呪われ第二王子の死に戻りに巻き込まれています
ロレッタが過去に戻るきっかけは、第二王子の転落死だ。
寄宿学校の校庭、その端っこ。男子宿舎が良く見える。見上げた先で、最上階、北端の部屋の窓から、王子が真っ逆さまに落ちてくる。
世界のすべてに絶望したような、諦めたような真っ暗な瞳と、視線が絡んで。
ぐしゃ。
そして時間が戻る。
ロレッタ・ブラックウッド。特技は木登り。ブラックウッド伯爵家の長女で、家族構成は両親に、兄が一人、妹が二人。
ブラックウッド家は国土の端っこに領地を持つ。土地そのものは広いが、その九割が『魔女の森』と呼ばれる深い森林。おかげでロレッタたち兄妹は、まったく貴族らしくなく育った。
木に登り、草を摘み、トカゲを追いかけた幼少期。合間に貴族としての教養と、当主になるための勉強。
ブラックウッドは女系の一族で、ロレッタは生まれたときに爵位を継ぐと決まった。だから大好きな故郷を離れ、後継者育成のための寄宿学校に通っている。
五年生の終わりまでは、ロレッタの学校生活はまあまあだった。友達がおらず、周囲に「魔女さん」とからかい半分に呼ばれていることを覗けば、だが。
おかしくなったのは、進級の直前。先生に頼まれた図書室の整理を終えて、暗くなりつつある校庭を歩いて宿舎に戻るところだった。
そこでロレッタは、『初めて』第二王子ブラッドリーが落ちてくるのを見た。
距離があったのに、彼と目が合ったことだけは確かだと思った。いつも学校で見かけるときと同じ、真っ暗な瞳をしていた。そうに違いなかった。
ブラッドリーが見るに耐えない姿となって死ぬと、突然ロレッタの意識も落ちた。幕が落ちたみたいに。
そして気がついたら、ひと月分の時間が戻っている。
これでもう、五回目だった。
一回目、長い夢を見ていたのだろうと思った。一ヶ月を普通に過ごし、またブラッドリーが死ぬのを見た。
二回目、時間が戻ったことをブラッドリーに伝えようとしたが、護衛の騎士たちに阻まれて近づけずに終わった。
三回目、直接会えないならと手紙を渡そうとしたが、取り巻きの貴族たちに燃やされた。
四回目、男子寮に近づいたら、「不適切な男女の交流」を理由に、寮長に軟禁された。
そして、五回目、今。
自室で目覚めてから憂鬱な気分が晴れず、授業を休んだ。学校の敷地内にある雑木林に、足を向けた。
故郷の森とはぜんぜん違うけれど、木に囲まれているのは落ち着く。貴族の子息は、こんな林の中に入ってこない。だからここは、ロレッタにとって絶好の隠れ家だった。
そこでロレッタは、ブラッドリーと出会った。
いつもブラッドリーの周囲を固めている、騎士の壁はいなかった。そのさらに外側を囲んでいる取り巻きたちも。
二人はしばらく、無言で見つめ合った。
「……ロレッタ・ブラックウッド」
沈黙を破ったのはブラッドリーの方だった。しかもロレッタのことを知っているらしい。
ロレッタは止めていた息を慌てて吸い込んで、スカートの裾を摘まんだ。
「ブラッドリー殿下。失礼をお許しください」
思わず不躾にじろじろと眺めてしまった。
だって、あんなに試しても無理だったのに、こんなところで会えるなんて。
「構わない」
やっぱり真っ暗な目をしているブラッドリーは、ロレッタを追い返そうとはしなかった。
(もしかして、だからこの日に戻ったの?)
この日、この時、この場所でなら、ロレッタとブラッドリーの邂逅が叶うから。
だとすれば、ロレッタは何度も機会をふいにしていたのだ。それが悔しくてたまらない。
しかし、会えたのならやることは決まっている。
「……君は優しいんだな」
「何が、でしょうか?」
なんの前触れもなく言われて、ロレッタは教科書を入れた鞄をまさぐる手を止めた。
「俺を何度も助けようとしてくれただろう」
えっ、と口から声が漏れ出した。
まさかブラッドリーにも、この死に戻りの記憶があるなんて思わなかったから。
「君がどうにか接触してこようとしているのは、知っていた。心苦しかった。俺が呪われているせいで、君を巻き込んでしまった」
すまない、と頭を下げるブラッドリーからは、王族としての威厳や矜持など、一切感じられない。
「……では殿下は、ああなることを分かっていて、何もしなかったのですか」
あんな風に死んでしまうことを。
「……ああ」
「なぜ」
「だって俺は、生きていても仕方がないから」
馬鹿なことを言っている。
馬鹿なことを言っている!
「そんなわけないでしょ!」
鞄の中で掴んでいた本を引っ張り出して、座っているブラッドリーの頭を上から叩いた。
そんなに力は入れていないけれど、ブラッドリーは後ろにのけぞった。
「どこの誰がなんと言おうと! あんたに生きててほしいって願う人間がここにいるの! それは、生きる理由になるでしょう!?」
ずっとぼんやりしていたブラッドリーの目に、微かな光が灯った気がした。
初めてロレッタを真正面から見て、彼は熱のこもった声で囁いた。
「昔のこと、君も覚えてる?」
ロレッタは小さく頷いて、さっきブラッドリーを殴った本を差し出した。
「覚えてる。だから、私にあなたを助けさせて」
◆ ◇ ◆
第二王子ブラッドリーの冷遇は、この国では有名だった。
よくある話だ。
政略結婚で身分の高い王妃と、恋愛結婚で後ろ盾のない側妃。
一日違いで生まれた二人の王子。
ブラッドリーの母である側妃は産後の肥立ちが悪く儚くなった。
王は愛した人の忘れ形見であるブラッドリーを殊の外大切にしたが、王妃はそれをよく思わなかった。
自分の産んだ子を王にしたい。殺意がブラッドリーに向くまで、そう時間はかからなかった。
王妃はまだ幼いブラッドリーに、呪いをかけることにした。
◆ ◇ ◆
ロレッタがブラッドリーに渡したのは、『魔法の日記帳』だ。
二冊一組で使う日記帳で、一方に文字を書き込めば、もう片方にもその文字が浮かび上がる。
離れたところにいても、誰かとやりとりができるのだ。
寄宿学校に入る際、「良い男がいたら、これでやり取りしなさい」と母にウィンク付きで渡された物だ。
「家宝になっててもおかしくないような代物を、俺が気軽に使っていいのか?」と、ブラッドリーは若干気後れしていたが。遠く、魔法の術は失われて久しい。
学校で見かけるブラッドリーは、常に護衛の騎士が五・六人張り付いており、その周囲を取り巻きが固めていて、とてもじゃないが近づけない。
けれどこの日記帳があれば、人の壁に囲まれたブラッドリーとも、密かにやり取りができる。
寝る前に日記帳を開く。そう、二人で約束した。
『父上は心配性がすぎる。兄のアンソニーには、学内の護衛は一人だけなのに』
『でも、ブラッドリーのことを心配する気持ちは分かるわ。今日だって、危うく馬車に轢かれるところだったでしょう』
父王から寵愛されているとはいえ、ブラッドリーの立場は悪い。
彼が王妃から嫌われているのは誰もが知っていたし、命を狙われていることだって公然の秘密だ。
いつもおべっかを使っている取り巻きたちだって、実のところ、ブラッドリーを監視するために王妃が用意した手の者だ。護衛騎士の中にも、王妃の手先が混じっていてもおかしくない。
それは、ブラッドリーの落下死が証明している。
それだけではない。
『あなたの不運を、どうにかしないと』
ブラッドリーが「呪われ王子」などと呼ばれている理由は、彼のその不幸体質にあった。
道を歩けば水を被り、座れば椅子の足が壊れる。花瓶が頭上に落ち、馬車は穴に嵌り、近くの木に雷が落ちる。行き先々で彼に襲いかかる、大小さまざまな不幸。
人々はそれを、王妃の呪いだと噂した。
ブラッドリーの死を望む王妃の強い気持ちが、呪いとなって現れたのだと。
それが間違いであることを、ロレッタは知っている。
『俺の不運なんて、今更どうしようもないだろう』
『呪いを解く方法はちゃんとある。投げやりにならないで』
ずっと死を望まれ続けて、ブラッドリーは疲弊している。自分の命すら諦めてしまうほどに。
誰が本当の味方か分からない。王は愛をくれるけど、王妃の影響力を恐れて表立って助けることはしない。日常的に襲いかかる不幸の数々。
ロレッタは何度でも思い出す。落ちていくブラッドリーの、あの真っ暗な瞳を。
ずっと、脳裏から離れないでいる、絡みつくようなあの視線を。
『私が絶対に、助けてあげるから』
『君がそう言ってくれるなら、俺も諦めずに頑張ることにしよう』
日記帳に浮かぶ文字を、ロレッタは優しく手でなぞった。
◆ ◇ ◆
王妃は、当時五歳だった第二王子ブラッドリーを、国の端にある領地へ連れて行った。
「魔女の森」と呼ばれるその森で、魔女を探し出し、ブラッドリーに呪いをかけてもらうために。
王妃が魔女を探す間、ブラッドリーはもっともらしい理由をつけて領主の城に預けられた。
滞在はごく短期間だったが、その間にブラッドリーは、領主の娘と仲良くなった。
ひとつ年下の少女、ロレッタと。
◆ ◇ ◆
「やあ、ロレッタ。今日も姿勢が綺麗だね」
廊下でそう声をかけてくるのは、第一王子のアンソニーだ。王妃の息子。ブラッドリーより一日早く生まれた王子。
ロレッタは静かに足を引いて礼をした。
「お褒めいただき光栄です」
「それに、昨日は迷子になった新入生を案内してあげていた」
「困っていましたので」
「君のような人がいれば、僕も将来に安心できるよ」
アンソニーはひとしきりロレッタを褒めると離れていく。そしてまた、他の生徒に声をかける。
王位を継ぐことを疑っていないのが、その態度からも分かる。
アンソニーは、弟のことをどう思っているのだろう。二人が一緒にいるところを、ついぞ見かけたことがない。
母親である王妃のように、ブラッドリーを疎んでいるのか。あるいは、取るに足りない存在だとして見下しているのか。それともまさか、何も見えていないとか?
彼には護衛の騎士が一人。ブラッドリーのように囲まれて行動を制限されることもなく、見張られて自由を奪われることもない。
時間が戻ったあの日。ブラッドリーが雑木林にいたのは、一人になりたくて護衛から逃げてきたからだと聞いた。夜の就寝時でさえ、ブラッドリーの部屋には騎士が二人常駐するのだという。
それは本当に、王の意向なのだろうか。それとも、王妃の手が回っているのか。
――第一王子アンソニーは、ブラッドリーの死には関わっていないのだろうか?
ロレッタは、遠ざかろうとするアンソニーに声をかけることにした。
「恐れながら、アンソニー殿下」
先に振り向いた護衛の騎士が間に入ろうとしたが、アンソニーはそれを制した。にっこりと笑う。
「どうしたのかな、ロレッタ」
「先日、ブラッドリー殿下を雑木林でお見かけしました」
アンソニーの笑顔が、少しだけ曇った気がした。
「そうなのか」
「珍しくお一人で、落ち込んでいらっしゃるように見えましたので、心配で。アンソニー殿下にお伝えすべきかと」
「分かった。弟を心配してくれてありがとう、ロレッタ。様子を見るようにしておくよ」
ロレッタが頭を下げると、アンソニーは今度こそ歩き去っていく。
(うーん。どうも分かりにくいな)
ロレッタがブラッドリーと会った、と話したときには目元を陰らせたのに、弟に対する心配も一瞬だが垣間見えた。
でも、それが演技なのかそうでないのか、ロレッタにはいまいち区別がつかない。
だが、そういう態度を見せるのならば、表立ってブラッドリーを害する可能性は少ないだろうと思えた。
ふと周囲を見れば、生徒たちがひそひそと話している。ロレッタと視線が合うと、わざとらしく顔を背けた。
「『魔女さん』が、殿下に声をかけるなんて」
「身の程を弁えろよな」
興味がないなと、ロレッタもその場を立ち去った。
◆ ◇ ◆
第二王子ブラッドリーと、ブラックウッドの娘ロレッタは、数日の間、それは仲良く遊んで過ごした。
できることは室内遊びに限られていたが、領主の城は広く、行ける場所はたくさんあった。
お互いにとって、初めての友達だった。
ブラッドリーは王妃の監視が強く、好きに部屋を出ることもできない。一方のロレッタは、跡継ぎになるための知識を祖母から習い始めていたため、やはり自由時間は少なかった。
ブラッドリーが城を離れる日が来ると、ロレッタが泣き喚いて手が付けられなくなるくらいには、二人の距離は縮まった。
離れようとしないロレッタに、ブラッドリーはこう切り出した。
約束しよう、と。
次に会えたときには、もう離れないようにするよ、と。
◆ ◇ ◆
あの時の約束を、ロレッタは今も覚えている。
幼かったあの頃と違って、ロレッタも彼の置かれた状況を理解している。ブラッドリーが約束を守るのは、とても難しい。
幼い年下の友人を宥めるために、ブラッドリーは自分でも信じていない嘘をついてくれた。彼だって、まだ小さな子どもだったのに。
だからロレッタが、その嘘を本当にするのだ。
ロレッタは寮の自室で、寝る前に日記帳を開いた。
既にブラッドリーからのメッセージが書かれていた。
『今日、アンソニーと話をしていたな』
挨拶も何もない、至極簡潔な一文だ。
『誰がブラッドリーの敵なのか、見極めようと思って』
ブラッドリーから返事が来るまでに、少し時間がかかった。
『兄は大丈夫』
うん? とロレッタは首を傾げた。
まるで、敵と味方をちゃんと区別しているような。
もしかしてブラッドリーは、ロレッタの思う以上に状況を把握しているのではないだろうか。
『ブラッドリー、私に言ってないことある?」
ページにペンを走らせる。更に長く沈黙が続いて、ちょっとだけ小さい文字で返事が来た。
『アンソニーは、いろいろとこっそり教えてくれるんだ』
『あんたねぇ! そういうのはちゃんと共有しなさいよ!』
どうやら一日違いの兄弟は、王妃の思惑と違って仲が良いらしい。
ロレッタは一度ペンを置いて、大きく息を吸い込んだ。
雑木林での邂逅以来、ブラッドリーとは直接会っていない。学校でたまにすれ違うことはあるが、もちろん近づくことは不可能だ。
暗い無表情のままでいるブラッドリーは、幼い頃に遊んだ少年とすっかり違っていて、未来を語ることを諦めてしまっている。
嘘だとしても「次」を語ってくれた。今のブラッドリーは、それすらできないでいる。
『ごめん』
でも、ロレッタとの繋がりは、絶たないでくれている。それなら、全力で彼を助けるだけだ。
『いいわ。でも今回はちゃんと、殺されないようにするのよ。次はないんだからね』
『分かった。でも、次はないってどういうことだ?』
元の大きさに戻った文字を見て、ロレッタは不敵に微笑んだ。
『あなたの呪いを解くのよ』
◆ ◇ ◆
森に住む魔女を探し出した王妃は、ブラッドリーに呪いをかけるように命じた。
魔女はブラッドリーをよく見て、そして王妃に告げた。
「彼を不幸にする呪いならかけることができる。しかし、彼を直接殺すことはできない。そして呪いが破られた時、すべては王妃に還る」と。
王妃はそれを承知し、第二王子ブラッドリーは呪いを受けた。
◆ ◇ ◆
新月の夜、ロレッタは雑木林のそばにある管理小屋に、ひっそりとブラッドリーを呼び出した。
寮から抜け出すのには、アンソニーが手を貸してくれたらしい。
雑木林の管理人は、郊外から来ている老人だ。週の真ん中にだけ作業をするので、今日の小屋は無人だった。
ロレッタは天井の梁から香炉を吊るし、机と椅子を端に避けて、真ん中に場所を作った。
小屋に入ってきたブラッドリーは、室内の様子を見てびくりと肩を揺らした。
「驚いた?」
「……ああ」
そっくりだ、と呟くブラッドリーの目は、遥か過去を見ている。
「昔に呪いをかけられた場所?」
はっと息を呑んだ彼が、現在に戻ってきた。
こくりと頷いたブラッドリーを促して、床に座らせる。
ロレッタは部屋の端に置いていた鞄から、いくつかの小瓶を取り出した。乾燥させたハナハッカとカノコソウの葉を刻み、香炉に入れて火を点ける。
「我がブラックウッドの森は」
作業をしながら、ロレッタは歌うように語った。
「この国が始まった場所」
魔女の森。あそこが国の要だと知る人間は、ごく僅かだ。
国王。数人の重鎮。
その中に、王妃は含まれていない。
「魔女は最初の王と契約を交わした。血筋が続く限り、この国を守り続けると」
ロレッタは腰の後ろから、ナイフを引き抜いた。
大人しく座っているブラッドリーに近づいて、その髪にナイフを当てる。
「あれほど広大な森を開拓もせず、食料の産出もほとんどない。それでもブラックウッドが伯爵の地位を持ち続けているのは、魔女の血筋だから」
短く切り取ったブラッドリーの髪を、これも香炉に入れる。
独特な刺激のある香りが漂い始めた。
「魔女としての素質を持つものが、家を継ぐ。国を守るために」
「じゃあ、君は」
「そう。本物の魔女」
母も、祖母も、ロレッタの祖先はみんな魔女だった。
「ブラッドリーに呪いをかけたのは、私のおばあちゃん」
僅かに身を固くしたブラッドリーの頭を撫でて、ロレッタは彼の前にしゃがんだ。
「森の中で王妃たちを彷徨わせている間、おばあちゃんはブラッドリーのことを見てた。そして、決めたの。呪いではなく、祝福を授けようと」
「……祝福?」
「いつかあなたが、幸せになるように」
その時が来るまで、幼い王子が死ぬことのないように、魔法をかけた。
孫娘に優しくしてくれた少年に、慈悲を見せた。
「私が、祖母のかけた魔法を解除できるようになるまで、ブラッドリーが生き延びるように」
ねえ、とブラッドリーの頬を両手で包んで、ロレッタは笑った。
「こんなに時間がかかってごめんね。でも、ようやくあなたを助けられるの」
「……ずっと、俺のために、魔法を学んでいたのか?」
「解呪の魔法は、知識だけなら十分だったの。ただ、魔力が足りなくて。善行を積むことで、頑張って増やしたのよ」
ようやく呪いを解くことができる! と思った矢先の、死に戻りだった。
解呪をすれば、ブラッドリーが死んでも、もう過去に戻れなくなる。
「お願いね、ブラッドリー。今度はちゃんと、生きる道を選んでね」
ロレッタの手を掴んで、ブラッドリーは笑った。
「分かった。君と一緒なら、俺は生きることを諦めなくていいような気がする」
「大丈夫よ。ちゃんと隣にいてあげるわ。あなたが望むならね」
ふふん、と胸を張ってみせる。
「私はまだ婚約者が決まってないから、嫁いできてもいいのよ。うちの血を繋ぐのは重要事項だから、必要なら王族とも結婚できることになってるし……」
「本当に?」
ブラッドリーが想像以上に食いついたので、ロレッタは戸惑いながら首肯した。
「え、ええ」
「今の、プロポーズとして受け取っても?」
「何言ってるの!?」
確かにそういう内容だ。でも今の言葉がプロポーズなんて、なんというか、あまりにも格好がつかないではないか!
「ダメダメ! プロポーズならちゃんと、こう、もっと綺麗な場所でするわ! こんな埃と香臭い部屋じゃなくて!」
「ん。じゃあ待ってる」
もうブラッドリーは、真っ暗な目をしていなかった。ふわふわと幸せそうに頬を緩めて、ロレッタの手に頬ずりしている。
というか、あれ? 流れでプロポーズをすることが決定したような気がする。
しきりに首を傾げながらも、ロレッタは片手でハシバミの枝を取り上げて、それでブラッドリーの肩を軽く叩いた。
解呪は、星がひとつ流れる間に終わった。
ブラッドリーは兄の部屋を訪ねていた。
「いいか、ブラッドリー。このあとは絶対、護衛騎士を二人以上つけるんだ。騎士の一人が、君の命を狙っている」
表向きは、教科書を貸すために。
時々あるアンソニーからの呼び出しは、ブラッドリーに情報を渡すためのものだ。
今までに四回、この話を聞いた。そして直後に、ブラッドリーは部屋の窓から投げ落とされる。護衛騎士に紛れ込んでいる、王妃の手先によって。
厳しい顔をしているアンソニーは、それなりに良い兄だ。父も同様。
ブラッドリーのことを愛して、気にかけてくれている。けれど、王妃という元凶に向き合おうとはせず、救ってくれることはない。
本気でブラッドリーを助けようとしてくれたのは、ロレッタだけだ。
幼い頃に、数日間、一緒に遊んだだけの少女。
けれどブラッドリーにとっては、あの思い出だけが人生の宝物だった。
生きることを諦めていた。いずれ王妃に殺されるのだろうと、少女との再会を願うことさえなかった。
彼女は、ずっとブラッドリーのことを考えてくれていたのに。
「ブラッドリー、聞いているのか?」
「なあ、アンソニー」
今日は、なんの不幸も起こらなかった。水が跳ねてくることも、食事を運ぶ係が転ぶことも、落とした教科書を踏まれることも。
あの森に行った日からブラッドリーにつきまとっていた不幸は、すべてロレッタが跳ね返してくれた。
「ロレッタのこと、いつから好きなんだ?」
「……っ」
見ていれば分かる。アンソニーはロレッタに恋をしている。
行く先々で誰かの手助けをしているロレッタを、アンソニーはいつも遠くから見ていた。それを、ブラッドリーも見ていた。
でもアンソニーは、ロレッタに近づこうとはしなかった。王妃が婚約者を見繕っても、すべて断っていたくせに。
「知ってるだろ。父上は、俺とアンソニーのどっちが跡を継いでも構わないとお考えだ。望めば、ロレッタ
との結婚が叶うのに」
「……それは」
ずっと、これが聞きたかった。どうしてアンソニーは、ロレッタと距離を取るのか。
その理由次第では、アンソニーを応援しようと思っていた。少なくとも、この身にかかった呪いが解ける前までは。
アンソニーは難しい顔をしたあと、視線を斜め下にずらして、ぽつりと呟いた。
「だって、ロレッタもまだ婚約を決めていないし」
「……はあ?」
「声をかけるには、まだ時期尚早かなと、思って……」
なるほど。
ブラッドリーは綺麗さっぱり身軽になった気分で、兄をまっすぐ見た。視線で突き刺したと言ってもいい。
そんな理由なら、遠慮などまったくいらなかった。
「俺、ロレッタにプロポーズされた」
「……え!?」
「王位はアンソニーにやるよ。俺はブラックウッドに入る。父上も、俺の頼みなら許可してくれるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「待たない。……アンソニーは今まで、十分時間があっただろ」
はくはくと口を動かしたアンソニーは、絞り出すように言った。
「僕は……、彼女が入学式で、同級生を手助けしているのを見て」
まさかの入学当初から目をつけていたと。五年間も何をやっていたのだろうか。
あの王妃に目をつけられないためだとか、そういうことなら、ブラッドリーだって納得したのに。
「だから……、そう、僕のほうがブラッドリーより先に」
「俺は、五歳の頃」
アンソニーは何も言えなくなって、沈黙した。
「だから、俺は諦めないことにしたんだ。今までありがとうな、アンソニー」
一応、彼がそれとなく手を貸してくれたのは、事実なので。
拳を握りしめる兄を置いて、ブラッドリーは部屋に戻った。
夕暮れ時。窓に近づくと、校舎が見える。窓を開けてちょっと身を乗り出せば、校庭の端を歩いているロレッタが見えた。
これまでに何度も、ここから落とされた。ロレッタの目の前で。
いつもなら、助言をくれたアンソニーのためにも、抵抗するなり護衛を増やすなりして対処していた。
それでも、ブラッドリーが殺されるのを選んだのは。
(彼女と再開できずに殺される運命なら)
いっそ、あの子の心に深く傷をつけて。
その魂の奥底に根を張って、ずっと離れずにいられたらと、そう願ったから。
(大丈夫。約束はちゃんと守る)
何度も死を繰り返すブラッドリーを見て、ロレッタの瞳が絶望に染まることに、快感を覚えてしまった。
どうにか助けようとしてくれる必死な姿が、どうしようもなく愛しかった。
きっと、ここでまた死んだら、ブラッドリーの魂は永久に、ロレッタのものになるだろうけれど。
それをしたら、あの絶望した瞳が見られないなと思ったので。
ブラッドリーは伸ばされた騎士の腕をかいくぐり、その背中を窓に向かって突き飛ばした。
「ブラッドリー・ブラックウッドって、名前の響きが面白すぎないかしら」
「俺は別に気にしないけど」
「そりゃあ、あなたはね」
ロレッタは、ちゃんとブラッドリーにプロポーズした。
寄宿学校が休みの日に、強引に故郷の伯爵領まで連れて行って、森を見渡せる城の最上階で膝をついた。
まるで乙女のように頬を染めるブラッドリーは、なんだかとても可愛らしかった。
ブラッドリーは目に見えて明るくなり、日常的に不幸に襲われることもなくなり、生き生きと学校生活を送るようになった。
反して、アンソニーは少しだけ、目元に影を背負うようになった。
ロレッタに彼の事情はわからないが、きっと王妃が関係しているのだろう。彼女は公の場で、転んだりワインを被ったりドレスが裂けたりと、随分な不幸ぶりを見せつけているから。
ロレッタの祖母が言ったように、ブラッドリーに向かっていた悪意と不幸が、王妃に還ったのだ。
ロレッタが寄宿学校を卒業する頃には、王妃は自分の宮にこもって姿を現さなくなっていた。
そんな状態だったから、ブラッドリーとの結婚はすんなりと決まった。国王は随分と喜んでいた。
今では、二人で森に薬草を摘みに行き、トカゲを追いかけて尻尾を集め、困っている領民がいれば手を差し伸べる日々だ。
ロレッタを見るブラッドリーの視線が、なんだか重く絡みついてくることもあるけれど。
彼が生きているならそれでいいと、ロレッタは笑みを返すのだった。
面白ければ感想評価などいただけますと、嬉しくて作者が歌います。
よろしければ、もうひとつの巻き込まれループ長編、「生贄侍女ミシェルと9の黒薔薇」も読んでみてください!(金曜日に完結予定です)




