

 フィルはクルトの行動に呆れ果てたが、今がこの狼を殺す最大のチャンスだ。次に狼が隙を見せた時、クルトの代わりに自分が殺すと誓ったじゃないか、幸い狼の体には何本か蔓が絡みついている。

 フィルは狼を絞め殺すために腕を振り上げた。しかし、その腕は振り下ろされなかった。

「何してるのフィル。早く逃げるよ!」

「ちょ、ちょっと~!」

 振り上げた腕はクルトに掴まれ、フィルは無理やり連れ去られた。

「待ちなさいってば! 今がチャンスなのにー!」

 フィルの声は徐々にフェードアウトして行った……。


 ラルフはクルト達が去っていく光景を呆然と眺めていた。

 身体はもう動く。蔓の力は弱まり、逃げるクルト達はあまりに無防備だった。追いかけようと思えばすぐにでも追いつくことができるだろう。

 しかし……ラルフはなぜかクルト達を追いかけることはできなかった……。


   *    *    *


「この……馬鹿クルトーッ!」

 フィルがクルトの肩に飛び乗って、クルトの頬やら髪やら耳やらを無茶苦茶に引っ張って叫ぶ。クルトはフィルを引きはがそうとするが、ちょこまかと動き回るフィルを捕まえることができない。

「いたい、いたい、いたいッ! 痛いよフィル!」

「な~にが『痛いよフィル!』よ! 私の心はもっと痛いわ! あんたがここまで馬鹿だったとは知らなかったわよ!」

 フィルはクルトの髪の毛を数本引き抜いてやっと離れた。

「怒らないでよ……」

「ふんッ!」

 フィルはクルトの馬鹿さ加減にも呆れたが、自分の考えの無さにも同じくらい呆れた。

 クルトがあそこまでこだわっていたのに、何の理由もなく方向転換するのをもっと疑問に思うべきだった。これなら狼を捕まえた時、一気に絞め殺せばよかった。

「まあまあフィルさん。機嫌を直してくださいよ。みんな無事だったんだからいいじゃありませんか」

 珠はそう言ってフィルをなだめようとする。

「あんた腹が立たないの? 一番危険だったのはあんたでしょうが! ……って、あんた幸せそうな顔してるわね」

「そうですか?」

 珠は意識していないのに、自然と喜んでいる声を出した自分に驚いた。それほどクルトが、あの狼を見捨てなかったことが嬉しかったらしい。

(やっぱり、クルトさんはクルトさんでした!)


「はぁ……どうするのよ。せっかく障害になる狼を殺すチャンスだったのに……。あの狼は絶対また襲ってくるわよ。こうなったら、狼を出し抜いて三層に行く方法を考えなくちゃ……ああ、もう! また来たわよあの糞犬!」

 フィルがそう言うと、間もなく近くの茂みが揺れて狼が現れた。

 珠とフィルは間髪いれずに逃げ出そうとする。

「……ちょっと待って!」

 クルトがそう言って二人を引きとめる。

「何? 今度は何処を怪我してるの? 足? 顔? それともお尻? もう手伝わないわよ自分一人でやりなさいよね!」

「そうじゃないよ……なんか雰囲気が違う」

 狼にはあの激しい闘争心が消えていた。狼は今困惑の表情を浮かべてクルトのことを見つめている。


「……名前は何という?」

 狼が口を聞いた。少し驚いたものの、対して衝撃は受けなかった。この森にあって、これだけ立派な体をしているなら、人語を操る程度の知性があることを疑問には思わなかった。

「僕の名前はクルト……クルト・グラウン」

「クルトと言うのか……」

 狼はそう呟いた後、しばらくクルトを見つめた。そして、再び口を開いた。

「クルト……お前は強さとはなんだと思う?」

「え……?」

 何の脈絡もなく問いかけられて、クルトは少し考え込んでしまった。何かの謎かけか? しかし、結局何も思い浮かばなかったクルトは思ったことを話すことにした。


「強さが何かはわからない。でも強さと言うのは不確かな概念だと思う」

「不確か……?」

「だってそうでしょう? 強さっていうのは、他の誰かが存在して初めて現れるものだから」

 ある者を強いと表現するためには、必ず他者が必要となる。

 例えば、自分のパンチだけで岩を砕く大男が居たとする。この男は果たして強いのだろうか? 答えはノーだ。ただそれだけではこの男を強いということはできない。

 例えばこの男の周りに、岩どころか木の枝すら自力で折れない人間ばかりが居たとしたら、この男は相対的に強いということになる。しかし、この男の周りにダイヤモンドを素手で叩き割れる人間ばかりが居たとしたら、この男は相対的に弱いということになる。

 クルトは続けて言った。

「そして、仮に他者が存在したとしても、結局強さが不確かな時もあるよ。仮にAという人が居たとする。このAはBには勝つことができるが、Cには勝てない。しかし、CはAには勝てるが、Bには負けてしまう。さて、この場合ABCの中で誰が一番強いと言える?」

 つまりじゃんけんと同じだ。グーはチョキに勝つことができるが、パーには勝てない。パーはグーには勝てるが、チョキには勝てない。この中ではどれが一番強いかなど存在しない。この三者を倒すことができる第四者が必要になるのだ。だが仮に、その第四者が現れたとしても、第五者に勝つことができる保証はどこにもない。

「僕が話したのは仮の話だけど、これは世の中にはよくあることなんだ。だから僕は、強さは不確かなものだと思う」

 狼は少し考え込んだ。クルトの言っていることに一応納得したらしい。


「ではお前は? お前自身は自分のことを強いと思うか?」

 狼はさらに、クルトに対して自分は強いかと問うた。

「……分からない。僕は今まで一人だったから……」

 クルトの答えに嘘はない。クルトは自分自身では強いか弱いか分からないのだ。

 クルトが強いか弱いか判断するなら、比べる相手は同じ人間であることが望ましい。しかし、クルトは今までずっと避けられて暮らしてきた。

 唯一比べられる相手はエリザベートだが、高名な魔女エリザベート一人と比べて弱いと断言するのはいささか理不尽だ。


「女。お前はこの少年……クルトは強いと思うか? 弱いと思うか?」

 狼は珠に向き直ってそう聞いた。あくまでクルトが強いか弱いかに興味があるらしい。

「……強いと思います」

 珠は武器を構えたまま狼の問いに答える。

「クルトさんは一度助けると決めた相手は絶対に守ろうとします。一度情けをかけた相手を決して見捨てない。見捨てることなら誰にでもできます。しかし、信念を持って、目にとまった弱者を助けようとするのは強者にしかできません。だから私は、クルトさんは強いと思います」

 珠はクルトを見て微笑む。

「私は……クルトさんのその強さに救われました。」

 珠は最後に小さくそう呟いた。


「妖精。お前はクルトをどう思う? 強いと思うか? それとも弱いと思うか?」

 狼は次にフィルへ向かって問いかけた。フィルはにやりと笑ってそれに答える。

「弱いと思うわ」

 フィルは躊躇なくそう答えた。

「クルトは残酷になることができない。倒すべき相手、見捨てるべき相手を見捨てることができない。たとえそれが敵であったとしてもね……」

 フィルの時は仲間意識があったということもあるだろう。しかし、今回の狼は完全なる敵だ。しかしクルトはその相手すら見捨てることができず、挙句の果てに怪我の治療までした。

「悪い奴ではないと思うわ。助けたい相手が居て、それを助けるために努力する。素晴らしいじゃない。それは善人であると称賛するべきことだわ。……でも、それは戦いの無い平和な場所であったとしたらの話。今クルトが居るのは祈りの森。時には非情になって見捨てる勇気も必要になる。それができないというのなら、それは優しいのではなく甘いということ。だからクルトが強いか弱いかと問われれば、私は弱いと答えることになる」

 フィルは「だけど……」と言って狼を睨む。

「クルトの弱さは私が埋めるわ。クルトが殺せない、見捨てられないというなら、私が変わりに殺す。捨てさせる。たとえ、クルトに非難されることになったとしてもね」

 その言葉にクルトはピクリと反応したが、すぐに「フィルらしい」と考え直してふっと微笑んだ。


 狼はクルト達の意見を聞いて目を瞑った。そしてしばらく考え込んだ後、静かに話し始めた。

「俺はずっと強さを求めていた……。俺は強さと言うのは、何者も寄せ付けない絶対的な力を持ち、誰も俺に向かってこなくなることを言うのだろ考えていた」

「分かってるじゃない。あんたは正しいわ」

 フィルはそう言って狼の言葉を肯定する。

「だが、お前に出会ってそれに疑問を持つようになった」

 狼はそう言ってクルトを見つめる。


「さっきお前が俺の傷に薬を塗って去っていく時、俺はお前の後を追うことができなかった。それはお前に恐れたからじゃない。なぜだかお前を殺す気がすっかり失せてしまったのだ」

 狼はいまだにその正体を掴めていなかった。何かもやもやとしたものが思考に引っ掛かって答えが出せない。

「お前を見ているうちに思った。強さを求めて巨大な力を身につけることこそ弱いのではないかと……。他者からの襲撃に対抗するために、強力な武器や武術を身につける。それで確かに襲撃には対応できるだろう。しかし、そもそも相手からの襲撃など来ないような仁徳や信頼を得て、丸腰で堂々と歩くことこそ本当の強さなのではないか?」

「……貴方の考え方は間違っていません」

 今度は珠がそれに同調する。しかし狼はさらに苦悩する。


「だが結局それは俺の求めている強さではない気がする。だから俺は今迷っているのだ」

狼はクルトを見つめた。

「お前に会って話をすれば答えが出るかとも考えた。しかし結局前以上に迷うはめになってしまった」

「……ご、ごめんなさい?」

 クルトは訳も分からず謝ってしまった。珠はそれをクスクスと笑ったが、フィルは呆れてため息をつく。

「だが、何か光明が見えた気もする。しばらくお前と共に行動すれば、俺が求める強さの答えがきっと出る。……しばらくお前と共に行動したい」

 クルトは狼の言葉にしばらく呆けたが、やがて狼の言った言葉の意味を理解して笑顔になった。

「それって、僕達の仲間になってくれるってこと? それならもちろん歓迎だよ!」

「ちょっとクルト!」

 クルトの答えにフィルがすかさず反論する。


「あんた正気なの? こいつは私達の命を奪おうと……って、私が言えた義理じゃないか」

つい最近、クルトのことをはめようとしたフィルに、この狼を仲間に入れることを反対する資格はない。

 フィルは狼に向き直って睨みつける。

「クルトが仲間に入れるって言うから仕方なく了承するけど、変な気を起こしたら私が直々に殺してやるから」

「心配せずとも、その時は『恥知らずの狼』の汚名が、俺のことを蝕み殺すだろう」

 フィルはその答えに納得したらしい。すっかり力を抜いてクルトの肩に座る。

「……クルトさんが決めたことなら私も反対はしませんが……」

 珠が狼を見ながら刀を捨てて木の枝に戻す。

「クルトさんを殺すようなことをしたら、汚名で死ぬなんて生ぬるいことは認めません。私があらゆる苦痛を与えた後に殺してあげます」

 クルトは珠らしくない言葉を聞いてぎょっとする。慌てて振り返ると珠は顔を背けていた。

 妖狐の血……それが珠に自然と呪いの言葉を吐かせたのだ。


「そうだ。君の名前はなんていうの?」

 クルトはまだ名前を聞いていなかったことを思い出して狼に振り向く。

「ラルフだ」

「よろしくねラルフ! あ、そうだ。僕達と一緒に行きたいって言うなら行き先を言わなくちゃね。僕達は……」

「宝石を手に入れにきたのだろう?」

 クルトが最後まで言いきる前にラルフが言った。

「知ってたの!?」

「人間がこんなところまで入ってくる理由はそれくらいしかあるまい? 乗れ」

 そう言ってラルフがしゃがむ。背中に乗れと言っているのだ。

「え、でも……」

 クルトはラルフの背中に乗ることを少しためらう。ラルフは背中に怪我を負っているからだ。

 それを察したラルフが笑う。

「怪我なら気にするな。俺は妖怪だから簡単には死なん。もともと派手なだけで大したことの無い怪我だ」

 ラルフのその言葉に、クルトは恐る恐る背中に乗る。すると、傷跡は確かにあったが、ほとんどそれは治りかけていた。

 クルトが背中に乗ったのを見て、珠もラルフの背中に乗る。二人が乗ったことを確認して、ラルフは立ち上がって走り出した。


「わー! すごいすごい!」

 ラルフは森の中を器用に走った。しっかりつかまっていなくては振り落とされてしまうが、これならかなり早く森の中を進むことができるだろう。

「同じ動物の妖怪なのに、偉い差があるわね。クスクス……」

 クルトの服につかまっているフィルが、珠を見ながらニヤニヤと笑う。珠はそれを聞いて顔を真っ赤にして俯いた。

「まったくフィルは……。そうだラルフ。この調子で進んだら、宝石まであと何日くらいで付けると思う?」

「そうだな……。狼達の噂を信じていいなら後三日と言ったところだ」

「三日ッ!?」

 ラルフが落ち着き払って言った言葉に、クルトが驚いて叫んだ。

(後三日……。ひと月以上森の中を彷徨ってきたけど、ついに後三日で宝石まで……)

 クルトは期待に胸を膨らませながら森の中を見つめた。

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